【小話 その1】




扉が静かに開けられると、風とは異なるものが入ってきたことを感じた。
人間だ、というのはすぐ分かったが、安心するのはまだ早い。

   人斬り族だったらどうしよう?

薫の一族はその日の糧を求めて旅を続ける種族だ。
人斬り族も同じように旅を続けるが、他人が持っているものを奪って生活している。
盗みや略奪は彼らにとって当たり前のことなのだ。
いや、それだけならまだいい。

人斬り族の通り過ぎた後は全ての者が死に絶える   大地も植物も人も。
生きるため、というのももちろんあるだろうが、
薫からしてみれば人斬り族は殺戮を楽しんでいるような野蛮な種族だ。

ごくり、と唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえ、薫は焦って口を覆った。
嵐から身を守るためにこのあばら屋に入り込んだが、
かえって自分を窮地に追い込んでしまったようだ。
ましてや薫のような娘がいると分かればただ殺されるだけ、
というわけにはいかないだろう。

最悪の事態が脳裏に浮かび、ぶるりと肩を震わせる。

それを押さえ込むように両手で己の体を抱きしめ、息を潜めた。
ひたひたと歩み寄る足音がすぐ近くで止まった時、もう駄目だと思った。
が、すぐ気配が遠ざかるのを感じ、
待てども待てども何も起こらないことに薫は眉をひそめた。
人斬り族に見つかったが最後、もう命はないと聞いている。
戦い慣れている彼らが薫の存在に気付かぬわけがない。

   もしかして私と同じように嵐を避けてきた同じ一族の人?

それなら「薫」という獲物に見向きもしないことに頷ける。
ほっとすると同時に、自分と同じような理由でここにいる人間に親近感を覚えた。
「すごい雨ね」
すっかり警戒を解いた薫が声をかけると、相手の方が酷く驚いた気配を見せる。
構わず薫は続けた。
「ね、あなたはどこから来たの?」










【小話 その2】



あまりに能天気な声に、剣心はただ呆気に取られるしかない。
中に入った時、何かがいることは分かっていたが、
いきなり声をかけられるとは思っていなかった。
本来であればここですぐ戦闘態勢に入るところだが、
そんな当たり前のことすら忘れていた。
「あの・・・具合でも悪いの?」
返事がないのが不安に感じたのか、先ほどより声が落ちている。

「いや、何でもない。まさか人がいるとは思わなくて」
もし一族以外のものであれば、人斬りと知って声をかける命知らずはいないだろう。

自分と同じ種族と判断し、剣心は言葉を返した。
「あら、人じゃなきゃ何だと思ったの?」
声の調子からするとまだ少女のようだ。
返事が返ってきたことが余程嬉しかったらしく、喜々とした様子が伝わってくる。
剣心の頬が知らずに緩んだ。
「いや、てっきり狸か小動物の類(たぐい)かと」
「た、狸!?」
年頃の少女にとってそれは、満足どころか不満だらけの例えである。
いきり立つ薫に、己が告げた言葉に何の疑問も持たぬ剣心が顔だけ向けた瞬間。
ピカッと周りが白くなり、次いで空気が震えるほどの轟音が鳴り響いた。

「きゃあぁぁぁッ!!!!!!」
突然胸に飛び込んできた少女を、剣心は反射的に受け止めた。

   やわらかい。
それが薫に触れた感想だった。
女を抱くのは初めてではない。
それでも少女のやわらかさと甘やかな香りに陶然となる。

   もっと・・・もっと近くに・・・

更に抱き寄せようとした矢先。
「ご、ごめんなさい!」
我に返った薫がぱっと飛び退く。
己の行動を自覚したのは剣心も同じだった。

   何をしようとしていたんだ、俺は・・・ッ

無意識のうちに動こうとした腕をぐっと押さえた。
しかし、いまだ残る彼女の感触が剣心をやさしく包み込む。
しばしうっとりとその感触に身を任せていた。

一方の薫はといえば、自分から抱きついた事実に激しく自己嫌悪に陥(おちい)っていた。
相手が無言でいるのはきっと呆れているせいに違いない。
外が嵐でなければ一目散に逃げ出しているところだ。
頬に手を当てれば熱があるのかと思うほどに熱い。

   でも・・・温かかったな。

ぽっと浮かんだ考えにますます顔が火照ってゆく。










【小話 その3】



「そういえば」
声をかけられたときには自分の心を見透かされたかと心臓が跳ねた。

「な、なに?」
胸を押さえ、なるたけ平静を装って問い返す。
そんな薫の努力を気付かぬ剣心は低く問うた。

「あんたはこの近くに住んでいるのか?」
今のこととは全く関係ない質問に一瞬何を言われたのか理解できなかったが、
すぐ普段と同じように返した。

「近くというほどじゃないけど・・・あ、だからってそんなに遠いわけでもないわ」
仲間達と歩けば数人は音を上げるほどの距離だが、薫はあまり気にならなかった。
「あなたはどこに住んでいるの?」
すっかりいつもの調子を取り戻した薫が逆に問う。
「戌の岩場だ」
「ええ!?あなた、すごく危ない所から来たのねぇ」

戌の岩場は人斬り族の住処と言われている。
驚く薫とは対照的に、剣心はさらりと受け流した。

「確かに険しい場所だが、驚くほどのものでもないだろう・・・そっちは?」
「私は酉の草原」
「ああ、あそこか」
「知っているの?」
「いい場所だと聞いている」

見晴らしがよく逃げ惑う者の最後を眺めながら五体を切り刻むのは最高だ   

仲間達がそんな話で盛り上がっていたが、剣心がその輪の中に入ることはなかった。
仲間と言っても心を許し合える関係ではない。
協力しているのではなく、連携しているだけだ。
大勢で狩るときに獲物を逃がさぬようにするために。

必要以上に馴れ合うことはないが、だからといって狩るのは嫌いではない。
縦横無尽に駆け巡り、ただただ標的を追い詰める。
叫び声も血の生臭さも気にならなかった。
全ての感覚が麻痺した中で斬り続けるのは単純に愉(たの)しい。
己の手に確かな感触が伝われば気分が高揚し、ぬるい血飛沫(しぶき)が更なる熱を呼ぶ。
仲間達と感覚は違えど、自分が人斬り族であることに感謝した。

   斬りたい。
もしくは犯すか。

幸いなことに女ならすぐそこにいる。










【小話 その4】



一族の女であればどうせすぐ体を開く。
抗(あらが)ってもそれはお互いを燃え上がらせるだけの演技。
ざわざわとした劣情が剣心の肌を這い回る。

だが、透明な歌声が彼の浅ましい熱をゆるやかに溶かした。
「その歌   
聞き覚えのある歌に思わず反応すると歌が途切れ、暗闇の中で薫が動く。

「この歌が何?」
彼女の歌を中断させた非礼と無意識のうちに声を漏らした失態に目を伏せたが、
黙っていても何も変わらない。
仕方なく剣心は口を開いた。
「昔、母親が歌っていた。もう死んでしまったが」
「そう・・・私の母も小さい頃に亡くなったの」

彼女の声が湿ったのを感じ、己の迂闊さを呪った。
少々不自然ではあるが、何とか話を変えようとする。

「そ、そういえば酉の草原は俺もよく行くんだ。
もしかしたらどこかですれ違っているかもしれないな」
同じように狩りをしながら、と付け加えようとしてやめた。
何となくこの少女とは血生臭い話などしたくなかったのだ。
「そうね。今は真っ暗だから分からないけど、
実際顔を見たら知っている人だったりして」
薫の声が楽しげなものに変わり、剣心はほっと胸を撫で下ろした。

「いい所だよな、広々としているし足場もいいし」
「それにたくさん人がいて賑やかだわ」

考えていることは逆のことだが、
それでもお互い同じような感想を持っていることに二人はくすりと笑い合った。
「・・・・・なんか似ているわね、私達」
「そうだな、あんたといると何だか落ち着く」
「あら、私もちょうどそう思っていたのよ」
「となると、俺達は似た者同士ということになるのかな」
「本当ね!」
薫は嬉しくなって身を乗り出した。
「あ・・・」
「どうした?」
もう少しで相手の顔が見える、というところで動きの止まった薫に声をかける。

「雨、止んだみたい」

剣心が首を伸ばすと、壁の隙間から外が見えた。
叩きつけるような雨音がいつの間にかなくなっていたことにも気付かなかった。
それだけお互い話に夢中になっていたらしい。

だが雨が止んだ以上、二人がここに留まる理由もない。

「・・・・・そろそろ行かなきゃ。皆が心配してる」
「ああ」
お互いの声が暗くなる。
「じゃあ、行くね」
「・・・・・」
薫は立ち上がるとのろのろと外に向かって歩き出した。
だが扉の前で立ち止まり、くるりと振り向いた。

「ねえ!私達、また会いましょうよ!」
「へ?」

唐突な提案に剣心は間抜けな返事しか出来ない。
薫もまた、考えるより先に口から出たのだろう。
困惑したように視線を泳がせている
「あ・・・えっと・・・」
が、すぐ剣心がいると思われるほうに目を向け、
「だって折角知り合えたんだもの。
それに私達って初めて会ったのにすぐ打ち解けられたでしょ?
このままお別れなんてもったいないと思わない?」










【小話 その5】



一気にまくし立てる薫に初めて声をかけられたときと同様、
剣心は呆気にとられたが、やがて微笑した。

「そうだよな・・・うん、あんたの言うとおりだ。俺も、また会いたい」

薫は喜色を浮かべた。
「じゃあ明日のお昼頃にここで会いましょ?
・・・って私達、お互いの顔も知らないのよね・・・」
しばし思案して、
「・・・・『嵐の夜に出会った者です』って言えば分かる?」
自身なさげな声に剣心が吹き出した。
そのままおかしそうに声を震わせている剣心に、薫は唇を尖らせる。
「何よ〜!人が真面目に言っているのに笑うなんて酷いじゃないっ」
「だってそれじゃ長すぎるだろ」
「そ、そうだけど・・・でもこれが一番分かりやすいし・・・」
口の中でもごもご言う薫に、やっと笑いを引っ込めた。

「『嵐の夜に』でいいだろ?」

笑みを崩さずに告げたが、薫に彼の表情は分からない。
「・・・あ、そうね」
「・・・思いつかなかったのか?」
「別にいいでしょ!?じゃ、また明日!!」
機嫌の悪さを裏付けるかのように、薫は振り向きもせずあばら家を飛び出した。

剣心が扉の前に立ってみたものは、すでに点となった少女の姿。
意外と素早いと感嘆すると同時に、彼女の顔が見られなかったことに落胆した。

「まぁいいか。どうせまた会えるし」
しかし別れ際の少女を思い出すと、
もしかしたら怒って来ないかもしれないという不安が頭をもたげる。
そんな剣心の懸念を吹き飛ばすかのように、夜風が軽やかな声を運んできた。

「忘れないでね   『嵐の夜に』!」

遠目に彼女が手を振っているのが見えた。
さすがに同じ真似をするのは気恥ずかしくて出来なかったが、
代わりに大きく息を吸い込み薫より更に大きな声を響かせた。

「『嵐の夜に』!!」

それぞれの住処に戻った後も、二人の心はぽかぽかと温かかった。







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