Legame <1>











      本気でそのようなことをお考えなのですか?」










暗い部屋の中で女性の声がこだました。
女性の前には、老人が背を向けて立っている。
そのため、彼の表情を窺(うかが)うことは出来ない。

「お前も聞いたことがあるだろう。双子であったのに手放さなかったため、不幸に見舞われたという話を」

そう言って、ちらりと女性の傍らにある寝台を見やった。
女性もその視線を追うようにして寝台を見た。



そこには生まれたばかりの双子の赤子(あかご)が眠っている。
それを認めた女性は沈痛な面持ちとなり、老人に聞こえぬよう静かにため息を吐き出す。










こんなにも小さなお嬢様をどちらか養女に出すなんて・・・










女性はこの赤子の乳母であった。
たった今老人から聞いた残酷ともいえる決断を思い出し、彼が思い留まるよう説得を試みる。
「それは単なる迷信です。旦那様、どうかお考え直しくださいまし。若様や奥様だってこんなこと望んでなどいません」
「いや、やはり双子は疎まれる存在であったのだ。それを『そんなことは関係ない、二人とも自分達の手元で育てる』などとぬかしおったから、あんなことに       
悲しみと怒りを同時に吐き出すようなその声に、女性ははっとした様子を見せたが、すぐに労わるような瞳で自分の主を見た。



「若様とその奥様がお亡くなりになって、旦那様がお嘆きになるのは分かります。お二人とも、とても良い方々でしたから・・・・・でも、それとお嬢様方とは関係のないこと。双子でなくとも、この戦乱の世の中ではいつ何が起こるか」
「だからこそ、災いを呼ぶといわれているものは全て切り捨てる。それがたとえ迷信であろうとも」



そう言いながら、老人は赤子の眠る寝台に近づく。
清潔そうな柔らかい寝具に包まれ、二人の赤子がすやすやと安らかな寝息を立てている。
この世の悲哀などいまだ知らぬ無垢な寝顔を目にして、老人の目尻が下がった。
しかしその瞳はすぐに悲しみの色に彩られ、双子の女児を痛ましげに見下ろしている。










「儂は・・・・・これ以上身内を亡くしたくはないのだ・・・・」










「旦那様・・・」
老人の気持ちが痛いほど伝わってきて、女性の瞳が潤む。
熱くなった目頭をそっと押さえ、震える声で言葉を紡いだ。
「しかし、それでは辛すぎます。お嬢様方も、旦那様も」
主の胸中を思いやり、そして幼い双子の未来を憂いて涙する女性を慰めるように、老人は静かに微笑んだ。

「・・・・・これでよいのだ。今は辛くとも、これでよかったと思える日がきっと来る」

その言葉を聞いて、女性は老人の意志が固いことを知った。
しばし、二人は無言で双子の寝顔を見つめていた。



       と。



双子の一人がぱっちりと目を開けた。
そして、つぶらな瞳で自分の祖父にあたる老人をじっと見つめている。

「儂を見ているのか?」
「いえ、まだ目は見えていないはず・・・・」
「だが、この子はまっすぐ儂を見ておるぞ」

その事実を確かめるようにおそるおそる手を差し出すと、赤子は老人の骨ばった指をぎゅ、と握ったではないか。
まるで、自分を養女に出して、と言わんばかりに。










「まさか・・・儂らの話が分かったのか?」
赤子は先ほどと変わらず、瞬きもせずに老人の顔を見ている。
信じられない思いで、赤子の顔と、彼女と繋がっている己の指を見比べた。

やがて老人は心を決めると、隣で事の成り行きを見守っていた女性に声をかけた。










「この子を養女に出すことにする。すまんが、頼めるか?」

老人の声に瞳が揺らいだが、すぐに表情を引き締め、
「では、然(しか)るべき者に預けますゆえ」
と女性が答えると、その声が聞こえたかのように老人の指を握っている赤子の手が離れた。
「やはりお分かりになっているのでしょうか?」
自分達の声に反応しているような赤子に、女性は不思議そうな目で見つめている。



「だとしたら、この子は賢い人間に育つかもしれん。そして、誰よりもやさしい女性になる」



「・・・・お抱きになりますか?」
女性がそっと赤子を抱き上げ老人の前に差し出すと、彼は首を左右に振った。










「養女に出すと決めた時点でこの子は我が家の災いを背負ったのだ。ここで儂が抱いてしまったら、また災いを呼び込んでしまうかもしれん。だから、これで身内の縁は切れたのだよ」
寂しそうにつぶやき、老人は赤子に背を向け、窓辺に歩み寄った。

夜空に月が煌々(こうこう)と輝き、外は月の光に満ち溢れている。










「この部屋は暗いのに、外は明るい・・・・・まるで月がこの子の道中を守ってくれるかのようだ」
女性はこみ上げる嗚咽を何とかこらえ、赤子をしっかりと抱き直した。

「それでは旦那様」
「うむ、頼む」

彼女が赤子を抱き、ぱたん、とドアが閉ざされると、老人は自分の指を見た。



紅葉のような小さな手で、祖父の指を握っていた己の孫娘。
この世に生を受け、名前を与えられる前に両親と死に別れたというのに、さらに『災い』としてこの家から追い出してしまった。



「すまん・・・・許してくれ       



老人はこみ上げる涙を堪えようともせず、まだ赤子が握った感触が残っている己の手を、いつまでも見つめ続けていた。






























そして十七年あまりの年月(としつき)が流れた      ・・・。






























町中を一人の少女が駆け抜ける。

全速力で走っているため、ちらとしか見えなかったが、吸い込まれるような大きな瞳に、豊かな黒髪にりぼんが飾られていることから、この少女が誰かということが判別できる。
時折後ろを気にしながら疾走する少女に何事かと目を向けると、さらにぎょっとする光景が続く。



彼女を追いかける数人の男の姿を認めたからだ。



男達は剣呑とした空気をかもし出し、少女に対して友好的ではないということが、誰の目から見ても明らかだった。
その様子を見た八百屋の主人が、ちょうど買い物で店に来ていた赤毛の剣客を手招きし、慌てて今己が見た光景をまくしたてる。
店主の言葉にその剣客は一瞬訝(いぶか)しげな表情を作ったが、すぐに少女達の後を追った。















    あなた達もしつこいわね!」
路地裏に追い詰められ、逃げ場を失っても、少女は声を張り上げ男達を威嚇する。
とは言っても、相手は体格のいい男が三人。
か弱き少女が声を荒げたところで、男達の色欲を煽(あお)るだけに過ぎない。
「俺達だって、こんな真似したくないさ。だが、人にぶつかっておいて詫びもいれねえってのはどうよ?」
「だから、ぶつかった時謝ったじゃない!」



どうやら町を歩いている時に運悪く彼らにぶつかってしまい、それで目をつけられたらしい。



「謝るだけなら、子供だってできらぁ。俺達は、天下の剣術小町が誠意を見せないのが気にいらねえんだよ」
そう言いながらも、男達は好色そうな目で少女を見ている。

要するに自分達と付き合え、とほのめかしているのだが、謝ったのだからもう用はなかろうと思っている少女は、男達の卑しい望みを察することが出来ない。

少女は「剣術小町」という言葉に眉をひそめたが、やがて、ああ、と合点がいったように頷いた。
「なぁに?要するに、お金が欲しいってこと?」
言うなり、手提げ袋から財布を取り出し、一枚の紙幣を男達の前にひらつかせた。
「ほら、受け取りなさいよ。悪いけど私も急ぐから、そこを通してくれない?」










さすがにそう返されるとは思っていなかったらしく、男達はぽかんとしていたが、見る見るうちに顔を真っ赤に染め少女の手を邪険に払った。
その拍子に紙幣がひらりと地面に落ち、びっくりした少女が声を上げる。










「ちょっと、何するのよ!」
「それはこっちの台詞だ!一体何の真似だ!?馬鹿にするのも大概にしろ!!」
いきなり男に怒鳴られ、今度は少女が呆気に取られている。
「何よ、あなた達が欲しいのはお金でしょ?私がお金を渡す代わりに、あなた達は私を通す。正当な取り引きじゃない」
堂々として言い放つその態度が、更に男達の怒りに火を注いだことに少女は気付かない。



「この・・・・こっちが下手にでていりゃ調子に乗りやがって・・・!」
「剣術小町ってだけで、お高く留まってんじゃねぇ!!」
「さっきから『剣術小町』って・・・一体、何のことよ?」



きょとんとして聞き返す少女の細い腕を、一人の男が掴んだ。
これにはさすがに少女の顔が苦痛に歪む。
「痛ッ・・・・!何よ、ただ聞いただけじゃない!」
「ふざけんな!どこまでも馬鹿にしやがって・・・・」
もう勘弁ならない、という風に男が手をあげた。










殴られる!










そう分かっていても、体が硬直して動けない。
すると、ごっ、という鈍い音が少女の耳に届き、彼女の腕を掴んでいた男の動きが止まる。
何が起きたのか把握できないまま目の前の男を注視していると、ぐるんと白目を剥き、そのまま前方に倒れこむ。
ここで少女ははっと我に返り、素早く脇に避けると男の体がゆっくりと地面に突っ伏した。
ふと見れば、倒れた男のそばに堅そうな南瓜が転がっている。



これが彼の頭を直撃したのだろうか。



ぼんやりとそう考えているのは少女だけではない。
残りの二人も突然の出来事に半ば呆然としていたが、すぐ正気を取り戻し、倒れた仲間に駆け寄る。
「おい、竹成!?」
「タケ、しっかりしろ!」
男達の声で、少女も現状を把握する。
「心配せんでも、しばらくすれば目を覚ますでござるよ」










涼しげな声がした方に視線を向けると、少女の目に見慣れぬ緋色が飛び込んだ。
次に目を引いたのは、腰に帯びている一振りの日本刀。
女性的な顔立ちに、日本刀の組み合わせが意外と言えば意外であった。










「てめえか、竹成をやったのは!!」
仲間をやられ、怒りの矛先を目の前にいる小柄な男       緋村剣心に向ける。
少女が黙って事の成り行きを見ていると、ふと剣心と目が合った。
剣心は、少女の姿を認めると安心させるように微笑んだ。



「おい、聞いてんのか!?」



自分達の声に反応しない剣心に、苛立ったように声を荒げた。
「よくもタケを      俺らの仲間に怪我させやがって」
「一人の婦女子をよってたかって脅したてるのもどうかと思うが・・・」
「黙れ!」
ぼきりと指を鳴らし、二人は剣心に近づいていく。

「いつまでも余裕こいてんじゃねえよッ」

一人が剣心の胸倉を掴もうと手を伸ばす。
だが、その手は途中で止まった。










否、動けない。

剣心が己の剣気を二人の男に叩き込んだのだ。










「拙者もお主らと争うつもりはござらん。のびている仲間を連れて今すぐ立ち去れ」










さもなくば・・・と、剣心は眼光を僅かばかり鋭くし、刀の鯉口を切った。
男達を脅すためにやったことだが、剣気にあてられ、動きを封じられた彼らには絶大な効果を発揮した。



「きょ、今日はこのへんで勘弁してやらあ!」
それでもささやかな抵抗とばかりに毒付いて去ったのは大したものだと褒めるべきか。



いまだ失神している仲間を担いで立ち去っていく男達を呆れた様子で見送った後、剣心はくるりと視線を戻した。
「さて、怪我は無いでござるか、薫ど       
そこまで言いかけて、剣心の言葉が途切れた。

剣心は改めて、少女の姿を確認した。
こちらも剣気の影響を受けたようで、へたり込んでしまっている。










見るからに上等そうな着物。
袴から覗く足には、この時代では高級品とされる編み上げ靴。
背中にかかる黒髪に浅葱(あさぎ)色のりぼんが彩(いろどり)を添えている。










剣心は少女の全身像を確認すると、自分の考えが間違っていないことを確信した。
八百屋の主人から話を聞いたときからおかしいと思ったのだ。
第一、この時間帯なら彼女は道場で稽古しているはずである。



この少女は自分が想うかの女(ひと)ではない。



そうは言っても本当に良く似ている。
ひとまず、剣心は目の前でへたり込んでいる少女に手を差し伸べた。
「大丈夫でござるか?」

しかし、彼女は剣心の手を借りることなく、ぱっと立ち上がった。
そして、そのまま剣心に詰め寄る。

「あなた今、薫って言わなかった?ひょっとして、私に良く似た女の人じゃない?その人のこと、知っているの?」
「し、知っているというか・・・薫殿は、拙者が世話になっている家の家主でござるよ」
興奮した様子で矢継ぎ早に質問され、剣心はしどろもどろに説明する。
その答えに少女は満足げに頷き、次に発せられた言葉を聞いた瞬間、さすがの剣心も仰天し言葉を失った。



「その人、私のお姉さんなの!」




















爆弾発言をしたこの少女の名前は、来迎寺千鶴。

その身なりから、いいところのお嬢様、と剣心が推測した通り、千鶴の家は横浜で貿易商を営んでいるという。
会社名を聞くと、こういうことには疎(うと)い剣心も聞いたことのある有名な会社である。
確か、世界進出の話が出ているとか出ていないとか・・・・・そんな噂を耳にしたことがあった。



「そんな有名な商家の令嬢が供の者も付けずに一人で東京まで来るなど・・・」



最近、士族達が商売で成功している者に刃を向ける事件が多発している。
もっとも、それはほとんど彼らの逆恨みによるものだが。



そんな物騒な事件が起こっている昨今、横浜の屋敷を抜け出し、一人で汽車に乗ってきたという千鶴に呆れたように言うと、
「だって、行きたいって言ってもどうせ駄目って言われるもの。今回みたいに人探しのために来るんなら、一人のほうが身軽だし」
けろりとして言い切る。
妙なところで薫と似ている部分があった。
そんな千鶴を見ると、やはり双子の姉妹という話は本当かも、と思わせる。















神谷道場の門をくぐると、道場から威勢の良い掛け声が聞こえてきた。
「ここって・・・・・剣術道場?」
薫はこの道場の師範代である、と教えると、信じられないという目で剣心を見た。



武術は男が嗜(たしな)むもの、と思い込んでいる千鶴にとって、自分の姉に当たる人物が剣術を嗜(たしな)み、あまつさえ道場を切り盛りしているという事実は、彼女に少なからず衝撃を与えたようだった。



       ちょっと見てみるでござるか?」



拙者は買ったものを置いてくるから、と道場の入り口に千鶴を残して、剣心はその場から離れてしまった。
一人残された千鶴は音を立てないように少しだけ戸を開け、そっと中の様子を窺う。










道場の中で背の低い少年が一人の女性と竹刀で打ち合っている。
ここからだと後姿しか見えないが、それでも千鶴は初めて自分の姉を見た。










すらりとした肢体、おろしたら腰までありそうな漆黒の髪。
竹刀を手にし、しなやかな動きを見せるその人は、少年の太刀をさばきながら檄(げき)をとばす。
「手元だけに集中しない!常に周りに気を配らないと、相手の動きが把握できないでしょ!」










これが、私のお姉さん・・・・・










ただの稽古だということを忘れて、千鶴は手に汗握って打ち合っている様子から目が離せずにいた。
少年が上段から竹刀を振りかぶると、少女は低くその身を沈め下段から切り上げた。
少女のその太刀は竹刀を握った少年の手を捉え、その攻撃に少年はたまらず竹刀を落としてしまう。
その隙を逃さず、切り上げた太刀を振り下ろす。

       ッ」

ぎゅっと目を瞑り、こわごわと目を開けてみると、少女の太刀は少年の脳天で寸止めされている。
「ま・・・・参った・・・」
少年の悔しそうな声が聞こえ、少女は静かに竹刀を下ろした。

「身長差があるから、私が下段から仕掛けられないと思ったら大間違いよ。弥彦、あんたは相手を見かけで判断する癖があるから、そこのとこ、注意するように」

打ち合いを見ている間、ずっと息をつめていた千鶴は、ここでやっと息を吐き出す。
ふと背後に影を感じ、振り向くとそこには剣心が立っていた。










一体いつの間に       



夢中になりすぎて、剣心の存在に気付かなかったのだろうか。
両者向かい合って礼をした時、剣心ががらりと戸を開けて道場に入った。






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