闇の夜は吉原ばかり月夜かな <3>



宴が終わればあとは花魁との床入りだ。
二人の背中を見送るとどっと疲れが押し寄せてきた。
一刻も早く化粧を落として着替えたい。
だから振袖新造に二階の部屋へ案内されたときにはようやくお役ご免かと安堵した。

しかし中に成宮が座しているのを見ると体が硬直した。

「何をぼんやりしている?さっさと酌をしろ」
思わず傍らにいる振袖新造を見ると、
「九重姐さんは支度中でありんすぇ」
その間成宮の相手をしてほしいと表情を崩さずに言うと、先に入って酌をし始めた。
そうなると薫も入らないわけには行かない。
成宮の隣ではなく、出入り口に近い場所に座った。
そんな薫を一瞥しただけで、咎められることはなかったことに胸を撫で下ろした。

九重が面倒を見ている振袖新造は薫より年下に見えるが、酔いの回った成宮相手に平然と接している。
振袖新造の彼女も化粧はしているが年相応の愛らしさも残しており、九重ほどではなくとも男が放っておかないだろう。

それなのに成宮は黙って酌を受けているだけだ。
不思議そうに眺める薫の視線に気付いたのか、
「俺が手を出さないのが意外らしいな」
「え?あ、いえ・・・」
決まり悪くなった薫を見て、成宮と新造が笑い合った。



「吉原の決まりだ。こうして姉女郎の代わりに妹女郎が客の相手をすることになっても、決してまぐわってはならぬという、な」



何度目かの酌をしようとした新造が、酒が空になっていることに気付いた。
一礼して空になった徳利ごと盆に載せて下がる。
取り残されることを恐れて薫も後に続こうとしたが、
「客を一人で待たせる気か?そんなことをしたら九重の恥になるだけだぞ」
と脅され、仕方なく座りなおした。
薫がおとなしくなると成宮は徐(おもむろ)に立ち上がり、すぐ目の前で腰をかがめた。
反射的に身を引いたが成宮はにっと笑って、
「さっきも言っただろう。姉女郎がいないときに妹女郎に手は出せないと」
そういえばそうだったと一瞬気を緩めた隙に、ぐっと腕を引かれ、その場に倒れこんだ。
慌てて起き上がろうとするが、衣装の重みでどうしても動きが緩慢になる。

「でもお前は九重の妹分ではないから俺の好きに出来るわけだ」
     !!」

身動きのとれない薫の上に成宮が覆いかぶさってきた。










薫と一緒にいた振袖新造が九重の待つ居室に入ってきた。
九重は外の障子を開け放ち、欄干に身をもたせながら煙管から紫煙を吐き出していた。
背を向けたままの姉女郎に向かって、新造が頭を下げる。
「首尾は?」
「姐さんの言われたとおりに」
短いやりとりだが、それだけで九重は満足したようだった。



酒宴の最中、九重は成宮にこう伝えたのだ。
     それほどまでにあの子がお気に召したのであれば、どうぞお好きに。



突然の提案に成宮は驚いたようだが、すぐ乗ってきた。
その時は夢中になっても、どうせ数刻後にはいなくなる娘だ。

「素人娘がわっちの男をたぶらかすからこうなる・・・ここがどんな場所か、身をもって知るがいいさ」

九重の瞳が怒りでぎらぎらしている。
周囲に侍(はべ)っていた禿たちは、恐ろしい形相で空を睨む花魁をただ黙って見つめることしかできなかった。










前帯をほどこうとする手からなんとか逃れようとするが、幾重にも重ねられた衣装が薫の自由を奪う。
が、逆に言えばそれだけ成宮も簡単には脱がせられないということだ。
それでもまだ余裕があるのか、成宮の表情は愉しげだ。
「さすがに肌の張りが遊女とは違うな」
袖から進入した手が薫の腕を撫でさすり、その感触にぞわりとする。
「やめて、触らないでッ」
小声で牽制するが、成宮はとろりとした目でなおも迫ってきた。
「大声を出さないのは九重のためか?何も分かっていないのはやはり小娘だな」
「どういうこと?」
「九重は花魁上り詰めた女だ。手練手管で虜にした男が、何も知らない素人女を気にしていたら当然面白くない」
「だって九重さん、そんな素振り全然・・・」

意外な名前が出てきて目を見開く。
初めて会ったときも宴のときもずっと薫を守ってくれたではないか。

もし薫のことが気に入らなければ早々に追い出せばいい。
そう言うと、
「花魁は花魁なりの意地や誇りがある。小娘に嫉妬しているなんて周りに知られたら、花魁も所詮はその辺にいる女と同じと軽く見られるからな」
己の感情は美しい面に隠し、何でもないように振舞う。
そうして蓄積された結果がこれだ。
愕然とする薫の耳元で更に囁く。
「それにお前のことをみき葉と言った。その時空気が変わったことに気付いただろう?お前はみき葉という、殺された女の名前をつけられたのさ。全く、九重も趣味が悪い・・・」










成宮の話によると、ふた月ほど前に振袖新造のみき葉が滅多刺しされて殺されたという。
殺されたのは店ではなく、自分がいる妓楼から少し離れた路地裏。
その日は土砂降りで誰も外に出たがらなかったそうだが、みき葉はどうしても外せない用があると言って出かけた。
そしていつまでたっても帰ってこないみき葉を探しに出かけた男衆によって、無残な姿となって発見されたのだ。










「別の妓楼だが、殺され方が尋常ではなかった。よほど恨まれていたのか、死んだ後にも何度も刺された形跡があったそうだ・・・むごいもんだ、最近の花魁殺しだって錐のようなものでひと突きだというのに」
酒臭い息を吹きかけられ顔を背けたが、薫の頭は今の話のことで一杯だった。



ふた月前といえば、吉原での花魁殺しが始まった頃だ。
最初から花魁が狙われているように思われたが、みき葉という遊女も無関係ではないかもしれない。
同時期に殺された振袖新造と、そこから始まった花魁殺し     偶然だろうか?



大きく裾を割られ、太ももが外気に触れた感覚で我に返った。
慌てて隠そうとしたが、成宮が太腿にしがみつき、それを許さない。
頬を寄せて滑らかな感触を楽しみ、徐に肌を吸う。
「や・・・ッ」
ぶわっと全身が粟立ったのが分かった。

     もう限界!

今まで成宮が使っていた脇息を手にすると、薫は思い切り振り上げた。
が、そこでずしりとした重みが太腿にかかる。
「・・・?」
どついてもいないのに昏倒させたような静けさ。
よいしょ、と体を反転させてみると瞼がしっかりと閉じられている
軽く頬を叩いてみても反応が薄く、どうやら完全に眠っているようだ。
「でも何で?」
急に眠ってしまった理由を考えてみたが分からない。

「もしかして九重さん?」

成宮は嫉妬に狂った九重が薫をはめたと言っていたが、信じられない。
(だってあんなきれいな人が、私なんかに嫉妬するなんて)
今の状況に陥ったのも、成宮に無理を言われたせいで九重も逆らえなかったのだと考えた。
が、薫のことを心配してくれたのだろう。
もしかしたら酒に薬でも入っていたのかもしれない。
「なんていい人なの、九重さんって!」



すっかり感激していると、誰かが静かに入ってくる気配がした。
九重だろうかと振り向こうとしたが、頭が重くてすぐ振り向けない。



「九重さん?」
呼びかけた瞬間、ちりっとした殺気を感じて反射的に身を伏せた。
肩口から生地が裂ける音が聞こえ、何とか目だけでその正体を捉える。
何者かが細いものをふりかざしているのが見えた。
見たことのない男だが、自分が標的にされているのは分かる。

     まさか、花魁殺しの犯人!?

再度襲って来る前に薫は大きく息を吸い込み、思い切り悲鳴を上げた。
「きゃああああああああ!!!!!」
遠慮なしの悲鳴は辺りによく響き、外にいた群集も何事かと玉屋を見上げている。
中では部屋に向かってくる足音がいくつも聞こえてきた。
それを聞きつけ、犯人が逃げ道を探すように辺りを見回した。
(逃げられる・・・)



自分が犯人ならどこから逃げるか。
廊下へ出れば客や店の人間に見つかる。
残された道は外。
外へ出て、屋根伝いに行けば逃げ道はある。



薫の読み通り、犯人もまた外へ飛び出そうとしていた。
「待ちなさい!」
咄嗟に窓の桟に手をかけた犯人にしがみつく。
凶器を視界の端に捉えその手を押さえるが、犯人も必死だ。
もみ合っているうちに逆に薫のほうが窓際に追い詰められ、背中が海老反りになる。
そのとき男衆が部屋にたどり着き、
「てめえ何者だ!!」
怒鳴り声の後、数人が乗り込む。
犯人は舌打ちすると一旦薫から身を引き、思い切り突き飛ばした。

(落とされる)

犯人の手を握ったまま薫の体が窓を乗り越え、二人揃って瓦屋根の斜面を転がる。
打掛が体に巻きつき犯人を捕らえていた手も放してしまったが、どこかに捕まるために手を伸ばすことも出来ない。
屋根の縁まで来ると、一瞬の浮遊感の後、そのまま落下していった。
薫の体が地面に叩きつけられる!
これから来るであろう衝撃にぎゅっと目を瞑ったが、誰かに受け止められたようで痛みは襲ってこなかった。
目を開くと全てが逆さまに見える。
頭が下になっていることに気付き、起こそうとするがいくら頑張っても首が痛くなるだけでまったく頭が上がらない。
それに気付いたのか、誰かの手がそっと頭に添えられ、半身ごと身を起こされた。
支えられているおかげで頭が楽だ。
「あ、ありがとうございます」



ようやく自分を助けてくれた恩人の顔を見て仰天した。
同じように驚いた眼差しで薫を見ているのは、剣心だったからだ。



何も言えずにいると、じっと見ていた剣心が躊躇いがちに口を開いた。
「・・・薫殿でござろう?」
更に驚いた。
「剣心、私だって分かるの?」
薫の問いに剣心は頷いた。
剣心も最初は別人かと思ったが、どうしても気のせいとは思えず辺りをまわっていたのだという。
「それにしても何故ここに?」
「あ、それは弥彦が・・・って、犯人は!?」
取り逃がしたかもと冷や汗をかくが、
「ああ、それなら」

剣心が指差した先を見ると、そこには鮮やかに胴を打たれ膝から崩れ落ちる犯人の姿。
ひゅっと竹刀を振って構えなおしているのは弥彦だ。

「弥彦!?」
「ん・・・?お前、薫か!?何遊んでるんだよ」
「遊んでない!あんたこそ今まで何してたのよっ」
いつもの口論に発展しそうになったが、そこは剣心に止められた。
その間に弥彦に倒された犯人が、周りの人間に取り押さえられる。
数人から押さえつけられても、まだ暴れているのは若い男。
当然薫は見たことがない。
だが剣心にとってはよく知る顔だった。



     やはりお主でござったか」
康夫、と呼びかけると血走った目が剣心を睨んだ。






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