鏡台の前に座らされた薫は抗うことも出来ず花魁に仕立て上げられる己の姿を眺めることしかできなかった。
髪型は立兵庫。
一つにくくった髪を頭上で一つの輪にし、これを髷としている。
そして、余った毛先は根元に巻きつけて高く結い上げられた。
今まで目にしてきた日本髪とはまるで違う。
人の目を引くためにより高く、より大きく結われているのだろうと薫はぼんやりと思った。
ひっつめられた頭がきつく、それだけでもしんどいのに更に笄(こうがい)と櫛、簪(かんざし)が次々とあしらわれる。
もう一枚櫛をつけましょうか、と提案されたがこれ以上重みが増したら立つことすらままならない。
そう言うと髪結いは黙って頷き、最後に花簪をつけた。



     鏡にはすっかり花魁の姿に変わった薫が映っていた。



顔だけでなく外から見える部分には全て白粉を塗りたくられており、べたべたして気持ち悪い。
更に真っ赤な紅を唇に引かれた顔は、自分で見ても毒々しい。
なのに後ろに控えている髪結いや手伝ってくれた新造からは感嘆の吐息が漏れた。
「どこからどう見ても花魁ですねぇ」
髪結いが褒めてくれたが曖昧に微笑むしか出来ない。
前帯をした小袖の上に身幅も大きく綿もたっぷり使われた仕掛と呼ばれる打掛を羽織ると、ずしりとした重みが体全体にかかった。

     何でこんなことに。

きらびやかな外見とは裏腹に憂鬱さが増す。
薫は数日前に起きた出来事を思い出した。










闇の夜は吉原ばかり月夜かな <1>










剣心がその男の来訪を受けたのは、ちょうど出稽古から戻ってきた薫がひと汗流して寛いでいる頃だった。
久しぶりに二人向かい合って茶を飲んでいると、玄関から呼ぶ声が聞こえてきた。

「突然申し訳ありません。実は、こちらにいらっしゃる緋村さんにお願いしたいことがございまして」

体格や顔立ちにこれといった特徴はないが、丁寧でそれでいてへりくだった口調は商売人と察せられる。
が、玄関で対応していた剣心はただの商売人ではないと見た。
にこやかにしていても目が笑っていない。
常に頭を働かせ、自分の損得を考えていそうだと密かに分析していたが、男の素性を聞いて納得した。
男は吉原の妓楼・玉屋の主人、与市郎と名乗った。
「吉原の楼主が拙者に何用でござろう?」
頼みごとがどのようなものかは知らないが、剣心の素性を知った上で尋ねてきたとなると厄介なことかもしれない。
そんなことを考えていると、
「剣心、どなた?」
なかなか戻ってこないことが気になったのか、奥から薫が出てきた。
薫の姿を認めた与市郎の目が光ったのを剣心は見逃さなかった。
「ほぅ・・・剣術小町の噂は聞いていましたがこれほどとは」
更に言葉を発する前に剣心は草履をつっかけて、
「すまぬが与市郎殿、話は外で聞かせてもらえぬか?薫殿、ちょっと出てくる」
「え?あ、行ってらっしゃい・・・」
唐突に告げられ見送るしか出来ない薫を与市郎から遠ざけることに成功した剣心は、そのまま外へと出て行った。



住宅の塀に沿って歩きながら時折振り返る与市郎はまだ薫に未練があるらしい。
何やら別のことを考えていそうなので、こちらから話を切り出すことにした。



「与市郎殿。拙者に頼みたいこととは?」
促され、目的を思い出したようだ。
「緋村さんは吉原のことをどの程度ご存知でしょう?」
いきなり面食らうような質問に困惑したが、表に出さぬようにして答えた。
「世間一般のことくらいしか・・・それが何か?」
「では、最近女郎が立て続けに殺されていることは?」

それなら浦村署長から聞いたばかりだ。
遊女と床入りした客が、朝目覚めるとそこには共に夜を過ごした遊女が殺されていたという事件だ。

「いくつもの妓楼で同じことが起きているそうでござるな。既に数人犠牲になっているとか」
最初は発見者である客たちが疑われたが、馴染みの店にしか足を運ばない者がほとんどだったため犯人は客以外の誰か、ということになったのだ。
「ええ。しかも殺しがあった妓楼は吉原でも名の知れた大見世で、殺されたのもその店にいる花魁だそうです」
花魁が殺されただけでも痛手なのに事件のせいで客が怯えて寄り付かなくなり、売り上げも落ちたという。
「そういった妓楼はかつての豪奢さはなりを潜めており、商売敵といえど目を覆いたくなります。そして次は手前の店が狙われてしまうのではないかと怯えて暮らす毎日」
そこで、と切り出された本題は半ば剣心の予想通りであった。
どうか剣心の力で犯人を捕まえてほしいと。
「しかし殺人ともなれば既に警察が動いているのでは?」
「殺しですから当然警察も捜査しています。ですが、あちら様にとってはたかだか吉原の遊女と軽く見られておりまして、いまひとつ熱心さに欠けるというか・・・それにうちも客商売ですし」



事件解決のためとはいえ、制服を着た警官に妓楼近辺や中をうろつかれるのは好ましくない。
忘八衆と呼ばれる男衆も警戒しているが、まさか睦言を行っている部屋に居座っているわけにもいかない。



頭を悩ませていた頃に馴染みの客から剣心のことを聞いたのだ。
そういった流れで自分に白羽の矢が立ったのは分かる。
予想外だったのは次の言葉だ。

「出来れば先程の方にもご助力いただければ」

一瞬誰のことを言われたのか分からなかったがすぐ返した。
「薫殿のことでござるか?しかし先程は拙者に依頼したいと     
「ええ、もちろんです。でも先程薫さんを見て中で護衛していただくことを考えまして」
何故と聞き返すことはしなかった。
大方薫の容姿を見て、遊女と同じ格好をさせれば内部の警護にうってつけとでも思ったのだろう。
しかも薫はただの女ではない。
「確かに薫殿は並みの女性と違い、武術の心得があるゆえ与市郎殿の言うことももっともでござるな」
「で、ございましょう?」
剣心の言葉に与市郎は相好を崩す。
そんな彼を横目で見つめて続けた。
「しかしいくら剣術に長けているといえど捕り物となれば訳が違う。仮に犯人と立ち会うことになったらお決まりの道場剣術など逆に隙だらけ。結果、与市郎殿が不利益を被(こうむ)ることになろう」
薫に聞かれると後が恐ろしいことを敢えて厳しく言い放った。
与市郎も同じように感じたのか、笑顔が強張る。
「緋村さんもかなり手厳しいことをおっしゃいますな。薫さんはあなたの大事な方ではないのですか?」
さすが多くの女を見てきただけある。
二人揃ったところを見たのは玄関先、しかも僅かな間であったにもかかわらず、何かしら感じるものがあったのだろう。
与市郎の問いに自然に答えた。



     大事な存在だからこそ、危険な目に遭わせたくないだけでござるよ」



初めて会った人間に言う必要もないと思うが、そうでもしないと与市郎は引かぬだろう。
与市郎の顔が商売人のそれから間抜けな表情へと変化した。
ぽかんと口を開けていたが、やがて口角を上げて言った。
「どうも薫さんに依頼した場合は色々と不都合が生じそうですね。分かりました、薫さんのことは諦めましょう」
ですが、と続けようとした与市郎が言いたいことは分かる。
「犯人を捕まえる保証は出来ぬが、拙者でよければ出来る限りのことはさせていただくでござるよ」
さすがにこの流れで依頼を断ることは出来ない。
剣心が承諾したことで満足そうに頷き、与市郎は詳細を話し出した。










話を終え、与市郎を見送ってから道場に戻った剣心を薫が待っていた。
突然外出したことをまず詫びて、与市郎のことや依頼された内容を話した。
吉原と聞いた時点で薫は言葉を失ったようだ。
更に事件のこと、犯人探しで数日間留守になることを告げると困惑したように黒瞳が泳ぐ。
「吉原ってあの吉原よね・・・数日間ってことはそこに泊まるって事?」
「話によるとおそらく殺されたのは夜半。となれば夜がもっとも警戒せねばならぬ時間帯ゆえ」
そう、と答える声が沈んでいる。
いつも依頼というのは突然やってくるものだが、今回ばかりは断りたかったのは剣心の本音。
それというのも警察から遠方への応援を受けひと月ほど滞在した後、昨日ようやく帰ってこられたのだ。
しばらくは二人でのんびり過ごせると思っていただけにかなり気持ちが暗くなた。
剣心ですらそう感じたのだ。
薫は更に落ち込むことだろう。

「すまぬ薫殿」

引き受けてしまったことは取り消せないが、それでも寂しそうな薫を見ると頭を下げずにはいられなかった。
「そんな、剣心のせいじゃないんだから謝らないで」
「しかし」
「大丈夫だから」
元気を装うというより慰めるような声音だ。
彼女にそんな気遣いをさせてしまう己が情けない。
頭を上げようとしない剣心に薫の声が降ってきた。
「そりゃ全然平気って言ったら嘘になるけど、誰であれ助けを求めてきた人に手を差し伸べる剣心を私は誇りに思う」
きっぱりと言い切った言葉は清涼感を伴って剣心の胸に届いたが、
「それに、気にしているのはそこじゃなくて・・・」
一転して歯切れが悪くなる。

思わず顔を上げると、そこには口調と同じように目線を彷徨わせる少女がいた。
心なしかほんのり頬が赤い。

「剣心のことを信用していないわけじゃないのよ?でもほらっ、場所が場所だから、」
ああ、と得心すると無意識のうちに頬が緩んだ。
「心配せずとも薫殿以外の女性に心変わりはせぬよ」
「べ、別にそんなこと思ってないしっ」
真っ赤になりつつ否定するが、それが肯定していることに気付いていないようだ。
薫の腕を引くと呆気なく剣心の胸に閉じ込められる。
抗議しようと顔を上げるが、剣心の唇が待ち構えていた。
自分から飛び込んできた形となった薫の唇を丹念に味わうと、強張っていた体から徐々に力が抜けていった。
濡れた唇が離れると、瞳を潤ませた薫にこう言った。



「どれほどの手練手管を使われようが無駄でござるよ。既に拙者は薫殿に骨抜きにされているゆえ」



ばか、と形作った唇に軽く口付けると、二つの体が折り重なるように床へと沈んだ。










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