アンバランスなKissをして



障子を開けるときに少し高い音がして、ぎくりとして振り向くが、同室の恵と燕は目を覚ます気配を見せず、安らかな寝息を立てている。
ほ、と胸を撫で下ろし、そのまま居間へ足を向けた。

確か縫い物がまだ残っているはずだ。

剣心の過去を聞いたとき、我ながら落ち着いていると思った。
だけど時間が経つにつれ、薫の中で得体の知れない感情がざわざわと騒ぎたて、とてもじゃないが眠れる状態ではない。

彼が結婚していて、しかも愛する妻を殺してしまったという事実は思った以上に胸に重くのしかかっていた。










剣心が悪いわけではないし、巴さんだって悪いわけではない。
この世にはどうしようも出来ないことだってあるのだ。
だけど       










答えが出ぬまま色んなことが頭の中でめまぐるしく駆け巡る。
このまま眠れぬ夜を過ごすより、何かやっていた方が気が紛れる    そう思って一人起き出し部屋を出たのだ。



居間に入り、行灯に火を入れようとしたが、ふと雨戸から光が漏れているのに気づく。
極力音を立てぬように雨戸を開けると。

「わぁ・・・」

ぷっくりと猫目型に満ちた月が辺り一面を照らしていた。
「綺麗なお月様・・・」
月をなぞるようにして薫の指が動く。
琥珀色の天体の美しさにしばし見とれていたが、
「そうだわ」
薫は一旦居間に戻り、裁縫道具と縫い物を抱えた。
これほどまでに明るいのなら、わざわざ行灯の火を点けるより、月の下で作業した方がいい。
そう思って、縁側に腰を下ろし、針山から糸の付いた針を手にして縫い物を始めた。
手先だけに意識を集中していると、段々気持ちが落ち着いてきた。
だが、やることがなくなったらまた心が波立つかもしれない。



私、ちゃんと剣心に向き合えるかしら?



不安だった。
顔を合わせたとき、表情が強張っていたら剣心はどう思うだろうか。
一瞬驚いたように見て、寂しそうに笑う彼の姿が目に浮かんだ。










違うの、そんな顔させたいんじゃない!










「つッ」
指先に痛みを感じて薫は動きを止めた。
見てみれば人差し指にぷくりとした赤い玉が膨らんでいた。
縫い物をしていても無意識のうちに考え込んでいたらしい。

これじゃあ何をやっていても変わらない。

もう縫い物を続ける気にもなれなかった。
手にしていた針を針山に戻し、ぼんやりと空を見上げていると、誰かが近づく気配がして自然とそちらに目を向けた。
向かってくるのが今最も会いたくないと思っていた相手だと分かった瞬間、自分の体が硬直したのを感じた。
剣心も薫の姿を認めると驚いたように目を見開いたが、すぐ穏やかな笑みを唇に乗せ、
「眠れないのでござるか?」
と静かに言った。
「ううん、縫い物があったからやっちゃおうかと思って」



正直に答えればこの男がどんな反応をするか痛いほど分かっている。



「・・・剣心こそ眠れないの?」
縫いかけの着物を畳みながら逆に問うた。
最大限の努力でいつもと同じように振舞いつつ彼を見れば、昼間と同じ赤い着物姿だ。
「拙者は先ほど寝たから大丈夫でござるよ」
「寝たって・・・もしかして一刻ほど?」
「よく分かったでござるな」
「だって京都のときもそうだったじゃない」










そうでござった、と剣心は破顔した。
つられて薫の表情も緩む。
彼の笑顔を見ただけで気持ちがずいぶん楽になったことに気付いた。










「こんな所で縫い物でござるか?何なら灯りを持ってくるが・・・」
「大丈夫よ、お月様が明るいから」
立ち上がって「ほら」と指差すと剣心も顔を上げると乳白色の輝きを認め、しばし見惚れるかのように黙り込んだ。
「ね?これなら行灯も必要ないかな、と思って」
そうでござるなぁと相槌を打つ剣心の横顔を見つめていると自然と顔が綻んでくる。

薫の視線に気付いた剣心に問いかけるような眼差しを向けられたが、何だか気恥ずかしくてまともに顔を合わすことが出来なかった。

「あ・・・」
視線を落としたとき、赤い着物の襟の綻びが気になった。
不意に声を上げた薫に、剣心は訝しげな視線を投げたがそれに構わず、
「剣心、ちょっとそのまま」
状況は把握できないが、言われるがままに剣心は直立不動の姿勢を保っている。



「ほら、ここ。襟に綻びができてるじゃない」
細い指でつままれた箇所を見て、ようやく剣心にも合点がいった。



「おろ、いつの間に」
「今まで気が付かなかったの?」
やや呆れながらそう言うと、面目ない、と苦笑したのが分かった。

「しょうがないわね・・・すぐ縫っちゃうから待ってて」
「え?ここで脱ぐのでござるか!?」
「バカ!脱がなくてもいいわよッ」

赤面したまま上目遣いで睨むが、剣心には脱がずにどう綻びを直すのか分からないらしい。
そんな彼の様子にくすりと小さく笑い、
「このくらい、脱がなくても大丈夫よ」










糸を通した針を手に持ち、そのまま器用に縫っていく。
流れるような薫の手縫いに、ほう、と感嘆の声を上げた。
「着たままで綻びを直せるとは・・・見事なものでござるなぁ」
「大げさねぇ」
ぷ、と糸を歯で噛み切る。










「はい、おしまい」
そう言って顔を上げた瞬間、
「もう終わったのでござるか?」
襟をよく見ようと剣心の顔が下を向いた。
    !」
薫の体が固まった。

お互いの吐息がかかるほど近づいているのに、剣心は特に気にしない様子だ。

それどころか、
「薫殿は器用でござるな。もうどこに綻びがあったのか分からぬほど綺麗に仕上がっているでござるよ」
などと普通に話しかけてくるではないか。



こっちは心臓の音が聞こえるんじゃないかと思うくらいどきどきしているのに・・・・



なのに剣心は何も変わらない。
いつもと同じように振る舞い、いつもと同じように笑い、いつもと同じように話しかけている。
ほんの少しでも薫のことを『女』として意識しているのなら、少しくらい態度が変わってもおかしくないのに、この男からはそんな気配すら感じない。










剣心にとって、私は『仲間』の一人でしかないの?










そばにいたい       そう願うのは紛れもなく薫の心。
剣心が流浪れてきて、彼の周りに人が集まってきても、薫から見るとまだ『一人』でいるような気がした。
だからこそ、薫は剣心のそばにいたいと切に願っている。



それでも共に過ごすうちに貪欲になっていくのは人間の性か。



時折、彼に『女』として見て欲しいと願う自分がいる。
か弱い存在として守ってもらいたいわけではないが、それにしたってこの状況は薫を失意のどん底に突き落とした。










そりゃ、私は巴さんみたいに物静かな女性じゃないわよ。
女だてらに剣術をやってる乱暴者よぅ!










話に聞いた巴と自分との差がはっきりと思い知らされた気がした。

私だって、巴さんと同じ『女』なのに。

悲しさを通り越して、今度は悔しくなってくる。
悔しすぎて色んな思考がごちゃまぜになり、しまいには頭の中が真っ白になった。
「薫殿?」
黙り込んでしまった薫を剣心が覗き込む気配がした。
更に二人の距離が狭まると、薫の手が赤い着物を掴んだ。
剣心の瞳が見開かれたが、彼女に引っ張られ体勢を崩す。
「お」
彼馴染みの「おろ」という台詞が途中で途切れたのは言い切る前に唇を塞がれたからだ。



薫のソレによって。



塞がれるという表現がぴったりくるように、薫は自分の唇を押し付けていた。
口付けと呼ぶには何とも情緒のないものであったが、それでも薫の匂い、唇の柔らかさ、温もり、甘さが一度に剣心に襲い掛かる。

今度は剣心の体が固まる番だった。

唇を強く押し付けられたせいで動きを封じられているような感覚を覚えた。
唯一動くことを許されている瞳で彼女を見やれば、黒瞳が固く閉じられていて表情すら窺えない。
今の状態をどうにかしたいというより、もう少しこのままで、という感情の方が勝っていた。



だが、彼の願いは叶わなかった。



引き寄せられたときと同様、薫の手が乱暴に剣心の体を押し戻す。
体が離れ、反動でニ・三歩後退したがすぐ踏みとどまり薫と向き合った。
彼女は唇を真一文字に引き結び、どことなく怒っているような顔でこちらを見ている。
自分のやったことに頬を染めて恥らうとか、うろたえて言い訳をまくしたてるとか、そんな様子は全く見せずただむっつりとして剣心と対峙していた。



まるで今自分から口付けたことを自覚していないようだった。



唖然として言葉も発せないでいる剣心をしばらく見ていたが、やがてきつい目つきを変えずに、










「私だってこのくらい出来るんだから!!」










と言い捨ててさっさと踵(きびす)を返して去っていった。
薫の姿が完全に消えると剣心はその場にへたり込んだ。

「このくらい出来るんだからって言われても・・・・」

それきり言葉が途絶え、己の指で今彼女の唇が触れた箇所をなぞった。
「全く、薫殿はいつも思いもよらぬことばかりして拙者を驚かせてくれる」
先ほどの彼女の行動を思い出し、苦笑いがこぼれる。










夜中に一人起き出した薫に、やはり自分の話に動揺しているのだろうかと心配になった。
笑顔を向けてくれたが少しぎこちないのを認めて自分の考えが間違っていないことを確信した。

それでも彼女のそばは居心地がよくて、離れがたい。

襟の繕いが終わったときも彼女が離れてしまうのが惜しくて、ほんの少し顔をずらした。
思った以上に近づきすぎてしまって自分でも動揺したがそれは表に出さず、いつもと同じように振舞っていた。










薫から口付けられたのはそれからすぐ。










確かに今以上に進展しない二人の関係をどうにかしたいと思った。
しかし縁が現れた以上、そんなことを考えること事態許されない。

今回のことが解決しても何事も無かったかのように日々を送ることなどできないかもしれない。

だからこそ距離を置こうとしていたのに、薫はそうではなかったらしい。
乱暴ともとれる薫からの口付けは、剣心が抱えている現実を少しでも改善するための鍵だったのかもしれない。



初めての口付けは何とも奇妙なものとなったが、これで少しは彼女との距離が縮まっただろうか?



気を引き締めねばならぬのに、と己に言い聞かせても彼女の存在がまだ唇に残っており、剣心はすぐに立ち上がれなかった。















        その後の薫だが、部屋に戻るとそのまま夢も見ぬほど熟睡し、剣心との口付けのことは綺麗さっぱり忘れてしまっていた。
それを知った剣心は衝撃のあまり食事がのどを通らなくなり、おかわりを辞退した彼を何も分かっていない薫は「よほど今回のことがこたえているのだ」とひどく心配した。

これが、初めての口付けから数時間後の話である。




















二人がお互いの気持ちを確かめ、抱きしめ合える日まであとどのくらい?




















【終】

企画室



人誅編剣心の告白が終わった後。
重い話の後なので、こんなシーンがあってもいいだろうと思って書いた結果です。
というか色々考えすぎて我を失った薫が勢いで剣心にちゅーするシーンが書きたかったんです、すみません;
あと「だってオンナノコだもん」な薫殿(笑)

例のシーンが少しでも明るくなればいいんですけど・・・・・これじゃコメディだ( ̄▽ ̄;)ははは
感情が爆発して無意識にちゅーしちゃってもいいじゃないかッ(力拳)

高橋ひろの「アンバランスなKissをして」ですが、ご存知某アニメのエンディングテーマで使われた曲です。
駄文と歌詞を読み返してみるとタイトルだけ拝借したような感がいっぱいです;
イメージとしてはこの歌の通りなんですけどねぇ。
男性視点の歌なのに重に薫視点の駄文だからあまり納得されないと思いますけど・・・・・うーん、難しいorz

「KISS OF LIFE」が剣心独白調なのでこっちも薫口調で書こうとしたんですが、結局こんな感じになりました。
剣心視点の部分もありますし。
どうもσ(^◇^;)は薫視点で書くのが苦手らしいです←いいのかそれで