ごちそうさま
くすぐったい。
薫が覚醒するきっかけとなったのは、己の頬にかかる髪の毛。
いつもなら邪魔にならぬようにみつあみにしているのに、何かの拍子にほどけてしまったのだろうか。
しかし、それをはらってもまだ違和感がある。
お布団、こんなに硬かったかしら?
温かいが、自分の下にあるべきそれは、なんだか硬いのだ。
しかも、呼吸をしているかのように上下しているのが分かる。
薫はその正体を探ろうと、目を瞑ったまま指を滑らせてみた。
「ン・・・」
頭の上からくぐもった声が聞こえる。
その声を聞いた瞬間、薫の意識は完全に覚醒した。
ぱちりと目を開けると、自分の下で一人の男が安らかな寝息を立てている。
そうだった、私、剣心と・・・・
その証拠に、体の節々が痛い。
薫は昨夜の出来事を思い出し、頬が熱くなるのを感じた。
昨夜、剣心と薫は初めて肌を重ねた。
最初は壊れ物でも扱うかのように薫に触れていたが、やがてそれは情熱的なものに変わり、剣心は今まで内に秘めていた想いを全てぶつけるかのごとく、何度も薫を貫いた。
初めて異性と交わった薫は、破瓜の痛みに顔をしかめながらも、剣心と一つになったことに幸せを感じていた。
最終的には意識がぼんやりとして記憶が定かではないが、
「おやすみ、薫殿」
と耳元で剣心が甘く囁き、額に彼の唇が触れたことを覚えている。
昨夜の記憶と今の状況を照らし合わせると、どうやら薫は剣心の胸に自分の頭を預けて寝入ってしまったようだった。
剣心は薫を起こさぬよう、そのままの姿勢でいてくれたのか。
自分のほうが寝にくいだろうに。
そう考えて申し訳ない気持ちで上体を起こすと、薫は信じられないものを見た。
剣心・・・熟睡してる?
薫の知っている剣心は決して深く寝入るような人ではなかった。
神谷道場で寝食を共にするようになっても、周りの気配に敏感で少しの物音にすぐ起きてしまう。
もともと眠りは浅いのだ、と本人に聞いたことがあったが、それでもここでは十分な睡眠をとってほしいと常日頃願っていたことだった。
その剣心が。
今まで熟睡しているところなど見せたことのない剣心が。
薫の目の前で、深く寝入っている。
しかも、童(わらべ)のように安心しきった表情すら浮かべて。
こんな寝顔を願っていたのは確かに薫自身なのだが、いざその場面になってみると喜ぶというより驚きのほうが先に立つ。
しばらく珍しいものでも見るかのように剣心の寝顔に見入っていたが、笑みを浮かべ、冷えぬように布団を掛けてやると、薫は自分の寝巻きを羽織って静かに部屋から滑り出た。
とんとんとん・・・・
何かを刻む音が聞こえ、その音がいまだ夢の中にいた剣心の意識を現実に引き戻した。
剣心の左手が、何かを探すように宙に彷徨(さまよ)う。
やがて、そこには自分以外誰もいないという事実に行き当たると、剣心はがばりと起き上がって辺りを見回した。
「薫殿?」
己の中にあった温もりが無くなっていることに今まで全然気付かなかった。
それだけ、深く寝入っていたということだろうか。
自分の眠りが浅いのは、戦いの中に身を置いていたためであり、そのため自分は熟睡できない体質なのだ、と思い込んでいた。
しかし、薫が去った気配にも気付かずにいたことを考えると、自分が熟睡していたこと以外考えられない。
「まいった・・・・」
くしゃりと前髪を掴み、そのまま脱力したようにばたりと倒れこんだが、味噌汁の香ばしい匂いが剣心の鼻に届くと、慣れた手つきで身支度を整え、自分も部屋を出た。
剣心が台所に入ると、薫が鍋の中身をかき混ぜているところであった。
背中を向けているため剣心に気付かない薫に、どう声をかけようか、と思案していると、ふと薫が何かを取り出すために腰をかがめた。
「あ、痛・・・・」
見ると、薫が手で腰を叩いている。
ふーっと軽く息を吐き出して、またしゃがもうとする薫の横から剣心は手を伸ばした。
そして、今彼女が持ち上げようとした甕(かめ)を奪い、台の上に置く。
いきなり現われた剣心に、薫は呆気にとられていたが、剣心は彼女に向き合い、いつもの笑顔を見せた。
「おはよう、薫殿」
「お、おはよ・・・・」
言葉を交わすことは出来たが、薫はぷいと顔を背けてしまった。
「おろ、薫殿?」
「ご、ごめん!ちょっとその・・・・恥ずかしくて・・・・・」
両手を頬に当て、薫は何度か呼吸を繰り返している。
初々しい反応を見せる薫に思わず顔がにやける。
だが、先ほど薫が腰を叩いていたことを思い出し、すぐにそれを引っ込めた。
そして、剣心は遠慮がちに聞いた。
「薫殿・・・・体のほうは大丈夫でござるか?」
腰の具合は、と直接聞くのが憚(はばか)られ、剣心が言葉を選んで口にすると、その意味を察した薫の肩がびくりと揺れた。
しかし、薫からの答えは返ってこない。
おそらく、昨夜のことを思い出しているのだろう。
無理もない。
薫にとっては、何もかも初めてのことだったのだ。
剣心は更に言葉を続けた。
「昨夜のこと・・・・すまなかった。拙者、加減することも忘れ、薫殿に辛い思いを」
暗闇に浮かび上がる薫の裸身は美しかった。
初めての行為にその身を強張らせていた薫も、剣心のやさしい愛撫により、少しずつ、少しずつ彼を受け入れていった。
たおやかで優艶な姿はそのままに、潤んだ瞳で求めるかのように彼を探す。
そんな薫に剣心も己の欲望を抑えることが出来ず、初めてだと分かっていながら、荒々しく薫を抱いた。
さぞかし痛かったろうに。
今思い出しても自己嫌悪に陥る。
男の欲望に貫かれた時、薫は唇を真一文字に引き結び、苦痛の声を剣心に聞かせまいとしていたのだ。
目の前にいる少女は、こんなにも小さく、こんなにもか細いのに、よくもまあ、あんな酷いことができたものだ、と剣心は心の中で己を罵った。
いっそ柱に頭を打ちつけてしまいたい、という衝動に駆られていると、薫がゆっくりと振り向き、剣心と向き合う。
「別に、辛くなかったから・・・・」
ぽつりとつぶやくように言った薫の言葉に、己の耳を疑った。
「あ、相手が剣心だから・・・・・嬉しかったし」
剣心としては何と言葉を返してよいか思い浮かばず、薫も剣心の視線から逃れるようにうつむき、それきり二人とも口をつぐんだ
のしかかる沈黙に耐え切れなくなり、剣心は努めて明るい声を出した。
「朝餉の支度なら拙者が引き受けるゆえ、薫殿はゆっくりしているといい」
そう言って、まな板の上に置かれた野菜を切ろうと手を伸ばすと、薫が声を上げた。
「駄目よ!今朝は私が作るの!」
「おろ、しかし・・・・」
気遣うように薫を見ると、違う意味で解釈したのか、ぷうと膨れた。
「何よ、そりゃ剣心のようにうまく作れないけど・・・・でも、私が作りたいの!」
あまりに熱心に食い下がる薫に目を丸くしていると、彼女は恥らうように睫毛を伏せた。
「は、初めての朝は・・・・私がご飯作るって決めていたから・・・・」
そう言って、もじもじと手を組み合わせた。
「剣心のほうが料理が上手だっていうのは分かってる。でも、好きな人のためにご飯作ってあげるのが私の夢だったの」
好きな人、という言葉に嬉しい眩暈(めまい)を覚えてくらりとしたが、薫は気付かない。
「いつも剣心に作ってもらっているでしょ?ならせめて、初めての朝は私が作ろうと思って」
かあっと赤面したのは薫だけではない。
剣心もまた、自分の血液が上昇するのを感じていた。
まずい・・・・・
嬉しくて、口元が緩むのを抑えられない。
いや、このまま薫のそばにいたらこの場で彼女を抱いてしまいそうだ。
現に、自分の中心がどくどくと脈打っているのがはっきりと感じられる。
「そ、それではお言葉に甘えさせていただくでござるよ」
声がやや裏返ってしまったが、なんとか己の衝動を抑え、その場を離れることに成功した。
初めての朝は・・・・・好きな人のためにご飯を・・・・
先ほどの薫の言葉が蘇る。
それを思い出し、剣心はこみ上げる笑いをこらえることが出来ずにいた。
「ふ・・・・・」
時折もれる笑い声が薫に聞こえぬよう、口を手で覆いながら、剣心は居間ではなく、一番奥の部屋に向かった。
そこは来客用の座布団が積まれており、剣心は倒れこむようにしてその上に己の顔を埋めた。
「は・・・・ははははっ・・・」
最小限に声を抑えつつも、剣心は声を立てて笑った。
あまりの嬉しさに、俺はおかしくなってしまったのだろうか?
笑い転げる自分をそんな風に考えていたが、この際どうでもいい。
今はただ、この感情を吐き出すために笑っていたかった。
己の胸に秘めたこの想いを伝えることなど、考えたこともなかった。
まして、その相手と結ばれることになろうとは。
「ははは・・・・・」
幸せで。
幸せすぎて。
笑いが止まらず、涙まで出てくる。
笑いすぎて息が苦しくなった頃、遠くから薫の呼ぶ声が聞こえた。
「けんしーん?ご飯出来たわよ〜っ」
自分の笑い声で危うく聞き逃すところだった。
剣心は笑いを引っ込め、滲んだ涙を乱暴に拭ってから返事を返した。
「今行くでござるよー」
慌てて部屋を出て居間に着くと、既にご飯と味噌汁が盛り付けられている。
いただきます、と箸を取り、薫お手製の料理を頬張った。
ご飯はやや硬く、おひたしは少し味が薄かったが、
「おいしいでござるよ」
と薫に伝えると、ほっとしたように表情を和ませた。
おそらく、自分で作ると言いながらも不安だったのだろう。
剣心の一言を聞いて、よかった、と答えて自身も料理に箸をつけた。
しかし。
「でも・・・・」
発せられた言葉に薫の動きが止まり、首を傾げて剣心を見た。
「何?やっぱり、味付けが良くなかった?」
不安げに剣心の顔を見る薫に、慌てて否定する。
「いや、そうではござらんよ。ただ・・・・」
「ただ?」
ずいっとちゃぶ台に身を乗り出す。
「拙者は、昨夜の薫殿のほうが美味であったと」
それを聞いた瞬間、ぼんっと薫の顔が真っ赤になった。
対して、剣心の表情はいつもと変わらない。
その表情を見て、生来の負けん気が顔を出し、薫は平静を装って、こう答えた。
「・・・・そういう台詞、さらりと言わないでよ・・・」
視線を外しながらも、何とか言い返す薫が可愛らしく、
「おろ?薫殿もさきほど同じようなことを言っていたではござらんか」
と意地悪な視線を向ける。
「そ、そうだったかしら?」
薫はとぼけているが、剣心の追撃は止まらない。
「そうでござるよ。確か、『初めての朝は』」
「きゃあ、言わないでよ!ほら、早く食べないと冷めるわよッ」
もうこの話はおしまい、という風に、薫は黙々と食べ続ける。
再びこみ上げた笑いをごまかすため、剣心も一気にご飯をかっこんだ。
「ご馳走様っと・・・・・剣心、お茶飲むでしょ?」
「ああ、いただくでござるよ」
ちょっと待ってて、と立ち上がろうとする薫に、ふと何かに気付いたように剣心が声をかける。
「薫殿、ここに米の粒が」
「うそ、どこ!?」
米粒をとろうと、反射的に頬に手を伸ばすが、その手を剣心に掴まれた。
あっと声を上げる間もなく、剣心に引き寄せられ、彼女の頬に剣心の唇が触れた。
同時にざらりとした舌の感触がして、剣心の顔が遠ざかっていく。
「・・・・・ご馳走様」
にやりと口角を上げ、薫を見ると、驚きのあまり動きが停止している。
剣心によって米粒を舐めとられたという事実を、薫が飲み込むのに数秒かかった。
はっと我に返った薫は、唇が触れた辺りを自分の手で押さえ、上目遣いで剣心を睨んだ。
「ばか・・・ッ!」
火照り始めた頬を両手で隠しながら、薫は逃げるようにその場から離れた。
その様子に、剣心は満足げにほくそ笑み、視線を外に向ける。
空は青く澄み渡り、雲ひとつない快晴であった。
これならば、洗濯物もすぐ乾きそうだ。
「今日もいい天気でござるなぁ」
剣心の声は風に乗り、青空へと溶けていった。
【終】
小説置場
ご飯粒を舐めとる剣心を書きたいがゆえに生まれた作品。
書いた後にタイトルが全然思いつかなくて、最終的に「もーいいや、いろんな意味で『ごちそうさま』ってことで」と半ば投げやりな感じで決定(笑)
ついでにバカ笑いする剣心も書いちゃいました。
笑い転げる剣心を見て、誰だコイツ、と思われた方もいらっしゃるかと(汗)
心から笑う剣心もいつか書きたいと考えていたんですけど、状況的にこの時がぴったりかな、という理由で一緒に書きました。
あまり見ないからね、剣心のバカ笑い。
「拙者は、昨夜の薫殿のほうが美味であったと」
↑書きながら、「言わねぇ・・・・こんな台詞、言わねぇよーッ( ̄□ ̄;)!! 」と一人のたまっておりました(爆)
恐らく、同意見の方は多数いらっしゃるかと。
書いている時に「女の子って、好きな人が出来ると夢が増えるよなぁ」なんて思い出しましたよ・・・・・(遠い目)
「誕生日に告白されたい」とか、「彼氏と二人っきりで遊園地デート」、あとは「初めてのときは海の見える場所で」・・・・この辺で止めときますかね、何か悲しくなってきた(涙)
そして!
お気づきの方がいらっしゃると思いますが、この話を基に純愛流儀のなお吉様が漫画を描いてくださいました〜!
なお吉様宅で三万打が目前というある日、σ(^^)が運よくニアピン打を踏んだので、めでたく道連れ企画にご一緒させていただくことになったのです←この時、可愛い子羊を捕獲した狼のような心境でしたよ( ̄ー ̄)ニヤリッ
企画の概要はσ(^^)が元ネタ=小説を書いて、それをなお吉様が漫画にしてくださるという、とてつもなくおいしい内容。
一応、なお吉様宅に合わせて甘い感じに仕上げてみました。
一足早く漫画をご覧になった方々、元ネタがこんなんでホントすみません・・・
そして、元ネタを書いた本人ですら身悶えるような素敵な漫画を描いてくださったなお吉様。
本当にありがとうございました!!
※ さらに調子に乗ったσ(^◇^;)は小説の挿絵までお願いしてしまいました・・・加工前の鮮やかなイラストは客室にて展示してあります。