「流浪人ゆえ、いつ流れるか分からぬが      










初めて会ったとき、貴方は私にそう言った。
それが分かっていたから、もしその日が来たら、笑顔で送り出そうと思っていた。
でも、結局私は、笑顔を貴方に見せられず、代わりに涙を見せてしまった。










その涙は痛みへとかわり、今も私の胸に留(とど)まり続けている。




















だからこそ、私は貴方を忘れずにいられる・・・・・




















サウダージ



薫と弥彦が乗船している船が出港してから、今日で三日目を迎えた。



弥彦は船酔いのせいで、病人のように青白い顔をしているが、既に船の揺れに慣れた薫は、けろりとして昼食を平らげている。
「・・・よく食えるな、お前」
そんな薫の様子を、もはや歩く元気もないのか、甲板にへたり込んでいる弥彦がげんなりとして言った。
いつも減らず口をたたいているこの少年がやつれた表情を浮かべているのを見て、さすがに心配になった薫が、
「大丈夫?陸に着いたら少し休もうか」
そう言った途端、今まで生気を失っていた弥彦が、とんでもないと目をむく。
「そんなこと言ったら、京都に着くのが先になっちまうじゃないかよ!陸に着いたらすぐ京都に向かうからなッ」
「アンタの言いたいことは分かるわよ・・・・けど」
「けどもへったくれもねぇ!お前は剣心に会うことだけ考えてりゃいいんだよ!」



分かったか、と続けようとした時、大きく船体が傾(かし)いだ。



もともと座り込んでいるため転ぶことはなかったが、船酔い真っ只中の弥彦はたまらない。
うっと呻いて、こういう時は素早いのね、と思わず薫が目を見張る動きで、備え付けの桶に慌ててしがみつく。
やっと落ち着きを取り戻した頃には、更に顔色が悪くなり、体を起こしているのも辛そうだった。



「・・・・やっぱ、陸に着いたら少し休みましょ」
「じょ、冗談じゃねぇ・・・・一刻でも京都に着かなきゃなんねぇのに、こんなところでくたばってたまるかよ・・・・」
「・・・・・・」










息も絶え絶えに強がってみせても、あまり説得力はない。










薫はふぅ、とため息をついて、
「船酔いでくたばるわけないでしょ。とりあえず、船室で横になったら?」
これ飲んでおとなしくしていなさい、と付け加えて真水の入った水筒を弥彦に手渡す。
それに対して弥彦は無言で水筒を受け取り、よろめきながら船室に向かった。
「・・・・お前はまだここにいるのか?」
「うん、船室より甲板のほうが気持ちいいしね」










分かった、という風に手を挙げる弥彦の姿が完全に船室に消えたのを確認すると、薫は立ち上がって、うーんと背伸びをした。
弥彦と違って船に酔うことはないが、それでもずっと船に揺られているため体がなまる。
軽く体を動かして筋肉の強張りをとると、薫は船べりに近づき、海面を見下ろした。
群青に染まる海を船が突き進み、それによって一瞬で群青から白へと変化させる。
その色の変化を見ていても、薫が考えているのは別のことだった。



剣心はどうやって京都まで行くんだろう。
もともと手持ちのお金はないようなことを言っていたから、船は無理よね。
そうすると、徒歩で行ったのかしら・・・・ううん、ひょっとしたら走っていたりして。



神速で道中を駆け抜けていく剣心の姿が頭に浮かび、思わず笑みがこぼれた。










出会った時には、そんなこと思いつきもしなかったのにな・・・・















贋(にせ)抜刀斎の事件が解決し、神谷道場が落ち着きを取り戻した頃、薫の心に浮かんだのは、ほかの人間も同じことを考えるであろうと思うような疑問であった。










「なぜ流浪人をやっているのか」
「なぜ普通の刀ではなく、逆刃刀を持っているのか」
「今までどんな人生を送ってきたのか」










男のくせに家事は天才的だとか、細かいところまでよく気がつくとか、そういった表面的なことはだんだん分かるようになった。
でも、彼の心の奥は、時を重ねるごとに分からなくなっていった。










鵜堂刃衛に攫われ、剣心が助けに来てくれたとき、薫は彼のもう一つの顔を見た。

「緋村剣心」とは比べ物にならない強さと速さを兼ね揃えた「人斬り抜刀斎」を。
その名前だけで人を震え上がらせ、鬼人のごとく剣を振るうその姿を。










だけど。










「拙者は薫殿の言う甘っちょろい戯言のほうが好きでござるよ」
そう言った彼の言葉に嘘はないと信じているから。










抜刀斎に戻って欲しくなくて、無我夢中で声を絞り出していた。
それと同時に、寂しそうに笑う剣心の顔が浮かんだ。










出来れば話したくなかったでござるよ       










あの言葉は、こういう意味だったのか。



自分の胸がちくりと痛んだ。



その心を知ってから、剣心の背負っているものを少しでも軽くしてあげたかった。
彼が抱えている悲しみを減らし、いつも本当の笑顔を見せて欲しかった。










そう。
この時から私、剣心のことを        










でも、その想いは胸に秘めたまま。



だが、生来隠し事が出来ない薫である。
本人は隠しているつもりでも、それが顔に出るのか、周囲の人間は薫の想いに気付いたらしい。
弥彦などはことあるごとに、
「とっとと告白しちまえ」
とはっぱをかけてきたが、そんなことはできない。



人斬りであった過去を持ち、それゆえに己を責め、苦しんでいる剣心が、悩みを抱えたままで薫の想いに応えてくれるとは思えなかった。










もし今、自分の気持ちを打ち明けたところで、彼を困らせるだけ。










この想いを打ち明け、悩んだ挙句に剣心が出て行ってしまうより、己の心を押し殺し、物言わぬ貝になったほうがマシだ、と薫は思った。
己の恋心さえ押し殺してさえすれば、剣心はここに留まり、それ以上の進展はなくても、いつも一緒にいられる。



そして・・・・誰にも邪魔をされずに、剣心を想っていられる。



剣心がそばにいて、笑っていてくれれば十分。










人斬り抜刀斎はもういない。
そうなる前に「剣心」に戻せると分かっていたから         




















だが、結局のところ、それは分かっていた「つもり」でしかなかった。



かつての強敵、新撰組三番隊組長・斉藤一と対決した時には、薫の声は剣心に届かなかった。
己の中に潜む「人斬り」の性(さが)から逃れられぬことを知った剣心は、薫に別れを告げ、一人京都に旅立ってしまった。










「拙者は流浪人・・・・また、流れるでござる」










剣心からの、初めての抱擁。
でもそれは、薫が思っていたような甘いものではなく、鋭い棘となって、今もこの胸に刺さったまま抜けずにいる。










この恋は諦めるべきなの・・・・?










剣心が去ってから、薫はただ泣き続けた。
このまま体中の水分が失われて最後には消えてしまうのではないか、と思うほど泣いた。



やがて流す涙が全て枯れると、薫は全てを放棄した。
動くことも、食べることもせず、ただ布団の中に丸まっているだけ。










男と女が出会って別れるなんて、よくある話だ。










そう割り切って新たな一歩を踏み出そうとしても、薫の体が、心がそれを拒絶した。
剣心を忘れ、剣心のいない生活に戻ることを薫の全身が拒絶したのだ。










剣心は、もう行ってしまったのに・・・・私はここから動けずにいる・・・・











あとで弥彦に聞いた話だが、そのときの自分は魂が抜けた人形のようだったらしい。
そんな薫を現実に引き戻してくれたのは弥彦と、同じ男を愛した恵。



恵さんにはホント、敵わないな・・・・



薫は東京の道場を見てくれている恵を思った。
薫たちと出会う前は、知らぬこととはいえ、恵自身も阿片(あへん)製造に手を染めていた。
しかし、背筋をしゃんと伸ばし、いつも前を見て自信に満ち溢れた彼女を見ていると、そんな過去さえ、吹き飛ばすほどの強い力を感じる。










時に姉のようであり、人生の教師であり、薫の目指すべき女性。










私も、恵さんのように強くならなくちゃ。










剣心がいなくても大丈夫、とは言えない。
本音を言えばやはり寂しいし、剣心のことを想うと切なくなって涙が出そうになる。



でも、これだけははっきり言える。










剣心と出会えてよかった。










薫は、恵がそうしているように、背筋をしゃんと伸ばし、はるか彼方にある水平線を見つめた。



京都に着けば、自分も戦いに巻き込まれるだろう。
それが避けては通れぬ道ならば、私も剣心と共に戦う。

剣心に守られるのではなく、私が剣心を守る。










りぼんをとり、道着に身を包んだ、神谷薫という一人の剣客として。










だから、それまでは私の想いは海に預けます。
そして戦いが終わり、お互い笑い合えるようになったら、その時は。










そ の と き は  ・ ・ ・ ・ ・




















いつかまた会いましょう 
その日までさよなら恋心よ










【終】

企画室



「サウダージ」←ご存知の方もいるかと思いますが、ポルノグラフィティの曲でございます♪

好きなんですよ、この歌が!

曲のテンポもさることながら、歌詞もσ(^^)の心に響きました。
いつかはこの曲をテーマに文章をつづってみたかったので、それにぴったりのシーンとなると、やっぱ京都に向かう薫嬢かなと。
かなりムリヤリな箇所もございますが、そこはスルーしちゃってください(特に冒頭部分)
あと、歌詞を重要視するあまり、変な日本語になっていることも(爆)

ちなみに「サウダージ」の意味は、ポルトガル語で「哀愁」という意味らしいっす。



そして、小説の挿絵は「脳内乙女」のさやか様に描いていただきました!
こちらはさやか様が背景用に薄く加工してくださったものですが、加工前のイラストは「客室」に置いてありますので是非ご覧ください。