Legame+α
それから数日たったある日のこと。
薫は宗巌と千鶴に伴われ、本当の両親と対面した。
無論、本人達ではなく、来迎寺家の墓であるが。
ひと目で来迎寺家の権力を知らしめるその豪華な墓を前に、薫はやや気圧(けお)されるような様子を見せる。
だが、後方に控えていた剣心が軽く彼女の背中を叩くと、それに後押しされるように薫は墓前で手を合わせた。
黙祷を終えると千鶴から尋ねられた。
「薫さん、何を話したの?」
その質問に、薫は胸を張ってこう答えた。
「『血の繋がりはありませんでしたが、それでも私は神谷の娘です』」
目を丸くする千鶴を見て、薫は苦笑した。
そして、『来迎寺家代々之墓』と刻まれている墓石に目を向け、一言一言しっかりとした口調で続けた。
「『彼らは実の娘として私を育ててくれました。でもあなた方が私を生んでくれなかったら、神谷の両親や、今私のそばにいる大切な人と会うことも出来なかった』」
ここでちらりと剣心に視線を送ったが、すぐに墓石に視線を戻し言葉を次いだ。
「『だから、私を生んでくれてありがとう』って・・・」
そう言って、薫は空を見上げた。
彼女につられるようにして、その場にいた全員が同じよう空を見上げた。
どこまでも青い空を見ていると、やがて薫を包むように柔らかい風が吹く。
その風に何か感じるものがあったのか、薫は瞳を閉じてその身をまかせた。
まるで、風と会話しているかのごとく。
しばらくそうしていたが、宗巌の声に薫は瞼を上げた。
「君さえ良ければ、またここに来てくれないだろうか?」
「いやだ、おじいちゃん。『君』だなんて、他人行儀よ」
隣にいた千鶴が、くすくすと笑いながら指摘する。
「何を言うか、お前だって『さん』付けで呼んでいるじゃないか」
「あら、それはいいのよ。宮家の方だって、ご姉妹に対してそう呼び合っていらっしゃるし」
千鶴がけろりとして切り返すと、宗巌はううむ、と考え込んでしまった。
そして、うおっほんとわざとらしく咳払いをし、改まった様子で薫と向き合う。
「薫さえ良ければ、またここに来てくれ。いや、是非来て欲しい」
「そうして頂戴、お父さんもお母さんも喜ぶわ」
「・・・千鶴、儂は薫と話しとるんだ。お前は少し黙っとれ」
「だって、おじいちゃんのお話って堅苦しいんだもの」
「堅苦しいとは何だ」
「しょうがないでしょ、堅苦しいものは堅苦しいんだから」
目の前で繰り広げられる宗巌と千鶴のやりとりに唖然としていたが、やがて剣心と顔を見合わせ、二人でぷっと吹き出した。
それを見て、宗巌と千鶴は気まずそうにしていたが、すぐに一緒になって笑い声を上げた。
回天党の一件が解決し、宗巌と千鶴の関係は目に見えて改善された。
家族なんだから徹底的に話し合ったら?という薫の助言を受け、千鶴は今の気持ちを正直に宗巌に伝えたのだ。
一方、宗巌のほうもこの一件で色々と考えさせられたらしい。
千鶴は物事を順序だてながら祖父に自分の気持ちを打ち明け、宗巌も孫娘の話を頭ごなしに否定せず、最後まで辛抱強く聞いていた。
やがて、双方の意見が一致し、二人は伊太利亜(イタリア)に旅立つことになった。
絵の勉強をしたいという千鶴の希望を宗巌が受け入れ、彼が営んでいる会社が伊太利亜に進出するのを機に二人でそちらに移り住むことにしたのだ。
そして、伊太利亜に行くための船が出港するのが、まさに今日この日。
帰国の目処(めど)はたっておらず、いつ日本に戻ってこられるか分からない。
その前に、薫と共に来迎寺家の墓を訪れたのだ。
「薫さん。さっきおじいちゃんも言ったけど、私達は当分来られないからお墓参りお願いしてもいいかしら?」
やはり、両親のことが気にかかるのだろう。
問いかける千鶴の瞳が翳(かげ)ったのを、薫は見逃さなかった。
薫は安心させるように笑顔を作り、こう言った。
「分かったわ。私も頻繁には来られないかもしれないけど、出来るだけここに来るようにする」
そう告げると、千鶴も笑顔を返した。
見ると、宗巌も笑みを浮かべている。
安堵のあまり千鶴の瞳が潤んだが、それは瞼の裏に隠して冷やかすように薫に言った。
「緋村さんも一緒に来てね。なんてったって、私の義理のお兄さんになるんだから」
その言葉を聞いた瞬間、薫の頬が朱に染まる。
「ちちちちちち千鶴さん!?いきなり何を言って・・・・」
「あら薫さん、お顔が真っ赤よ〜。お熱でもあるんじゃなくて?」
口に手を当ててほほほ、と意地悪く笑ってみせる千鶴を見て、薫は自分がからかわれたことを知る。
「もう!からかったわね?」
「あーら、からかわれたほうが悪いのよっ」
逃げるように千鶴が駆け出すと、赤く染まった頬を隠そうともせず薫がその後を追う。
あとに残された剣心と宗巌は、仲睦まじい姉妹の様子に見入っていたが、それに気付いた薫と千鶴が声を張り上げる。
「ちょっと剣心、何笑ってるのよ!」
「おじいちゃんも早く来ないと船に間に合わないわよ!」
二人の少女に同時に叱咤され、剣心と宗巌は顔を見合わせた。
そして肩をすくめ、その後を追うために足を進めた。
しかし、そうは言っても墓地の敷地はさほど広くない。
視線の先には港へ向かう馬車が停車して、主達が乗り込むのを待っている。
ここでお別れだ。
薫と剣心は馬車から少し離れたところで足を止めた。
「じゃあ・・・・元気でね」
「向こうに着いたら手紙書くから・・・・・」
「緋村君にも、世話になったな」
「来迎寺殿も息災で」
皆、短い別れの言葉を口にし、千鶴と宗巌は背を向ける。
薫は彼らの背中をじっと見つめていた。
と。
馬車の手すりに手を伸ばした千鶴の動きが止まった。
怪訝に思いつつもそのまま声をかけずに黙っていると、千鶴の肩が細かく震えているのが薫の目に入った。
思わず一歩踏み出し、口を開く。
「千鶴さん」
薫の声が届いたのか。
不意に千鶴が振り向き、そのまま薫のもとに走った。
今まで泣くまいと耐えていたのだろうか。
千鶴の瞳から大粒の涙が次から次へと溢れ出し、彼女の顔は涙でくしゃくしゃになっていた。
その表情に薫もたまらず駆け出した。
二人の間に空間が無くなると、お互いしがみつくようにして抱き合う。
「さようなら・・・・薫姉さん・・・・・」
「千鶴」
時折聞こえる嗚咽は、どちらの少女のものだろうか。
剣心は黙って姉妹の抱擁を見守った。
ふと見ると、宗巌が目頭を押さえている。
剣心の視線に気付いたのか、宗巌がそのまま頭を下げた。
彼にとって薫は、千鶴と同様自分の孫なのだ。
薫も己の手元に置きたい、というのが宗巌の本心だろう。
しかし、双子は災いのもと、という迷信を鵜呑みにし、絆を引き裂いたのはほかでもない、宗巌自身なのだ。
薫は気にしないだろうが、宗巌はそんな自分が許せない。
それにそのことが無くとも、今の薫の隣には剣心がいる。
宗巌は孫娘の未来を剣心に託した。
それを察した剣心は、自身も頭を下げ、無言で決意を伝えた。
己の全てを賭けて、薫を守り抜く、と。
しばらくして泣きながら別れを惜しんだ姉妹は、どちらからともなく離れ、お互いの髪を結わえているりぼんをほどく。
それを目の前にいる少女のそれと交換し、同時に背中を向け歩き出す。
生後まもなく抵抗することも叶わずに引き裂かれたお互いの半身は、一度はひとつになったかに見えたが、今度は自分達の意思で分かれた。
千鶴は血の繋がった祖父のもとへ。
薫は愛する男のもとへ。
やがて千鶴と宗巌が馬車に乗り込み、赤く腫らした瞳のままでお互い微笑み合う。
馬車が動き、その姿が見えなくなると薫の顔から笑みが消え、呆けたように馬車が消えた方向を見つめていた。
「・・・・行っちゃった・・・・」
「薫殿」
ぽつりとつぶやく薫の声があまりに頼りなく、剣心は気遣わしげに声をかける。
その声に反応したように、薫は振り向いてふふ、と悲しげに笑った。
「始めは、血の繋がった家族がいるって言われても、すぐ信じられなかったけど・・・・今こうして離れ離れになると、ちょっと、ね」
「・・・・・寂しいでござるか?」
「寂しいというか・・・悲しいとも違うわね。確かに、泣いている時は悲しくて涙が出たけど」
剣心の問いに、んー、と首を傾げる。
「なんだか胸にぽっかりと穴が開いた感じ。喪失感っていうの?変よね、今頃になってこんな風に思うなんて」
そう言って、ふう、と大きく息を吐きだした。
睫毛が伏せられ、薫の表情が愁いを帯びている。
こんな時にと思うのだが、哀切を含む少女ははっとするほど美しい。
ふと、薫が何か言いたげに剣心に視線を送った。
「剣心はどこにも」
そこまで言いかけ、薫は首を振った。
「ごめんなさい、なんでもないの・・・」
頭を垂れ、きゅ、と帯の前で手を握り締めると、剣心がおもむろにその手を取った。
はっとして顔を上げると、剣心は薫ではなく、彼女の手に視線を注いでいた。
火傷した部分に巻かれている白い包帯が痛々しい。
それを確認した時、剣心の瞳に痛ましげな光が走ったが、ゆっくりと己の口元に近づけ、そのまま口付ける。
つんとした膏薬の臭いに混じって、薫の甘い香りが剣心の鼻腔をくすぐった。
「けん、しん・・・?」
愛しい人からの初めての接吻に薫の声が震えた。
たとえ手であっても、接吻には変わりない。
彼から受ける初めての行為に戸惑いを隠せず、薫は剣心を見つめることしか出来ずにいた。
剣心は無言で薫の手に同じ行為を続ける。
最初は手の甲、次に手のひら、また手の甲に返して、親指、人差し指と順に口付けていった。
彼の唇が触れた箇所から、熱を帯びていくのを薫は感じていた。
同時に心臓の鼓動が早くなる。
羞恥と感動が入り混じり頬が熱くなるが、それでも剣心から目が離せない。
「約束する」
剣心の唇が中指に触れたとき、やっと声が聞こえた。
「この先、どのようなことがあろうと」
言葉を紡ぎながらも、剣心は接吻をやめない。
「例え、薫殿が拙者に愛想を尽かしても」
全ての指に口付けると、今度はその指の腹に己の唇を押し付ける。
「拙者は薫殿と共に生きる」
最後に包帯の上から唇を滑らせた。
薫の火傷を癒すように、そして心の痛みすら和らげるかのように。
やっと剣心の唇が離れ、再び薫の瞳と出会った時、彼の瞳は真摯な光を宿していた。
「約束する・・・・・薫殿」
もう一度、剣心は同じ言葉を繰り返した。
剣心の言葉は、確かに薫の耳に届いていたのだが、薫は声を発することが出来ない。
その代わりに出てきたのは、熱い涙。
「私が・・・・剣心に愛想を尽かすはずないじゃない・・・・」
「薫殿・・・・・」
何とか笑おうとしたがそれは失敗に終わり、くしゃりと薫の顔が歪んだ。
そのまま嗚咽を抑えるかのように、己の手で口を覆う。
握ったままの手をぐい、と引っ張られ、薫は剣心の胸にすっぽりおさまった。
「千鶴殿も来迎寺殿も行ってしまったが、拙者は薫殿のそばにいる」
「うん・・・・」
「『家族』ではないけど、ずっと一緒にいるでござるよ」
「うん」
「・・・・・というより、これから薫殿と家族を作っていきたい」
「うん・・・・・は?」
鳩が豆鉄砲を食らった顔、というのは今の薫のことを言うのだろうか。
剣心の言葉にびっくりしていや、びっくりしすぎて涙が引っ込んでしまった。
そんな薫の表情を見て剣心も目を丸くしたが、気恥ずかしげに視線をはずした。
「薫殿と共に生き、子を成し、家族を作りたい・・・・という意味でござるが・・・・」
言葉を選ぶようにしながら告げる剣心の頬が僅かに赤い。
剣心・・・・・・もしかして緊張している?
あまり自分の感情を表に出さないこの人が。
あ、返事!
早く返事しないと。
しかし、彼の言った「子を成し」という言葉の意味を理解した瞬間、どう返答すればよいのか分からなくなってしまった。
うまい言葉が見つからぬまましばし沈黙がその場を支配した。
気まずさに耐え切れず、薫の顔が視線と共に下降していく。
が、それは剣心によって阻まれた。
今まで薫の背に回されていた彼の手が、薫の顎に添えられたのだ。
剣心の手が、うつむきかけていた薫の顔をそっと上げさせる。
そうなると、薫は剣心と視線を合わせざるを得ない。
「薫殿が辛い別れをしたばかりだというのに、今こんなことを言うのは薫殿の心に付け入るようで卑怯かもしれぬ。だが、これが拙者の正直な気持ちでござる」
剣心の熱のこもった眼差しに、薫の胸がどきん、と高鳴る。
「薫殿の、正直な気持ちを聞きたい」
「・・・わ、私でいいの?」
声が上擦ってしまったが、剣心の耳には届いたようだ。
「拙者は、薫殿しか望まない」
剣心の心臓が、早鐘のように脈打っている。
それは、先ほど剣心によって引き寄せられた薫の手にも十分伝わってきた。
自分と同じように剣心の鼓動が早くなっている。
その事実に、薫の心が軽くなった。
にっこりと微笑み、しっかりとした口調で剣心に告げる。
「私も、剣心しか望まないわ」
薫の言葉に、心底嬉しそうに剣心が微笑む。
そして、おろされた薫の黒髪をさらりと梳いて、彼女の頭を己の肩に引き寄せた。
その拍子に、先ほど手のひらから感じた薫の匂いが、より強く香った。
剣心はその香りを胸いっぱいに吸い込みつつ、薫の温かな体温を感じていた。
薫もまた、愛しい人の温もりを全身全霊で感じながら、いまや船上の人となった双子の妹と祖父を想った。
大丈夫。
私は一人じゃないから。
ふわりと風が吹き、剣心と薫を包み込む。
お互いの温もりに酔いしれている剣心と薫は気付かなかったが、その風は確かに恋人達を祝福する言葉を届けたのだ。
「お幸せに」
と・・・。
【終】
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以上をもって剣薫祭出展作品「Legame」の終了とさせていただきます。
ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございました!