組み手



より強い人間と戦うことで強くなる。



その説はある意味正しいと言えよう。
だからこそ、武人は己より強い人間を探し、勝負を挑む。
勝敗は重要ではないのだ。










強い相手と戦うことそれが全て。










基本的な稽古ももちろん大事だし、薫自身それは分かっている。
だが、それだけでは強くなれない。
近隣の剣術道場の門人達と勝負すれば、と思っても、今や彼らでは薫の相手は務まらなくなっている。



それならば。



より強い相手と戦ってみたいと望むのは当然のことではなかろうか。
幸いなことに、すぐ近くに最適な人物がいる。










己とは比べ物にならぬほどの強さを持つ赤毛の男が。










薫は、緋村剣心という『剣客』と本気で戦ってみたいと考えていた。
敗北することは承知の上。

大切なのは剣心と剣を交えること。

例え敗北は確定であろうと、剣を交えることで何かを得ることが出来ると確信していた。



私は強くなりたい。
そう、誰もが認めるほど強く          





















「剣心・・・・・ねぇ、剣心ってば!」
「駄目でござるよ」
焦(じ)れたような薫の声が耳に届いていたが、剣心は振り向かずに即座に返答し、たらいに入った洗濯物を手に取った。

「・・・まだ何も言っていないんだけど」
「稽古のことでござろう?いつも言っているとおり、拙者は薫殿と手合わせする気はないでござるよ」

ぱん、と衣(ころも)を広げ、手際よく物干しに掛けていく。
太陽がさんさんと照りつけ、気持ちの良い風が吹き抜ける。
ひんやりとした冷たい風ではなく、ふうわりと流れるやさしい風だ。
これならば、洗濯物も早く乾くだろう。
眩しそうに空を見上げる剣心に対し、薫は唇を尖らし剣心の背中を射抜くように見据えている。



「じゃあ何で弥彦には稽古つけてるのよ?」



痛いところをつかれた。
それでも何とか平静を装い、剣心は言葉を返した。
「弥彦は薫殿と違って剣術を始めたばかり故・・・・早く上達できるように手助けしているだけでござるよ」
「上達したい気持ちなら私だって同じだわ。ねぇ剣心、一度でいいから手合わせしてよ」










疲れたように吐き出された剣心のため息は、どうやら薫には気付かれなかったらしい。











朝からずっとこんな調子だ。
思えば東京に流れ、薫のもとに留まるようになった頃は毎日のように稽古をつけてくれだの、手合わせして欲しいなどと言われ、正直辟易(へきえき)していた時期があった。



だがそれも門人が一人もいなかった頃の話。



今では明神弥彦という、口は悪いがそれと同じくらいやる気のある少年が門下に入り、薫も彼を教える立場になったためか、剣心に対して手合わせを望むことはなくなっていた。
しかし今朝、弥彦が赤べこに出かけると、それを見計らったかのように剣心に稽古を申し出たのだ。










「それにしても、何故急に手合わせなど・・・」
「強くなりたいのよ、私」

きっぱりと言い切る薫に剣心は少し目を細めた。

「この前、知り合いの道場の方から『君の腕なら師範に昇格できるだろう』って言われたの。でも、私はまだ師範になるほど強くない」
唇を噛んでうつむいたその姿を剣心は無言で見つめる。
思案に沈んでいる薫もまた、口を閉ざした。










ピチチチ・・・という小鳥のさえずりだけがその場に響く。










そんな中、先に口を開いたのは剣心。
「分かった薫殿。そこまで望むなら相手になるでござるよ」

その言葉に薫はぱっと顔を上げる。

「本当!?」
剣心が振り向くと、そこには不機嫌な表情を一変させ、瞳を輝かせている薫がいた。
その表情に苦笑し、剣心は言葉を次いだ。
「ただし剣の稽古ではなく、組み手の稽古。それ以外は承知しかねる」
「組み手?うーん、出来れば剣術のほうがいいんだけど・・・・」










組み手とは、武器を一切使わず己の体を使って攻撃を仕掛けたり防御にまわったりする、体術の一種である。
神谷活心流でも己の武器を失った場合に備え、組み手は修行の一環として稽古に組み込まれている。










「でも、組み手も立派な稽古よね。それじゃ、すぐ始めましょ」
内容は何であれ、剣心が自分との手合わせを承諾してくれたのだ。
ここで薫が折れねば折角承諾してくれたものが立ち消えてしまう。
剣心の気が変わらぬうちに、と考えて薫はくるりと背を向け、そのまますたすたと歩き出した。

「おろ、拙者まだ洗濯物が・・・・って聞いてないでござるな・・・」

相手になると約束はしたが、まずは洗濯物を全て干してからの話だ。
しかしまあ、薫も着替えてくるだろうし、その間に終わらせればいい。
再びため息を吐き出して、剣心は急いで目の前にある仕事にとりかかった。




















剣心が全ての洗濯物を干し終え道場に向かうと、ちょうど道着に着替えた薫が道場に入るところであった。
「じゃあ、始めましょうか」
「あ、薫殿」
剣心と対峙し、礼をしようと頭を下げかけた薫に剣心が待ったをかけた。
それを聞いて、途端に薫は頬を膨らませる。

「何よ。まさか、この期に及んでやっぱり出来ないなんて言うんじゃないでしょうね」

少しきつい目で睨んでも、剣心は怯む様子を見せない。
むしろ、いつもと同じ穏やかな笑みを口元に乗せて薫を見ている。



「薫殿」
「な、何よ・・・」



そんな彼の表情に怯んだのは薫の方。
だがそれも一瞬のこと、次に剣心が発した言葉は薫を唖然とさせるのに十分な効果があった。










「組み手に礼など不要でござるよ。更に言えば、薫殿が着替えてくる必要もなかった」
「・・・・へ?」










剣心の言葉を全く理解できない薫は、さぞかし間抜けな顔をしていたのだろうか。
ふ、と破顔して、剣心が歩み寄ってきた。
わけが分からずその場に立ち尽くしていると、何と薫の手に剣心の手が絡められたではないか。
「ちょ・・・剣心、何して・・・・」

あまりのことに驚いて目を白黒させていると、剣心は涼しい顔でこう言い放った。

「組み手でござるよ」
「は?」
「だから、これが組み手」










剣心の視線の先には、彼の手にしっかりと握られた薫の手がある。











いや、この場合手を組まれたと表現すべきか。
組み手・・・・・確かにそう言われればお互い絡められた手がそう見えなくもない。
しばし、その様をぽかんとして見つめていたが、やがて薫の瞳に激しい炎が宿った。










「ふざけないでッ!私は本気で剣心との稽古を望んだのよ!?」

き、と怒りに燃えた瞳で剣心を睨んだ。

「そんなに稽古つけるのが嫌?こんなふざけた真似するほど私と手合わせしたくない?」
薫の甲高い声が道場内に響き渡った。
怒りのために頬が紅潮し、肩が震えている。
それほどまでに薫は剣心の行動に衝撃を受けたのだ。










「そりゃ、剣心から見れば私の剣術はただのお遊び程度のものかもしれない。でも、私はいつだって本気で取り組んできたのよ!?その本気を・・・・あなたは踏みにじった・・・ッ」










父の遺(のこ)した道場を再建したい         



そう剣心に語った時、彼は否定の言葉は一切述べず、
「大丈夫、薫殿なら出来るでござるよ」
とにっこり笑って一言告げただけだった。

たった一言であったが、薫の信念を奮(ふる)い立たせるには十分だった。










今まで薫が聞いた言葉は、女だから剣術は無理だとか、早く嫁に行くのが女の幸せだとか、そういった言葉だけだった。
彼らは薫の行く末を案じてそう言ってくれたのは分かってはいるが、それでも薫は『剣客』としての自分を否定することは出来なかった。
でも剣心は薫も一人の『剣客』であるということを認めてくれる。



しかし、今の彼の行為は紛(まぎ)れもなく自分を侮辱する行為。



「私が女だから?だから私のことを『剣客』と認めてくれないわけ!?」
「そんなことはないでござるよ」
握られたままの手を振りほどこうとするが、剣心は薫の手をしっかり絡めて離さない。
自分の手が自由にならず、薫は苛立だしげに言葉を吐き出した。










「正直に言えばいいでしょ、女が剣術をやるのは間違っているって!女の教えなんて誰も請(こ)わないって!!」
「・・・誰かにそう言われたのでござるな」










剣心に指摘され、薫ははっとして口をつぐんだ。
穏やかな表情から、いつの間にやら真面目な顔を現した剣心が目の前にいる。
その表情を認めた瞬間、薫は嘘や誤魔化しがきかないことを悟った。

「薫殿・・・」

剣心の呼びかけに、薫はふい、と顔を背けた。
何かをこらえるように眉根を寄せた苦しげな表情に、先ほどまでの怒りの色は見受けられない。










やはり、そうであったか。










剣心は手合わせの理由を聞いたときの薫の表情を思い浮かべた。
思いつめるようなその瞳は不安定に揺れている。
いつもなら揺ぎ無い意志をたたえているはずの瞳が曇るのは何故か。



その曇った眼(まなこ)で闇雲に「強さ」を求めるその理由とは。



真正面から聞いても気の強い彼女のこと、話そうとしないことは必須。
ならば、わざと怒らせ本音を聞くのが上策と考え、一芝居打ったのだ。










「薫殿、こちらを向いて」
二度目の呼びかけで、薫はのろのろと視線を戻した。
薫の瞳に自分が映っていることを確認すると、剣心はゆっくりと言い聞かせるようにして言葉を紡いだ。










「拙者は、薫殿が人格も腕前も共に優れた『剣客』と認めているでござるよ」










お世辞や宥めるための言葉ではなく、ありのままの真実を告げ、握り締めた手に力をこめた。
頭に血が上っていた時には気付かなかったが、じんわりとした剣心の手の温もりが水のように流れ込み、ささくれ立った薫の心を潤していく。



「ごめんなさい、剣心が私のことを『剣客』と認めてくれているのは分かっているのに・・・」



怒りに任せて自分の中にある不満をさらけ出したのが無性に情けなくなり、薫は視線を足元に落とした。
振りほどこうと振り回していた手の力を抜き、ぽつりぽつりと話し出す。
己の手を自由にするために剣心の手を振りほどこうという気はとうに失せていた。










「・・・出稽古先で師範昇格の話が出た時、その道場の門人達が裏で話しているのを聞いてしまったの。師範になったところで、女なんかに師事する奴がいるもんかって」










おそらく、女が師範となり道場主となることへの僻(ひが)みだろう。
明治という世の中になっても、男より女の方が技量は上、と素直に認められる男は決して多くない。
「薫殿、それは」

言いかけた剣心を目で制して、薫は言葉を続けた。

「うん、分かっているわ。本当に剣術を学びたい人間はそんなことにはこだわらないって。でも、何度も同じことを言われると私も苛々して         
「だから強くなろうと?」
「やっぱり、自分より強い相手と手合わせするのが一番の近道だと思ったから」



誰もが認める強さを。
そうすれば、何も言われないと思った。










何を言われても傷つかずに済む          そう思った。










「でも、剣心には悪いことしちゃったわね。無理矢理稽古につき合わせて、挙句の果てに八つ当たりまでしちゃって」
「いや、拙者に八つ当たりすることで薫殿の気が晴れるのならば構わないでござるよ」

普段と変わらぬ笑顔で答える剣心に薫はばつが悪そうに、ごめんね剣心、とつぶやいて小さく笑った。

「・・・誰からも認められるようになりたいと思うけど、それって難しいわね」
「薫殿さえ他人の言葉に惑わされず、まっすぐ前を向いていれば自(おの)ずと認めてくれる人間が現われる・・・『認められるように』するのではなく、『認めてくれる』ものでござろう。強さも、その人間の真価も」










剣心の言葉に薫は力強く頷く。
先ほどまで光を失っていた薫の瞳は、今や完全に本来の光を取り戻している。
その光を認め、剣心は笑顔を返した。










「さて、それじゃそうなるために私もがんばらなきゃ。折角着替えたから、ここで一汗流すわ」
「では、拙者はそろそろ昼食の準備を・・・・」
そう言って、二人の体が離れると同時に、絡められた手もほどけた。

薫はしばしの間、まだ剣心の温もりが残っている己の手をじっと見つめていたが、やがて道場を出ようとする剣心の背中に声をかけた。

「剣心」
剣心が振り向くと、薫が少し照れくさそうにこちらを見ている。



「あ、ありがとう。『組み手』してもらって・・・」



薫の言葉に首を傾げたが、彼女の胸の前で組み合わされた両手を見て、ああ、と合点がいったように微笑んだ。
そして、ほんのり頬を染めた薫が可愛く思えて、からかうようにしてこう言ってみた。










「たまには、こういう『組み手』もいいでござろう?」










すぐに返答できず、しばらく困惑したように視線を彷徨わせたが、恥らうようにして返ってきた言葉は        










「・・・うん・・・・」










ともすれば聞き取れないくらいの小さな声が耳に届いた時は、己の耳を疑った。
てっきり顔を真っ赤にして「馬鹿ッ」と怒られるかと思っていたのに。



無意識のうちに緩んだ剣心の顔を見て、薫は慌てて言葉を付け足した。
「た、たまにはだからねッ!勘違いしないでよ!?」
否定の言葉で取り繕っても、赤くなった顔は隠せない。
そうすると、今度は剣心の悪戯心が顔を出す。



「何なら今度は『寝技』の相手でもいいでござるよ?」
「ね、ねわ、寝技って・・・!?」



剣心の発言に口論しようにも、うまく口が回らない。
「もちろん今でも、今夜でも      
もはや言葉を発することが出来ず、魚のように口をぱくぱくさせる薫を、剣心は人畜無害そうな笑みを浮かべて楽しそうに見ている。
さすがに薫も自分がからかわれていると分かり、お決まりの台詞で一喝。










       馬鹿ッ!」










耳まで赤くなった薫が壁にかけてある竹刀を掴んで剣心に投げつければ、
「おっと、危ない」
と軽く避けられてしまう。
「もうっ、からかうのもいい加減にして!」
「おろ、拙者はからかったつもりなどござらんよ」

からからと笑いながら言われても説得力はない。

「夜言われるより数段良いと思ったのでござるが」
「今だって十分悪いッ!」
またもや竹刀を投げつけるが、その動きを読んだ剣心は素早く道場から滑り出ており、命中することはなかった。










「馬鹿馬鹿、剣心の助平        ッ!!」










怒り狂った薫の声を背中に聞きながら、
「酷い言われようでござるな。男は皆助平だというに」
やれやれと肩をすくめ、剣心は昼食の支度をするべく、台所に足を向けたのだった。






【終】

企画室



毎日が恋模様」未来様主催の「剣薫萌え祭」に参加させていただきました。
「組み手」というタイトルを見た瞬間、体術の「組み手」じゃなくてもお互いの手が組まれたら「組み手」になるよなぁ、という発想が妄想へと変わり、身の程をわきまえず参加表明版に「参加させてくださいッ」とカキコ。

そうそうたる参加メンバーを見て嫌な汗が流れたが、時既に遅し。

「参加するといった以上、ちゃんと仕上げなくてはッ」という使命感に燃え、数時間で書き上げました。
そのせいか、今読み返すとあまりの雑さに唖然。
UPするにあたり、少々手直しいたしました。
未来様、こんな粗い文章を出展して、本当にすみませんでした・・・m(_ _)m

剣心と組み手の稽古→違う意味の組み手(この場合、剣心に手を握られる)で薫が恥らう→それを見た剣心がさらにからかう

いわばラブコメっぽい小説にしたかったんだけど・・・ちょいとシリアスになってしまい、終盤になってやっとラブコメ。
どーして純粋にラブコメが書けないのか;