Legame <3>
今の事態を引き起こした千鶴はといえば、狂ったように剣心を揺さぶり続け、薫と弥彦の存在を完全に忘れているようだ。
とてもじゃないが手を付けられない。
「こうしてっと、千鶴はやっぱお前の妹だよ」
「ナニ冷静に分析してんのよ!」
この中で一番落ち着いているのは弥彦だが、今は落ち着いている場合ではない。
薫が叱りつければ、剣心のか細い声が返ってくる。
「せ、拙者も同感でござるぅ〜」
「やだ、弥彦がそんなこと言うから、剣心まで変になっちゃったじゃない!」
それに対して、弥彦が抗議の声を上げた。
「俺のせいかよ!?大体、剣心が変なのは前からじゃねえか!」
「お〜ろ〜」
千鶴に休みなく揺さぶられている剣心の顔が、土気色に変わってきた。
それを見て、薫が悲鳴を上げる。
「きゃー、剣心が白目剥いてる〜ッ」
「威力は薫と同じ・・・・さすが双子だぜ」
「弥彦ッ!」
こんな状況になってまでこの師弟は口論を続けるのか・・・・
剣心は朦朧とした意識の中で、ぼんやりとそんなことを考えていた。
が。
剣心の思考はそこで中断された。
千鶴がいきなり掴んでいた手をぱっと放したのだ。
しかし、彼の災難はそこで終わらない。
「お・・・・」
今まで揺さぶられていた体は勢い余って畳を転がり、縁側の下に消えていった。
「ろぉぉおおぉぉッ!?」
がいぃぃぃいん・・・・・
鈍い音が辺りに響き渡った。
どうやら地面に頭を直撃したらしい。
「剣心!?ちょっと、大丈夫?」
すぐさま薫が駆け寄ると、剣心は頭を抱えてうずくまっている。
「おおおおお・・・・」
「あー・・・いい音したからなぁ・・・」
「のんきに眺めてないで、なにか冷やすもの持ってきて!」
その時、自分に言い聞かせるかのように千鶴がつぶやいた。
「双子そうよ、双子よ」
半ば放心している千鶴がゆらりと立ち上がり、薫を見つめる。
「ち、千鶴さん・・・?」
さすがに不気味な気配を感じたのか、我知らず一歩後ずさると瞬時に千鶴が駆け寄り、薫の手をがしっと握った。
「薫さん、お願い!」
「はいッ」
反射的に背筋を伸ばし返事をすると、千鶴がとんでもないことを言い出した。
「私の代わりに、お見合いに出てちょうだい!」
「はいぃ!?」
薫の声が裏返った。
これには剣心も頭の痛みを忘れ、弥彦と共にあんぐりと口を開けた。
大きく見開かれた六つの目に気付くことなく、千鶴は薫の手を強く握りしめたまま一気にまくしたてた。
「おじいちゃんが私の話を聞いてくれないなら、私があの屋敷を出ていくしかないわ!お見合いは薫さんに出てもらって、その間に私は外国行きの船に乗って日本を出る。あ、大丈夫よ、別にその相手と結婚するわけじゃないから。いざとなったら正体ばらして、そのまま帰ってかまわないし・・・そうだ、私の部屋使っていいから、薫さんが横浜の屋敷に住んじゃえばいいのよ!」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
千鶴に詰め寄られ、背中が反り返っている薫はなんとか体勢を立て直す。
握られていた自分の手を解放してもらい、二、三度呼吸を繰り返した後、改めて薫は千鶴と向き合う。
そして、表情を引き締め、彼女にこう言った。
「千鶴さんがおじいさんに反発する気持ちは今の話でよく分かったわ。でも、それじゃ何の解決にもならないわよ。やっぱり千鶴さんの口から話したほうがいいんじゃない?」
しかし、千鶴は薫の言葉を聞いて頬を膨らませた。
「無駄よ。あの頑固なおじいちゃんが、私の話を聞いてくれるとは到底思えないわ。今までだって、私の話なんてまともに聞いてくれた試しなんて無いんだから」
「でも、千鶴さんが絵の勉強をしたいっておじいさんにちゃんと話せば、千鶴さんの熱意が本物だって伝わるかも」
「何よそれ、まるで今まで私が本気じゃなかったみたいな口ぶりじゃない!」
怒りをこめた眼差しに薫はややたじろいたが、それでも一歩も退かずに千鶴と向き合った。
「そんなこと言ってないわよ!私はただ、落ち着いて話せば分かるんじゃないかって・・・」
「だったら、薫さんだって私の家族じゃない!なんで私のことを分かってくれないの?」
この言葉に薫はぐっと詰まる。
ここで、事の成り行きを黙って見守っていた剣心が助け舟を出した。
「だからこそ、千鶴殿の気持ちを分かってもらうために、双方で納得がいくまで話し合ったほうがいいと薫殿は言いたいのでござるよ。屋敷を飛び出すより、たとえ時間がかかろうとも千鶴殿の気持ちを分かってもらうことが大事でござる」
剣心の助言に力を取り戻した薫は、なだめるように千鶴に言った。
「そ、そうよ。千鶴さんが私のことを姉だと思ってくれているなら、ここは聞き届けてもらえないかしら?家出するなんて考えないでちょうだい」
剣心と薫、二人から諭されても、千鶴は不満げな表情を崩さなかった。
千鶴からしてみれば、自分の姉である薫から説教されるとは思ってもみなかったのだ。
血を分けた姉妹なのだから、千鶴の頼みを快く引き受けてくれるものと信じて疑わなかった。
それを知ったら薫はとんでもないと目を剥くだろうが、千鶴にとってはそれが当然のことなのだ。
確かにことあるごとに宗巌と対立しているが、それでも何不自由なく暮らしてきた。
面倒なことは全て使用人に任せているし、金を出せば大抵のことは解決する。
そんなお嬢様育ちが身に染み付いて、物事は全て自分の思い通りになると思い込んでいるのだ。
自分勝手で頑固千鶴の性格は祖父・宗巌と実によく似ている。
しかし、本人がそれを自覚していないため、余計始末に負えない。
「千鶴さ・・・・」
黙り込んでしまった千鶴を気遣うように声をかけると、ぶっきらぼうにこう切り出した。
「分かったわよ。もし、お金が入り用なら言ってちょうだい。用意するから」
むっつりとして手提げ袋から財布を取り出そうとする千鶴を見て、考えるより先に薫の口が動いた。
「やめてよ、私はそんなつもりで言ったわけじゃ」
「じゃあ代わりにお見合いに出てくれる?」
「それは・・・・」
すかさず期待をこめた目で見つめるが、薫はその視線を受け止めることが出来ず、返事を濁した。
「千鶴殿、この場合薫殿の言うとおりにしたほうが一番良いのでは・・・・・もしそれで駄目なようなら、及ばずながら拙者達も説得に加わるゆえ」
「あなたが来たら余計話がこじれるわ!私は気にしてないけど、おじいちゃんは剣客を毛嫌いしているんだから」
そう言われると剣心としては退くしかない。
解決策が浮かばず、薫達が口をつぐんでいると、その沈黙が気に入らなかったのか、千鶴が高飛車に言い放った。
「会うくらいいいじゃない、ちゃんと御礼はするわよ。薫さんだってこんなボロ道場じゃなくて、ちゃんとしたお屋敷に住みたいでしょ?」
この一言で薫の堪忍袋の尾が切れた。
「・・・・・黙って聞いていれば好き放題言ってくれちゃって!おじいさんが頑固で自分勝手だって言うけど、あなただって相当なものよ!」
今まで抑えていた感情をぶつけると、まさか反撃されると思っていなかった千鶴は咄嗟に言い返せず、その場に立ち竦んでいる。
「ボロ道場?確かにそうかもしれないけど、私にとってこれ以上の場所は無いわ。あなたのお屋敷なんかよりも、ずっとずっと素晴らしい家なんだから!」
豪邸に住んでいる千鶴の目にはボロ道場と映るかもしれないが、薫にとっては物心つく頃から慣れ親しんでいる大切な家なのだ。
本当の親子ではなかったが、それでも父母と共に過ごした道場を悪く言うのは許せない。
「な・・・によぉ・・・こんな所がいいって言うんなら、ずっとここに住んでいればいいじゃない!その代わり、あとになってお金が必要になったなんて言っても無駄ですからね!」
「誰がそんなこと言うもんですかッ」
祖父以外の人間に怒鳴られ、千鶴の瞳に涙が浮かんでいる。
だが、それを見ても薫は怯まない。
「もう知らない!あなたなんて、私のお姉さんでもなんでもないわッ」
そう言い捨て、千鶴はくるりと踵を返し、足早に玄関に向かっていった。
それを追いかけることもせず、
「ふんっ」
と鼻息を荒くし、薫もまた自室に向かった。
突然目の前で繰り広げられた姉妹喧嘩に剣心と弥彦はなす術も無くただ見ているだけしか出来なかったが、姉妹が憤然として決別するとはっと我に返り、
「か、薫殿!?弥彦、最近物騒だから、お主が千鶴殿を送っていってくれんか」
「お?・・・おお、任せとけ!」
と各々姉妹を追いかけるようにして、その場を離れたのだった・・・・
幸い弥彦はすぐに追いつくことができ、しばらくして千鶴を探しにきた屋敷の者と出会うことができた。
彼らに伴われ横浜に帰っていった千鶴に関してはこれで解決したのだが、薫の怒りはおさまらない。
不機嫌な感情を露(あらわ)にして刺々しい空気をかもし出し、声をかけただけでも睨まれるという有様だった。
特に一番被害を受けたのは弥彦である。
薫は怒りをぶつけるかのように稽古に打ち込み、弥彦は地獄のようなしごきを受けた。
ある日、ぼろぼろになった弥彦が赤べこに顔を出した。
妙や燕が驚いて理由を聞くと、彼は息も絶え絶えに、
「今、薫に近づいちゃなんねえ。今のあいつは・・・・・鬼だ」
言い終わるや否や、ばったりとその場に倒れこんだという。
弥彦の惨状を見たからではないが、剣心も薫に対しては彼女の神経を逆撫でしないように、細心の注意を払いつつ日々を過ごしていた。
その甲斐あってか三日もすると薫の怒りはおさまったようで、剣心と弥彦が心から安堵したのは言うまでもない。
だが、怒りはおさまったものの、薫の表情は晴れない。
ぼんやりと空を見上げていたかと思うと、はぁ、とため息をついている姿をたびたび目にするようになったのだ。
「さすがの嬢ちゃんも今回のことはちいとばかし堪えたようだな」
千鶴との対面、その後の薫の状態を聞き及んだ左之助が縁側に腰かけて剣心に声をかけた。
「堪えたようとは・・・何が?」
何を言いたいのか察しはついたが、それでも剣心は薪割りしている手を休めて左之助に聞いた。
「弥彦が言っていたじゃねえか。双子の妹だっていうもう一人の嬢ちゃんのことさ。今まで育ててくれた親が全くの赤の他人だなんて言われちまったらそりゃおめえ、嬢ちゃんじゃなくても悩むだろうよ」
「おろ、珍しい。お主が他人の心配をするとは」
からかうように言うと、け、と吐き捨てた。
「一番心配している本人がよく言うぜ。そういった素振りをちったぁ嬢ちゃんにも見せてやれよ」
剣心は返事をする代わりに軽く笑った。
明らかにはぐらかされたがこれ以上問い詰めたところで何も収穫はなさそうなので左之助は話を変えた。
「向こうはすげえ大金持ちの家って話だよな?妹の方が来ただけで誰も来ないところを見ると、嬢ちゃんを引き取りに来たわけじゃなさそうだな」
彼のつぶやきに当たり前のように返した。
「仮に来迎寺の家から迎えの者が来ても、薫殿がここから去ることなどありえない」
だが剣心の声音には気遣うような色が僅かに含まれていた。
それを感じ取ったのか、左之助は顔だけ動かして今自分のいる場所を見渡した。
「来迎寺が本当の家族でも嬢ちゃんにとっちゃここが自分の家だからな・・・」
あれから来迎寺の家から何も連絡はない。
もし薫を引き取るつもりならもっと早い時期にそうしていたはずだ。
左之助の言うとおり、来迎寺の家はかなりの財力を持っている。
薫が戻ったところで来迎寺の経済力には何の支障もないはずだ。
そうしなかったのは神谷家の夫婦が薫を手放すことを断固拒否したか、あるいは来迎寺が二度と薫を見たくないほど厭(いと)っていたのか。
「双子は縁起が悪い」という迷信を信じ込んでいるだけにしてもせめて肉親くらい薫を気にかけてもいいのではないか、と憤りを感じないこともない。
千鶴は自分で薫を探し当てたが彼女の祖父来迎寺宗巌は話を聞く限りでは薫の存在など既に忘れてしまったように感じる。
なぜここまで徹底して薫を遠ざけたのかは疑問だが、それより。
「確かに薫殿の杞憂はまだ晴れぬようでござるな」
左之助の顔を見ずに、剣心は薪割りを再開する。
「しかし、薫殿が悩んでいるのは別のことでござろう」
小気味よい音が響き、薪が真っ二つに割れた。
その音に遮られ、剣心の言葉が左之助の耳に届くことはなかった。
「あ?なんか言ったか?」
「いや、何も」
にこりといつもの笑みを返す剣心の顔をしばし見ていたが、やがて何か察したように口角を上げた。
「まぁいいさ」
こちらも本人には聞こえないようにつぶやき、左之助は腰を上げた。
「んじゃ、俺はそろそろ行くわ」
「おろ、これまた珍しい。お主が何も食わずに出るとは」
「今日はコレに行く約束があってな」
そう言って左之助はサイコロを振る真似をした。
どうやら賭場に行くようだ。
なるほど、と剣心は苦笑した。
「そんなわけだからメシはまた今度な。どうせ今日は無理そうだし」
「・・・・どちらにせよ、またたかりに来るわけでござるな」
「人聞きの悪い。メシは大勢で食った方が賑やかでいいだろ」
と手前勝手な言い分を述べて、
「じゃあな。嬢ちゃんによろしく言っといてくれ」
ほどほどにな、と背中に声を投げると手だけひらつかせて左之助は立ち去った。
割り終えた薪をひとまとめにしていると、薫の声が聞こえた。
「剣心、ちょっといい?」
振り向くと、薄紅の付下げ小紋を着ている薫が剣心に近づいてきた。
普段目にすることのないその着物は、おそらく外出用の着物ということだろう。
「おろ、出かけるのでござるか?」
可憐な姿に見惚れたことを気付かれないようにさりげなく問いかけると、
「うん、出かけたいところがあって・・・」
そう言って、薫は口をつぐんだ。
「左様でござるか。では、拙者も参ろう」
「え?」
見ると剣心は襷(たすき)を外して、簡単に身支度を整えているではないか。
明らかに出かける支度をしている剣心に、薫がぱちぱちと瞳を瞬(またた)かせる。
「け、剣心、どこへ行くか分かっているの?」
驚く薫に剣心はさらりと言葉を返した。
「おろ?千鶴殿に会うために、横浜に行くのでござろう?」
何で分かったの、と言おうとしたが、剣心が声を発するほうが早かった。
「薫殿を見ていれば、おのずと分かることでござるよ。あんな別れ方をしてしまったから、千鶴殿が先走った真似をしていないかと気になっているのでござろう?」
何でもないことのように言ってのける剣心を呆気にとられたように見ていたが、やがて薫は大きく息を吐き出し彼と向き合った。
「うん・・・・あの時は千鶴さんに『ボロ道場』って言われて、ついカッとなっちゃったんだけど。理由は何であれ、彼女としてはすごく悩んでいたと思うのね。それでここに来たのに、追い出すような真似しちゃったし・・・・」
何だか後味悪くて、と決まり悪そうに苦笑する薫を剣心は温かく見つめる。
その視線に気付き、薫は照れたように顔を伏せたが。
「ねえ、剣心。確かさっき、私のことを見ていれば分かるって言っていなかった?」
ふと疑問に感じ、それを口にすると剣心が固まった。
「剣心?」
不審に思い、彼の名を呼ぶと、
「そ、それはその・・・・なんと言うか・・・・」
気の毒なほどうろたえて返事も不明瞭だ。
落ち着きなく視線を彷徨わせたり、今外したばかりの襷をまたかけようとしたりと、冷静な彼にしては珍しく狼狽しているらしい。
あれ?
その様子に一つの答えが頭に浮かび、一瞬躊躇した後、薫は思い切ってその答えを口にしてみた。
「ねえ剣心。もしかして」
「か、薫殿!早めに出かけねば、日が暮れてしまうでござるよッ」
薫の言葉を遮って、剣心はそのまま足早に歩き出した。
顔を見せぬようにして薫の脇をすり抜けていった剣心をぽかんとして見ていたが、やがてくすり、と小さな笑みを漏らした。
いつも・・・見守っていてくれたのね?
「剣心、待ってよ!」
薫は剣心が先に行ってくれてよかったと思いつつ、彼の後を追いかけた。
ほんのりと桜色に染まった顔を見られずに済んだことに安堵しながら。
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