【閑話】



明治十年二月に端を発した西南戦争は明治政府に不満を持つ旧士族の反乱と思われた。
それが維新後最大規模の内乱となり日本最後の内戦として歴史に残ることなど、この時の越路郎や薫には知る由もなかった。



だが越路郎に徴兵の命が下ると、薫はまっすぐ義父を見て言った。



「私も行きます」
娘の言葉に越路郎の目が驚愕で見開かれる。
「私の命は義父上に助けられたもの。それに、子が親を守るのは当然のことでしょう?」
まだ幼さを残す少女が、いやそれ以前に女が戦場に出るなど考えられぬことだ。
しかし目の前で正座している少女は記憶を失くしており、世間の常識など全く気にしていない。
そんな薫の奔放さに厳(いか)つい越路郎の表情が和らいだが、受け容れるわけにはゆかぬ。

「それは駄目だ。薫には師範不在の道場を守ってもらわねばならん」

道場のことを持ち出されて薫は渋々といった体で口をつぐんだ。










薫が師範代に昇格したのはつい数日前のこと。
門下生の不満や反対、更には薫自身からも辞退の意を受けたにもかかわらず、越路郎は頑として譲らなかった。










なおも言い募ろうとする薫の前に包みを差し出す。
目で開けるよう促すと、怪訝な顔をしつつも従った。

中に入っていたのは青と蒼が溶け合った一瞬を抜き取ったような藍色のりぼん。

「薫の年からすれば少しおとなしすぎる色かとも考えたのだが、それは私の好きな色でね」
「・・・私に?」
「他に誰がいる」
きょとんとしながらりぼんと義父を見比べている薫に苦笑した。



「やはり薫にはもっと華やかな色の方がいいか」
「そんなこと・・・私もこの色は好きです」



早速今付けているりぼんを外し、替えてみる。
真新しいりぼんを髪に飾り、にこりと微笑む薫に越路郎は満足げに頷いた。
藍色のりぼんは凛とした印象を受けるが、今のような笑顔を見せられると少女独自の愛くるしさを感じられる。










ふと、薫が稽古するようになったばかりの頃を思い出した。



髪の毛に血や泥がこびりついていたことがあり、療養中は彼女の髪を切ってあった。
だが床上げすると切る理由もなくなりそのままにしていたのだが、彼女としては中途半端に伸びた髪が気になるらしい。
髪を切りたいと申し出た薫に「髪は女の命というし」と一応たしなめてみたが、
「だって稽古する時邪魔ですし。目の中に入って視界も遮られますもん」
彼女の言うことはもっともだし、切ったほうが安全かもと考えて庭先で散髪しようとしたら訪ねてきた妙に止められた。

「一つにまとめるとか色々あるでしょうが!ええか薫ちゃん、いくら邪魔でも髪を切ったらあかん!越路郎さんも越路郎さんや。薫ちゃんは年頃の娘やさかい、そのことをしっかり教えるのも越路郎さんなんやで?分かってはります!?」

血相を変えてまくしたてる妙に二人はひたすら小さくなっているしかなかった・・・










そのときのことを思い出して知らずに頬が緩んだ。
あれから薫の黒髪は艶やかに伸び、今では腰に届くかというところ。

「長くなったなぁ・・・」
感慨を込めて言うと、薫もすぐ思い当たったようで得心した表情になった。
「戻る頃にはもっと伸びているのかもしれないな」



旧友の前川同様、江戸二十傑に数えられているとは言え、今では一道場主として日々を過ごす自分に召集がかかったことを考えると、彼の地の戦況は相当激しいものとなっているのであろう。

万が一、ということも考えざるを得ない。

正直今より髪が伸びた娘の姿を見られるかどうか     



そこまで悲壮感を込めたつもりはなかったが、何か感じるものがあったのだろう。
薫は心持ち目を伏せてこう言った。
「・・・これ以上伸びても困るので、もしかしたら切るかもしれません」
「おいおい、それではまた妙さんに叱られてしまうだろう?」
いつだったか薫の髪を切ろうとした時の必死の形相が思い起こされる。
だが、薫は懐かしむどころか、その先の未来に目を向けていた。










「だからちゃんと帰ってきてください。そうしたら切らずにいますから」










毅然とした口調だが、唇が震え、何かに耐えるように膝の上で手が固く握られている。
ぽん、と温かな手が薫の頭に乗せられ、そのまま軽く撫でられた。
視線を上げると、穏やかに微笑む義父の姿がある。



     楽しみにしているよ」

それは誓い。
それは気休め。
それは慰め。



分かっていながらお互い何も口にせず、親子として静かに過ごすことを選んだ。
限られた時間の中で。





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