ザーッ…
頭の奥深いところで、雨の降る音がする。
初めは微かに聞こえたその音が、次第に鮮明になり、意識が闇から現実へと、少しずつ戻っていく。軒先から落ちる雨の滴の音だろうか、ピチョン、ピチョンと、一定の間隔で聞こえてくる。その音が妙に心地よい。
「雨…」
ぼんやりと薄目を明けて、薫は呟いた。部屋の中は、まだ暗い。
RAINY DAY
後ろから回された夫の両腕は、薫の細い腰にしっかりと絡みついたままだ。眠りの世界に身を置いても、この腕だけは決して薫から離れることはない。そう、夜はこの男の囚われ人のように、しっかりと抱きしめられたまま眠るのだ。
耳元に、規則正しい夫の寝息がかかる。ふと、昨夜の睦事が思い出された。トクリ、と胸が高鳴り、切ない気持ちになる。
夫は、昼の、冷静で静かな顔とは全く違う表情で、薫を抱く。内に秘めたる静かな炎を燃やして、薫の細い体を何度も何度も強く抱きしめる。
狂おしいほどに口付けし、全身に証を残す。切ないほどの表情で、薫の体を激しく貫く。互いが昇りつめて共に果てた後は、まるで真綿でくるむような優しさで、愛しげに両腕を包み込む。
昨夜の夫の静かな情熱が体に蘇り、薫は体の奥が熱くなるのを感じた。
夫にこうして後ろから抱きしめられる時、薫は常に夫の手の甲を、人差し指で撫でる癖がある。指の腹で、静かにゆっくり指を動かす。
なぜ、そのようなことをするのか、理由などない。夫の存在を指先で確認しているのかもしれない。
いつぞやは夫に、
「あまりそう指を動かされると、何だか眠くなってしまうでござるよ」
といわれた事がある。眠りを誘うほど、ゆっくり、優しく動かしているのだ。
思えば、今日までいろいろなことがあった。夫と出会ってから、仲間が増え、人の情けを知り、人を愛する事を知った。
何度となく命を狙われ、その度に夫に助けられた。夫の悲しい過去を知り、共にその過去を受け止め行きていこうと、心に誓った。もしもあの時夫に出会わなければ、私は一体どんな生き方をしていただろうか…
…よくぞ、この人に人生に関わる事が出来た…
薫は心底、人と人とのめぐり合わせの不思議に感謝した。
薫が、手の甲を人差し指で
「け」「ん」「し」「ん」
となぞる。すると、その指に答えるように、腰に絡んだ腕が、ぎゅっと強くなる。
「!?」
目を覚ましたのか、と肩で後ろに眠る夫の気配を探る。相変わらず、静かな寝息。
ホッとため息をついて、もう一度指を動かす。
「け」「ん」「し」「ん」
…ぎゅっ…ぎゅっ…偶然じゃない…
「ねえ。起きているの?起きているんでしょう?」
クスクス笑いながら、薫は尋ねる。すると、わざと大きく「グーッ」と鼾が聞こえた。
「もうっ…!ちゃんと返事をしてよ!しないと、こうよ!」
薫は軽く手の甲に爪を立てた。
「んーーっ!バレたでござるか」
起き抜けの、少し掠れた声で、夫は耳元で囁いた。
「おはよう、薫殿」
腰に回した腕に、更に力がこもる。
「雨、降っているみたい。せっかく稽古も休みなんだし、今日は二人でどこかに行こうかと思っていたのに…」
さもつまらなさそうに、薫は頬を少し膨らせた。
「おろ〜?雨でござるか?昨日の夕焼けがあまりに綺麗だったから、今日は絶対に晴れると思っていたでござるよ」
夫は薫に回した腕を離し、今度は自分の方へと薫の体を向かせた。
「では、今日は一日、こうして布団の中でゆるりと過ごすでござるよ。稽古もないのだし、たまにはそういう過ごし方も悪くあるまい?」
「やあねぇ…剣心にしては、随分のらりくらりな過ごし方ね?」
そうなのだ。この夫は、家事一切全てをこなす。世の中の男の常識というものを打ち破るが如く、薫の不得手なことを器用に片付けていくのだ。薫にしてみれば、それがありがたくもあり、自分の不器用さをまざまざと見せ付けられているようで、情けなくもあるのだが…
「弥彦や燕ちゃんが来たら、どうするの?」
「居留守を使うでござるよ。今日は、門も開けない」
本当かしら?と薫は肩を少しすくめた。
「ごはんも食べないのぉ?」
「一日くらい食べずとも、死なんでござるよ」
そう言って、薫の額に自分の額をコツンとあてた。
「でも、薫殿が腹を減らして、ピーピー泣くのも可哀想でござるし、その時は仕方がない、拙者が何か作るでござるよ」
夫はニパっと笑顔を見せた。
…ああ、この笑顔だ。
薫は嬉しそうに、夫の顔を見た。
ずるいわ。こんな笑顔見せられたら、私、何も言えなくなるじゃないの。
薫はそっと目をつぶり、夫の胸に顔を埋めた。夫の腕が、優しく薫を包み込む。
「ねえ、剣心」
「ん?」
「剣心は、どうして私を選んでくれたの?」
唐突な質問に、夫は言葉を詰まらせる。
「どうしたでござるか?いきなり、そんなことを…」
「ふふふ、いいじゃない。聞いてみたくなったの」
薫は人差し指を夫のはだけた胸になぞらせた。
「あまりにおちょこちょいで、目が離せなかったからでござるよ」
悪戯な目をして、夫が答える。
「え〜?嫌だぁ、ひどーい」
人差し指が胸をキュっとつねる。くっくっく、と笑って、夫は言葉を繋げた。
「冗談でござるよ」
軽くため息を付いた後
「拙者の、光、だったからでござるよ」
優しい目で薫を見つめる。
「もがけばもがくほど、泥沼に落ちていく拙者の魂を、薫殿が救ってくれた。己の罪を償うなら、どんなことでも耐えてみせると言いながら、それでも孤独感や恐怖にいつも脅かされていた…そんな闇の中から、薫殿が救ってくれたでござる」
「剣心…」
薫は、夫を見つめる。今にも涙がこぼれそうな瞳をしていた。
「薫殿に出会ってから、拙者は自分でも信じられぬほど変わったと思う。自分がまさかこんなに笑えるなど知らなかったし、ましてやこれほどまでに焼きもちやきで、心配性で、独占欲の強い男だとは、思わなかった…」
「え?」
「薫殿が出稽古先で、他の男達と他愛もない会話をするだけで、切ない気持ちになる。他の男をその瞳に映すな、他の男の名をその美しい唇で呼ぶな、と。離れていると、どこかに消えてしまいそうで、不安になる…」
夫は情けない顔をした。
「呆れるでござろう?」
そう言って、やや自嘲気味に薄笑いを浮かべた。
薫は、夫の顔を見つめながら、会津に行った高荷恵の言葉を思い出していた。
それは、縁との闘いでのこと。薫の屍人形を目の当たりにした夫は、死の淵へと追いやられた。
「剣さんは、あの時、一度あなたと共に、死んだのよ」
恵は深いため息のあと、言葉を続けた。
「巴さんを失い、彷徨い続けた果てに、ようやく見つけたあなたという光。それを目の前で壊されてしまった…守るべきものを守れなかった自分への怒り、喪失感。落人村で剣さんを見つけたときは、魂が抜けてしまったと、誰もが思ったわ。でも、あなたはちゃんと生きていた。そして剣さんは、生きる答えを見つけた。だから…だから、あなたは再び与えられた命を、あなたたち二人で大切にしなければいけないのよ」
薫は両手で夫の顔を包み込んだ。
「剣心。私は、あなたの傍から決して消えたりしないわ。ずっと、ずっと、傍にいるわ」
夫の胸に顔を埋めて、再び人差し指で胸を優しく動かす。
「 ん…」
夫はそううなづくと、薫を強く抱きしめた。少し苦しかったけれど、そのまま夫の腕の中にいた。薫を抱きしめている腕の強さが、今の夫の気持ちだから。言葉にならない気持ちは、腕を通して薫にしっかり伝わっていた。
「ところで 」
夫が言った。
「少々、腹がすいてきたでござるな」
「ほらね!?さ、朝ごはんの支度、しま…」
言うか言い終わらない内に、夫の唇が薫の唇を塞ぐ。
「ん っ…」
突然の事で、目を大きく明けていた薫だが、その内、しっとりと甘く切ない唇の感触に、目を閉じ力を抜いた。
やがて、唇を離した夫は、薫の耳元で囁いた。
「拙者は、目の前にいる女性(ひと)を、頂きたいのだが…」
艶っぽい瞳で、夫は薫を見つめた。薫の頬が、あっという間に朱に染まる。
「 ばか…」
小さく、掠れるように、薫は答えた。
重なり合う二つの影。甘い吐息。衣擦れの音。
こんな雨の日は、何もしない。どこにも行かない。
二人で抱き合い、ぬくもりを感じながら、過ごすのも、悪くない…
【終】
ことの始まりは一通のメール・・・
メールボックスの中にかおり様のメールを発見!
内容は当サイト開設一周年のお祝いに小説を頂けるとのこと!!
「よろしければ、貰ってやっていただけると、ありがたいんですが…」
是非ください。←おねだりポーズ
遠慮も何もあったもんじゃない;
なんてったって「人の好意は素直に受けとる」σ(^◇^;)ですから♪
かおり様がσ(^^)のために心をこめて(ここ強調)書いてくださったという作品、頂かないわけがない!!
ソコのあなたも同じコトを言われたら絶対受け取ることでしょうッ
でもこの小説はσ(^^)のモノだも〜ん( ̄ー ̄)ニヤリッ←性格悪ッ
朝、雨の音で目が覚めると剣心の腕の中。
これだけでも悶えちゃうじゃないですかッ
昼と夜とでは全く違った表情を見せる剣心・・・二面性のある剣心は大好きだーーーーーッ!!!!(叫)
シチュエーションもさることながら、かおり様の文才が所々滲み出ていて、うまい技を使うなぁと惚れ惚れしてしまいます。
人差し指で剣心の手の甲をなぞる薫の癖とかね。
「はっ、もしやこれはかおり様の癖でもあるのか!?」なんて思うほど、本当にあってもおかしくない癖だったり。
きっとかおり様と同衾(オイ)した日にゃσ(・_・ )の手の甲をなぞるんですよ。
「さ」「つ」「き」って・・・・・いいんです、想像するだけなら個人の自由ですからッ
剣心が本心を独白するシーンがありますが、本人は情けないと思っているようですが、聞かされる薫としては更に愛おしく感じることでしょうね。
静かに流れる二人だけの時間。
そんな中、不意打ちの口付け!!
「拙者は、目の前にいる女性(ひと)を、頂きたいのだが…」
頂いてしまえ!!!!←鼻息荒
薫殿完食推奨派の人、挙手願います(笑)
かおり様、本当にありがとうございました!
客室