闇の夜は吉原ばかり月夜かな <4>



捕らえられた康夫は、手足を縛られた状態で玉屋の裏庭にある蔵に閉じ込められた。
抵抗する度に殴られたようで、顔にはいくつも痣を作っている。
剣心と薫、それと弥彦に呼ばれた玉屋の与市郎が、それぞれ異なる表情で康夫を見つめていた。
「まさか喜の字屋の者が犯人だったとは     
一体なぜ、と与市郎は剣心に尋ねた。
「動機までは分からぬが」
と前置きして、殺害方法について説明を始めた。
「この一件、喜の字屋のように他の妓楼でも自由に行き来できる者の犯行だということは割と早くから予想がついた」










内部で働く人間だと自分の妓楼なら可能だろうが、他の妓楼となれば犯行は不可能だろう。
また、花魁の客も同様だ。
他の妓楼に足を向けてしまっては不義と罵られてどこの花魁からも見放されてしまう。
その他の客にしても、花魁と無関係の人間が妓楼の中をうろついていればそれだけで目立つ。
どこの妓楼でも自由に、特に夜出入りしても怪しまれない人間といったら限られてくる。










「喜の字屋が空になった皿を回収するのは吉原の妓楼であれば周知の事実。板前姿なら妓楼の中にいても不思議はござらん」
「なるほど!だから狙いをつけた花魁がどこの妓楼であろうともすんなり入れたのですね」
「しかも喜の字屋は仕出し料理屋。どこの誰に料理を出すのかが分かっていれば、前もって眠り薬を仕込むことも可能でござる」

そして皿を下げに行ったときに部屋に忍び込んで花魁を殺害したという。

剣心の説明に与市郎が得心する。
「でもそれじゃあ花魁に騒がれるんじゃない?」
まだ花魁の格好をしている薫を見て、剣心はくすりと笑った。
「では薫殿。今のその格好で後ろから呼びかけられたらすぐ振り向けるでござるか?」
あ、と小さな声が出た。



ずっと薫を悩ませている頭の重さ。
呼びかけられてもゆっくり首をまわさないと、頭の重さに引かれてあらぬ方向へ曲がってしまいそうだったことを思い出した。



「じゃ、じゃあお客は?自分が相手をしているお客ががいきなり寝ちゃったら不思議に思って起こすんじゃないの?」
先程の体験をもとに疑問点を述べると、今度は弥彦が口を挟んだ。
「遊女ってのは客がいる限りその相手をしなくちゃなんねえ。一緒にいた客が寝ちまったら別の客があてがわれるようになってるのさ」
「えぇ?じゃあいつ休めるの?」
「だからこそ、客が寝ちまったら自分も一緒に休むんだよ。遊女なんてのはみんな寝不足だ。寝れるときに寝ておかないと体が持たない     客が寝たらこれ幸いと起こすことはしないだろうよ」
さすがに吉原のことを熟知している。
客ともども寝入っていれば殺害するほうもやりやすい。
万が一遊女が起きていた場合でも喜の字屋を名乗れば警戒が薄れるし、薫も身に沁みてように知った通り俊敏な動きは出来ない。
隙を見て背後から隠し持っていた錐で突き殺したのだ。

「花魁なんてものがあるからいけないんだ。そんなものがあったところで遊女は遊女。外も中も嘘で塗り固まっているのさ」

今まで黙っていた康夫が口を開き、一同が注目する。
「別に狙いをつけていたわけじゃない。入った妓楼に花魁がいたから殺した     誰でもよかったんだよ、花魁なら」
「何故そこまで花魁を憎む?」
剣心が問うと皮肉げに顔を歪めて話し出した。



「昔、夫婦の約束をした幼馴染が家の事情で吉原に売られたんだ。もちろん俺は会いに行ったよ。そして誓った。どれほどの大金でも必ず稼いであいつを身請けしてやると」



しかし器量よしの女であったがためにあっというまに人気遊女になり、康夫が稼いだ僅かな金では会えないようになってきた。
やがて女は振袖新造となり、花魁になるのも時間の問題となってきた。
二人は人目を盗んで会うようになったが、女は段々康夫を邪険にし始めた。
そしてある時言った     もう会いに来ないで、と。



「花魁になったらあんたなんかよりお金持ちの旦那を相手にするようになるわ。吉原に来る男たち全てを虜にして、私は一番の花魁になる。あんたみたいな男が手を出せないほどの、ね」










真っ白な白粉を塗り、冷めた眼差しで嘲笑する女が自分の愛した女と同一人物とは思えなくなっていた。

憎かった。
あれほど愛した女なのに、憎くて憎くてたまらない。

懐には研ぎに出すつもりだった包丁が入っている。
康夫の手は自然と包丁を握り締めていた。










「気付いたら何度もあいつを刺していたよ。血まみれになって倒れるあいつを見て初めて怖くなって逃げた」
ちょうどその日は叩きつけるような強い雨の日で、返り血を浴びた体を洗い流してくれた。
花魁殺しとは無関係と思われたこの殺しこそが、一連の事件の始まりだったのだ。



今までも二人の仲は秘密にしていたせいか康夫が疑われることはなく、何事もなかったかのように日々を過ごしていた。
しかし、花魁を見るたびにその時の感情を思い出し、己の中で暴れ狂う。
自分では抑えようのない激情だった。



「花魁なんてものがいるから女は変わってしまうんだ・・・!」
ぎりっと憎悪に満ちた瞳が、花魁姿の薫に向けられる。
愛する者を失った悲しみと裏切られた怒りが交じり合った眼差しは、目を背けることを許さない。
声をかけることも出来ず、歯がゆさにも似た感情を抱えながらも康夫の視線を受け止めていると、

「それは違うぜ」

まっすぐな弥彦の声が割って入った。
薫に向けられていた瞳が、今度は弥彦に向けられる。
「・・・何が違う?何も知らないガキの出る幕じゃねえんだよ!!」
康夫の怒号にも怯むことなく、静かに見返している。
紡がれた言葉もその瞳同様、静かな口調だった。

「あんたの惚れた女ってのは、みき葉って名前の遊女だろう?」

康夫の体が硬直し、薫も聞き覚えのある名にはっとした。
「な・・・なんでその名を知っている?」
「俺も吉原とはちっと縁があってな。知り合いの女がみき葉を知っていたんだよ」
薫と別れた後、弥彦は佐和野という女を訪ねていたのだ。
今は小見世の主と所帯を持っているが、昔弥彦の母親と同じ妓楼にいたため、幼い弥彦のことも可愛がってくれた。
数年ぶりの再会に涙を流して喜んでくれたが、弥彦の目的を知ると大きくため息をついた。










     こう立て続けに殺しが起きたんじゃ恐ろしくて夜も眠れないよ。
     でも殺されるのは花魁だろ?佐和野さんのところは関係ないから安心していいんじゃねえ?
     可愛くないことをいう子だね。花魁だけのことじゃなくて、振袖新造が殺された事件だってまだ犯人が捕まっていないから怖いって言ってるんだよ!










そこから先は成宮が語った内容と同じだった。
言葉を失っている康夫の前に進み出ると、懐から木彫りの観音像を取り出した。
「そ、それは俺があいつにやった・・・」
弥彦の手に乗せられた小さな観音像を見ると、康夫の声が上擦った。
「佐和野さんがみき葉のことを覚えていたよ。いつだったか、みき葉が落として泣きそうな顔して探し回っていたって」














真っ青になってこのままでは死んでしまうのでは、と感じるほどの思いつめた表情をしていたみき葉を見かねて佐和野から声をかけたそうだ。
みき葉も秘密の恋であるがゆえに、誰にも相談できなかったのが苦しかったのだろう。
佐和野が全く関係のない小見世の女将であることも手伝ってか、みき葉は胸の内を打ち明けた。
名前は明かさなかったが幼い頃から好きだった人と添い遂げたいこと、だが自分の意に反して花魁とさせられそうになっていること、そうなったら彼と会うことも許されないと涙ながらに語った。



「そんなことを知ったらあの人はどんなことをしても私を身請けしようとするに決まっている。こんな、身も心も汚れた私を・・・」



そんなみき葉の心の拠り所が、その男が作ったという観音像。
肌身離さず持っていたのだが、通行人とぶつかった拍子に落としてしまったのだ。
それなら、と佐和野も一緒に探したが、どうしても見つからない。
するとみき葉は肩を落として言った。
「観音様がいなくなったのは、きっとあの人と終わりにしなさいって言っているのかも」
「何言っているのさ!もうちょっと頑張って探してみようよ」
佐和野が言っても首を横に振るだけだ。
「私ね、あの人と夫婦になることを願っていたけど、一番願っているのはあの人の幸せなの」

何かを吹っ切ったように笑うみき葉は、とても美しかった。

その美しい笑顔が余計に佐和野の胸をさざめかせた。
気付いたら彼女の細い肩を掴んでいた。
「あんたは今、大事にしているものをなくして混乱しているんだ。私が必ず探し出すから、それまで馬鹿なことを考えるんじゃないよ」
佐和野の剣幕に押されてか、びっくりしたように目を丸くしていたが、やがて小さく頷いた。



そして数日後、佐和野は今にも降り出しそうな曇り空の下で観音像を見つけた。
     みき葉が殺されたと聞いたのはその日の夕方のことだった。















全員無言で弥彦の話を聞いていた。
与市郎ですら、瞳に哀れみの光を宿している。
「佐和野さん、悔やんでいたよ。これをすぐに持っていってやれば、何かが違ったのかもしれないって」
康夫は観音像を食い入るように見つめていたが、ふっと口元が綻んだ。

「違わねえさ。あいつはこうと決めたら頑固な性質でね、周りが何を言っても聞きゃしねえ」

冷たくしていたのは、康夫を遠ざけるための演技だったのだ。
「こんな手練手管にまんまと騙されちまうなんてなぁ。全く、あいつは最高の遊女・・・いや、花魁だよ」
大粒の涙が康夫の頬を流れ、そして次々と落ちていく。
笑いながら泣き崩れる康夫を、小さな観音がやさしく見守っていた。















それから康夫は警察に連行され、薫はようやく花魁の姿から解放された。
見送られるとき、九重と目が合ったので別れの挨拶をと思ったのだが、口を開く前に身を翻された。
(あれ?何か怒っていたような・・・)
打掛を汚してしまったことだろうかと考えていたが、弥彦の声に慌てて外へ出た。
大門を出る際に佐和野や喜の字屋のお新が見送りに来てくれ、特にお新から、
「旦那が惜しがっていたよ。料理の腕もそうだけど、あんなきれいに飾り付けが出来るんだから、仕事に困ったらいつでも来いってさ」

酒宴に出す料理は豪華な飾り付けをする台の物が主流となっている。
手先が器用な剣心はすぐに凝った飾り付けができるようになったため、喜の字屋の主人に重宝されたのだ。

「よかったじゃねえか。働き口が見つかって」
冷やかす弥彦に剣心は苦笑いしたが、
「絶対ダメ!!!」
という薫の強い反対に遭い、吉原で働くことはないだろうなと頭の中で思った。



大門手形のおかげですんなり吉原の外に出ると、衣紋坂から日本堤に出るところに俥が用意されている。
どうやら与市郎が呼んだものらしい。
時間が時間なので、剣心たちは遠慮なく使わせてもらった。



途中弥彦を長屋の近くで降ろし、神谷道場に着くと開口一番、
「あー、疲れたー!もう花魁になるのはご免だわ」
花魁の姿になってからというもの、ずっとおとなしくしていたせいで体中が悲鳴を上げている。
大きく伸びをする薫に、
「しかし薫殿が花魁になっていたのは驚いた。一体何故あのようなことに?」
そういえば康夫と遭遇してから慌ただしく時が過ぎたため、事情を説明している暇もなかったことに気付く。
薫は吉原に入った理由から話し始めた。



玉屋で弥彦と別れてから成宮という性質の悪い客に絡まれ、九重という玉屋の花魁に助けられたこと。
しかし成宮の要望で薫も酒宴に出ることになり、花魁姿となったことを話した。



剣心は黙って聞いていたが、九重の代理で成宮と二人きりになったことを告げた時、ぴくりと眉が動いた。
「男と二人きりに?」
剣心の表情が変わったことに気付かず薫はあっけらかんとした口調でしゃべり続ける。
「あの時はさすがにどうしようかと思ったわよ。それにあの人ったら、九重さんが私に嫉妬した腹いせにこんな状況を作ったなんて言うのよ?もちろん、そんなことはないけど」
「何故そう思うのでござるか?」
半ば呆れて問いかけると薫は自信たっぷりにこう言った。

「剣心は知らないでしょうけど、本当にいい人なのよ?私を巻き込んだことをすごく恐縮していたわ。きっと途中で成宮さんが寝てしまったのも、九重さんのおかげかもね」

剣心は頭を抱えたくなった。
花魁の客が寝てしまうのは康夫が料理に眠り薬を入れたからだが、それを薫は九重が自分を助けるためにやったと思い込んでいる。
皮肉なことに、康夫が花魁を殺すために仕込んだ眠り薬が薫を救ったのだ。
その時のことを思い出したのか、薫は嫌悪の情を露わにして吐き出した。
「あんな人が九重さんの上客なんてかわいそう・・・今思い出しても腹が立つ!あんな助平男なんて女の敵よッ」
苦笑するしかない剣心だったが、薫の話を聞いてその瞳が細められた。



「・・・・助平なことでもされたのでござるか?」
「え?」
「その成宮という男、薫殿が助平男と毒づくような不埒な行いをしたようでござるな」



ぎくりと薫の表情が強張る。
「そ、そんな剣心が心配するようなことはないわよ?だからもう休みましょ?」
「心配するかしないかは拙者が判断する」
寝所に向かおうとするが、剣心は腕を伸ばして行く先を塞いだ。










「これからじっくり調べさせていただくゆえ、まだ眠れぬ     いや、眠らせぬよ?」









劣情を含んだ熱い眼差しが薫を射抜く。
成宮の浅ましい肉欲とは全く違うそれは、ただひたすらに薫のみを欲していた。

きっと自分も同じ目をしていることだろう。
他の男に触れられている間ずっと、剣心のことだけを考えていたから。

しばらくの間、二人の瞳はお互いのみを映していたが、やがて重なった。
そして待ちきれないように剣心と薫の体が絡み合う。



一番近くに、一刻も早く。



もどかしげに脱ぎ捨てた着物の上で、二人の想いが昇華するのに時間はかからなかった。














【終】

前頁  感謝処



ミサ様よりキリリクいただきました!

リクエスト内容は「薫が訳あって花魁の姿になる、遊郭?での話」。
一番無理のない設定となると、警察とかに頼まれて薫が吉原の花魁になる(囮捜査的な?)流れなんですが、そんなことは剣心が絶対反対して代替え案考えそうだから却下。
そうなると自然と剣心に出張ってもらうことになりましたが、今度は薫がやきもきしそうだし肝心の「薫の花魁姿」ってのがなくなるし。
困ったときには弥彦投入!
もともと弥彦の母親も遊郭にいた設定だし、ここは吉原にいたってことにして弥彦にひと肌脱いでもらいました。
教育上ちょっとまずいか?なんて思わなくもなかったけどそこは目を瞑っていただき( ̄▽ ̄;)ははは
設定が決まったら今度は吉原についてのうんちくも入れたりして、結果的にこんなに長くなってしまいました。
ちなみに一番気になるところが書いていないのはわざとです。
薫の太ももにある吸い跡を見つけたときの剣心の反応は、各自脳内で妄想しまくってください( ̄ー ̄)ニヤリッ

それとタイトルについて補足。
これは榎本(宝井)其角の俳句なんですが、どこで区切るかによって句の意味が違ってきます。

闇の夜は、吉原ばかり月夜かな⇒闇の夜でも不夜城の吉原だけは満月の夜のような明るさである
闇の夜は吉原ばかり、月夜かな⇒月が煌々と輝いている夜でも、吉原の女たちの身の上は闇夜である

どちらも吉原の真実ですね。



ミサ様、二十五万五千打申告&リクエストいただき、ありがとうございました!