Legame <2>





「お疲れ様、薫殿」
剣心の声に薫が振り向く。
「剣心、帰っていたの。お買い物、ご苦労様」
笑顔で答えると、出入り口に見慣れぬ人影があることに気がついた。
       誰かいるの?」
「ああ。拙者も先ほど会ったばかりだが、本人が薫殿に会いたがっていたため、お連れしたのでござるよ」
「私に?」
薫に思い当たる節は無い。



「千鶴殿、こちらが神谷活心流の師範代、神谷薫殿でござる」



剣心が声をかけると、出入り口に控えていた千鶴が遠慮がちに道場に足を踏み入れた。
千鶴の顔を認めた瞬間、薫と弥彦の目が驚愕のため見開かれる。
「か・・・薫が二人?」
やっとのことで弥彦が声を絞り出した。
剣心も改めて、薫と千鶴を見比べる。










先ほども薫と見間違えたが、こうして本人同士向き合うとまさに瓜二つである。
いや、よく観察すれば薫のほうが髪が長く、千鶴がややふっくらとしていることで判別できるだろうが、それでもすぐには見分けがつかないだろう。










「剣心、これは一体       
驚き覚めやらぬ様子で薫が言葉を発したと同時に、今まで黙っていた千鶴の声が道場に響いた。

「初めまして、来迎寺千鶴です!あの、急で驚くかもしれないけど、私、あなたの双子の妹なんです!」
「い、妹?」

あまりの展開にすぐに対応できず、その場に固まった薫に構わず千鶴が続ける。
「あなたはこの家の本当の子供じゃなくて、来迎寺家の人間なの。私も使用人の話を聞いて初めて知ったんだけど、私達が生まれたとき、双子は縁起が悪いって事であなただけ養女に出されたんですって」



双子       道理で似ているわけだ。



薫が鏡から出てきたような千鶴の容姿に剣心は一人納得していたが、薫の深刻な表情を認めてさりげなく口を挟んだ。
「薫殿、汗を拭かねば風邪をひく。拙者が千鶴殿を客間にお連れするゆえ、着替えてきたほうがいいでござるよ」

剣心の声に考えに沈んでいた薫ははっと顔を上げ、慌てて答えた。

「あ・・・そうね。悪いけど、そうさせていただくわ」
弥彦、あんたも着替えたほうがいいわよ、と声をかけ、薫と弥彦は道場から出て行った。
それを目で追ってから剣心は千鶴を客間に通し、茶の用意をするため、台所へ向かった。















湯が沸き、剣心が茶道具を揃えていると、弥彦と千鶴が話している声が聞こえてきた。
どうやら薫の双子の妹を見て、自分の好奇心を抑えられなかったらしい。
体を拭くのもそこそこに、急いで着替えてきたのだろう。
話の内容は、専(もっぱ)ら薫と千鶴を比較する内容だった。
「顔もそっくりだけど、声まで同じなんだなぁ」
「そう?意識してないから、自分じゃ分からないんだけど・・・・」



千鶴は嫌な顔もせず、弥彦と楽しげに歓談している。
あまり弥彦のような子供と話すことがないのだろうか。
弥彦の話に相槌を打ち、時には声を立てて笑っている。



「あはは・・・・弥彦君て、面白い話をいっぱい知っているのねぇ」
「このくらいの話題なら、事欠かねえよ。いつも店で聞かされるからよ」
「店?弥彦君のおうちは、何か商売でも手がけているの?」
千鶴の問いに、違う違う、と手を振った。
「『赤べこ』っていう牛鍋屋で働いてんだよ。働くっつっても日雇いだけどな」
「なんで?生活が苦しいから?」
分からない、というふうに真剣に聞いてくる千鶴にやや面食らいながらも、
「いや、そうじゃなくて。ちょっと欲しいもんがあってさ」
と答えると、更に突っ込んできた。



「欲しいもの?なになに、何のためにお金ためてるの?」
「・・・・や、別に言うほどのもんじゃあ・・・」
「いいじゃない、教えてよ〜」



千鶴は、興味津々で聞き出そうとするが、さすがに弥彦も言いにくそうに言葉を濁す。
ちょうどそこに剣心が客間に戻ってきた。

「失礼するでござるよ。千鶴殿、お待たせして申し訳ない」

茶を注ぎいれ、千鶴の前に置くと、
「あらいいのよ、急に押しかけたのはこっちなんだから」
と言って、出された茶を一口すする。
「おい剣心、薫はまだ着替えてんのかよ」
とりあえず話題が逸れたことにほっとしながら、弥彦が声をかける。
その様子に、剣心の中で悪戯心が芽生え、
「そうでござるなぁ。それでは拙者が様子を見てくるゆえ、もうしばらく千鶴殿の話し相手になってくれんか」
そうそう、とわざとらしく付け加え、こう言ってやった。



「千鶴殿も、お主が何を買うために働いているのか知りたがっている様子でござるし」
「なッ       おいッ、剣心!!」
「そうそう!忘れるところだったわ。ねえ弥彦君、教えてよ!」



千鶴に詰め寄られ、たじたじしている弥彦に笑いをかみ殺しながら、剣心は薫の部屋に向かった。















帯締めを結んで、薫は自分の姿に変なところがないか鏡で確かめた。
毎日着慣れているものなので、着崩れたところは皆無に等しい。



普段ならちょっと確認する程度で鏡に見入ることは無いのだが、今日はなぜか鏡に映った自分の姿に見入ってしまう。
その理由は分かりすぎるほど分かっていた。



突然現れた、双子の妹と名乗る少女。
俄(にわ)かには信じられないが、自分と同じ顔をしている以上、嫌でも信じざるを得ない。










『あなたはこの家の本当の子供じゃなくて、来迎寺家の人間なの』










千鶴の声が頭の中でこだまする。
来迎寺・・・・先日、この国から世界進出することになった貿易商がいると新聞に載っていた。
そして、その会社の社長がそんな名前だったような気がする。
大体、来迎寺という名字自体珍しいのだ。
どこにでもある名前じゃない。



・・・・てことは、私はその貿易商と血の繋がりがあるということ?



自分の考えに間違いはない、と確信に近いものを感じていた。
それだけでもかなり衝撃を受けたのに、とどめとばかりに千鶴が告げた言葉は。










『あなただけ養女に出されたんですって』










千鶴に悪気は無いだろう。
彼女はありのままの真実を口にしたに過ぎない。
だが、薫を打ちのめすのには、十分すぎる言葉だった。



私は       この家の娘ではなかったの?



母親は病弱で、彼女が幼い頃に亡くなった。
顔もぼんやりとしか覚えていないが、薫の思い出にある母親はいつも幸せそうに笑い、薫が粗相(そそう)をしても「困ったこと」と怒ることはせず、やさしく自分の頭を撫でてくれた。
一方、父親が薫の頭を撫でると母のそれとはかなり違っていたが、それでも骨ばった大きな手で撫でられるのはいやではなかった。










母親亡き後、道場を切り盛りするのに忙しく自分に構ってくれなくなったのが寂しくて、剣術を始めれば一緒にいる時間が長くなる、という安易な考えのもと、薫は剣の道に入った。
自分の娘が入門したからといって父親は甘い顔はせず、むしろ入門したことを後悔するほど厳しく稽古をつけられた。

あまりの辛さに何度やめようと思ったことか。

それでもやめずに続けたのは、結局のところ、剣が父と自分をつなぐ唯一の絆と考えていたからだと思う。
その甲斐あってか、薫が上達すると、父は手放しで喜んでくれた。
それが嬉しくて、そんな父の表情を見たいがために剣術に打ち込んだといっても過言ではない。










西南戦争が勃発し、自身も出兵する日が近づくと、世の父親と同じように薫のことだけ心配していた。
もし自分が戻らなかったらこの道場をたたみ、人並みの幸せを手にしなさいとまで言ってくれたのだ。



こんなにも我が身を案じてくれた人達が実の親ではないなどと、どうして疑うことが出来よう。



血の繋がりが無い、と言われても、薫にとって自分の親は神谷の両親以外考えられなかった。
ぽろり、と薫の頬を一筋の涙が伝った。










       薫殿?」
障子を隔てて剣心の声が聞こえ、薫は慌てて涙を拭う。
「ごめんなさい、お客様をお待たせしてしまって」
涙声にならないように気をつけながら、薫は部屋を出た。
剣心は彼女の表情が沈んでいることに気付いたが、それに気付かない振りを装って自然な口調で返した。
「いや、千鶴殿なら弥彦と歓談しているゆえ、心配ござらん」
「ほんとだ、弥彦ったら初対面なのに」



二人の楽しげな声が薫にも聞こえてくる。



       明るい人ねぇ」
千鶴の笑い声に誘われたかのように、薫の視線は客間のある方角に向けられている。
「なんか、私だけ真剣に悩んで馬鹿みたい」
「いきなり自分の出生に関して真実を突きつけられたら、誰でも悩むものでござるよ。ひょっとしたら、千鶴殿も知った当時は悩んでいたかも知れぬ」
「・・・・ん」
剣心の言葉に、薫は小さく頷く。

「それに、生みの親が別にいても薫殿がここの娘御であるということには変わりないのでござろう?」
「え?」

きょとんとして剣心を見ると、彼の視線もまた、千鶴がいる客間に向けられていた。










「千鶴殿の言ったことで薫殿が悩んでいても、神谷の娘として過ごした年月は偽りではない       そうでござろう?」










さも当たり前のように言う剣心を見て、薫の体から余分な力が抜けた。



本当に・・・この人はいつも私の欲しい言葉を与えてくれる。



思わず、くすり、と笑みを漏らす。
薫の様子にふと剣心がこちらに顔を向け、怪訝な表情を見せる。
「薫殿?」
「何でもない」
ますます分からない、というような剣心がおかしくて、薫は一人でくすくす笑っている。
「剣心、私を迎えに来たんでしょ?ほら、行くわよ」
「そ、そうでござるな」
身を翻して客間に足を運ぶ薫を追うように、剣心も足を動かした。















改めて千鶴と対面し、彼女の話を聞いてみると、千鶴も千鶴なりに苦労してきたらしかった。
何不自由なく暮らしてはいるが、それはあくまで金銭的な面だけのこと。
広い屋敷に祖父・来迎寺宗巌(むねいわ)と二人で暮らしているが、その宗巌も忙しい人で、滅多に屋敷にいることは無いという。



「私の両親は、小さい頃亡くなっているの。もちろん、屋敷には使用人がたくさんいるけど、必要なこと以外話さないし・・・・お友達も上流家庭のご令嬢ばかりで、こんな風に気軽におしゃべりすることも出来ないわ」
「お嬢様ってのも、意外と大変なんだな」
正直な感想を漏らした弥彦に、千鶴は小さく笑ってみせる。
先ほどの押し問答は何とかかわしたらしく、薫達が客間に姿を見せた時には別の話題で盛り上がっていた。



「亡くなったって・・・・病気か何かで?」



神谷の両親が自分の親、と思っていてもやはり気になるのだろうか。
薫が遠慮がちに尋ねると、千鶴はふるふると首を横に振って、やや言いにくそうに答えた。

「あのね・・・殺されたの。幕末の動乱の頃、剣客同士の斬り合いに巻き込まれて、維新志士に斬り殺されたんですって」










瞬間、剣心の表情が険しくなったのを薫は見た。










「ご、ごめんなさい・・・」
謝罪は千鶴に向けたものか、それとも剣心に向けたものか。



気まずそうに肩をすくめる薫を見て、逆に千鶴のほうが慌てた。
「ここが剣術道場で、緋村さんが帯刀していても私は別に気にしていないし・・・・・確かに両親がいなくて寂しいけど、亡くなった時、私はまだ赤ん坊だったのよ?顔も知らないのに悲しみようがないじゃない」
明るく言い放ち、千鶴は話を続ける。

「それに、泣いたところで両親が帰ってくるわけじゃないわ。それだったら、両親が喜ぶように生きていくだけよ。もし空の上から両親が見守っているんなら、私が幸せでいるってことを見せてあげないと」
にっこり笑う千鶴に、剣心が感心したように言った。
「千鶴殿は強いでござるな」










それは剣心の本心であった。
いくら赤子の時分とはいえ、自分の両親が斬り殺されている過去を持つなら、刀や剣術に嫌悪を示してもおかしくない。

しかし、彼女は過去を振り返らず、未来に目を向けて歩いている。
それは誰にでも出来るようで、それでいてなかなか出来ないことだ。










薫も剣心と同じ気持ちであった。
出会って早々、妹だと名乗り出た千鶴にただただ圧倒されるばかりであったが、彼女の明るさに触れ、今では悩んでいてもしょうがない、と思うようになっていた。



「千鶴さんの言うとおりね。その方がご両親も喜ぶわ」
       でも、それがなかなかうまくいかないのよ」



笑顔を取り戻した薫に対し、今度は千鶴の表情が暗くなる。
「うちのおじいちゃん、すごく頑固で、こうと決めたら絶対に折れない人なの。何でも自分で決めて反対しようものなら『儂の言うとおりにしていればいい』の一点張りで、私の希望なんて聞いてもくれない」
「それは千鶴殿を想うがゆえではござらんか」
剣心が口を挟むと、勢いよく首を振って、口を尖らせた。
「両親が亡くなって、私のことを大事にしてくれるのは分かるわ。でも、少しくらい私の言い分も聞いてくれたっていいじゃない。最初は私だって、分かってもらおうと思って話をしたわよ。最近じゃそれすらも無駄だと分かっているから、おじいちゃんとは口もきいてないわ」
       だから、一人で来たのでござるな・・・・」










当たり前でしょ、と全く悪びれた様子を見せない千鶴に、その場にいた全員が脱力した。










「私だって、やりたいことがあるのに」
「やりたいこと?」
聞き逃してしまいそうな小さな声を薫が聞きとめると、こくりと頷いて、千鶴が話し始めた。
「あのね、私、絵が好きなの。絵じゃなくても、芸術的なものなら何でも好き。私自身も絵を描いたりするから、出来ればその勉強をしたいと思っているのね。一度、おじいちゃんにその話をしたら、とんでもないって頭ごなしに怒鳴られて喧嘩になったんだけど」
「絵って、錦絵とか、そんなんか?」

知り合いに絵師がいることを思い出したのか、弥彦の口からそんな疑問が飛び出した。

「ううん、私が勉強したいのは西洋の芸術なの。ほんとに素晴らしいのよ、日本じゃあまり知られていないけど、繊細でそれでいて大胆な色使いや、人物の表情の柔らかさはいつ見ても魅了されるわ。いつかはあんな絵を描くのが、私の夢なの」
うっとりとして思いを馳せていたが、その表情が俄かに険しくなる。



「なのに、おじいちゃんときたら・・・・!」



やがて、ぶるぶると体を戦慄(わなな)かせ、その様子に思わず薫達は身を引いた。
「な、何かあったのでござるか?」

千鶴の変貌ぶりにいささか気圧されながらも剣心が聞くと、凄い目つきで彼を睨んだ。
そして、剣心が元凶であるかのように胸倉を引っつかみ、勢いよく揺さぶった。










「こともあろうに見合いして早く嫁に行けですってぇ〜!?しかも勝手に相手を探してお見合いの日取りまで決めるなんて、横暴よ!卑怯よ!自分勝手にもほどがあるわよ〜ッ!!」
「おろ、おろ、おろろろろ!?」










怒りをぶつけられている剣心はたまったものではない。
千鶴に情け容赦なく揺さぶられ、目を白黒させている。
そんな剣心を見て、弥彦と薫が慌てて二人を引き離しにかかる。



「け、剣心!?」
「おい千鶴、落ち着けって!」



だが、怒りで我を失っている千鶴を落ち着かせるのは至難の業だった。







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