【閑話】










きれいに敷かれている敷布の上に何かが乗ればその部分は皺になる。
音は立たないが、皺になったと分かった時点で神経がそちらに集中してしまう。










今剣心が感じたことを言葉で表現するとなると、これが一番適するのかもしれない。
目で見ることもないし音もないため、はっきり気付いたわけではない。
逆に存在を気付かせないよう最大限に気を配っているのが分かる。
その僅かな変化で剣心の眠りは妨(さまた)げられた。
死闘を余儀なくされた幕末時代から眠りは浅い。
起き上がって息を潜めていると、誰かが音もなく移動したのを感じた。



今夜も、でござるかな。



部屋を出たのは薫だ。
ここに身を寄せるようになってから、薫が頻繁に部屋を抜け出すことに気付いた。
一度さりげなくそのことに触れたら申し訳なさそうに、
「ごめんね?起こしちゃった?」
と上目遣いで謝罪してから、あまり眠れていないことを話してくれた。

最近色んなことがありすぎて眠れないのかと思ったが、薫からは否定された。

「私が眠れないのは以前からよ。きっと夜に強いってことじゃない?」
「それでも昼は稽古などで動き回っているのでござろう?夜眠らねば体が休まらぬのでは?」
案じる剣心に感謝の意味を込めた笑みを贈った。










「それは大丈夫!眠らなくても全然平気だから!」
あまりに自信に満ちた返答だったため、剣心は言葉を失った。










それからというもの、剣心がそれとなく探ってみると薫が朝まで自室にいたのは数えるほど。
だが自室にいたからと言って寝入っていたということではなく、灯りを点けて何かやっているようだ。
剣心は蜀台に火を灯すと、それを持って薫の後を追った。
道場の戸を開けると、中がうっすらと明るくなる。



「剣心?」
道場の真ん中で正座していた薫が顔を向けた。



「どうしたの、こんな時間に」
「それはこっちの台詞でござるよ。薫殿が部屋を出た理由は分かるが、何故今夜は道場なのでござるか?」
彼女のそばに蜀台を置くと、炎同様に二人の影が揺らめいた。
「んー、何となく、かな?さすがにこの時間に稽古する気はないけど瞑想くらいは出来るかなと思って」
「灯りも持たずに?」
「毎日使っている所だもん、灯りがなくても大体分かるわ」










蜀台の灯以外は闇に閉ざされている。
この状態ではいくら慣れている場所でも灯りがなければ何も見えない。










剣心は山の中で修行していたから暗いところでもすぐ順応できるが、薫もまた同じということか。
夜陰に紛れて何かを遂行する必要があったのかもしれない。
だが薫は『いつも使っている場所だから見えなくても分かる』と単純に考えている。
己の推測は胸に秘め、剣心も調子を合わせた。

「そうでござったな。拙者はあまり道場には入らぬゆえ、暗くなると何も見えなくなるのでござるよ」

少しわざとらしいかとも思ったが、薫は素直に受け止めてくれた。
「へぇ、剣心でも見えないことがあるのね。それでも私がここにいるって分かったのは気配を辿ってきたから?」
どう答えようか迷っている剣心に薫が苦笑する
「・・・気配を殺したつもりだったけど、やっぱり剣心にはばれちゃったわね」
ぺろりと舌を出す薫に剣心も笑みを返した。
「いや、ほとんど感じ取れぬくらいでござった。拙者はたまたま目が覚めたゆえ」
「嘘。剣心ほどの剣客が気付かないわけないでしょ」
今度は疑いの眼差しを向けてきたため、剣心は慌てて首を振った。










「本当でござるよ」

事実だ。
正直、かなり注意を払わねば薫の気配を探れぬことが多い。










しかし薫は信じていないようで、
「あのね、これが左之助や弥彦に言われたなら私だって納得するわよ。でも剣心に言われるとおだてられてるというより馬鹿にされている感じがするんですけど?」
「そんなことは断じてないッ」



誤解を解くため、気付かぬうちに必死になっていたようで声が高くなる。
冷えた空気によって剣心の声が反響し、ほぼ同時に彼が口を押さえ、薫が唇に人差し指を当てた。



誰か来るはずもないのだが、しばらく二人はそのままの状態で静止した。
やがてどちらからともなくふっと力を抜き、忍び笑う。
「ふふ、私だって本気で剣心が馬鹿にしているなんて考えてないわよ。普段はのほほんとしている癖に妙なところでムキになるのね」
「面目ない・・・」
ひとしきり笑ってから、薫は改めて剣心と目を合わせた。
      私はしばらくここにいるから、剣心はもう休んで。ここにいても仕方ないでしょ?」



促す薫の言葉に間違いはない。
確かに剣心がこの場にいたら、それだけで瞑想するという薫が集中できないかもしれない。
だが、剣心は動こうとはしなかった。



「剣心?」
薫の表情が訝(いぶか)しげなそれに変わるが、剣心はただいつもの笑みを乗せただけ。
「ねぇ、どうしたの?」
再度問うとやっと剣心の唇が動いた。










「戸棚の中に饅頭がある」
「は?」










何の脈絡もないことを切り出され、薫の目が点になった。
構わず剣心は続ける。

「明日のおやつにでも出そうとしたのだが、困ったことに二つしかないのでござるよ。そこで提案でござるが、今薫殿と拙者で食べてしまうというのはどうでござろう?」
「え、今?ここで??」
「弥彦や左之助に見つかるとうるさいだろうし、今なら薫殿と拙者しかいない」
「・・・つまり今食べちゃえば二人には気付かれなくて済むってこと?」
「ご名答」

小さな悪巧みにたまらず薫が吹き出した。
「剣心たらひっどーい!」
「おろ?それでは薫殿が饅頭を諦めるのでござるか?」
「それは絶対にイ・ヤ!」
即座に答えると今度は剣心が笑う。



「ではついでに茶も用意してこよう」



腰を上げた剣心に、じゃあ私も、と続こうとしたが、すぐ出来るからと制された。
そしてそのまま道場を出て行く彼を見送っていたが、
      暗くなると何も見えなくなるって言ってなかったっけ?」

蜀台も持たずに出て行った剣心を見てしばし呆けていたが、やがて薫の肩が笑いをこらえるかのように震え始めた。

「全く・・・妙なところで嘘も下手なんだから!」






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