自分でもむきになっているな、と自覚している。
だが間違ったことを言っているつもりはない。

どうして分かってくれないのか、と剣心は目の前で柳眉を吊り上げている少女に気付かれないようにそっとため息を吐き出した。




















「剣心」な私、「薫」な俺   【前編】




神谷家の縁側から何やら言い合っている声が聞こえてくる。
その声に驚いて庭に寝そべっていた野良猫がびくっと身を震わせて素早く身を隠した。
「薫殿、待つでござるよ!」
「いいから剣心は家にいてちょうだい!」



小走りにしている軽やかな足音の後に、やや大幅に歩いているような足音が追いかける。
猫の昼寝を中断させたことに声を張り上げた主達は気付かぬまま。



薫は追いつかれまいと足早にしているのだが、やがて剣心が追いつき彼女の肩を掴んだ。
「さっきから言ってるでしょ、送り迎えはいらないって!」
肩に置かれた手を振り払うようにして身を捩(よじ)る。
だが剣心も引き下がらない。
「先日もそう言って、怪我をして帰ってきたのはどこの御仁でござるか?」

一歩踏み出そうとした薫の足が止まった。
ここぞとばかりに剣心が畳み掛ける。

「確か、引ったくりを捕らえようとして追いかけたのでござったな?相手が匕首(あいくち)を持っていることに気付かず」
「そりゃ、ただの引ったくりだと思い込んで匕首を持っているとは思わなかったことは認めるわよ。でもちゃんとよけたからいいじゃない」










「ちゃんとよけたならそのような傷が付くはずもなかろう」










ぶすっとして黙りこくった薫の下顎には小さな切り傷。
ともすれば見逃してしまうほどの小さなもので、薫自身も気付いていなかった。

驚いたのは剣心だ。

何とかごまかそうとする薫をぴしゃりと制し、事情を聞きだしたのだ。



その日も剣心は送り迎えすることを申し出ていたのだが、薫が頑として拒んだ経緯がある。
だから今日という今日は、剣心も一歩も引こうとはしなかった。
「誰が何と言おうと、これからは出稽古先までお供するでござるよ。終わる頃にまた迎えに行くゆえ」
薫の表情に不満の色がありありと浮かぶ。
素直に聞き入れる姿勢を見せない彼女に、今まで言いたくても言えなかった台詞が胸のうちからこみ上げた。
「薫殿は考えなしで動きすぎる。もっとよく考えて行動してもらえば拙者とてこのようなことは言わぬよ」



きっぱり言い放ってから厳しすぎたか、とも思った。
しかし。

どうせいつかは言わねばならぬこと。

そう自分に言い聞かせ、薫の反応を窺った。



思ったとおり、唇を噛み締めている薫がそこにいた。
こちらを鋭く射抜く眼光が、彼女の激しい怒りを物語っている。
「・・・・・あっそう。剣心から見ればまだまだ私は考えが浅くて未熟者ってことよね?要するに危なっかしくて見ていられないんでしょ!?」
完全に臍を曲げられた。
「普通に出稽古に行くだけでいつも送り迎えしてもらっているところを他の道場の人が見たら何て思う?それこそ、活心流は道場主が女だから一人で出歩くことすら出来ないなんて吹聴されるのが関の山だわ!」
ぎ、と剣心を睨みつけ、剣心の返答を待たずに身を翻(ひるがえ)した。

だが勢いを付けすぎたのか。
少し体がよろめき、その拍子に足を踏み外した。

「あ・・・・」
薫の体がぐらりと傾(かし)いだが、当の本人はどうすることも出来ずただ重力に従って落下していく。
尾を引くような少女の腕を力強い男のそれが掴んで己の腕に引き込むが、彼もまた共に落ちていった。
薫をかばうようにして抱え込み、反動を利用して自分が下になると、落下の衝撃に備えた。










       薫が体を強張らせたのと、背中が叩きつけられる痛みを剣心が感じたのはほぼ同時。










「いったぁ〜ッ!!」
「薫殿、どこか痛めたのでござるか!?」
「と、とにかくどいてちょうだい!これじゃ身動きが取れないわ」
「ああ、すまぬ・・・」
と。
ここまでのやり取りで違和感を感じた二人は、お互いの顔を見やる。
目の前には目を丸くしてこちらを見ている自分の姿があった。



「「え・・・「私が」「拙者が」二人・・・?」」



お互い顔を見合わせている状態なのでそう考えてしまうのも無理はない。
そのまま固まっていたが、剣心がそっと手を伸ばし、薫の頬を思いっきり引っ張った!

「いたたたたたたた!薫殿、痛いでござるよッ」

あまりの痛さに「薫」が悲鳴を上げた。
「ま、まさか剣心!?」
「剣心」が驚愕したように叫ぶと声が裏返った。










そう。
なぜかは分からないが、剣心と薫は中身だけ入れ替わってしまったのだ。










「なんで?どうしてこんなことになってるの!?」
頬に両手を当て、おろおろしている薫の姿はまさしく「剣心」。
低い声で女言葉を使う己の姿に口元をひくつかせながら「薫」の姿をした剣心は今の状況になってしまった原因を考えてみる。
「つい先ほどまでは何も問題はなかった・・・となると、やはり二人して落ちた衝撃でこのようなことになったのでは?」
「冷静に分析している場合じゃないわよ!どうすればいいのよ〜ッ」
「か、薫殿・・・できれば拙者の姿でその言葉遣いはちょっと・・・」
「そういう剣心こそ、私の格好で『ござる』口調はやめてよね!」
「あ、左様でござるな、今の拙者は薫殿ゆえ・・・」
「だーかーら!それがダメなんだってばッ」
「薫殿も口調が直っていないでござるよ」



「・・・・・・」
「・・・・・・」



しばし見詰め合っていたが、やがてどちらからともなく深いため息を吐き出した。
「二人だけの時にはまあ仕方ないとして、問題は誰かが来たり、出かけたりしたときよね」
いつもの癖で人差し指を頬に添えて首を傾げる薫。
「やはり元に戻るまで家でおとなしくしていたほうがいいのではござらんか?」
こちらは困りきった顔をして腕組をしている。

体が入れ替わっていると見慣れたはずの仕草もここまで不気味に映るものなのか。

「元に戻るっていつの話よ?」
「や、それは・・・」
「それに、ずっと家にいるなんて無理よ。これから出稽古の予定があるのに〜ッ」
赤毛頭を抱える薫に、困ったでござるなぁ、とさほど慌てた様子を見せない剣心。
「ちょっと、何でそんなに落ち着いていられるのよッ」
「いやいや、十分戸惑っているでござるよ。ただ、慌てたところで解決方法が見つかるわけではござらんし」










うー、と唸って唇を尖らせる己の顔を見るに耐えられないのか、剣心は視線を外した。
そんな剣心の態度に更に文句をつけようかと薫の口が開いたが、何か思いついたのか、じっと彼の今の姿を注視している。
「薫殿?」
何も言ってこない薫を不思議に思いつつ呼びかけても、彼女は剣心を舐めまわすように観察している。










「そうよね・・・剣心なら剣術に関して文句のつけようがないし、言葉遣いだけ何とかしてもらえば・・・」
ぶつぶつと口の中でつぶやき、きょとんとしている剣心の腕を掴んで無理矢理立たせた。
「おろ!?」
いきなりのことで剣心の体がよろめいたが薫は気にせず彼の腕を掴んだまま縁側に上がった。
そして連れ立って向かった先は薫の部屋。
中に入ると障子をぴしゃりと閉め、訳が分からず困惑している剣心に向かって簡潔に一言。



「剣心、着物脱いで」



がた、と剣心が後ずさった。
「ぬぬぬぬぬぬぬ脱ぐって!?」
しっかりと襟元を握り締める姿は誰がどう見ても女そのものだ。
中にいるのは剣心だと分かっていても気色悪そうに剣心を見つつ、
「・・・何変なこと考えてるのよ・・・あのね、私は着物を脱いで道着に着替えろって言ってんの!」
「そうでござったか、道着に・・・って何ゆえ胴着?」
何故道着に着替える必要があるのか       剣心の瞳が問いかけていた。

「何でって、出稽古に出かけるのに着物姿じゃ行けないでしょ?」
「なるほど、出稽古に・・・って拙者が行くのでござるか!?」

さも当たり前のように言われ素直に頷くところだったが、目を剥いて反論した。
「無理でござるよ!拙者に薫殿の代わりなど勤まるはずがないッ」
とんでもないと言わんばかりに手を振るが、すっかり自分の考えに納得している薫が聞き入れるはずもなく。
「大丈夫よ、今の剣心は私なんだから!それに私の太刀筋はいつも見ているんだからその通りにできるでしょ?」
「だからと言って・・・・」
その先を言おうとする前に薫に遮られた。
「先方の道場とは前々から伺う約束をしていたのよ?それを今になって行けません、なんて言えないじゃない。大体、どうやって断れって言うのよ?」



確かに今の状況を話したところで誰も信じてはくれないだろう。



「こんな状況だけど一旦引き受けた以上、出稽古には行かなくっちゃ!」
薫の正論に太刀打ちできる言葉は思い浮かばず、そうこうしている間に彼女の手が着物の帯に伸びる。
「ほら、早く支度しないと間に合わないでしょ」

帯締めを解こうとした薫の手がはたと止まった。

「薫殿?」
考え直してくれたのか、と淡い期待を抱いたがどうやらそうではないらしい。
「剣心、ちょっと」
言うが早いか手ぬぐいで目隠しをさせられた。
「絶対に外しちゃダメよ!」
着物を脱がせたらどんな状態になるか       それを剣心に見せないために目隠しをしたのだろう。










なるほど、そういうことなら素直に薫の言うことを聞いて一人で着替えていればよかったかもしれない、と不埒(ふらち)な考えが浮かび、

「・・・・惜しかったな」
つい本音が零れた。

「な に か 言 っ た ?」

怒りを滲ませた低い声音が耳に届く。
普段の女声より更に怖い。










「な、何でもないでござるッ」
冷ややかな視線を感じたが、それは気付かぬ振りをした。
薫も時間が迫ってきていることを思い出したのだろう。
「じっとしていてね」
手早く着物を脱がせて道着に着替えさせる。



その間、衣擦れの音がやけに耳に響いたりして落ち着かなかったが、晒(さらし)をきつく巻かれたときにはさすがに息が詰まり「ぐえっ」と男らしい悲鳴を上げて薫に注意された。



「いいこと?一歩外に出たら剣心は『私』なんだからね。男言葉は使っちゃダメよ?」
着替えが済むと目隠しは外され、髪の毛を結い直された。
「言葉遣いはなるべく喋らねば問題ないと思うが・・・・しかし稽古の時に何も喋らないというのもまずいのでは?指導する都合もあるし」
「最初に風邪気味ですって言っておけばいいんじゃない?あ、でもこの前お邪魔したときやけに熱心な門下生がいて、指摘された所は次回直しておくから私に見てもらいたいって言われていたんだっけ」
「ほう?それはまた稽古熱心でござるな」
興味を惹かれて振り向こうとしたが、それは薫に止められまた元の位置まで戻された。

「まあ熱心って言えばそうなんだけど・・・でも教えたことは本当に基礎的なことよ?私が見なくても簡単に直せそうなことだったし」
「・・・・・ほう?」

薫の言葉にしばし思案していたが、
「あい分かった。そういった話があったのなら、拙者が注意して見ておこう。して、その者の名前は?」
「そうしてもらえると助かるわ。でも十人くらいいるのよ?大丈夫?」
「何、名前だけ教えてもらえば十分でござるよ」
にっこり笑う剣心の目が笑っていないことに薫は気付かなかった・・・・・















結局名前を全部教える時間まで残されていないため、薫も出稽古先まで同行することになり、道中で出稽古先の道場を剣心に教えた・・・・・もちろん、誰にも気付かれないくらい小さな声で。
「今言った人達は道着に名札が付いているからすぐ分かると思うんだけど。あと、他に何かあったかしら・・・」
「今の拙者の姿は薫殿ゆえ、何かあってもいつもと少し違うくらいに思う程度でござろう」
「うーん、そうなんだけど・・・・・ねぇ、本当に大丈夫?私も一緒にいたほうがよくない?」
家にいたときとは一転、今度は薫の方が不安そうにしている。
そんな薫に苦笑しつつ「大丈夫でござるよ」と何度も繰り返す。



件の門下生というのはおそらく薫を慕っている者達だろう。
稽古中に薫と近付くきっかけを作り、あわよくばそこから関係を深めたいという下心が見え見えだ。



今日は薫の姿をした剣心が徹底的に『稽古』をつける予定だが、そんなところに彼女にいてもらっては何かと面倒だ。
「薫殿は何一つ心配せずともよい。それより・・・・・」
言いにくそうにしている剣心に更に顔を近づけると、薫にだけ聞こえるように小声で囁いた。
「もう少し離れて歩いたほうがいいのではござらんか?あまり近付いていると周りの興味を惹く」
剣心の言葉にきょとんとしていたが、同じ表情のまま言葉を返した。

「そのほうが不自然じゃない?だって剣心、いつも私の隣にいるじゃない」
「おろ、そうでござったか?」
「そうよ?一回私が同じこと言ったら少し離れたけど、いつの間にか隣に戻ってきてるし」
「しかし、これではどうも・・・・」

ここまで言って口をつぐんだ。
中途半端な状態で終わらせた剣心に薫の瞳が向けられるが、気付かぬ振りをして前を向いていた。
じっと隣にいられると何やら落ち着かない、などとは言えない。










これでは薫殿もさぞかし息が詰まるであろうな。



彼の心の内など知らぬ薫も、こっそりと剣心の姿を盗み見て一人考えにふけっていた。



こうして見ると防具袋とか重そう・・・
剣心が私のことを頼りなく思うのも分かるわね。



お互いの身になって初めて相手の考えが分かる。
出稽古先まで気まずそうに身を縮めている剣心と、何度か防具袋を持とうと申し出る薫の姿があった。
町の人々はそんな剣心と薫をいつものこと、と微笑ましく見守っていた。
二人の体が入れ替わっていることなど夢にも思っていないだろう。










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