Heart☆Magic
「じゃあ妙さん、私はそろそろ・・・」
薫がそう切り出したのは赤べこに客が入り始めた頃だった。
腰を上げかけた薫を引きとめるように妙が微笑んだ。
「まだええんよ。忙しゅうなるんはもうちょっと後やし」
「でも・・・」
ちら、と入ってきた客に目をやれば燕がちょうど注文を取っているところだった。
妙の言うとおり、まだ店内はがらんとしているが、満席になるのも時間の問題だろう。
「やっぱり今日は帰るわ。これ以上いたらまた話し込んじゃうし」
以前にも似たようなことがあり、その時は心配した剣心が迎えに来たのだ。
妙もその時のことを思い出したらしく、にんまりと口角を上げた。
「そしたらまた剣心さん、迎えに来はるんやろな。ええやないの、二人仲良う帰れば」
明らかにからかっている口調に、薫の頬が膨れた。
「んもう、妙さんってば!からかわないでよ」
「恥ずかしがることなんてないやろ。なあなあ、やっぱり二人きりになると『好き』とか言わはったりするん?」
「え!?」
段々と薫の顔に血液が集中していくのが分かる。
それを見て可愛らしいなぁ、と更に目を細めた。
「剣心さんも幸せやわ。薫ちゃんみたいな子から想われとって・・・あ、剣心さんもやっぱ照れたりするん?」
「照れたりするって・・・妙さん、何の話?」
今までの話の流れからろくなことではないと警戒しつつ、薫が聞き返すと、
「いややわぁ、とぼけんでもええやない!薫ちゃんが『好き』って言った時の剣心さんの反応に決まっているやないの!」
「す・す・す・・・・・『好き』って・・・!」
己のことのように身をくねらす妙と、言葉を失くして硬直している薫。
はたから見れば何事かと注目を浴びそうな光景ではあるが、このとき店員は客相手に忙しく、客もまた食べるのに夢中で、この二人に注意を払うものはいなかった。
それを幸いとばかりに、今まで向かい合って座っていた妙が薫の隣に移動し、つつつと擦り寄ってきた。
「なあなあ、いつ、どこで言わはったん?道場?川原?それとも・・・・・寝室!?」
「ちょっと妙さん、落ち着いてよ!」
一人で想像を膨らませて一人で興奮している妙に薫の声は届かない。
が、次に発せられた言葉は妙の興奮を一気に冷ますのに充分な効果を発揮した。
「寝室なわけないでしょ!第一、まだ『好き』なんて伝えていないんだからッ」
ぴたり、と妙の動きが止まる。
薫の言葉で現実に引き戻されたらしい。
信じられない、というように見つめる妙の視線に耐え切れず、薫は顔を伏せた。
「・・・・・そりゃ『一緒にいたい』とは言ったけど、『好き』だなんて一言も言ってないし。大体、もう言ったところで何も変わることなんてないだろうし」
「そんなことあらしまへん!!」
薫の言葉を強く否定した。
「薫ちゃんと剣心さんが相思相愛の仲やぁいうことは十分すぎるほど知ってます。だからゆうて言葉がのうていい、ということにはなりまへんえ?」
「分かっているけど、今更恥ずかしいし・・・・・」
妙の勢いに押され、薫の声が小さくなっていく。
そんな薫の様子を見ながら、ああもうこの娘はんは、などと額に手を当てて、しばし考え込んだ。
が、それもほんの僅かな間で、妙は何か思いついたかのように満面の笑みで口を開いた。
「そや!口で言うんが恥ずかしいなら、『はあと』を剣心さんにあげるんや!」
「『はあと』?」
聞きなれない言葉に、薫は小首を傾げて妙を見た。
「うちも最近知ったんやけど・・・確かこんな形やったな」
そう言って妙は帳場から筆と紙を持ち出してきて、さらっと一筆で描き終えた。
そこには薫が今まで見たことのない形が描かれている。
「・・・・・これが『はあと』?」
「せや!」
不思議そうな表情の薫とは対照的に、妙は自信たっぷりに胸を張った。
「ええか薫ちゃん。この『はあと』いうんは、『好き』っていう意味なんよ」
「これが『好き』っていう意味なの?」
「今の薫ちゃんのように『好き』とはっきり言えへん時にはこの『はあと』を見せれば想いは伝わるんよ」
妙の話を聞きながら、薫の視線は紙に描かれた『はあと』に釘付けだ。
「薫ちゃんは剣心さんに『好き』って伝えとぅないん?」
半信半疑な薫に核心を突いた妙の言葉が追い討ちをかける。
案の定、薫は弾かれたように顔を上げた。
「そんなことない!ただ・・・はっきり伝えた時の剣心の反応が怖いの・・・」
「だ・か・ら、そこでこの『はあと』の出番や!こうして紙に描いても自分で作っても・・・何でもええねん、要はこの『はあと』を剣心さんに見せれば薫ちゃんの気持ちはちゃーんと伝わるんよ」
まだ躊躇している薫に発破をかけるように、妙は『はあと』が描かれた紙を彼女に押し付けた。
「気張りや、薫ちゃん!ここが女の見せ所でっせ!」
目を爛々(らんらん)と光らせ、鼻息の荒い妙に言い負かされた形で、薫はただ頷くことしかできなかった・・・・・
「御免」
「はい、いらっしゃい・・・って、剣心さんやないですの。どないしはりました?」
薫が出て行ってからすぐ、今度は剣心が店に現れた。
「いや、薫殿がこちらにお邪魔していないかと思って来てみたのだが・・・」
言いながら薫を探すように店内を見渡している。
赤べこも夕飯時の忙しい時間帯に突入して、店員は皆接客に追われている。
そのせいで妙も剣心のそばにいけず、少し大きめに声を張り上げた。
「薫ちゃんなら今しがた帰りましたけど」
妙の言葉に剣心は頷く。
買い忘れがあって、それを買い求めたついでに寄ってみたのだが、どうやら入れ違いになったらしい。
「左様でござるか。では、拙者もこれにて」
「あ、剣心さん」
背中を向けた剣心に妙の声が追う。
顔だけ向けると妙が素早く寄ってきて小さな声で耳打ちした。
その内容に普段表情を崩さない剣客は珍しくきょとんとしていたが、
「しっかりな」
ぽん、と剣心の肩を叩くと客席から妙を呼ぶ声が聞こえ、彼女は威勢のいい返事をして剣心から離れていった。
今夜、ええことがあるかもしれまへんえ。
それに対して何をしっかりするのか。
皆目見当がつかぬまま妙に聞き返そうとするも、彼女は既に仕事に戻っており、追求するのは難しそうだ。
一瞬だけ逡巡(しゅんじゅん)したが、やがて剣心は首をひねりながら赤べこを後にした。
剣心が妙の言葉に頭を悩ませていた頃、ちょうど薫が帰宅し、誰もいないことを不審に思っていた。
「剣心、出かけたの?」
厨(くりや)を覗いてみると誰もいない。
夕餉(ゆうげ)の支度の途中だったのか、切りかけの野菜がまな板の上にあるのが見えた。
「材料がなくて買いに行ったのかしら・・・?」
いつもいるはずの人間がいないことに拍子抜けしたが、同時にほっとしたのも事実だ。
妙からあんな話を聞いた後で当の剣心と顔を合わせるのは些(いささ)か気まずい。
寝食を共にしている以上、彼の顔を見ない日はないがそれでも今は少し自分の気持ちを落ち着かせる時間が欲しかった。
「妙さんが変なこと言うから」
だが、言われなければ気付かなかっただろう。
剣心のことが『好き』だとはっきり伝えていないことに。
今までも考えなかったわけではない。
しかし剣心のいる平穏な日常に慣れすぎて、伝える必要もないと自分で結論を出してしまったのだ。
否、自分の気持ちを伝えることによって、今までの関係が崩れてしまうのが怖かったのだ。
今までの関係から一歩踏み出すことになるならそれは喜ばしいこと。
きっと妙なら「相思相愛の仲ならそれが当たり前」と薫を諭すだろう。
だが、薫はそれを素直に受け止められない。
幼い考えであることは分かっている。
臆病なのも自覚している。
頭で分かっていてもその「一歩」が踏み出せないのだ。
反面、今の状態がずっと続くはずもないことも薄々感じ取っていた。
剣心の瞳が否が応でも薫にそう思わせる。
最近、自分を見る剣心の目が何となく違うのだ。
どこがどう、とはうまく説明できないが、あえて言うなら視線を感じて何気なく振り向いた時の彼の瞳。
温かく見守る視線はそのままに、艶を含んだ瞳の色。
飄々(ひょうひょう)とした剣心でもこんな色めいた瞳をするのかと、どきりとした。
「何?どうしたの?」
と問いかけても、
「いや・・・何でもござらんよ」
とするりと視線を外す。
そんなことが何度も繰り返されるうちに漠然と一つの可能性に辿り着く。
が、それはあくまで薫の推測。
しかもそう感じるのはほんの一瞬であって、いつもと変わらぬ様子の彼を見るとやはり考え違いであったかと惑ってしまう。
そもそもこの男が色事に興味があるのかすら分からない。
確信が持てない上に薫から切り出すことも出来ず今日まで同じ生活を繰り返してきたのだが、このままでは何も変わらない。
不安はあるが、恐れていてはいつまでたっても平行線のままだ。
「ちゃんと伝えなきゃ、ね」
頬をぱんぱんとはたいて気合を入れると、薫はこれからのことを考え始めた。
これからどうする?
妙は『はあと』を見せれば気持ちは伝わると言っていたが、いつ、どんな形で彼に見せるかが問題だ。
「紙に描くのが一番早いわよね。でも、何だか味気ないし・・・」
余り布を使って縫い合わせてみるとか、などと考えあぐねているとまな板の上にある人参が目に入った。
「そうだわ!これを『はあと』の形にして料理すればいいのかも」
名案が浮かぶと行動も早い。
薫は腕まくりして包丁と人参を手に取った。
「えっと、ここは丸く切って真ん中に切込みを入れるのね。こっちは先っぽを尖らせて・・・やだ、切りすぎちゃった!」
切っていくうちに跡形もなくなった人参も数知れず。
「あーあ、また失敗。剣心だったら器用に作るんでしょうけど」
普段であれば何の躊躇(ためら)いもなく代わりに頼むところだが、今回ばかりはそうもいかない。
「私の気持ちを伝えるんだから・・・剣心に頼らず、自分だけで『はあと』を作ってみせるわ!」
今までの失敗作を見て肩を落とすが、すぐ気を取り直して新たな人参に挑んだ。
その甲斐あって、やっと薫は『はあと』らしく見える人参を作り上げることが出来た。
「やったわ!ちょっと形はいびつだけど・・・でもちゃんと『はあと』に見えるわよね」
既にささがき状態になってしまった人参と比べれば確かにそれは『はあと』に近い。
例え丸みがほとんどなく、角張ったものだとしても薫にとっては会心の出来であった。
「この調子でどんどん作るわよッ」
薫は新たな人参を手にし、包丁の刃をあてて『はあと』の形にしていく。
が、やはり慣れない包丁さばきで、しかも小さな人参を細かく切り取るのは至難の業(わざ)である。
「いったーい!指切っちゃった!」
今の今まで怪我をしなかったのは奇跡といえよう。
指から流れ出た血を見て薫は包丁を置き、慌てて奥に引っ込む。
それと入れ替わりに剣心が戻ってきた。
「さっき薫殿の声がしたような・・・・・おろ、これは何でござろう?」
奥に向かって呼びかけようとしたが、切りかけの人参に気付く。
無造作に置かれた包丁に、細かく刻まれた人参。
それが失敗作であることには気付かないが、それよりも明らかに切り取ったと見える人参の方に関心を持った。
「見たことのない形でござるが、はて」
切り目がガタガタであるが、真ん中に切込みが入っており、それを挟み込むようにした二つの膨らみが剣心の手前にある。
そして上の部分はやけに尖っている。
「何かの形・・・でござろうか?」
いくつか似たような形を思い浮かべてみる。
「先端が尖っているのは栗、でござろうか・・・いや、それなら真ん中に切り込みは必要ないし・・・」
あれでもない、これでもない、と考えていると、ふっとあるものが脳裏に浮かんだ。
それと同時に剣心の顔がぼん、と音を立てて赤くなる。
まさかとは思うが・・・・・これは薫殿のし・・・
自分で想像したくせに心臓の鼓動が早くなる。
否定しようとしても一度思い浮かんだものは簡単には消えてはくれず。
今しがた思い浮かんだものと人参に重ね合わせ、悶々としていると。
「あ、剣心帰っていたの?」
「おろぅッ!?」
一人悶々としているところにいきなり声をかけられ、剣心は人参を取り落としそうになった。
焦ってまな板に戻す様は必要以上に挙動不審だ。
「そ、そんな驚かなくてもいいじゃないッ」
あまりの驚きように薫もびっくりして胸を押さえた。
どうやらいきなり声をかけたことで剣心が驚いているらしい、と解釈したようだ。
剣心はといえば、自分の煩悩を悟られなかったことに胸を撫で下ろし、
「は・はは、すまぬ。ところで薫殿、この人参は一体?」
自分の声がやけに空々しく聞こえる。
不自然に思われないだろうか、と内心冷汗をかいたが、幸運にも薫は気付かない。
いや、そんなことには構っていられないほど明らかに動揺している、と言ったほうが正しいか。
剣心の前にある『はあと』に気付くと、人参に負けず劣らず薫の頬が鮮やかに染まったのだ。
「え!?・・・・えっと、それはその・・・なんて言えばいいのか・・・・」
すっかり平静さを欠いた薫は、しどろもどろになりうまく返答できない。
そんな薫の様子に却って剣心のほうが戸惑った。
この人参のことを聞いただけであれほどまでに取り乱すとは・・・・・ッ
やはり、これはアレか?
アレなのか!?
剣心の予想が確信に変わった。
確かにこういったことを女の口から言えるはずもない。
だが、はっきりとした態度をとらない自分に業を煮やして、それとなく分かるように薫が考え抜いた方法だとしたら?
相変わらず心臓はやかましいくらいに音を立てているが、剣心は冷静さを取り戻した。
言葉を探すように視線を泳がす薫に向かって、彼はまずこう言った。
「すまぬ、薫殿」
突然謝られて、薫は目を見開いた。
そのまま彼女の視線を捉えると、剣心は真剣な表情で先を続ける。
「拙者は薫殿に出会うまで帰る家など持たなかったし、必要ないと思っていた。流浪人として流れ、最後はどこぞで野垂れ死んでいくのだろうと思っていたのでござるよ」
「ちょ、ちょっとどうしたのよ、いきなり・・・」
薫が何か言おうと口を開いたが、それを静かな笑みで制した。
「だが、薫殿と出会い、薫殿と笑い、薫殿と共に過ごすうちに拙者の中で生まれ出るはずもなかった感情が生まれてしまった」
「・・・・・・」
薫は黙って聞いている。
が、彼女の瞳は男の口から紡がれる言葉に期待と不安を滲ませていた。
剣心は、す、と瞼を下ろし、視界を閉ざしてから己の感情と共に言葉を吐き出した。
「そう。薫殿といつまでも共にありたい、という感情が」
薫が息を飲んだのが気配で分かった。
剣心は目を閉じたまま続けた。
「願ってはいけないことと何度も思い切ろうとした。流浪人風情が薫殿を幸せに出来ぬことなど百も承知している。だが、薫殿がそばにいないことに拙者が耐えられない。だから」
剣心は目を開けた。
目の前には求めて止まぬ少女の姿があった。
「これからの拙者の人生・・・・・共に歩んではくれぬだろうか?」
二人の視線が絡み合う。
薫は剣心の言葉を噛み締めるかのようにしばし無言であった。
剣心を見つめていた瞳が薫の心を表すかのように揺れ、やがてそれは花開くような満面の笑みに変わる。
「嬉しい・・・・・ッ」
感情のままに剣心に抱きついた。
剣心も自分より一回り小さな体をしっかと受け止め、ぎゅ、と抱きしめる腕に力をこめた。
「薫殿はずっと待っていてくれたのに、伝えるのが遅くなってすまない」
耳元で囁くと剣心の腕の中で何度も首を振った。
「私こそ、臆病で剣心の口から聞くのが怖かったの。でも、もっと早く聞けばよかった。だって今、すっごく幸せなんだもの!」
「拙者も幸せでござるよ、薫殿」
剣心の言葉を聞いて薫の笑みが更に深くなる。
が、幸せなひとときは次に発せられた薫の言葉によって呆気なく現実に引き戻された。
「やっぱり『はあと』って想いを伝えてくれるのね・・・今度妙さんにお礼言わなくっちゃ」
「『はあと』・・・?何でござるか、それは」
間の抜けた声が聞こえて、薫は剣心を見た。
「何って・・・剣心、『はあと』を見たから言ってくれたんじゃないの?」
薫がまな板の上にある人参を指差すと、
「いや、確かに伝えようと決意したのはこれを見たからでござるが・・・・・なるほど、これは『はあと』というのでござるな」
興味深そうに頷く様はとぼけているように見えない。
薫は剣心の腕から抜け出し、体を離した。
「おろ、薫殿?」
先ほどと一変し、険しい表情でこちらを見ている薫に剣心は当惑した。
「じゃあ剣心はコレを何だと思ったの?」
ぎくり、と体を強張らせた。
想いを伝えたことはいい。
が、そこまで至る経緯が薫と食い違っているようだ。
自分はとんでもない過ちを犯したのかもしれない。
体中から嫌な汗がだらだらと流れ出た。
「べ、別にいいではござらんか。終わりよければ全て良しということで・・・・・」
「良くない!」
何とか誤魔化そうとするも、薫がそれを許さない。
今にも噛みつかんばかりの目つきでこちらを睨んでいる。
もはやこれ以上逃れられぬと観念して、剣心は重い口を開いた。
「・・・実は拙者、これが『はあと』なるものとは知らず、その・・・・薫殿の・・・りかと」
ぼそぼそと蚊の鳴くような声で言われてもよく聞こえない。
それが更に薫を苛立たせた。
「何!?男なんだからはっきり言いなさいよッ」
薫の心情を表すかのように声も刺々しい。
先ほどまで己の腕の中ではにかんでいた愛らしい少女はもういない。
幸福の絶頂から足を踏み外して真っ逆さまに転落していく自分の姿が脳裏に浮かんだ。
剣心はがっくりと肩を落とし、薫を見ずにのろのろと手をあげた。
「だからこれが」
人参を指差して言葉を次いだ。
「薫殿の尻に思えたのでござるよ。これを食卓に出すということは拙者も食すわけでござるし、つまり、か、薫殿をいただいていいと解釈したわけで・・・・・」
薫は何も言わない。
剣心の告白に言葉が出ないほど呆れているのだろう。
言いながら恥ずかしくなってきた。
よくよく考えてみれば分かることなのに、感情のほうが先走って自分の都合のいいように解釈してしまった。
これから食らうであろう薫の鉄拳に備えて身構えているが、いつまでたっても痛みは感じない。
「?」
そろそろと顔を上げてみると、心底意外そうな顔をしている薫がそこにいた。
「か、薫殿?」
予想外の展開に剣心は混乱するばかりだ。
怖々と呼びかけると、薫は珍しいものでも見るように数秒間剣心の顔を見ていたが。
「剣心も・・・そういうこと考えたりするんだ・・・」
冷静に分析されてもそれはそれで気恥ずかしい。
そんな自分の内心を押し隠すかのようにこほん、と咳払いをして、
「・・・拙者もこう見えて一応成人男子でござるからして・・・」
と返しても、ふぅん、と気のない返事。
あまりに無垢すぎる反応に、剣心はどうしたらいいのか分からない。
だが、はあと型に切り取られた人参を見た瞬間、剣心の悪戯心が頭をもたげた。
「ときに薫殿」
人参を手に取り、薫の目の前に差し出す。
「今一度確認したいのだが、これは薫殿ではないのでござるな?」
真ん中に切込みが入った曲線部分をなぞると、それで意味が通じたらしい。
頬どころではなく、耳まで真っ赤にした薫が予想通りの反応を見せた。
「ば・・・・バカッ!!違うに決まっているでしょ!?」
「おろ、そうでござるか?しかし、この曲線はどう見ても尻としか」
「失礼ね!私のはこんなガタついた形してな・・・」
自分が何を言っているのか気付いて途中で口を押さえたが後の祭り。
にっこりと人の良い笑みを浮かべた剣心を見て、まんまと彼の術中に嵌(はま)ったことを悟る。
「・・・・嵌(は)めたわね?」
真っ赤になった顔を見られたくなくて、耳を押さえて背中を向けた。
「薫殿、怒ったのでござるか?」
背後から剣心のくすくす笑う声が聞こえる。
「知らない!もう、剣心なんて嫌いッ」
我ながら子供染みたことを言っていることは分かっている。
分かっているからこそ、余計収まりがつかず、剣心と向き合えずにいる。
ああもう、これじゃいつもと変わらない。
今の自分の姿を思うととてつもなく情けなく思えて、薫は今すぐ逃げ出したい衝動に駆られた。
いつの間にか、剣心の笑い声が消えている。
不安になって耳を押さえていた手を外した。
やはり何も聞こえない。
剣心もまた、こんな自分の姿に呆れているのだろうか?
だとしたら、余計に彼の顔を見ることが出来ない。
すっかり落ち込んでしまった薫を包み込むように背後から剣心の腕が回された。
「言っておくが、先ほど伝えた拙者の気持ちに嘘偽りはござらんよ」
剣心の気持ち、と言われて薫ははっとした。
これからの拙者の人生・・・・・共に歩んではくれぬだろうか?
「けんし」
彼の表情を確かめようと首を回すと薫の言葉を封じるように、剣心の指が彼女の唇を軽く押さえた。
そしてその手は顎に添えられる。
大きく見開いた黒曜の瞳に男の姿が映る。
「嫌いと言われても」
剣心の吐息が顔にかかり、薫は彼がこれから何をしようとしているのか本能的に悟った。
「放さない」
唇が触れ合った瞬間、薫は思わず彼の腕にしがみついたが、やがて全てを剣心に委(ゆだ)ねるかのように全身の力を抜いた。
忙しい時間帯が過ぎ去り、遅めの夕食をとっている燕に、同じように賄(まかな)い食を口に運んでいる妙が先ほど薫に伝えたことと同じことをこの小さな少女にも伝えていた。
「な?『はあと』を見せれば、恥ずかしがり屋の燕ちゃんも弥彦君に『好き』っていう気持ちを伝えることができるんよ」
「はぁ・・・」
燕もまた渡された『はあと』の絵を見ながら怪訝な表情で妙の話を聞いていた。
が、ふと何かに気付いたように口を開く。
「でも妙さん?」
上目遣いでこちらを見る少女に視線だけで先を促した。
「この『はあと』を見せれば想いは伝わるってことですけど、これって男の人も『はあと』の意味を知らなければダメなんじゃないですか?」
燕の指摘に妙の笑顔が凍りついた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ」
気まずい空気が流れる。
が、すぐに気を取り直し、
「ま、まあ剣心さんが分からへん時は、薫ちゃんもどうにか誤魔化すやろ」
と言って笑ったが、その笑いはどこか無理があった。
ちょうどその頃、剣心と薫が甘い時間を過ごしていることなど誰が知りえただろう。
色恋に関して鋭い勘を見せる妙も、さすがにここまでは予想できなかったらしい・・・・・
【終】
小説置場
もとを正せばこの駄文、バレンタインデー当日に小話として日誌にUPしようとしたものです。
書き上げてさぁUPだ!と投稿ボタンを押してみれば・・・
文字数制限にひっかかり、訂正しようと戻ったときには既に消えていました(号泣)
さすがにこの時は凹みましたよ・・・
普段ならこまめに保存したりしてますが、日誌だとそうもいきませんからねぇ( ̄▽ ̄;)ははは
それでもこのまま書けないままで終わるのは悔しいし、何より意気消沈していたσ(^^)に温かいお言葉をくださった方々のために今度はちゃんとしたお話を書こう!と再び立ち上がりましたッ
そして執筆している最中に某お方の日記にあった萌へ〜な台詞を見つけ、思わず「この台詞、くださいッ」と図々しいお願いを・・・
いやー、この台詞のおかげで剣心の扱いが好転しましたからねぇ〜
当初は人参を見て薫殿の尻妄想想像→怒りの薫殿、まな板で攻撃!→「おろぉ!?」まな板がモロに顔面にヒットし、剣心の顔が垂直に変形。そして押しつぶされた人参で彼の頬は『はあと』の跡が残っていたそうな(注:最初はギャグで行く予定だったため、プロポーズの言葉とかめさ適当です)
台詞一つで、この扱いの差(笑)
うに蔵様に感謝だッ
更に今回はもう一方協力してくださった方がッ
妙さんの言葉使いに全く自信がなかったので美亜様に校正をお願いしました〜
忙しいと分かっているはずなのに「妙さんの言葉使いだけチェックして〜」と頼んだσ(^◇^;)は間違いなくオニです(爆)
一度は消えた作品が日の目を見るようになったのもこのお二方の力が大きい!
うに蔵様、その節は本当にお世話になりました。
そして今回(も)快く許可してくださり、ありがとうございます!!
送信してから約一日で校正して送り返してくれた美亜様・・・飛天御剣流もビックリな仕事ぶりでございました(笑)
早!美亜様、仕事早い!
おかげ様で予定より早くお披露目することが出来ました!
毎度の事ながら感謝感謝です(^▽^)
うに蔵様、美亜様・・・・・本当にありがとうございました!
お礼に脱ぎます(ヤメロ)