【閑話】



「ちょっと!まだ話は終わってないわよ!」



憤然とした声が聞こえてきたが、縁側の雑巾かけが止まることはない。
端まで辿り着くと剣心は体の向きを変えて床の上を滑るようにして磨いていく。
「うるせえな、稽古は終わったんだろ!?じゃあもういいじゃねえかッ」

ぴたりと剣心が止まる。

「・・・左之、邪魔でござる」
見慣れた長身が我が物顔で縁側に腰掛けていたため、前が遮られていたのだ。
「お、悪い悪い」
口ではそう言いつつも剣心が拭いた後にどっかり腰を下ろし、何事もなかったかのように茶をすする。
その様子を横目で見ながら小さく嘆息し、剣心は桶に入れた水で雑巾をゆすいだ。










「あのねぇ、稽古っていうのは竹刀を振るうだけじゃないのよ?特にあんたみたいな生意気なガキには聞かせたい話が山ほどあるんだから」
「ほー、じゃあ生意気なガキに男みたいな女がおとなしくなるような話を聞かせてもらいたいもんだぜ」
「もう一度言ったら締めるわよこのクソガキ!」

喚き声のほかには左之助が茶をすする音とたまに剣心が雑巾を絞る水音しか聞こえない。
これが最近の日常風景である。










「やぁ、賑やかじゃのう。声が五間先から聞こえてきたぞい」
裏から顔を覗かせたのは薬箱を抱えた玄斎だ。
「これは玄斎殿。往診の帰りでござるか?」
中に入るよう目で勧めたが、玄斎は軽く手を上げてそれを制した。

「まだまわらねばならん患者がおるのでな。薫ちゃんの声が聞こえたからちょっと寄っただけじゃよ」
「へえ、ご苦労なこった」
「・・・・」

欠伸と一緒に零れた左之助の言葉にもの言いたげな視線を投げたが、どうせ無駄だと分かりきっているので剣心は雑巾がけを再開した。
では儂はこれで、と玄斎が去ろうとした時一際甲高い声が響き渡った。










「いいから私の言うことを聞け!いい加減にしないと本当に怒るぞ!!」










左之助は口に含んでいた茶を盛大に噴き出し、勢い余った剣心の体が縁側を滑り、壁に激突する。
「お、おい、今のって嬢ちゃんだよな?」
顔から茶を滴らせた左之助が若干苦しげな声を発したが、剣心はそれには答えず、目を剥いて道場の方向を見ているしか出来ない。



「そうか、君らは初めてか」

この中で一番落ち着いているのは玄斎だ。
どうやらこれが初めてではないらしい。



「ほれ、薫ちゃんが越路郎君と共に暮らし始めたころは言葉を話せなかったじゃろ?儂や越路郎君が話しているのを聞いていたのかそれを真似るように薫ちゃんも話し出した」
「つまり、薫殿のアレは玄斎殿や越路郎殿の口調を真似したと?それにしては少々・・・」
剣心が言葉を濁した理由を察したように玄斎も苦笑した。

「一番近くにいたのが儂らじゃったからなぁ。さすがに若い娘に男言葉は使わせられんと妙さんに直してもらったんじゃが、興奮するとたまにああなってしまうんじゃ」

しかし、と今度は玄斎が首を捻った。
「儂の口調はこんなじゃし、越路郎君の話し方ともちょっと違う。門下生の誰かとも考えたが、彼らは薫ちゃんの前であんな口の利き方はしていないはずじゃ」
「どうせ嬢ちゃんのいないところでは奴ら、好き勝手喋くっていたんだろうよ。それをたまたま嬢ちゃんが聞いていたってことも考えられるじゃねえか」
まるでその場にいたかのような左之助が一拍置いて面白そうに述べる。



「もし嬢ちゃんを見つけたのが剣心だったら、同じように『ござる』って言っていたかもしれねぇな。そいや、お前のその口調は昔からか?」



いきなり話を振られて面食らうが、左之助はそれに気付かぬように、
「いくらお前だって生まれた時から『ござる〜』って泣いてたわけじゃねえだろ」
「失敬な。拙者とて昔は普通に話していたでござるよ。お主の普通がどんなものかは知らぬが」
「普通ねぇ・・・さっきの嬢ちゃんみたいな感じか?」
左之助が親指で指し示したのは道場。
あれから弥彦の言い返す声が聞こえない。

「まあそうでござるな」

きっと180度変わった薫の口調に度肝を抜かれたであろう弥彦の様子が浮かんで自然と笑みが零れた。






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