【閑話】



俺の名前は明神弥彦。
俺が日本一と認める緋村剣心の勧めで神谷活心流の門下生となり早二ヶ月。
師である神谷薫は女のくせに喧嘩っ早く、口が悪いと思っていたが、最近もう一つあることに気付いた。

それはかなり鈍い、ということだ。

いや、動きが鈍いとかそういうことじゃない。
稽古では鋭い動きを見せるし、剣術で言うなら確実に俺より上だ。
悔しいがそれで何度痛めつけられたことか。
あまりに悔しくて一度気付かれないようこっそり背後から狙ったことがあったが、あっさり見破られ返り討ちにあった。
ま、あいつも一応師範代だしな。
ちっとは俺を認めさせるくらいでないと毎日おとなしく稽古を受けている意味がねえ。



話が逸れたが、俺の言っている鈍さというのは別のことだ。
どうも薫は色恋沙汰にはとんと疎いらしい。



いつもどつき合ったり口喧嘩ばっかりしているから気付くのが遅くなったが、あいつはおとなしくしていればそこそこみてくれはいいと思う。
周りから『剣術小町』と誉めそやされているだけのことはあって、町を歩けば何人かは振り向くし、出稽古に行けば普段より大勢の門下生が詰め掛ける。
俺からしてみれば、お前ら普段のあいつの姿見てみろと言いたい。
しかし薫も外では猫を借りてきたようにおとなしい。
稽古にも真剣に取り組み、教えを請う者に対しては本人が納得するまでとことん付き合う。

そしてご褒美には嘘偽りない極上の笑顔。
これでのぼせないほうがおかしい。

先日も薫の教えを受けたという他道場の男が出稽古帰りの俺達を呼び止めて、一通の手紙を薫に手渡した。
「・・・これが、僕の気持ちです」
それだけ言って立ち去り、薫はと見てみればぽかんとしてその背中を眺めている。
そして手紙に目を落とし、その瞳が俺に向けられた。
「ねぇ、これ何だと思う?」
本気で分かっていない師に、
(ダメだこりゃ)
と天を仰いだ。
誰がどう見てもあの男が薫に想いを寄せて恋文を渡したのだろうと分かるのに、渡された本人は予測すら出来ていない。

「ほんとになんだろ?あ、今度の稽古のことかしら?でもいつも先生から言われているし・・・」

姿形は普通の女なのに中身は剣術のことばかりだ。
記憶喪失であることは既に知ってはいるが、鈍いのはもとからじゃないかと疑いたくなる。
(無理もないか。剣心に対しても自覚ないみてえだし)
俺から見ても薫の剣心に対する感情は特別なもののように見える。
稽古中だろうが喧嘩中だろうが、剣心が現れれば態度を軟化させ嬉しそうな表情になる。
それが何度も続けば子供の俺にだって分かるというものだ。










いつだったか、そのことについて薫を突っついたことがある。
「薫、お前剣心のことが好きならもっと考えろよ。俺と態度が違うの、バレバレ」
真っ赤になって慌てまくると思いきや、
「は?何で私が剣心のこと好きってことになるわけ?」
至極冷静に返され、逆にこちらが慌てた。
「そりゃお前、剣心が現れた瞬間に今まで怒鳴り散らしていた奴がいきなりおとなしくなりゃ分かるだろ」
「だから、なんでそれだけで剣心のことが好きってことになるの。怒鳴っているのはあくまであんたに対してなんだし、無関係の剣心に同じように怒鳴る理由がないじゃない」
真顔で説明する薫に物言う気力が失せた。










(ダメだ、こいつ自分でも分かってねえ)
今の薫はあの時と同じだ。
「そんなの、読んでみりゃ分かるだろ」
俺も同じようにまともに返答するのが面倒になってきた。。
それが声に出たが薫は特に気にせず「そうね」と言って手紙を広げ始めた。
「おま・・・!何でここで読むんだよ!?」
「だって今あんたが読んでみれば分かるって言ったんじゃない」
悪びれない様子についに堪忍袋の尾が切れた。



「アホか!そういうのはな、家に帰ってから読むもんだろッ」
「そういうのって・・・弥彦、あんたこの手紙が何か分かるの?」
「お前が鈍すぎるだけだ!!」



何度も聞いてくる薫を完全無視し、早足で歩く。
神谷道場の門をくぐり、玄関に入っても俺への追求は止まらなかった。
「ちょっと!いい加減教えなさいよ!!」
「おろ、何の騒ぎでござるか」
出迎えた剣心に思わずぼやく。
「聞いてくれよ。さっき男から薫が手紙をもらったんだけど、こいつ本気で何の手紙か分かってないんだぜ」

ここまで来ると鈍いを通り越して異常だよな     一言多かったらしく、拳骨が飛んできたがすんでのところで避けた。
まだ稽古ではやられてばかりだが、このくらいの攻撃をかわすくらいの余裕はある。

「だから何なのよ!いい加減教えなさいよ〜」
薫の手が伸びてくるが捕まらないよう狭い玄関先で逃げ、剣心の背中に隠れる。
「あ、こら!」
「さっきからこんな感じなんだぜ。な、剣心も異常だと思うだろ?」
まあまあ、といつもの困った笑みを乗せて宥められると思っていたが、剣心の反応は俺の予想を裏切るものだった。



一瞬     ほんの一瞬だけど俺は見た。
普段穏やかに上がる口角がまっすぐ引き結ばれ、瞳が険しくなったのを。



「剣心?」
薫も表情が変わったことに気付いたのだろう。
なぜこいつはこういうときは鋭いのか。
剣心はといえば、呼びかけに応じる頃にはにこやかな表情に戻っていた。
「薫殿、汗をかいたのではござらんか?風呂が沸いているでござるよ」
「あ、ありがとう。じゃあこれを片付けたら入らせてもらおうかな」
「いや、道具は拙者が片付けるゆえ、薫殿は入られるがいい」
「いいの?」
ああ、と頷く剣心を見て薫は素直に喜んだ。

この日、俺は薫の鈍さを再認識すると共に、剣心の『男』の部分を垣間見た気がした。

「さすがは剣心よねー。ほんと気が利くったら」
隣で無邪気に笑っている薫が癪に障り、受け取ったものの正体を教えてやったのは二人分の道具を持って道場に消えた剣心を見送った後。
案の定、真っ赤になって慌てふためいたが、俺はそのままの状態で残してさっさとその場から離れた。



ちったぁ自分の鈍さを自覚すりゃあいいさ。






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