「剣心」な私、「薫」な俺   【後編】



「じゃあ、お稲荷さんのところで待っているから・・・頑張ってね、剣心」

出稽古先の手前で二人は別れた。
剣心が門をくぐるまでやはり自分もいたほうがいいんじゃないかと言ったのだが、
「いつもは来ない『赤毛の剣客』がいたらそのほうが不自然でござろう?それに皆も集中できぬであろうし」
と言いくるめられて渋々ながら納得したのだ。
彼の真の目的に気付くはずもなく。



この日、薫に稽古をつけてもらったある門下生は語る。



己に向けられた笑顔は胸をときめかせるものではなく、胸に刃を突き立てられたような笑みであったと。
薫が来る日を心待ちにしていた彼と彼の仲間数人は、肉体的にも精神的にも指導と呼ぶには厳しすぎるほどの稽古を受けたらしい。
それから一週間、門下生達は氷のような笑みを浮かべた薫に完膚(かんぷ)なきまでに叩きのめされる悪夢にうなされていた・・・・となるのが剣心の筋書きだったのだが、彼もまた世の中そんなに甘くないことを嫌というほど思い知るのだった。















出稽古先の道場でそんな惨劇が繰り広げられようとは露知らず、薫は稲荷神社の鳥居をくぐった。
「まだ終わらないわよね・・・」
ふぅ、とため息と共に吐き出した。
一人になって「折角男の姿になったんだから」と普段出来ないことでもやってやろうと思ったが、いざとなるとなにをすればいいのかよく分からない。
時間が違っていれば酒場で一人飲むこともできるし、思い切って賭場(とば)に行ってみることも出来る。
しかし、仮にそういった時間帯であっても実際には出来なかっただろう。



体は男でも心は女なのだ。



逆に女であれば小物屋や甘味処に入って時間を潰す所だが、男の身では入りづらいものがある。
剣心から流浪時代にはよく川べりで昼寝をした、という話を聞いて薫も同じように寝転がって一眠りしようとしたが、何だか周りの目が気になって落ち着かない。
うとうとし始めたと思ったら誰かが近付く気配がするとはっと目が覚めてしまう。
これでは寝られない、と起き上がっても、あてもなく町をぶらついて誰かに声をかけられても困る。
結局何もしないまま、時間より早く待ち合わせ場所に着いてしまったというわけだ。



「あ、お参りしないと」
手を清めるために手水舎(ちょうずしゃ)に向かった。
柄杓で水を汲み手と口を清めた後、ふと水面に映るかの人の姿に気付いた。



「けん     
思わず振り向きかけたが、何のことはない、今の自分の姿が水面に映っただけだ。
ちょっと低めの声はいつも聞きなれているはずなのに、自分の口から出ると驚いて両手で塞いだ。
数秒経ってからそっと手を外し、改めて水面を見る。










「剣心」になった「薫」がそこにいた。










戸惑っている表情はともかく、彼の赤い髪もやさしげな面差しもそのまま水面に映っている。

そして左頬の十字傷も。

吸い寄せられるように指が伸びる       寸前で指を止めたのは僅かな物音が耳に届いたからだ。
手水舎から離れ、音のするほうに向かうと十段くらいある石段を防具袋を担いだ剣心が登ってくるところであった。
「遅れてすまない」
剣心もまた薫に気付き、にこりと笑みを返す。
「ううん、私が早く来ちゃっただけだから    で、稽古はどうだった?」
石段を上がりきるのを待って、一番聞きたかったことをぶつけた。
薫としては自分が出るはずだった稽古の様子を聞きたかったのだが、彼の方は違う意味で取ったらしい。



「何というか・・・・些(いささ)か疲れた・・・」
「は?」



剣心の心情をそのまま表したような口調で答えられ、意味が分からず首を傾げる。










稽古自体は順調に     もちろん、当初の目的も実行したが     終わった。
圧倒的な力の差を見せ付け、これで少しは薫に近付く輩は減るだろうと確信した剣心の予測は大きく裏切られ、稽古が終わる頃には門下生に囲まれてしまっていた。

「薫さん、今度もこの調子でお願いしますッ」
「是非厳しい稽古を!」

言っていることも熱いが、その瞳も熱病に浮かされたように潤んでいる。
目の色を変えた門下生(男ばかり)に囲まれ、中には「もっと僕を痛めつけて〜っ」と鼻息を荒くする者まで現れ、流石の剣心も背筋に悪寒が走った。










読みの速さを武器とする飛天御剣流も「恋煩(わずら)い」の前には何の役にも立たなかったらしい。
一言漏らしただけであとは何を見ているのか分からないような剣心を見て、薫は「滅多にしないことをしたから気疲れしたのだ」と考え、それ以上聞かず明るく言った。
「じゃあ帰りましょうか?・・・・あ、防具袋は私が持つからいいわよ」
地面に下ろした防具袋を再び担ごうとした剣心を制して、薫の手が伸びる。
「いやいや、大丈夫でござるよ」
「遠慮しなくてもいいのよ?今の私の方が力があるし」
特に意味はないのだが、この薫の言葉に剣心の片眉が上がった。
「・・・・薫殿がいつも担いでいるものでござろう?ならば、拙者に持てぬことはござらん」



低くなった声音は明らかに不機嫌さを含んでいた。
それを認めて今度は薫が怪訝な顔をする。



「いつも持ってくれているから、今日は代わりに私が持とうかと思っただけなんだけど・・・」
「結構でござる!確かに今の拙者は薫殿でござるが、だからと言って女扱いはせんでもらいたい」
きっぱりと拒絶し、薫と目を合わさぬまま腰をかがめる。
そんな剣心の態度にかちんときて、

「何むきになっているのよ!女扱いしないでもらいたいって、それはいつも私が言っていることじゃない!」
「そりゃ、薫殿は正真正銘の女でござるから拙者とて本当のことを言ったまででござるよ」
「ちょっと待ってよ。じゃあ何?剣心は私のことをひ弱で何もできない女だと思っていたわけ!?」

声を高くすると裏返ってしまったが、頭に血が上っている二人は気付かない。
剣心もまた、薫の視線をいつもよりやや上の位置で受け止め、更に言い放った。
「拙者はただ女であることを自覚してもう少し考えて行動してもらいたいと思っているだけでござる!」
「同じことじゃない!何よ、今は女の姿で自分の好きなように出来ないからって八つ当たりしなくてもいいじゃないッ」
「八つ当たりではござらん!!とにかく、これは拙者が持つゆえ、薫殿の手は借りぬよ」
怒涛の口論を無理矢理終わらせ、剣心は薫が動く前に防具袋を手にした。

平静な状態であれば女の身であることを考え、力の加減をして担ぐ所だが、今はすっかり失念してしまっていた。

結果、いつも味噌樽を担ぐ要領で持ち上げ、かかってしまった余計な負担に耐え切れずに体の均衡を崩した。
何とか体勢を立て直そうと一歩足を踏み出した       まではよかったがいる場所が悪かった。
今二人がいるのは石段の一番上で、剣心は何もない空間に足を踏み出したから当然、体は石段を転げ落ちることとなる。










「おろろろろろろろッ?!!?!」
「危ない!!!」
二人の声が重なり、体も同じように仲良く転がっていく。
転がるたびに痛みが襲い掛かるが、そんなことにかまっていられない。

今二人の頭の中にあるのは、相手が怪我をせぬよう、全身全霊で守ることだけだ。










段が終わっても加速が付いた体はしばらく転がっていたが、剣心の体が下になったところでやっと止まった。
「・・・薫殿、怪我は?」
「私は大丈夫。剣心は?」
「拙者も特に怪我は・・・・ツ!」
「あ、だめよ急に動いたら!待って、今どくから・・・・」
体をずらしたところで薫は言葉を切った。
「薫殿?」
動きを止めた薫を見ると、彼女は黒瞳をぱちぱちと瞬き、ゆっくりと手を振り上げた。
何とはなしに彼女の手の動きを見ていたが、それがいきなり自分に向かって振り下ろされた!



ぱぁんッ!!!



小気味よい音と共に頬にひりついた痛みを感じ、思わず手で押さえる。
「い、いきなり何をするのでござるか!?」
あまりの痛さに視界が滲む。
当の本人はといえば、謝罪の言葉など一言もなく、申し訳なさそうな顔すら見せない。
先ほどと同じ表情のまま薫の唇が動いた。
「剣心・・・・元に戻ってる」
「え?」
頬をさすっていた手を離し、己の姿を再確認すると、確かに自分の体に戻っている。



「そういう薫殿も薫殿でござるよ」
「ホント、よかったわね!あのままだったらどうしようかと思ったわ」
別の人間が聞いたら意味が分からないだろうが、この二人にはしっかり通じる言葉であった。



「でも、何で戻ったのかしら?」
頬に指を当てる仕草は薫だからこそ可愛げがあるのだ。
ほわりと自然に笑みがこぼれ、それを隠すようにして言葉を次いだ。
「最初に入れ替わったときは縁側から落ちたせいでござったな?おそらく、二人同時に何らかの衝撃を受けると入れ替わってしまうのでは」
剣心の説明に納得したように頷く。
薫にも分かってもらった所で、剣心は着物に付いた泥を払いながら立ち上がった。



     さて、これで一件落着でござるな」



思い出すのが嫌なくらい散々な一日だったが、それでもこうやって元に戻った。
これで言葉遣いに気をつけたり、女らしく振舞わなくて済む     安堵したのは一瞬だった。










「いいえ、まだ終わってないわ!」
「おろ!?」










ぐい、と胸倉をつかむ薫を見やれば、彼女の険しい瞳と出会った。
「さっき言ったこと、撤回してちょうだい!私のこと、ひ弱なくせに無鉄砲で危なっかしいって言っていたでしょ!?」
そこまで言ってないが、薫は剣心に言われたことを根に持っていることは分かった。
また振り出しに戻るのか、と些かげんなりしながら、剣心は静かにこう言った。
「気を悪くさせたのは謝るが、先ほどの言葉を撤回する気は毛頭ござらん」
「まだそういうこと言うの!?」
薫の叫びは怒りと呆れがない交ぜになっている。

「体が入れ替わって私の気持ちが分かったと思ったのに・・・」
「それを言ったら薫殿とて同じでござろう?」

遠まわしに先ほど、見かねた薫が防具袋を持とうとしたことを言っているのだろう。
剣心の言わんとすることを嫌でも感じ取り、薫が詰まった。
だが、反抗的な瞳はそのまま剣心に向けられている。
それを正面から受け止めると、やれやれ、とでも言いたげに息を吐き出した。



「薫殿のしたことが間違っているとは思わぬよ?剣術家としても、一人の人間としても誰かを助けようとするのは悪いことではござらん。それこそ、見て見ぬ振りをする輩(やから)にも見習わせたいくらいでござる」
「・・・・・・・別に褒めてもらいたい訳じゃないもん・・・・」



ぽつんと小さく紡がれた言葉は、うつむいたせいもあってよく聞き取れない。
問い返すことをせず、剣心は続けた。

「薫殿の強さはもちろん分かってはいるが、だからと言っていつもうまくいくとは限らない。拙者としてはほんの少しでも危ないと分かっていることには関わってもらいたくないのでござるよ」










はっとして薫は顔を上げた。
剣心は少し困ったように眉尻を下げながらも穏やかな笑みを浮かべている。










彼の言葉と微笑みを真正面から受け止められず、一瞬だけ視線を外した。
だが、すぐ意を決したように剣心と向き合い、目を逸らさぬまま強く言い切った。



「でもやっぱり嫌!私は、守られる存在じゃなくて、剣心と一緒に戦いたいのッ」



自分の気持ちをぶつけてきた薫に対して剣心は呆気に取られたように見つめ返している。
「薫殿・・・」
「だって、人一人助けられないようじゃ私の力なんて高が知れているわ」
「いや、そんなことは」
「あるの!」
間髪入れずに否定された。

じっと強い瞳で見返してくる薫に呆気に取られたが、やがて剣心の唇がやわらかな曲線を描く。

「今のままで十分心強い。むしろ、このままでいてほしい」
剣心は苦笑しながら、まっすぐこちらを見ている薫を両の腕(かいな)で包み込んだ。
彼女の肩に触れると、驚いたようにその身が強張ったが、構わず本音を零す。










「これ以上鍛えられると筋肉が付いて抱き心地が悪くなるゆえ」










内容と比例してあっさりとした口調に一瞬あんぐりと口を開けたが、
「もう、剣心の助平!」
怒るというより照れている感じだ。



身を捩っても剣心の腕はやさしく、されどしっかりと薫に巻きついており、逃れるのは難しそうだ。
顔が見えずとも己の中で慌てふためく彼女に、剣心の頬が更に緩んだことは本人すら自覚していなかった。










【終】

前編    感謝処



六万打キリ番ゲッターはももって様!
ももって様・・・彼女のお名前を聞いたことのある方もきっといらっしゃるはず!
そう、フィールドノートの管理人様であらせられたアノももって様ございます♪
σ(^^)も毎日通わせていただきました。
現在は残念ながら閉鎖されてしまいましたが、今でもケンカオ熱は健在!
宿にもおいでください、いつもご贔屓にしていただいております♪

「ある日突然剣心と薫の体が入れ替わってしまう」

いわゆるチェンジ話をリクエストしていただきました。
今までにも同じチェンジネタを展示されたサイト様の作品は拝見したことがあるんですが、書くのは初めて。
「ギャグ路線で行こう!」と思いつつ、「いやいや、そうするとどう終わらせたらいいんだ!?」と頭を抱え、出来上がった代物は「結局何が言いたかったんだい?」というような内容に・・・
や、男と女じゃ体はもちろん、視点や考え方も違うんだよ、ということを言いたかったんですが←と、さりげなく補足

ももって様、六万打申告&リクエストいただき、ありがとうございました!



さて、このお話。
宿でご覧頂くものとしてはこれでおしまいとなりますが、実はオマケがあったりします。
某お方とのリレー小説になっていましてMASKにて展示させていただいております(つまりそういう内容なんです;)
チェンジ騒動が終わった夜の話となっていますが、読まなくても特に問題ない内容です。
興味のある方のみ、どうぞご来店くださいませ・・・