ちゅ、ぴちゃ、ちゅく・・・・しゅるり。
あとはもう水音と衣擦れに混じって時折漏れる愉悦の喘ぎだけが響いていた。
帰る前に・・・ 【前編】
歩を進めるたびに弦月が顔を覗かせた。
ずっと月が照らしてさえいてくれたら、さっきは切り抜けられたのかもしれない。
が、すぐその考えを打ち消す。
稽古と実戦は違う。
いつどのような場所で戦うことになるか分からないのだ。
戦う場所を選んでいては普段の稽古と変わらない一瞬でも甘ったれた言い訳を浮かべた己を情けなく思う。
大体街道には旅人のほかに、野盗やよからぬ考えを持つ者が闊歩(かっぽ)しているのだ。
そんな当たり前のことすら気付かずに、女が一人森の中に入っていけば、どうぞ襲ってくださいと言っているようなものではないか。
剣心が来なければ今頃どうなっていたかなど、聞かずとも分かる。
「今回は剣心が来てくれたから助かった」ではない。
この無鉄砲で考えなしの性分をどうにか制御できねば「次回」も同じことが起きる可能性があるのだ。
そしてそのとき、自分の力だけで切り抜けたり、剣心が駆けつけてくれる保証も無い。
力があればいいとか、そういう問題ではないのだ。
感情の起伏を抑え思慮深く物事を考えることが出来ていればさっきのようなことはなく、今頃は剣心と二人、穏やかな時間を過ごしていたはずなのに。
月を見る振りをしながら時折視線を夫に投げる。
ならず者達を倒した後も抱きかかえられていたが「恥ずかしいから降ろして!」と耳元で響く抗議の嵐に剣心が折れ、薫は地面に足をつけることが出来た。
それでも二人の手はしっかり繋がれており、引かれるまま薫は剣心の数歩後ろに従っていた。
目の前に枝が迫り出していれば手で持ち上げてくぐらせ、慣れぬ山道を歩く妻のために剣心は藪を踏みしめて道を作る。
その都度「ありがとう」と伝え、剣心はやわらかな笑みで応えた。
そんなことを何度か繰り返しているうちに、湿気を孕(はら)んだ空気を肌に感じた。
「着いたでござるよ、薫殿」
足を止めた剣心の背中越しに覗き込むと、もうもうと蒸気が立ち込めて視界を遮(さえぎ)る。
目を凝らすと、岩に囲まれた中に湯が湛(たた)えられているのが見えた。
「温泉って・・・本当にあったのね・・・」
「おろ、信じていなかったのでござるか?」
「あんな状況で言われて、すんなり信じると思っているの?」
じろりと睨まれ、剣心は決まり悪そうに顔を背けてさっさと歩き出した。
「ま、まあ実際温泉はここにあるし、これなら薫殿も信じてもらえるでござろう?」
「それはそうだけど、」
短い悲鳴が上がり、前のめりになった薫の体を剣心が抱きとめた。
「ごめん、小石か何かに躓(つまづ)いたみたい」
躓いた拍子に黒髪が一房、首筋にかかった。
何気なく直そうとして、別の手が薫の手首を掴んだ。
剣心の手だと分かっていたが、一瞬身を退きかけた。
「び、びっくりしたぁ・・・どうしたの、けんし・・・」
真剣な眼差しが薫に注がれる。
彼の肩越しに月が輝いていたが、それよりも澄んだ輝きを持つ深紫に魅せられて言葉を失った。
ゆっくり夫の顔が近付いて唇が触れるのを感じていたが、薫は動けなかった。
「ん・・・はぁ」
水音の中でしゅるりと衣擦れの音が混ざり、難なく帯が外される。
帯が終わると次は着物をはがされ、肩に手がかけられるとびくりと体を震わせた。
「いいわよ、自分で出来るから!」
強気に出ると剣心はそれ以上のことはしなかった。
ただ、彼女の肩に置かれた手は労(いた)わるように温かい。
先ほどまであった劣情が影を潜めているのを認め、薫は少し不思議に思った。
平素であれば、薫の制止も聞かずにことを進めるというのに。
薫の疑問をよそに、剣心は穏やかに微笑んだ。
「かなり歩いたのでござろう?それに先ほどは山道を走り回ったり・・・湯に浸かれば大分楽になるし、体も休まる」
「・・・・・」
月明かりだけでは心もとなく携帯用の提灯が灯されている。
そのたため、湯気と相成ってぼぅっとした情景を映し出していた。
乱反射した蒸気の中で一矢纏わぬ姿になっても余程間近で見ないと輪郭すらぼやけるところだが、それでも目の前で全てをさらけ出すのは気が引ける。
無意識に襦袢の襟をかき合わせて数歩後ずさった。
「薫殿?」
「・・・そうやって見られると落ち着かないんだけど」
やっと絞り出した言葉に対し、返ってきたのはお決まりの台詞。
「おろ」
何を今更、とでも言いたげな笑みである。
それが更に妻の機嫌を損ねると分かっていても剣心は苦笑を禁じえない。
案の定、薫は唇を尖らし、頬を膨らませた。
「分かった分かった」
地面に落ちた彼女の着物や小物を拾い上げ、背を向ける。
「薫殿がいいと言うまで拙者は振り向かぬから」
「・・・・本当に?」
「信用ないでござるなぁ」
眉を下げても薫からは見えない。
しばらく疑わしそうな視線を彼の背中に投げていたが、やがて諦めたように小さく嘆息した。
「分かったわよ。絶対、ぜ〜〜〜〜〜っったいにこっち見ないでよ!?」
「承知しているでござるよ。背いた結果がどうなるか、など分かりすぎるほど分かっているし」
「そう、ならいいわ・・・ってどういう意味よッ」
最後の激昂は聞こえなかった振りをして剣心は手頃な木の枝に薫の衣類をかけ始めた。
むくれたまま夫の後姿を睨んでいたが、背中を向けているのは好都合。
剣心が何かやっているうちに、とばかり手早く襦袢や腰巻を脱ぐと濡れないように近くの岩にかけ、素早く湯に滑り込んだ。
慌てて入ったものだからじんとした熱さが肌を刺した。
だが肩まで浸かってじっとしていると、全身が解きほぐされるような開放感を味わう。
思いっきり伸びをしてからくるりと振り向き、律儀に言いつけを守っている剣心の背中に声をかけた。
「もういいわよ」
彼が動いたのか、草を踏みしめる音が聞こえて薫は岩の陰に移動した。
剣心に見られると思うとどうにも落ち着かない。
「どうでござるか、湯加減は」
「うん、最初は熱かったけど今は平気。外だからこのくらいがちょうどいいかも」
左様でござるか、と答える声が近くなった。
先ほどの口づけを思い出し、体が熱くなる。
が、剣心はそれ以上近付かず、ちょうど薫のいる岩場の後ろに座り込んだようだ。
逆刃刀の鍔鳴りがいつもより澄んだ音に聞こえるのは湿っている空気の中にいるせいか。
「剣心?」
ひょこりと岩場から顔を出すと思ったとおり、剣心は逆刃刀を肩にもたせて胡坐をかいていた。
問いかけるような眼差しに逆に問うた。
「剣心は・・・疲れてない?私を追ってずっと走り続けてきたんでしょう」
「大丈夫でござるよ。さ、拙者がここにいるゆえ、薫殿はゆっくりしているといい」
そう言うと背中を岩に預けて真正面を見据えた。
「うん・・・」
同じように背中を向けて体を沈めると、動きに合わせてちゃぷんと湯が跳ねた。
「ね、剣心」
「ん?」
お互い、目を合わせず会話を続ける。
「わ、私のことは気にしなくてもいいから、その・・・剣心も入ったら?」
「・・・・・え?」
予想外の申し出に思わず薫に目をやったが、ほんのり色づいた妻の背中をまともに見ることになり、慌ててあさっての方向を向いた。
そんな夫の狼狽に気付かず、薫はぼそぼそと続ける。
「だって、私だけ入って剣心がそこにいると何だか落ち着かないし」
「ああ、左様でござるな、拙者がここにいては薫殿も寛げまい・・・少しその辺りを回ってくるでござるよ」
単純に自分がいるせいで薫がゆっくり入浴できないと思った剣心はぎこちなく立ち上がろうとしたが。
「駄目!それは絶対に駄目!!」
勢いよく立ち上がったのは薫の方だった。
ばしゃん、と水音が高く響き岩場に隠れていた裸身が露(あらわ)になる。
湯が滑ってより一層美しさが際立つ妻の体に釘付けになったが、当の本人は気付いていないのか、一気にまくし立てた。
「だって元はといえば私のせいでしょ!?それなのに何で剣心が入らないのよッ」
「いや、だからまず先に薫殿が入って、その後に拙者が入れば問題ないかと」
相変わらず目が離せずにいるが、何とか言葉を紡ぎだす。
それでも薫の追撃は止まらない。
「それなら私が見張りをしているから剣心が入ればいいのよ!」
だから、と息継ぎもせずに続ける。
「ここから離れないで・・・一人にしないでよ!!」
最後は肺に残っていた酸素を全て使い尽くすかのように言い放ち、その後新たな酸素を取り込むために肩で呼吸を繰り返している。
薫の叫びの余韻が消えると、再び場に静寂が訪れた。
剣心はといえば中途半端に腰を浮かせた状態で先ほどとは違う意味で薫を見つめ、薫もまたまっすぐ剣心を見つめ返している。
睨み合いともとれる状態が数秒続いた後、
「承知したでござるよ」
剣心が観念したように眉尻を下げた。
「だから薫殿もちゃんと湯に浸かってくれんか。目のやり場に困る」
了承を得たことにほっとした様子を見せた薫だったが、続く言葉を聞いて自分の状態に気付いたようだ。
顔を真っ赤にしてきゃあ、と叫び、再びざぶんと沈むと盛大な水しぶきが上がった。
「ついでに向こうを向いてもらえるとありがたい。脱ぐところを見られるのは拙者もちょっと・・・」
「言われなくても見ないわよッ」
くっくっくっ、と笑いを噛み締めながら身に付けた衣を落とし始めた。
音を立てずに、静かに湯に浸かる。
僅かに水面が揺れ、薫は剣心が入ったことに気付き、身を硬くする。
一緒に入ることを強要したのは自分だが、夫とまともに顔を合わせる事が出来ずにいた。
「いい湯でござるな」
「そ、そうね」
剣心がさりげなく話しかけても薫は短く答えたきり黙りこんでしまう。
すると、薫のすぐ傍らで水が跳ねた。
「え?」
雨でも降ったのかと思い空を見上げるが、雲ひとつない空に月がくっきりと浮かんでいる。
気のせいかとも思ったが、またぴちょんぴちょんと水が跳ねる。
「こっちでござるよ」
訳が分からないまま声のした方を向くと、
「きゃ!?」
顔面に湯がかけられ、たまらず悲鳴を上げた。
「もー!やったわねッ」
両手を抱き合わせて即席の水鉄砲を作った剣心がおかしそうにこちらを見ている。
「はは・・・薫殿、油断大敵でござるよ」
「何よー、こっちだって!」
薫も同じように両手を組んできゅ、とすぼめるとそこから細く湯が噴き出して剣心に命中した。
「おろ!?」
間抜け面を晒す剣心がおかしくて、腹を抱えて笑い出した。
「やだ、剣心ってばおかしい!」
ひとしきり笑い転げた後、剣心がじっとこちらを見ていることに気付く。
「剣心・・・?」
「ちと失礼」
「え・・・きゃぁ!?」
いきなり足を掴まれ、ぐらついた体を慌てて両手で支えた。
文句を言うために開いた口からは、
「ひゃっ」
悲鳴と呼ぶには何とも色気のない裏返った声が出た。
薫の声は聞こえているはずなのだが、剣心は気にせず彼女の足の裏を親指で押し続ける。
足の裏をもみほぐしてくれているのだと理解するのに時間はかからなかった。
「剣心、いいってば!」
「いやいや、今のうちにもみほぐしておかんと明日が辛いだろうし」
「だから自分でやるからいいんだってば」
「それは聞けぬよ」
「なんでっ」
「今、この手を離したらまたそっぽを向いてしまうのでござろう?そうすると理由を聞くのに少し手こずるゆえ」
「理由?何の?」
きょとんと聞き返す薫をちらりと一瞥してから剣心はまた視線を戻して言った。
「薫殿が拙者に対して怯えている理由、でござるよ。いや、正確に言えば『男』に対して・・・でござるかな」
「え?」
考えてもみなかった言葉に黒瞳が瞬いた。
どういうこと、と聞き返す前に剣心の唇が動く。
「もう分かっていると思うが、拙者が来なければ今頃はどうなっていたと思う?」
全身に緊張が走ったのが剣心にも伝わった。
今、薫の頭の中ではならず者達に体を弄ばれている光景が浮かんでいるのだろうか。
その恐怖は本人はもちろんのことだが、それ以上に剣心を苛(さいな)む。
だが、今恐怖に苛まれているのは薫だ。
その証拠に何気なく逆の足を持ち上げると、抵抗はないが強張ったままだ。
剣心は先ほどより強く、そしてやさしく妻の足をもみほぐしていく。
「薫殿」
まっすぐ薫の瞳を捉えた。
「拙者が怖い?」
「!そんなことないッ」
噛み付くように言ってから、薫は目を伏せて繰り返した。
「・・・・そんなこと、ない・・・」
声音が落ちたのはうつむいたからだけではないだろう。
「分かっているの、剣心は違うって。でも、何だか、その・・・」
「薫殿がそう感じるのも無理はない」
申し訳なさそうな視線を送ると剣心は苦笑した。
「薫殿が落ち着くまでゆっくりと待つ、という方法もあるが、それだと拙者の身が持たない」
「は?」
剣心の言うことがいまいち理解できず、首を傾げた。
「手っ取り早い方法として、拙者が奴らとは全く違うということを薫殿の身に教え込んだほうがよさそうでござるな」
「お、教え込むってそんな簡単に」
戸惑う妻に夫が笑う。
秘め事の際にはいつも見せる艶色を帯びた微笑。
毎回のように見ているが、慣れるということはない。
むしろ、目にするたびに心も体も囚われていくような、そんな錯覚すら覚える。
「試してみようか」
視線が絡まり合ったまま剣心は薫の足に顔を近付け、ちろりと指を舐め上げた。
「きゃん!」
いきなり足を舐められるとは思っておらず、逃れようと身を退く。
が、薫の足首は剣心の手によってしかと掴まれており、
「ちょっと、ふざけないでよ・・・」
足を引っ張ってみても彼は離してくれそうにない。
「嫌よ剣心、やめてちょうだい!」
「薫殿は嫌なのでござるか?」
上目遣いで見つめられ、その表情にどきりとしたがすぐ眉を吊り上げてみる。
「あ、当たり前でしょ!大体足の指なんて、そんな汚い所・・・!」
何かに耐えるように唇が引き結ばれたのは、剣心の舌が指の間をなぞり始めたからだ。
むず痒くなるような感覚は薫の中心へと蓄積され、それが疼きとなって彼女を苛む。
そんな薫の反応を楽しむかのように、剣心はわざと音を響かせて足の裏に口づけ、指を甘噛みしたり口に含んでしゃぶる。
「はぁ・・・」
こらえきれなくなったように、薫の口から悩ましい吐息が零れた。
思いもよらなかった箇所を責められて感じてしまっている。
「もぉやめてってばぁ・・・力が抜けちゃいそう・・・」
湯船の底に手をついて体を支えているが、腕の力が頼りなくなっているのを自覚していた。
剣心の腕が伸び、彼女を支えるようにして抱きかかえる。
薫は素直に夫の胸に体を預けた。
「おろ、のぼせてしまったのでござるか?顔が赤い」
からかいを含んだ声に薫は膨れた。
「誰のせいだと思っているのよ!」
「でも気持ちよかったでござろう?」
「ば、馬鹿!!もう知らないッ」
すっかり拗ねてしまった妻に笑いを堪えていたが、顎に手を添えて上向かせると、音を立てて唇を吸った。
「!?」
「では、女房殿の機嫌を損ねてしまったお詫びにもっと気持ちよくしてさしあげような」
ざばりと水音を響かせて、目を見開いたままの薫を抱いたまま立ち上がった。
冷やりとした空気が肌を撫でたが、彼の体温と深い口づけですぐ体が熱くなった。
舌を絡め取られ、強く吸われたり、軽く噛まれる。
逃れようとしても夫の舌が執拗に追ってきて、すぐ捕まってしまう。
唇を合わせたままで、剣心の手は薫のうなじをやさしく撫でていた。
剣心が岩場に腰掛け、自分は彼の大腿部に座していることにもしばらくは気付かぬまま。
やっと唇が開放されると、今度は剣心の手が胸の膨らみを包み込み、やわやわと揉み上げた。
「ぁん、は・・・っ、こ、こんな所、で」
口づけの合間に訴え、制するように夫の手を押さえた。
熱のこもった愛撫に、剣心が何をしようとしているのかいやでも気付かされる。
誰も来ないような夜の森だが、外であることには変わりない。
「ねえ、お願いだから・・・ン!」
すっかり固くなっている頂を指が掠め、思わず声が漏れてしまう。
「大丈夫、拙者達しかおらぬよ」
囁きながら顎、首、鎖骨と唇を這わせ、つんと立った頂をぱくりと咥えた。
そして飴玉を転がすかのようにゆっくりゆっくりと味わう。
「!アン、や・・・ひぁ・・ああっ」
時折唇で吸ったり軽く噛むと、その都度薫の体が波打つ。
「いや、けんしん、いやぁ・・・」
感じているくせに頑なななまでに拒絶の言葉を発するのは、屋外で情事に及んでいる恥ずかしさと、与えられる愛撫に感じてしまっている事実を認めたくないからだろう。
本人は何とか今の行為をやめさせようとして夫の胸から逃れようとしたり目で訴えかけているが、それがますます男の情欲を煽(あお)りたてる。
妻の体を支えながら、両の膨らみを手と舌で責め立てていく。
「ふぅ・・ん!・・・やぁ、もぉこれ以上、は・・・!」
「薫殿は本当に心配性でござるなぁ」
のんびりとした口調だが、実際は剣心の方が薫以上に燃え上がっている。
ここでやめろと言われてもそれは出来ない相談であった。
「お願、ひぁ・・・っ、お・ねがぁ、い!あぁッ」
彼女の眦(まなじり)から涙が一筋流れ落ちた。
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