【小話 その1】 それはいつもと同じように何気ない会話になるはずだった。 「最近、出稽古の回数が増えたのではござらんか?あまり増やしすぎると薫殿の体が持たぬよ」 帰宅した薫に風呂が沸いていることを告げ、彼女の後ろに続きながら言葉を次ぐと、 「そう?私は自分自身の修練にもなるから出稽古に行くのはいいことだと思うけど。 そうそう、今日もいい動きをする人がいてね、その人と手合わせしたの」 そうしたら・・・と続けようとしたのだが、 何かに思い当たったかのように言いよどみ、そのまま口をつぐんでしまった。 「・・・・そうしたら?」 あまりにも無言状態が続いたため、剣心が先を促すと、 「あ、別にどうってことはないの。ただ、三本勝負で一本とられちゃったから・・・」 私ももっと頑張らなくちゃ、などと言い繕う様に眉をひそめたが、剣心は何気ない口調で続けた。 「一本取られたのでござるか」 「あ、うん」 「 声を硬くすると、薫の緊張が伝わってきた。 「べ、別に大したことないわよ」 「そういう問題ではござらん」 狼狽している薫に剣心はにべもなく言い放つ。 剣心に心配をかけぬためか、それとも一本取られて手負いになったことを恥じているのか。 薫からの返答にはたっぷりと時間がかかったが、剣心は辛抱強く待った。 やがて根負けしたかのように小さく息を吐くと、薫は至極言い辛そうに言葉を紡いだ。 「・・・・・・・・肩」 別に答えることに躊躇う内容ではないはずだ。 だがそれには触れずに、新たな質問を投げた。 「その場で手当てしなかったのでござるか?」 「・・・・・・・」 黙りこくって返事がないが、それは答えたのと同じこと。 剣心は呆れたようにため息をついた。 「打ち身はすぐ冷やさねば治りも遅くなる 「すぐに冷やすことは出来なかったけど・・・あ、一応自分で処置はしたわよ」 さっきから聞いているとどうも歯切れが悪い。 稽古中に脇や肩に青痣をこさえたことなど一度や二度ではない。 だからこそ、そういったときにはどのようにしたらよいか、薫自身よく分かっているはずだ。 ふと。 肩で思い出した。 二人の夜を過ごすとき見えるところには付けぬ約束だが、 逆に言えば見えないところにはこれでもかというほど吸い跡を付けている。 基本的には剣心も薫の望まぬことはしないのだが、 行為に夢中になりすぎると知らぬ間にその約束を反故(ほご)にすることもある。 それでは出稽古先で手当てを受けるわけにはいかぬな。 剣心の口角が愉しそうに歪んだ。 |
【小話 その2】 見れば薫のうなじにうっすらとした赤い跡が残っている。 それは数日前の夜、共に達しようとした最中に無意識のうちに剣心が付けた跡。 付けたのは間違いなく自分自身なのに、その一点のみに惹き付けられて目が離せない。 うなじに付けた所有印に何人の男が気付いたのか。 そしてどれほどの男が肩を落としたのか。 少女を見つめる剣心のそれに妖しい光が加わる。 薄くはなっていたが遠目でもはっきりと分かる情交の名残が夜の熱を思い起こさせ、 ごくりとのどが鳴った。 薫も絡みつくような男の視線を感じたのだろう。 どこか居心地が悪そうにしつつ、逃げるようにして風呂場へと消えていった。 壁があっても関係ない。 遮るものなど何もない。 薫が『そこ』にいれば、剣心はいつだってどこだって見つめることが出来る。 目だけではなく、己の全てで彼女を見つめるのだ。 薫もまた、剣心に見つめられていることに気付いている。 「薫殿、湯加減はいかがでござるか」 薪をくべながら静かに口を開くと、しんと静まり返った風呂場に水が跳ねた。 「打った所も気になるゆえ、長湯せずに早めに出たほうがいい」 「・・・ん、もう少し」 少しくぐもって聞こえるのは声が反響しているせいだけではない。 剣心はそっと壁に手を置いた。 この向こうに一糸纏わぬ姿の薫がいる。 うなじに付けた跡は薄くなっていた。 では打ち身の近くにある肩の跡は? 腰や太腿 剣心の脳裏に悩ましい薫の姿が浮かんでは消えた。 「薫殿」 「何?」 いつものように名前を呼ぶと条件反射で薫も応じる。 夕餉のおかずは何にしようか、と聞くのと同じ口調で剣心は中にいる薫に告げた。 「 薫が息を呑む気配がした。 返事を待たずに立ち上がると、剣心は襷にかけていた紐を外した。 はらり、と紐が地面に落ちるが、その前に彼は風呂場の入り口に立っていた。 扉を開ける前に返事をしてくれぬと、拙者の都合のいいようにとってしまうよ? |
【小話 その3】 玄関先まで来てぎょっとした。 頭ではそれが何か分かっている。 だが、すぐ理解するには受け入れがたいものがある。 手を伸ばすことも出来ずただ黙って見ていることしか出来ずにいると、 後からついてきた妻が不思議そうに聞いてきた。 「どうしたの?ぼーっとしちゃって」 ぎこちなく首を回し、薫と目を合わせながら剣心の指は一点を指し示した。 「薫殿・・・コレは何でござるか?」 家財道具一式詰め込んだような荷物は明らかに自分のためのものだと思うが、それにしては大きすぎる。 「もちろん、あなたの荷物よ?署長さんに頼まれて出かけるのは私じゃなくて剣心なんだから」 何を言っているのかと呆れているが、普段剣心が持つ荷物はこんなに大きくならない。 どんなに多く見積もってもせいぜいこの三分の一くらいだろう。 思ったことを正直に伝えると、 「必要なものを全部詰め込んだらこのくらいになっちゃったのよ。 とりあえず持っていってちょうだい。いらなければ向こうで処分してくれていいから」 ね?と可愛らしく小首をかしげる幼妻に反論できるはずもない。 手を振って見送ってくれる薫にややひきつった笑みを返しながら、 剣心は警察の用意してくれた馬車で出立した。 目的地に着き、宿で荷物を下ろしたときにはさすがにほっと息を吐いた。 途中で馬車を降りた後は徒歩で目的地を目指したのだが、しんしんと降り続く雪に視界を遮られ、 更にはかさばる荷物を持ちながら歩くのは楽ではない。 あてがわれた部屋で胡坐をかき、そばに置いた荷物を引き寄せた。 一体何が入っているのかと荷を解いて、 「これは・・・」 と目を瞠(みは)った。 中には倍近くある衣類や足袋、それに新しくこしらえたらしい襟巻きもある。 それらは全て防寒用であることが誰の目から見ても明らかだった。 もともと雪深いことで知られるこの地に冬に乗り込もうというのだから、それなりの対策は必要だ。 目的地のことを話したとき、薫は「まあ、どうしましょう」と慌てたが、 対する剣心はのんびりと茶などすすりながら、 「別にどうもせぬよ。流浪していた頃だってろくな準備をしないまま雪山に入ったことがあるし」 と落ち着いている。 事実、常人とは違う体の鍛え方をしたせいか、多少寒くても特に支障をきたすものではない。 それに必要な防寒具などは警察の方でも用意をしてくれるとのこと。 薫にも伝えると、やっと安心したようでそれきり何も言わなかった。 だからこそ、こんな大荷物になるまで自分のために用意してくれているとは思わなかったのだ。 心配性な薫のこと、夫から話を聞いてもやはり不安だったのだろう。 前もって用意することを告げれば剣心に同じことを言われてやんわりと止められるのが関の山だ。 だから何も言わずにそのまま持って行かせた まんまとやられた、と舌を巻くと同時に、妻の心に感謝した。 広げたものを戻そうとして、荷の一番下に折りたたまれた懐紙があるのが目に入った。 拓いてみると中には季節の花々をそれぞれ押し花にしてある。 外は激しい吹雪がごうごうと唸りをたてているが、 色とりどりの花を見ると今が真冬であることを忘れてしまいそうだ。 用意された衣類や季節の花々にやさしい気持ちにさせられるが、 己の身も心も温めてくれる薫に愛しさがこみ上げる。 出来ることなら今すぐ飛んで帰り、彼女を抱きしめたい。 剣心は花が薫であるかのように一つ一つ指で触れ 「・・・・何故これだけ欠けているのでござろう?」 彼の指が触れているのは桜の花。 他の花に埋もれて簡単には目に留まらないそれに気付いたのは、花弁が一枚足りなかったからだ。 途中で欠けてしまったのかとも思ったが、 どこを探してもその一枚だけを見つけ出すことは出来なかった。 彼は知らない。 最後の一枚は夫の無事を祈る薫の胸に忍ばせてあることを。 |
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