【閑話】



包丁で指を切るとまず水ですすぎ、傷口を綺麗にしてから絆創膏を貼る。
切り傷は主に左手。
右手はほぼ火傷である。
「何で料理によって野菜の切り方が違うのよ!いちょう切りとか千切りとか・・・ああもう面倒ッ」
料理の腕は相変わらずだが、怪我の処置は手際よく行えている。
「でも恵さんは両方上手だしなぁ」



女医でもある高荷恵は本業の医学はもちろんのこと、料理もできる。
以前、おはぎを作ってくれたことがあるが、口にした全員から好評を得た。



そのときに剣心から「以前に薫殿が作った時はまるで泥饅頭のようで」と皆の前で酷評され、逆上して一発お見舞いしたが、
「やっぱり男の人って料理上手な女のほうがいいのかしら」
深くため息をつき、何でも手際よく片付ける赤毛の優男と比較してみる。
「だから何でそこで剣心が出てくるのよぅ〜」
頭に浮かんだことを振り払うように両手を頭の上で滅茶苦茶に動かす。



「べ、別に剣心のことが好きとかそんなんじゃないんだってば!ていうか向こうだってそんなこと考えてないわよ!・・・で、でも実際どうなのかしら?恋文もらったことを弥彦がばらしたとき、その後ちょっと機嫌が悪かったような・・・?え、もしかしてそれって剣心てば!いや〜ん恥ずかしい〜ッ!・・・でもやっぱり恵さんみたいにきれいで料理が上手な大人の人の方がいいって考えているかもしれないし、恵さんも恵さんで剣心のこと狙っているみたいだし」



自分に向けられる剣心の笑顔に心ときめかせ、恵と剣心が一緒になると勝手に想像して落ち込んだりと色々忙しい。
その場に誰かいれば何事かと思うような光景であるが、今家にいるのは薫一人。
武器商人・武田観柳の手に落ちた恵を救うべく、今頃は御庭番衆と戦っている最中であろう。

残った薫は全員の無事を祈ることしか出来ない。
そして、帰ってきた仲間達をねぎらうこと。

「・・・・・そのためにはやっぱりおいしいものを作る必要があるってことよね・・・」
再びため息が出かかったがそれは寸前で止め、代わりに気合を入れるように両頬を掌ではたいた。
包丁を手にし、剣心に教えてもらったとおり野菜を切ることに集中していたが。
「?」
誰かの気配を感じて顔を上げたが、厨には薫しかいない。
念のため、外に出てみたが、やはり誰かが訪れた様子はなかった。



気のせいと判断し、踵を返したその時、一陣の風が吹き抜けた。
鼻先を掠(かす)めた風からは、濃い血の臭い。



あまりの強い臭いに胸が悪くなり、薫は口元を押さえた。
何度か呼吸を繰り返すと血の臭いは消えたが、代わりに言いようのない不安に駆られる。

     まさか、剣心達に何か?

薫の呟きに応えるように再び風が吹いた。
「御庭番衆・・・?」
風が吹き抜けたと同時にそう感じた。










自分は風から情報を得ることが出来るらしい。
薫がそれを初めて体感したのは黒笠事件の騒ぎがおさまった頃から。










洗濯物を取り寄せている時に一枚足りないことに気付き、探している最中にふと脳裏に浮かんだ場所に行ってみるとそこで見つかったことがある。
そのときにもやはり風が吹いた直後だった。
最初はおぼろげだったが、最近は風から受ける情報が段々と明確になりつつある。

本当に風から情報を受けられるのであれば自分から探し出すことも可能かと思って試したことがあるが、どんなに集中しても風はすいとも吹かず、吹いたとしてもただの「風」としか感じられなかった。

もしかしたら自分のやり方が悪いだけで他に方法があるかとも考えたが、自分から進んで模索しようとはしないのは、本当に自分の意思で風を操ることが出来ると知ることが怖かったからだ。
それは霊感が強いどころの話ではない。
あまりにも人間離れしている。
さすがに「人間以外の存在」とまでは考えないが、それでも普通ではないことは確かだろう。
そんなことが世間に知られれば折角下火になってきた道場の評判も以前以上に地に落ちるだろうし、それより何より。



     自分が怖い。



「溜め込むことはせず、話してみるといい」と言ってくれた剣心に打ち明けられずにいるのはこういった理由だ。
相談すれば剣心のことだ、親身になって聞いてくれるだろう。
が、ここまで現実離れしたことが起きていると、正直相談することも躊躇われる。










薫が考えている以上に失った『何か』は想像を絶するようなもので、その強大な力に剣心を巻き込んでしまう     そんな気がした。










できることなら、剣心にこれ以上戦ってほしくない。

幕末最強の名を欲しいままにした強さは確かにある。
権力や金の誘惑をはねつけ、逆刃刀を携(たずさ)えた流浪人のまま静かに生を終えようとしている。



とてもやさしくて強い人。
だが、その強さは常に狂気と隣り合わせだ。



双方の均衡はとても脆く、もし剣心が狂気に落ちてしまえば全てに関心を持たなくなり、人を斬ることでしか己の存在意義を表せない。
剣心が戦いにのめり込めばのめり込むほど狂気の誘惑も強くなろう。

そのことを一番理解し、一番危ぶんでいるのは他でもない剣心自身だ。

だからこそ、諍(いさか)いごとには決して己から手を出さない。
それでも今回のように自分が行かなければ涙する人がいれば、己のことなど省みず戦いの渦中に飛び込んでゆく。










とても矛盾していてとても愚かだ。
見ている薫が泣きたくなるほどに。










そんな剣心だから、戦ってほしくない。
戦わせたくない。
だが、己の意思で行く剣心を止める術(すべ)はない。
薫に出来ることといったら、なるべく剣心を争いや危険から遠ざけることくらいだ。
「・・・・大丈夫よ。記憶のことだってどうせ最後には自分で何とかしないといけないんだから」



無意識に己の両肩を抱くようにしているのは外気に晒された体を温めるだけではない。
今までとは一変、夜にしてはやわらかな風が頬を撫で、薫の表情が緩んだ。



「何だか慰められているみたいね」
見えぬ相手に少し微笑み、中に戻っていった。
戦いから戻ってきた大切な仲間達を温かく迎えられるようにするために。





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