【小話 その1】




お馴染みの顔ぶれのほかに、
警察の人達も一緒に飲もうという話が出て赤べこで宴会することになった。
一応妙さんに料理は頼んであるけど、何だか申し訳なくて少し手伝わせてもらった。
そりゃ、赤べこで出されているような本格的な料理は無理だけどっ
それでも盛り付けとか配膳くらいなら手伝えるじゃない?
始めは本当にそう思っていたのよ。
でも、手伝っている最中にきゅうりとちくわが目に入って。
何かに使った後だと思うけどまだ余っているのよね。

何だかもったいないな、って思っちゃったのよ。

ちょうど酢も砂糖もあったし、作り方は分かっているから簡単に作っちゃった。
そのまま他の料理と一緒に出したけど、誰も私が作ったって気付かなかったみたい。
私だって自分から言うつもりないし、自慢できるほどのものは作ってないけど何だか・・・ねえ?

ま、顔をしかめたり、吐き出されないだけまだマシだと思わなくっちゃね。

そう自分に納得させて私も宴会の席に加わった。
それから一刻くらい過ぎたあたりかしら?
弥彦はいつものごとく飲み過ぎて潰れちゃったけど、
まだ騒ぎ足りない左之助があとを引き受けてくれたから私と剣心は帰ることにした。

手に持った提灯で私の足元を照らしてくれながら剣心が言った。
「そういえば、今日出されていた酢の物は薫殿が作ったのでござろう?」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。
だって私自身、自分の作ったものの事なんて忘れていたんだから。
「何で私が作った物だって分かったの?」
驚きながらも始めに浮かんだ疑問をぶつけると、彼はやわらかい笑みを唇に乗せ、
「薫殿の作ったものならすぐ分かるでござるよ」
剣心は何でもないことのように言ったけど、これって不意打ちよ、卑怯だわ。
夜目のきくあなただから、暗闇でも私の顔が赤くなっていることに気付いているんでしょう?
ほんと、ずるいったら!

でもね。
誰にも褒めてもらえなかったけど、剣心が気付いてくれたからそれだけで充分よ。

悔しいけどこれだけは認めるわ。










【小話 その2】



米を研いでいるつもりなのだが、自分でもかなり力が入っていることは自覚していた。
野菜を切るときもまな板まで切りそうなほど刃を食い込ませているし、
盛り付け用に出した丼も割ってしまいそうな勢いで乱暴に置いた。
普段なら夕餉の支度はのんびり済ませているところなのに、
今日はささくれだった心を落ち着かせることはできなかった。

買い物途中で目にした光景が蘇る。
自分の知らない男と楽しげに笑う薫の姿が脳裏に焼きついて離れない。
それだけならまだいい。

歓談中に、ふ、と男が眉を寄せた。

怪訝そうな顔をしている薫の肩にそっと手を伸ばす。
触れたと思ったらすぐに離れ、何かをつまんだ手を見て二人に笑みが戻った
きっと薫の肩に埃か何かが付いていて、それを男が取っただけなのだろう。
たったそれだけのことなのに、とてつもなく胸糞悪い。

例え下心がなくても薫に触れた男。
そしてそれを何とも思わない薫。

自分以外の男と話をするなとでも言えればどれほど楽か。
だが薫が誰と話をしようが、そんなのは彼女の自由だ。
誰にも触れられたくない、誰にも聞かせたくない、誰にも見せたくない
   結局のところ、自分勝手な醜い感情でしかないのだ。

我ながら情けない。
ため息に自己嫌悪を乗せて吐き出し、配膳しながらはたと気付いた。
手当たり次第野菜を切ったせいで具が溢れそうになっている味噌汁。
力を入れすぎて押しつぶしてしまった米は炊いた後も真っ二つに割れている。
煮物は焦げているし、明らかな失敗作だ。
「・・・・これでは食べられぬな・・・」
むかむかした気持ちのままで作るからこんなことになるのだ。
作り直すか、と並べたばかりの料理を片付け始めていると、

「いい匂いがするからもしかしてと思ったけど・・・
ご飯が出来てたんなら教えてくれればいいのに〜」

言いながら薫は席につく。
「あ、薫殿、これは夕餉ではなく・・・」
「何よ、誰がどう見ても今夜の夕飯でしょ?」
訝しげな目で一瞥されたが、すぐ出された料理に目を輝かせ、箸を手に取った。
「いっただっきま〜す!」
止める間もなく、薫は次々と料理を口に運んでいく。
「ん、おいしい!」
失敗した料理を幸せそうに食べ続けている薫を呆気にとられて眺めていると、
俺の視線に彼女が気付いた。

「何?私の顔に何か付いてる?」
「いや、そうではなく・・・薫殿、何ともないのでござるか?」
「何それ、どういうこと?」

きょとんとして首を傾げる薫に普段と違う様子はない。
それが余計に俺を困惑させた。
「今日の料理でござるが。実は、ちょっと失敗してしまって」
「ふーん?珍しいわね、剣心が失敗するなんて」
答えながらも薫は食べることをやめない。
それは単純に食い意地が張っているからなのか・・・
「そ、そういうわけでござるから少々味が・・・」
「ぜーんぜん!いつもとおんなじ、剣心のご飯はすっごくおいしいわよ!」
薫の顔がこちらに向けられた。

俺の視界に屈託のない、心底幸せそうな微笑が広がった。

この笑顔を見た瞬間、先ほどまでの刺々しい気持ちはどこかに吹き飛んでしまった。
他の誰にも見ることが出来ないこの笑顔を独占できるのは俺だけだと気付いたから。










【小話 その3】



弥彦の様子がおかしい、と感じたのは朝餉の席だった。
朝一番に顔を見たときには少しだるそうにしていたが、
それはまだ起きて間もないからだろう、と思っていた。
実際、薫も起きたばかりのときはぼんやりしていて動きが鈍い。
だから弥彦もきっとまだ完全に目がさめていないだけだろうと結論付けていたのだが、
それが180度覆(くつがえ)されたのは彼がご飯一杯食べきらないうちに箸を置いたとき。

「どうした弥彦。具合でも悪いのでござるか?」
「そういえば顔色悪いわねぇ・・・」

二人して覗き込むと、弥彦は答えるのも億劫そうに、
「別に・・・何でもねえよ」
様子を見る限り、何でもないとは思えない。
薫も同じように感じたのだろう。
「熱でもあるんじゃないの?最近、風邪がはやっているし」
「こんなの風邪のうちにはいらねえよ」
「ってことはやっぱり具合悪いんでしょ?あ、こら、おとなしくしなさい!」
伸ばされた薫の手をうるさそうに振り払うが、すぐ手を捕まれた。
そのまま熱を測るために弥彦の額に触れるのか、と何気なく二人を見ていたのだが、
次の瞬間剣心はぎょっとして目を見開いた。

確かに薫は弥彦の額に触れている。
が、触れているのは彼女の手ではなく、ぷっくりとした唇。

はたから見れば弥彦に接吻しているようにも見える。
それが単に熱を測っているだけだ、と理解したのはそれから数秒後のことだった。
「な、ななな・・・何すんだよッ」
剣心より驚いたのは弥彦だ。
先ほどよりも顔を真っ赤にして反射的に薫から飛びのいている。
「何って・・・熱を測っただけよ?別に驚くことないでしょ?」
薫には弥彦が慌てふためく理由が分からない。
「そんなことより、あんたやっぱり熱があるわよ?今日は一日おとなしく寝てなさい」
「あんなんで分かるもんか!俺が何ともないって言ったら何ともないんだよッ」
羞恥も手伝って声を張り上げる弥彦に、さすがに薫もむっとして言い返した。
「何よ、知らないの?唇って一番体温を感じやすい所なのよ?
嘘だと思うんならもう一度測ってみる?」
そう言って近付こうとすると、
「わ、分かった!今日は寝ているからそれ以上近付くな!!」
本気で嫌がり、弥彦は逃げるように居間を出て行った。
あんなに嫌がることないのに・・・・・などとため息をついていると、
茶碗を持ったまま中途半端に口を開けている剣心に気付いた。

「・・・?どうしたの、剣心」
「え?ああ、いや・・・・」

はっと我に返り、その場を誤魔化すために咳払いを繰り返す。
だが、薫はその咳払いを違う意味で取ったようだ。
「なぁに?剣心も風邪?」
「へ?」
考えもしなかった問いかけに思わず間抜けな声が漏れる。
「熱があるなら剣心も寝ていたほうがいいわね・・・」
薫が膝を進め、剣心に近付く。
ゆっくりと自分に向かって手が伸ばされるのを認め、
剣心はこれから起こるであろう出来事に思わず目を瞑った。

ぺた。

「・・・・おろ?」
唇とは違う感触に再び間抜けな声が出た。
「うーん、熱はないみたいね」
目を開けると、剣心の額に手を当てながら自分の手で額を押さえている薫がいた。
「でも用心するに越したことはないわ。剣心も無理しちゃだめよ?」
にこりと笑いかけられても剣心は呆然としたままで返事を返せずにいた。
その後、誰もいなくなった居間でがっくり項垂れる男の姿があったという・・・・・










【小話 その4】



回復の早い子供だったからなのか、小国医師の処方した薬がよく効いたのか、
はたまた一日ぐっすり寝ていたのがよかったのか。

その日の夜には弥彦の熱も下がり、顔色もよくなってきた。
本人としてはすっかり元気になったような気でいるし、実際ほとんど回復しているのだが、
「明日までおとなしく寝てなさい!これは師範代としての命令よッ」
横暴ともとれる師の命にふくれて剣心に愚痴を零した。
「いつも厳しいくせにこういうときには過保護なんだよなぁ・・・」
差し出されたりんごを頬張りながら同意を求める。

細切れに近いりんごは誰がむいたのか、などということは聞かずとも分かる。

むっつりとしながらも食欲はしっかりあるらしく、
皿に盛られたりんごが次々と弥彦の口の中に消えていく様に剣心は苦笑しつつ、
「いや、薫殿の判断は正しい。弥彦が大丈夫だと思っていても病の元はまだ残っているのでござるよ。
今無理をしたらまた寝込むことになる・・・
薫殿はそうなることを心配してお主に寝ているよう言ったのでござろう」
でもよぉ、と口を尖らせる少年を宥めるように言葉を続けた。
「それに考えようによってはもう少し寝ていたほうがいいかもしれぬよ。
稽古が再開したらそれこそ元気になったことを後悔するほど厳しいものになろうなぁ」
「げっ、薫のヤツがそう言ったのか!?」

先ほどとは一変、うんざりしたような弥彦に、さあどうでござろうな、などと笑いながら剣心は部屋を出た。

誰もいない居間に戻り、剣心は一人茶をすすりながら暇をもてあましていた。
そのうち、静かに歩を進める足音が聞こえ、居間の前で止まった。
「ふう、さっぱりした〜」
入ってきた薫に声をかけようと口を開きかけたが、すぐ顔をそらして激しく咳き込んだ。
彼女が障子を開けたとき、冷気も一緒に入ってきて肺の中に流れ込んだのだ。
いきなり冷たい空気が入ってきたから肺も驚いたのだろう。
「だ、大丈夫!?」
同じように驚いた薫が剣心の傍らに膝をつき、背中をさする。
「すまぬ、何でもござらん」
心配をかけぬよう笑みを返したが、薫の憂いは晴れないようだ。
「剣心、今日は弥彦の看病であの子のそばにいることが多かったでしょ。
ひょっとして風邪がうつったんじゃない?」

そっと薫が手を伸ばす。
朝と同じように熱を測ろうとしているのだ、と分かった。

「そんなことはござらんよ・・・」
薫の手から湯上り独特のほわんとした匂いが立ち上る。
だがその手が目の前を素通りしたのを見て、剣心の頭に疑問符が浮かんだ。
彼女が今朝弥彦にしたことを思い出したのと、己の額に弾力のある何かを感じたのはほぼ同時だった。

そういえば遠い昔、母が同じことをしていたような覚えがある。
面影すら残っていないはずなのに、今鮮明に思い出した。

懐かしさを伴って温かい何かが体中をやさしく包み込むのを剣心は感じていた。









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