Which?



ひそりと静まり返った闇の中からくぐもった声が聞こえた。
障子はぴたりと閉じられているが、そこに映る二つの影がゆらり、ゆらりと絡み合い、中がどのような状態になっているかは入らずとも容易に察することが出来た。
陽炎にも似たその影から聞こえるのは相手を誘うようなささやかな水音と、それに刺激されたらしい愛らしい喘ぎ。
「んん・・・!」
寝巻きの合わせ目から手を差し入れ、柔らかな膨らみを目指して剣心の手が動く。
肌の感触を楽しむかのようにゆるりとしたその動きに、薫の口から思わず声が漏れる。
「くす・・・我慢せずとも・・・・」
剣心の艶めいた瞳に見つめられ、どきりと胸が高鳴ったが、
「もう、ダメだったらッ」

精一杯の力で男の腕から逃れる。
そこまではよかったが。

「おっと、同じ手はもう食わぬよ」
振り上げた薫の手をはっしと掴んで動きを封じる。
以前も同じように己から逃れ、更に鳩尾に一発食らった覚えがあった。



あの時は失敗したとか悪かったというような反省の念はなく、むしろ阻止させられたことの方が残念でならない。
翌日は出稽古の予定があり、そのため今夜は早く寝ようとする薫を執拗に求めるのは、そういった背景もあった。



「ちょっと、放して!」
振りほどこうとしても剣心の手はびくともしない。
咎めるような眼差しを向けると、剣心は苦笑いして困ったように眉尻を下げた。
ぐ、と詰まった。
普段は従順なくせに夜になると強引にことを進めるこの男に下手に出られると、どう反応を返していいのか分からない。










       もっとも、本心かどうかまでは怪しいものだが。










それを熟知している剣心は内心ほくそ笑み、何も言えずにいる薫を引き寄せた。
「けんし・・・!」
声を漏らすと同時に、唇が塞がれる。

ちゅく、ちゅ、ちゅう・・・・・

逃れようとする薫の後頭部を押さえ、剣心は少女の口腔内を余すところなく愛撫する。
殊更に水音を響かせているのは彼女を感じやすくし、そして抵抗する力を奪うためだ。
「・・・・・んぅ・・・ふ・・・・ッ」
案の定、薫の体から力が抜けていく。
最後にちゅ、と軽く口付けたあと、すっかり抵抗する力を失った薫を見下ろした。
彼女の頭を支える手を放せば、簡単に倒れそうだ。
ふと、乱れた衿の合わせ目からしっとりと汗ばんだ肌が見えた。

その中に埋まるように咲く赤い華。



この前、俺がつけた       



少し消えかけているそれをしばし見つめていたが、やがて誘われるように顔を寄せた。
そのまま強く吸い上げると、びくんと薫の体が震えた。
「やあ・・・・・!」
逃れたくても体に力が入らない。
自由の利く左手で制止するように剣心の頭部を押さえたが、彼女の行為は男の情欲を更に煽るだけに過ぎない。

「薫殿・・・・嫌ならそう言ってくれぬか?」
「だ、だからさっきから言って・・・アッ!!」

抗議の声は甲高い嬌声に変わった。
剣心の唇が滑るようにして薫の膨らみに辿り着いたからだ。
柔らかなその部分にも赤い華を咲かせ、味わうようにして舐めあげる。
剣心に翻弄され、その都度薫の体が敏感に反応し、いつの間にか衣が肩から滑り落ちた。
「やっ、剣心、もうやめ・・・・!」
「小さな声では聞こえぬよ」
頂を口に含み、舌で弄ぶ。
「ひぁっ!あ・・・ああああああああ・・・!!」
絶え間なく続けられる愛撫に耐え切れず、薫はただ身悶えることしかできなかった。










剣心の唇が肌から離れても、薫に抗う力は残っていなかった。
目を閉じて荒い呼吸を繰り返す薫を見つめ、労(いた)わるように彼女の頬に口付けるとその黒瞳がゆっくりと開かれた。
視界が開けた瞬間、少女の頬が染まったのはさらけ出してしまった痴態に対する羞恥か、それとも目の前で陶然と微笑む男のせいか。










     『嫌』ではないのでござろう?」
紫苑の瞳が笑いを含んでいる。
余裕綽々(しゃくしゃく)といった剣心に何か言いたくても声が出せぬほど疲弊(ひへい)していた。
いつものように鉄拳をお見舞いしたくてもその手は剣心によって封じられている。



悔しい!!!



こちらを見下ろす勝ち誇ったような瞳を見ていると、言いようのない怒りがふつふつとこみ上げてくる。
己の感情に突き動かされるように薫の体が動いた。



剣心の悲鳴が部屋中に響き渡ったのは、それからすぐ・・・・・




















「ちぃーす!明神弥彦、入りますッ」
玄関から元気な声が聞こえ、剣心が出るとそこには竹刀と防具袋を手にした一番弟子がいた。
「弥彦、長屋の暮らしはどうでござる?」
一人暮らししている少年の顔を見るとまず様子を聞くことから始まる。
「その台詞、会うたびに言ってるじゃねえか。長屋暮らしを始めてかなり経つんだぜ?過保護すぎなんだよ、お前も薫も」
途端に渋面を作る弥彦に、剣心は苦笑した。
「おろ、薫殿も同じことを?」
「そうだよ、出稽古先まで行く道すがら飯はちゃんと食っているのかとか、たまには顔を見せに来い、とか・・・つーか何だかんだで三日とあけずに会っているじゃねえか!」
言っているうちに段々熱がこもり、最後の方はほとんど叫んでいた。
「ははは・・・薫殿も今まで毎日顔を合わせていたものだからつい言ってしまうのでござろう」
「ったく、お節介は二人ともかよ。ま、今に始まったことじゃないけどな」
やれやれとため息をついていたが、ふと何かに気付いたように片眉を上げた。
「おい剣心。お前、そこどうしたんだ?」










弥彦が指差す『そこ』とは、剣心の左手。
ちょうど小指の辺りに白い包帯が巻かれている。










「包丁か何かで切ったのか?珍しいな、お前がそういう怪我するの」
「いや、これは包丁ではなく    
「違うのか?そうだよな、包丁で手を切る間抜けは薫だけだろうしなぁ」
「何ですってぇ〜!?」

だだだだだッ、ともの凄い勢いで薫が駆けてきて、そのまま弥彦に掴みかかろうとする。

「弥彦、あんた私がいないと思って好き勝手言ってんじゃないわよッ」
「げ、地獄耳かよッ」
危険を察知した弥彦が「じゃあな!」と一言言い置いて身を翻す。



「こら、待ちなさい!!」



薫はといえば「行ってきます」の挨拶もなしに、逃げる弥彦を追いかける。
後に残された剣心は、
「おろ・・・慌(あわただ)しい師弟でござるなぁ」
などとつぶやきながら何気なく手を頭にやった。
と、そこで自分の指に巻かれている包帯を見て、
「家事をするには少し不便か」
やや困ったように言って自分の仕事に取り掛かった。




















さて、道場から駆け出したこの師弟。
途中まで騒がしく言い争っていたが、人通りが多くなるとさすがに人目を気にして静かに歩く。
出稽古を終えた後もしばらくはお互い黙って歩いていたのだが。

「おや、薫ちゃん」
八百屋の前を通ったとき、顔見知りの店主から声をかけられた。

「あ、おじさん。ご無沙汰してます」
足を止めてぺこりと頭を下げると、隣の弥彦もそれに習った。
「出稽古の帰りかい?稽古もいいけど怪我だけはしないようにな」
「はい、ありがとうございます」
素直に礼を言う薫に店主の目が満足げに細められた。
が、すぐ思い出したように、



「そういえば、さっき剣客の兄さんが買い物に来たけど、あれはどうしたんだい?」
「あれ・・・って?」



きょとんとして聞き返すと、
「左手だよ、左手。包帯巻いていたから怪我でもしたのかと思って・・・・・」
「えーと・・・あの・・・まあ、そんなところです」
今まで快活に答えていた薫の口調が急に歯切れが悪くなり、弥彦は不思議そうに師を見やった。
だが店主は薫の変化には気付かず、そのまま話を続けている。
「利き腕じゃないからいいけど、買い物中も左手をずっと気にしていたし・・・あれじゃ色々困るよなぁ」
彼が話している間薫は強張った笑顔のままだったが、同情に満ちた言葉を聞いた瞬間、ぎっと目を吊り上げた。










「自業自得よあんなの!もっと困ってもいいくらいだわッ」










突然大声を上げたせいで通りすがりの人間が一斉に振り向いたが、薫は気付かない。
店主はもちろん、弥彦も呆気に取られていたが、肩を怒らせながら大股で歩き出した薫を見て慌てて後を追った。
後には大根を持ったまま固まっている八百屋の店主が残されたが、そんなことまでかまっていられなかった。
ずんずんと歩き続ける薫に対し、弥彦は小走りになりながらも必死でついていく。



「おい、薫!」
やっとのことで追いつき、声を張り上げると、
「何よ!?」
思いっきり不機嫌な声で返された。



さすがにたじろいたが、それでも怯まずに言葉を紡いだ。
「剣心と何かあったのかよ?」
「思い出したくもないッ」
勇気を振り絞って問いかける弥彦に対し、薫はにべも無い。
「だ、だけどよ」
それでも尚言い募ろうとすると、急に薫の足が止まった。










       弥彦ぉ?」










前を向いたまま名を呼ばれたが、その響きは絶対零度の冷気を持っていた。
声を聞いた瞬間、足が凍りついたように動かなくなり、全身の血がさーっと引いていくのを感じた。
「私の言ったことが聞こえなかったの?」
口調は静かだが、ちろりと向けられた瞳に怒りが燃え盛っているのを認めた。
「わ、分かった!もう何も聞かねえ!!」

これ以上聞いたら俺の命が危ない。

それは決して恐怖による妄想ではない。
剣心と同じように死線を乗り越えてきた弥彦の剣客としての直感であった。
薫はそんな弥彦を冷ややかに見下ろしていたが、やがて視線を戻して歩き始めた。
(そうよ、剣心の方が悪いんだから!!)











あの夜。
意地悪な笑みを浮かべ、抵抗する力を失った薫を弄ぶ剣心に一矢報いてやろうと瞬間的に脳裏に閃いた。
何故そう思ったのかは分からない。
でも自分が息も絶え絶えなのに対し、平気な顔をしている剣心を見ていたらどうしようもなく心が荒ぶってきたのだ。

怒りが爆発しそうになり、気付いたら彼の小指を噛んでいた。

剣心の絶叫で我に返ったが、自分が何をしたのか理解できず、頭が混乱して思考がまとまらない。
結局薫は剣心を突き飛ばし、したたかに頭を打ちつけてのびてしまった彼をそのままにして、自分は布団を持って別室で朝を迎えたのだ。
そして朝餉の席でも極力目を合わせず口も利かずに食事を済ませ、玄関先で弥彦が悪態をつくのをこれ幸いとばかりにそのまま外へと飛び出し・・・・・今に至る。



私が嫌だって言っても聞いてくれないし、普段は何も言わないくせにこういうときには自分勝手なんだからッ



無意識のうちに噛みついたのは、おそらく今まで鬱積(うっせき)していた不満が一気に爆発したのだと解釈した。
「でも、これで少しは懲りるでしょ」
知らずに声に出してしまった。
口の中でつぶやいたつもりだったが、弥彦には聞こえたらしい。
「懲りる・・・・?」
怪訝そうな声が背中に聞こえた。
薫は無視してそのまま歩を進めた。
が、次に弥彦の口から発せられた言葉に思わず振り向いた。



「何が懲りるのか分からねえけど      剣心に怪我のこと聞いたとき、確かに困ったようにはしていたけどその割には嬉しそうな顔していたなぁ」




















薫は玄関の戸に手を掛けると、音を立てないように静かに引いた。
カラ、カララ、と音が出たときには内心焦ったが、やっと顔が入るくらいに隙間を作ると、そっと中を覗き込んだ。
「おかえり」と声を掛けて出迎えてくれる赤毛の男はいない。
どこかに出かけたのか。
「よかった・・・」
ほっと息を吐いて薫は家に上がった。
自分の家なのに警戒しているのは弥彦が言った言葉のせい。
「あの子が変なこと言うから余計に顔合わせ辛くなっちゃったじゃない」
歯形がつくほど思い切り小指を噛んだことは自分でもやりすぎたかな、と思う。
だが包帯を巻いた指を情けなく見下ろしていた剣心を見て、いい気味だと思ったことも事実。
しかし。










『確かに困ったようにはしていたけどその割には嬉しそうな顔していたなぁ』










その言葉を聞いてからというもの、薫の心は落ち着かなくなった。
「噛み付かれたことが嬉しいってこと?・・・・・何それ、意味分かんない」

      まさか、ソッチの気があるんじゃないでしょうね!?

とんでもない考えに行き着き、頭を振って必死で振り払っていると。



「おろ、帰っていたのでござるか」
「うっきゃああぁぁぁっぁあぁぁ!?」



縁側まで来たとき、背後から声をかけられて心臓が飛び出るほど驚いた。
「きゅ、急に声をかけないでよ!びっくりするじゃないッ」

だがそれは剣心も同じだ。
薫の姿を見つけて何気なく声をかけたらいきなり奇声にも似た悲鳴をあげられたのだから。

びっくりしたのはこっちだと返したかったが、目を三角にしてこちらを睨んでいる薫に言うのが憚(はばか)られた。
実際薫は怒っているのではなく、口が裂けても言えないような事を考えていた最中だったため気まずさと羞恥が入り混じっているだけなのだが、そんなことまで剣心が気付くはずもない。
「すまぬ、まさかそんなに驚かれるとは・・・」
一番妥当な案として手っ取り早く謝った。
すると薫も幾分落ち着きを取り戻したようで、
「あ、ううん。私も大きな声出しちゃって悪かったわ」
と素直に謝る。
だがそれきり言葉が途切れ、気まずくなった薫は視線を下に落とした。










あーもう!
剣心の顔がまともに見れない〜ッ










顔は見れないが、その代わりちらちらと剣心の左手に目が行ってしまう。
無言のまま立ち尽くす薫に剣心は眉をひそめたが、窺うようにして彼女が見ているものの正体を知ると、
「気になるでござるか?」
そう言ってよく見えるように左手をかざした。
「ま、まあ一応ね・・・・・痛い?」
決まり悪そうに、薫は上目遣いで剣心を見た。



理由はどうであれ、剣心の手の怪我は自分が噛みついたせい。



だが、剣心の顔を見ると弥彦の言葉が蘇り、頬が熱くなるのを感じた。
「確かに包帯のせいで家事がうまくこなせぬのは不便だが       
ここまでは薫にも予想できた返事である。
しかし、言いながらかざした手を自分の口元に運んでいくのは想定外だった。
思わず顔を上げ彼の姿を見守っていると、その視線を真っ直ぐ受け止め、剣心の唇が包帯の巻かれている小指に触れた。



「別に痛くはない」



これ以上ないくらいに瞳を見開いている薫に、くすりと艶めいた笑みを浮かべる。
そして硬直している薫に近づき、耳元で囁いた。

「それほどまでに心配なら、後で見せるでござるよ。薫殿が付けてくれた跡、を」

どこまでも深い紫苑の瞳に見つめられた瞬間、薫の中にじんとした熱が生まれ、胸に広がった。










     それとも、薫殿にも同じように付けて差し上げようか?」










甘い痺れにも似た何かが薫を支配し、体の自由を奪う。
その場から動けぬ少女の左手を取り、小指に軽く歯を立てると、ぴくりと薫の眉が切なげに寄せられた。
それを認めると、男の目元が恍惚と歪む。
剣心から目を離せなかったが、斜めに差し込む光で薫は太陽が沈みはじめたことを知った。



       長い夜が、始まろうとしていた。

























【終】



2006年に某お方へお世話になったお礼も兼ねて書いたブツです。
ご本人からは再掲載の許可はいただいています。
ご覧いただいた通り、エロとしてはちょっとぬるめ。
が、当時サイト運営されていた某お方は健全な青少年諸君のために裏ページへ展示されていたため、こちらもそれに倣いました。
なお再掲載にあたり、少々手直ししてあります。
だって読み返したら、とてもじゃないけどそのまま出せなかったんだもん;