出稽古に向かう薫が町を歩けば、大抵数人の異性が彼女を目で追う。
半年前に人妻となったときには密かな想いを寄せていた男達は一様に肩を落としたものだが、未だ変わらぬ娘らしさの上に開花した女の色香が重なって更に美しさが増した彼女を目にした瞬間、再び胸をときめかせた。

「薫さん、こんにちは」
「薫さん、うちの道場にはいつ来てくれるんですか?」

声をかければ返答と共に華やかな笑顔を贈られ、男達はしばしの幸福感を味わう。
その様子を物陰から見ている若い男だけは、他とは違い冷めた眼差しで薫を注視していた。
やがて首を傾げてぼそりと一言。










「あれのどこが騒ぐほどの美人なんだ?」










Beautiful



青年の身長は六尺(約180cm)ほどか。
この時代には珍しい長身である。
すらりと伸びた彼の体に書生風の着こなしが似合っていた。
背格好がこれほど見栄えがよければさぞかし顔も整っているのだろうと思いきや、男にしては色白の肌の上に乗せられている黒縁眼鏡のせいで残念な感じが否めない。
やや肉厚の唇が弧を描けば少しは愛嬌もあるだろうが、不機嫌に引き結ばれていた。
「剣術小町がいるという噂に見に来たが・・・所詮は噂か」
薫に焦がれる誰かに聞かれでもしたら半殺しの目に遭っても不思議ではないのに、青年は全く気にしていない様子だ。
幸いなことに彼の近辺にそういった輩はおらず、代わりに青年を指差す子供を叱る母親が足早に立ち去っていっただけだった。

「しかし剣術小町と呼ばれるからには稽古中だと化けるかもしれない。もう少し様子を見てみることにしようか」

決断すると青年は薫の後を追った。
     薫が向かった先は、町外れにある剣術道場。
部外者である青年は当然中に入れないので、適当な場所を探して覗き見することになる。
が、本人に後ろめたい気持ちは全くなく、覗き見という行為も「目的のためならやむを得ない」としているため堂々としたものである。
だが選んだ場所が人に見つかりにくい位置にしてあるあたり、見つかるとまずいという認識はあるようだ。
格子戸から中の様子を窺うと、ちょうど稽古が始まっていた。
男の中に混じる薫の姿を探すのは容易かった。
認識すると同時に我が目を疑った。



     本当にこれがさっきの女か?



雲の切れ間から差す陽の光のようなまっすぐな瞳にまず魅入られた。
緊張感を全身に漲(みなぎ)らせてはいるが、同時に清々しい生命の息吹を感じて青年は眩しげに目を細めた。
中の上くらいと判断した顔立ちは勇ましさの中に優美感を醸し出し、堂々とした立ち姿は厳粛な空気を纏ってどこか神々しい。
それは決して造られたものではなく、内に秘められた美が表に出てきたのだろう。

まるで命そのもの    ふと、そう感じた。

剣を手にして変貌するその様は。
「まさに剣術小町だ」
ぽつりと呟くと、
「褒め言葉として受け取っておくでござるよ」
真後ろから返答があり、驚いて振り向く。
もっとも、真後ろだと相手が見えなかったため、視線をやや下にずらす必要があったが。










そこに立っていたのは赤髪の剣客。
自分より遥かに身長が低くやさしげな顔立ちをしているため、腰に帯びている刀がなければ女と見間違えるところであった。










試しに本当に男か問うてみたところ、剣客   緋村剣心は目をぱちくりさせていたが、
「正真正銘の男でござる」
こういった質問は今まで何度もあったのか、苦笑いして答えた彼は己が名を名乗った。
つられて青年も自身の名を伝える。
「戸倉秋映(しゅうえい)といいます」
「戸倉殿と申されるか。して、さような場所で何を?」
剣心の問いに一瞬考え込むように黙り込んだが、すぐ思い当たったようで。

「もしや、覗きと思われてます?」

もしやも何も、剣心でなくともそう思うだろう。
しかしあまりにあっけらかんとした口調に毒気を抜かれ、
「まぁ・・・場所が場所ゆえ」
「剣心?」
声を聞きつけたのか、薫が道場から出てきた。
他の門下生も顔だけ出して様子を窺っている。
「驚いた!あなた、戻ってきていたの?」
「警察から頼まれた仕事が割と早く終わったのでござるよ。途中赤べこに寄ってみたら弥彦からこちらだと聞いて」
「そうだったの・・・おかえりなさい、剣心。お仕事お疲れ様」
「ただいま、薫殿」



他愛のない夫婦のやり取りだが、薫の表情が幸せそうに綻(ほころ)んだ。
そこには先程は見られなかった『何か』が加わり、より一層輝きが増した。



(一体何だ?)
その正体を探ろうと、戸倉はふらりと薫に接近する。
見も知らぬ男がいきなり近づいてきたのだ。
警戒して距離をとるのが普通だが、敵意も何もないさりげない動きだったため全員彼の動きを見守ることしか出来なかった。
戸倉は誰にも制止されることなく薫の真正面まで辿り着くと、今度は様々な角度から彼女を観察し始めた。
「あ、あの・・・何か?」
無遠慮な視線を浴びて困惑した声を上げたが、戸倉は無言でじろじろと眺めているだけだ。
どういうつもりかは不明だが、己の伴侶が男の視線に晒されるのはいい気分ではなく。
「戸倉殿   
制止の言葉は戸倉の呟きによってそれ以上続かなかった。










「やはり並に戻ってしまっている。これでは到底作品に出来ないな」










ひくり、と薫の唇が痙攣した。
それに気付かず続けられた言葉は、火に油を注ぐ結果となった。
「悪いが、今の顔では役に立たない。こんな十人並に戻らずさっきの状態を保ってくれないか」
傍目(はため)からも分かるほどこめかみの血管が浮き上がり、危険を察知した剣心が止めようとしたが遅かった。

「いきなりやってきて誰が十人並よ、この変人がーーーーー!!!!」

伸びた語尾はそのまま咆哮に変わり、手加減なしの平手打ちが炸裂!
ほどよく肉のついた体ではあったが戸倉は強烈な打撃に吹っ飛び、



びたんッ!!!



と潰された蛙のように全身で壁に張り付く結果となった・・・。




















本来であれば壁が人型に型抜きされるところだったが、初対面であることが頭の端にあったおかげで一応の手加減はされたらしい。
しかしながら彼の人生史上最大ともいえる一撃を食らった戸倉はすっかり伸びてしまい、責任を感じた薫が神谷道場に引き取ってきた。
ちなみに気を失っている彼を担いでいるのは剣心である。
帰宅早々客間に飛び込むとすぐさま布団を敷き、戸倉を寝かせた。
相変わらず目は閉じたままの顔を不安げに見下ろすのは薫だ。
「大丈夫。ちょっと強く打っただけでござるよ」
夫の慰めに小さく微笑む。
「とりあえず、頭を冷やそう」
「じゃあ私が・・・」
立ち上がろうとした薫を手で制し、
「薫殿は戸倉殿を頼む」
と言い残して部屋を出て行った。
残された薫はしばらく戸倉の寝顔を見ていたが、彼の眼鏡がかかったままだったことに気付く。
寝返りを打って壊しては大変と手を伸ばすと、かすかな呻きが唇から漏れた。

「戸倉さん?」
覚醒を促すように声をかけると、完全に意識を取り戻したようだ。

「ここは・・・?」
「よかった、目が覚めたんですね!どこか痛むところはありますか?」
ほっとして気遣う薫をじろりと睨み、
「先に僕の質問に答えてください」
と無機質に告げる。



心配して損したと思っても不思議ではない仏頂面に、問題なしと結論付けると本人の要望どおり事の次第を説明した。
「なるほど。それであなたは僕に何をしようと?」
「へ?」



戸倉の視線を追ってみると、中途半端に彼に向かって差し伸べている己の手があった。
「これはその、眼鏡を外したほうがいいかなと思って・・・寝ている間は必要ないでしょう?」
「確かに今は必要ありませんね」
薫の言葉に従い、眼鏡を外すと。
      
戸倉の容貌をひと目見た瞬間、呼吸を忘れた。
薫の頭に眉目秀麗という言葉が浮かぶ。
その言葉通り、眼鏡を外した彼は整った顔立ちをしていた。
剣心も中性的なきれいな顔だが、戸倉は「男前」という表現がしっくりくる。
きりりと引き締まった口元に意志の強さを感じさせる瞳。










     まるで役者さんみたい。

妙と見た芝居に出ていた花形男優を思い出した。
あまりの色男ぶりにしばらく熱を上げていたのを覚えている。










眼鏡をかけていた時とは違う彼の顔にうっとりと見惚れていると、唇から耳に心地よい低音の声が紡がれる。
「・・・・僕の顔に何か?」
自分に対する問いかけだと認識するのに数秒かかった。
「え・・・あ、あの、眼鏡!お眼鏡かけているからお目が悪くていらっしゃるのかとッ」
慌てているせいで怪しげな日本語になった薫にちらりと不審げな視線を投げながら、
「別に目が悪いわけではありません。ただ、かけていないと必要以上に女性からの視線を感じてうっとおしくて」
それがなくなるから眼鏡をかけているだけだと説明した。
水桶を持って部屋に入った剣心もまた、戸倉の素顔に驚きを隠せずにいたが男同士のためかすぐ平静を取り戻し、
「気分はいかがでござるか?」
と手ぬぐいを絞る。
それを受け取りながら、
「気分は変わらないが、体中が痛い」
正直に言っただけだが、薫は小さくなるばかり。
「あの、本当にすみませんでした・・・」
「一応薫殿も手加減されたようだが、あれは確かに辛かろう」

悪気ゼロの剣心の言葉に言い返すこともなく、もじもじと居心地悪そうにしている。
その様子に、おや、と訝しんだが、額に手ぬぐいを乗せたまま起き上がろうとする戸倉を見て視線を戻した。

「程度はともかく、平手打ちは食らって当然でしょう。僕は夢中になってしまうと他のことは頓着しなくて・・・今更ですが、失礼しました」
仏頂面は変わらないが、口調は初見時より若干やわらかい。
どうやら薫への失言は己の世界に没頭した結果らしい。
「そういえば直前に作品とか何とか言われていたような・・・失礼だが戸倉殿は何かを造り出す生業(なりわい)をされているとか?」
「一応絵描きを・・・というよりその卵です。まだ飯を食っていけるほど稼ぎはないので、普段は新聞の挿絵描きで食いつないでいます」
「ほう、新聞の」
「その関係で、高名な画家の先生を紹介してもらいました。その方に僕の描いた絵をご覧いただき、ありがたくもお褒めの言葉をくださいました」



そのとき戸倉が持参したのはほぼ風景画だったが、今度は人物画も見てみたいと希望された。



「出来れば美人画がいいなどと笑っていましたが、先生の言葉です。例え冗談だろうと希望に沿いたいじゃないですか」
最初は美人なんて簡単に見つかると思っていた。
「確かに綺麗な人はたくさんいました。でもなんというか・・・薄っぺらく感じてしまって」
「薄っぺらい?」
「綺麗な顔を作っているとでも言えばいいのでしょうか。僕が紹介されたのは評判の芸者だったり華族のご息女や奥方だったので」










美人画のモデルにしたい、と申し出れば大抵の女は自分をより美しく見せようとする。
戸倉の求める『美』はそんな表面的なものではなかった。
だから今度は人から紹介された女性ではなく、自分で探そうとしたのだ。

そんな中、薫を見つけた。










「薫さんを見たとき、まさしく僕が求めたとおりの美しさがそこにありました。他の女性にはない、匂い立つような美しさが」
自分のことを褒められて嬉しくない女がいるだろうか。
愛を語られているように頬を紅潮させ、薫は世の女と同様の反応を見せた。
その様子に剣心の胸がざわめいたのも事実。
しかし。

「さっきまでは確かにそう思ったんです。今、改めて見ると何故そう感じたのか不思議で不思議で」

心底分からないという表情で告げた言葉は、有頂天になった薫を奈落の底へ突き落とす。
一瞬の沈黙の後、我に返った戸倉が状況に気付いて早口で言い訳を始めた。
「いえ、決して薫さんが不細工というわけではないのです。けれど美しいと言うには・・・あ、すみません、また失礼なことを言ってしまいました」
ここに弥彦がいたら腹を抱えて笑い転げたことだろう。
が、仮にいたとしても見る影もなく落ち込む薫がそれに気付いたかどうか。
おろおろと言葉を探す戸倉を見て、助け舟を出したほうが良いかと考えたとき。



「申し訳ありません」
戸倉と薫が手を握り合っている光景が目に飛び込んだ。



正確には薫の両手を胸に抱くようにして握り締めている戸倉の姿だったが、剣心にとってはどちらでも同じである。
硬直した体では飛天の動きは叶わず、されどざわめきが苛立ちに変わるのは抑えようがなかった。
その間にも戸倉はこれまた固まった薫に至近距離で熱っぽく語る。
「僕は言葉足らずですぐ人を怒らせてしまいますが、嘘は言いません。薫さん、あなたはとても可愛らしい方です」
「可愛らしいだなんて・・・」
直球の言葉に薫の頬が薔薇色に染まる。
その瞬間、戸倉の表情が変わった。
「もう少し」
「え?」
「もう少しでさっきと同じような顔になる・・・僕の求める、最高の美しい顔に」

道場で薫を凝視していたときと同じ表情だ。
ならば今、戸倉はただ観察しているだけに過ぎない。

それなのに薫は目を逸らせずにいた。
目の前にいる女の変化を一瞬でも見逃すまいとする、まっすぐな眼差しに射抜かれる。
(もっと・・・もっと見たい)
じりじりと焦燥感にも似た何かが戸倉を支配する。
清純な少女が愛らしく恥じらっているだけでも絵になるというのに、何かが足りなかった。



(足りないなら、この手で変えてみせる)



それはもちろん芸術家としての願いだが、一人の男としての欲も併せ持っていた。
彼女の表情を望むままに変えたことを想像するとぞくぞくとした快感を覚え、いつしか戸倉の瞳に焦がすほどの情炎が混じる。
彼の中から燻りだした炎に包まれたかのように、薫の体が熱くなった。
濡れた吐息の先にある唇に戸倉の指先が触れる     寸前で横から伸びた腕に薫が絡めとられた。










まだ緊張の取れない薫が口を開こうとするが、その前に夫たる剣心の唇に塞がれた。










「「!?」」
目の前で行われた熱烈な展開にすぐ対応できず、戸倉は唖然として事の成り行きを見守るしかなかった。
当事者となっている薫はといえば、人前で、と抗おうとするが夫の腕がそれを許さない。
じたばたする体を難なく押さえつけ、剣心は強引に妻の口内に舌を侵入させる。
「ふあッ」
袖口から入った手が二の腕を緩く撫でると、薫の体がびくりと震えた。
闇の中でしか許さない肌を、さわさわと繰り返し撫でられると頭の芯が痺れてきた。
「んっ、んぅ・・・」



時に唇を甘噛みされ、時に吸われる。
何度もしている行為なのに、未だに彼の動きが読めない。



無意識に夫の唇を求めて薫が動く。
自らの唇で追うと、もう一つの唇が歓迎するように出迎えた。
あとは夢中でお互いの舌を絡ませるのみ。
静かな室内にひそやかな水音だけが支配していた。

      やがて剣心の唇が離れると訴えるような眼差しが追ってきたが、宥めるように髪を撫でて抱き寄せるとおとなしく胸に倒れこんだ。

少し伏せられた睫はしっとり湿っており、その奥にある黒瞳はぼんやりと虚空を見つめている。
ぷるりとした唇が何かをねだるように小さく開いているのがどこか淫らだ。
着物から見え隠れする素肌は気のせいか先程より瑞々しい。
淫靡な姿なのに、なまめかしさの中に可憐な表情を見、戸倉は目が離せずにいた。
「ご覧頂けたかな、戸倉殿」
はっと顔を上げると、剣心がまっすぐ戸倉を見つめている。










ついさっきまで温和な顔立ちだったのが、今では妖しく笑う一人の『男』。










その笑みを認めた瞬間、敵わないと知る。
描きたいという創造意欲より己には無理だという思いが強かった。
やがて敗北感を滲ませたまま頭を垂れると、眼鏡をかけ直し部屋を出た。
ぱたん、と襖が閉められた音に薫の瞳が動いたが、顔ごと持っていかれる。



再び二人の唇が出会うまで時間はかからなかった。










【終】

感謝処



雪乃様よりキリリクいただきました!

「大人になって更にキレイになった薫の人気を心配して、薫に憧れる美少年に剣心がヤキモチを妬いてしまう」
雪乃様からいただいたリクエスト内容を聞いて真っ先に思い浮かんだのが「薫に迫る美青年(少年ではなく)」「それを見て嫉妬する剣心」でした。
結果的に全く別物になってしまった今回の作品ですが、雪乃様にも喜んでいただいた&了承いただいたため、掲載の運びとなりました。


さて、オリキャラの美形ですが、普通の美形ではつまらない。
そんな天邪鬼なσ(^◇^;)はちょっとひねってみました(゚∀゚)

登場する戸倉のモデルはガリ●オと呼ばれる某大学教授。
ガリ●オ同様、ちょっと残念な美形となっています。
天然だろうが毒舌だろうが美形は美形。
しかも贔屓の役者似であればその気はなくとも薫ちゃんもクラッとくるかな、と。
σ(^^)だって目の前に福●がいたら彼しか目に入りませんて(笑)

そんな天然な美形が薫殿に迫ってきたら・・・?

直接的なアプローチではなく、天然なので余計に苛立つことってありますよね!
相手は無意識だから、こっちとしては何も言えないっていう(^^A;アセアセ
この天然を生かしてコメディタッチにするつもりだったんですが、苛立ちがMAXに達しちゃったんですかねー
静かに嫉妬の炎を燃やし、爆発したら人前だろうがなんだろうが己のものであることを誇示しちゃう・・・そしてそのまま野獣になっちゃったぜ、ははん。

薫ちゃんだって年頃なんだからミーハーな部分があってもおかしくないし、人妻でも目の保養って必要でしょ(力説)
それでもやっぱり「もう剣心という相手がいるのに〜?」と思われたそこの方に伝えたい。



それはそれ、これはこれだ!!!(どーん)



雪乃様、二十七万五千打申告&リクエストいただき、ありがとうございました!