少年よ、竹刀を抱け 【後編】



雪之丞が神谷道場に通い始めて二週間が経った。
「えい!えいっ」
庭先で素振りをしている少年を剣心がじっと見つめている。
剣心の傍らで一人遊びをしていた剣路もまた、父親の視線の先を追った。
「雪之丞、段々背筋が曲がってきたでござるよ」
たとえそれが七歳児だろうが剣心は厳しく指導する。
「お主との約束はちゃんと稽古を受け、それを形にすることでござる。今日の課題が終わらぬ限り、お主は何も出来ぬよ」
反発するような目が向けられたが、
「返事は」
「・・・・・はい」
感情を隠しきれずぶっきらぼうな口調になったが、それでも雪之丞はおとなしく従った。



「精が出るわねぇ」
道場での稽古を終え、薫が出てくると剣心の表情がやわらかくなった。



今まで剣心と雪之丞を交互に眺めていた剣路も、母の姿を認めるとよちよち歩きで寄ってくる。
歩き始めたばかりで安定しない剣路の体を抱き上げると、きゃーう、と可愛い声が上がった。
雪之丞はそんな母子の姿をぼぅっと眺めていたが、名を呼ばれると我に返り素振りを再開した。
「最初の頃に比べると大分様になってきたんじゃない?」
勉強が好きだという雪之丞は、剣術でも飲み込みの早さを見せつけた。
だが本人に上達しようという気はなく、己の勉強時間のために課題を終わらせることに懸命だ。

「よし、素振り二百本終わったぞ!次は?」

言葉遣いは出会った頃から変わらない。
苦笑し、剣心は仮入門生を見据える。
「雪之丞、忘れたのでござるか?」
剣心からの指摘に煩(うるさ)そうな視線を投げるが、
「素振り二百本終わりました。次をお願いします、剣心先生」
言葉遣いが改まっても不機嫌さが滲み出ることには目を瞑ることにした。
身に付いたものをいきなり変えろと言われてもすぐに出来ないのは当然だ。
礼儀や言葉遣いについて改めさせたとき、納得できず反抗した雪之丞だが、それも稽古のうちと言われれば彼は黙って従うしかない。
剣心も敢えて何も語らなかった。



こういったことは口で説明して理解させるのではない。
自身が成長していく度にその意味を知るのだ。



「では次に」
「あ、待って剣心。雪之丞君をちょっと借りてもいいかしら?」
剣路を剣心に預け、言葉通り雪之丞を中に上げた。
「雪之丞君、頑張ってるわね」
手ぬぐいで汗を拭いてやろうとすると、
「いい、自分でやる・・・じゃない、やりますっ」
薫の手から手ぬぐいを奪い取り、背を向けて乱暴に汗を拭い始めた。



たまにこういうときがある。
それは決まって薫が母の顔を見せた後だ。

勘助から雪之丞の母は彼が生まれて間もなく亡くなったと聞いている。
赤子のときに別れた母の顔など覚えてはいないだろう。
しかし、母に抱かれたときの温もりや匂いは覚えているのかもしれない。



薫の姿に亡き母がだぶるが故にぎこちなくなる雪之丞を微笑ましく思っていると、薫が一着の道着を広げた。
「これ、私が小さい頃使っていた道着なんだけど。もしよければ使って?」
毎日家から着てきた着物のまま稽古に励む姿を見て、薫なりに気を利かせたのだろう。
「見た目から雪之丞君の丈を予測して直してみたんだけど・・・ちょっと袖が短かったかしら」
何も答えることが出来ず人形のように道着を着せられた雪之丞だったが、薫の言葉に大きく首を振った。
「ありがとう・・・ございます」
心持ちうつむき加減な雪之丞の頬はほんのり赤い。
薫も気付いたが、赤くなった理由までは気付かないようだ。
彼女が口を開く前に剣心が呼びかけた。
     では雪之丞。打ち込みを始めようか」










最初は傲慢な態度の雪之丞を快く思っていなかった弥彦を始めとする門下生達も、雪之丞自ら「おはようございます」「お先に失礼します」と毎日挨拶してくる内に敵意が消えた。
真剣な眼差しで竹刀を振っていれば「打ち込み稽古なら俺が打たれ役になろう」と自ら買って出てくる者もいる。
道場の先輩の申し出に雪之丞も「ありがとうございます、よろしくお願いします!」ときちんと頭を下げるようになった。
それを見た弥彦も感嘆せざるを得ない。

「あのくそ生意気なガキがここまでおとなしくなるとはなぁ」
「そうでござるな、以前は口調だけ直っても態度は変わらなかったが、最近はそれもなくなってきたようでござる」

勉強は相変わらず頑張っているようだが、最近は剣術稽古のときも生き生きとしている。
今も、たくさんの門下生に囲まれて楽しそうだ。

粂内一家の勘助から「是非稽古の結果を親分に見てもらいたい」という話が出たのはそんなときだった。










お披露目日当日には剣心と薫も招かれた。
代々粂内一家が繁栄してきたことを思わせる屋敷の庭園で、雪之丞は己の父親や多くの舎弟の前でも堂々と今までの稽古の結果を披露した。
基本の型、素振り、打ち込みと次々繰り出され、食い入るように見つめていた勘助などは、
「雪坊ちゃん、立派になって・・・!ここまでお育てした甲斐があったというものッ」
と涙ぐむ始末。
それは勘助だけではない。
長年仕えてきたらしい老侠客や若い者まで感心したように眺め、賛美の声が飛び交っている。

「どうやら大丈夫みたいね」

設けられた席で同じように雪之丞を見守っていた薫が隣の剣心に耳打ちした。
しかし剣心は「いや」と小さく呟き、驚く薫にも分かるよう目で伝えた。
視線の先には一家をまとめている粂内菊之丞が端座している。
臥せっていると聞いたが、どっしりとしたその姿からは猛々しさをかもし出している。
雪之丞の成長ぶりを見て他の者達が賞賛している中、彼だけ表情は硬いままだ。



「おい雪之丞」
その瞬間、場に静寂が落ちる。
老いてもさすがは名を知られた粂内一家の親分、一言だけでその場を支配した。



「てめえ俺をおちょくってんのか?俺はな、遊戯を見ているわけじゃねえんだよ」
「親分、何を!?坊ちゃんはちゃんと剣術道場で修行して、その証拠に今・・・」
「馬鹿野郎!勘助、どうやらてめえの残った目は節穴のようだな」
間に入った勘助に罵声を浴びせ、その目は剣心達に向けられた。
「こいつが机にかじりついているほうが好きだということくらい分かっている。大方無理矢理うちのが頼み込んだって寸法だ。今後はお宅らに迷惑をかけんように俺から言っておくから安心してくんな」

     やはり付け焼刃的な稽古では無理だったか。
分かってはいたが、ここ最近の雪之丞の努力を見ると何とかなるのではないかという楽観的な考えすら浮かんでいた。
しかし、修羅場をくぐり抜け、何人もの猛者と命と心のやり取りをしてきた菊之丞の前では所詮は付け焼刃。

それでも何とかしたい一心で薫が身を乗り出す。
「迷惑だなんてそんな・・・それに雪之丞君は真面目に稽古していました」
「俺の目はごまかせませんぜ。こいつの剣なんざ上っ面だけだ。それはあんたも分かっているだろう?」
反論を無視し、菊之丞は呆然と突っ立っている息子を見下ろした。
「おう雪。俺にてめえの本気を見せてみろ!」
びりびりとした気迫が広がり、まともに受けた雪之丞に怯えが走る。
親ではなく一家を背負う総大将を前に、足がすくんで動けない。



「臆するな、雪之丞!」



恐怖に囚われそうになった寸前で雪之丞を引き戻したのはこの数週間稽古をつけてくれた俄(にわ)か師匠。
「せ、せんせ・・・」
体が強張ってうまく動けないが何とか首だけ回して見ると、そこには毎日叱咤し見守っていてくれた「剣心先生」がいた。
「よいか、雪之丞。お主はお主の心を力いっぱいぶつけろ。それがお主の本気を見せることになる」
「で、でもどうやって?」
「拙者が言わずとも分かっているはずだ」










     己の心。



雪之丞は目を閉じた。
そして大きく深呼吸を繰り返し、次に目を開けたときには迷いが消えていた。










脇にあった竹刀を二本取ると、
「これから僕の本気を見せます」
一本を無言で父親に向けて突き出す。
それだけで菊之丞も悟った。
のそりと立ち上がると、何も履かずに庭に下りた。
砂利を踏みしめ進み、息子が差し出した竹刀を受け取る。
そして距離をとると、正眼の構えを取った。
雪之丞もまた、まっすぐ構える。



しばし両者とも動かなかった     否、菊之丞は動かずにただ待っていた。
息子が、己に打ちかかってくるときを。

雪之丞が裂帛(れっぱく)の気合とともに地を蹴った!



「やああぁあぁぁぁあ!!!!!!!」
渾身の一撃!
だが雪之丞の剣は寸前で父の剣に止められていた。
それでも雪之丞の表情は晴れやかだ。

「ありがとうございました!!」
深く礼をして顔を上げると、清々しい笑顔がそこにあった。
それを見て菊之丞の表情も綻ぶ。

「勘助」
「へ、へぇ!」
息を詰めて見入っていたが、名を呼ばれたことによって勘助は我に返った。
「粂内一家は俺の代で終いだ。後のことは俺が責任を持って世話してやる。だから、雪之丞の望むようにしてやってくれ」
「へぇ!・・・・・へえぇ!?」
勘助の声が裏返り、菊之丞が信じられないというようにあんぐりと口を開けている。
「なんてぇ顔していやがる」
「だって、代々継いできたんでしょ?そんなあっさり・・・」
「今頃何言ってやがる。継ぎたくねえって言ったのはお前だろ」
困惑している息子の頭を乱暴に撫で回していた手が止まった。
「これから先侠客は全て消えるかもしれねぇ。だがな、雪之丞。弱きを助け強きを挫く任侠の心だけは忘れずにいてくんな」
「あ、当たり前だろ!これでも侠客の息子なんだからなッ」
鼻の頭を赤くして、それでも強気で言い放つ雪之丞の頭をまた撫で回す。
そして再び剣心に視線を向けた。
     先生、ありがとうございました」
親子揃って頭を下げられ、剣心は静かに口角を上げることで応えた。










その後、剣心は雪之丞に会津の恵の下へ行くことを勧めた。
書物を読んだりすることも大切だが、医療の現場を直に見ることも医師を志す者には必要と考えてのことだった。
それを菊之丞に伝えると「是非その女医さんのところで修行させてもらいてぇ」とすぐさま飛びついた。
恵にも手紙で報せることを約束し、この日は粂内家を辞した。



見送る雪之丞達の姿が見えなくなった頃、薫の寂しげな呟きに気付いた。



「・・・雪之丞君なら恵さんのいい助手になれると思うけど、そうすると当然ウチをやめるわけよね・・・」
「確かに残念ではござるな。ちょうど剣術の面白さを感じてもらった頃でござったし」
「うん、それもあるけど・・・」
くすりと思い出し笑いを漏らし、続けた。
「あのね、たまに剣路と遊んでもらったことがあるんだけど、並んでいると兄弟に見えるのよね。雪之丞君なら剣路のいいお兄ちゃんになったと思うのにな」
「おろ、薫殿は剣路に兄弟が必要だと考えているのでござるか?」
「必要というか・・・ほら、私って一人っ子だったじゃない?兄弟がたくさんいたら楽しいかなって」
夢見るようにとろけた表情の薫を眺める剣心の瞳がきらりと光った。
「それはいい考えでござるな」
相好を崩さぬ夫の下心に全く気付かない妻が無邪気に問い返す。

「ホント?剣心もそう思う?」
「無論でござる。では薫殿、家に帰ったら早速剣路の弟か妹を作るということで」
その言葉に薫の頬がぽっと染まった。

「いやだ、剣心ったら気が早いんだからぁ〜」
恥ずかしさのあまり剣心の肩を押す。
薫としては軽く押したつもりなのだが、我知らず力が入っていたらしい。
「おろ〜〜〜ッ」
派手な水音と間抜けな悲鳴ではっとしたがもう遅い。
薫が見たものは土左衛門よろしく流れる川にぷかぷか浮かんでいる哀れな夫の姿だった。










蝉の大合唱が聞こえなくなり夏の終わりが訪れた頃、神谷道場に一人の少年が入門した。
しかし彼が籍を置いたのはほんの数週間。
それでも神谷道場の壁には彼の名札が外されることなくかかっていたという。






【終】

前編  感謝処



灌園叟様よりキリリクいただきました!

リクエストは「剣心が神谷道場にデビューする話」。
剣術というのは剣のみを学ぶのではない。
勝ち負けを競うのではなく、相手に己の真心を打ち込むのだということを教える姿を、ということでしたのでオリキャラの雪之丞&粂内一家が登場することとなりました。
ちなみにリクエスト内容に侠客の登場はありません。
あくまで「幼い門下生」です。
ただの子供じゃなくてσ(^^)なりにひねってみたらこんなキャラ&ストーリーになりました。

申告者特典で出来上がった時点で灌様に読んでいただきましたが、そのときに「勘助は山本勘助の生まれ変わりではないか」と推測された様子。
たぶんこれは多くの読者の方が同じ意見だと思いますが、残念ながら生まれ変わりではありません。
しかし、イメージモデルとして山本勘助を起用してます。
オリキャラは誰かモデルがいないと作れないのですorz



灌様、十六万五千打申告&リクエストいただき、ありがとうございました!