カルマの坂 <序>






その剣は少年の体格から判断するに、彼には少々大きいようだった。



剣が大きければ、その分重量も増す。
少年の足跡に続くように、剣を引き摺った跡がくっきりと残っていた。
普段は風の様に素早い動きを見せる少年も、ずしりとした剣を持っていてはその特性を活かすことも出来ない。



少年は焦った。



剣を盗み出すために夕暮れまで待った。
それだけでもかなり時間が経過しているというのに、今度は盗んだ剣が少年の足を引っ張る。
剣を盗んだ頃は少年の髪と同じくらい赤かった空が、今では黒い絵の具で塗りつぶしたように暗くなっている。










いっそのこと剣は持って行かないほうが       だがすぐに考え直す。










丸腰で行っても何も出来ない。
大人達に捕まって役人に引き渡されるのが関の山だ。










いや、そんなことは問題ではない。
捕まることは覚悟の上だ。



ただ、捕まる前にあの少女だけは助けてやりたい。



そういう考え方をしたのは生まれて初めてかもしれない。
他人のことを考えている余裕などなかった。




















まだ幼い少年が、身の軽さを活かして食べ物を掠め取る毎日。
自分のことで精一杯だったはずの少年が、名前すら知らぬ少女のために危険を冒そうとするその理由とは。



話は数時間前に遡(さかのぼ)る        





















泥棒、という叫び声が追いかけてきたが、少年は振り向かずに足を速めた。
今しがた店先から盗んだパンをしっかり抱え、速度を落とすことなくひたすら走り続ける。

昔から足の速さには自信があった。

大人でも簡単に追いつくことは出来ないだろう。
人通りの多い街中でも泳ぐようにして人の間をすり抜け、盗みの被害に遭った店主が人ごみに揉まれている間に少年の姿は既に消えていた。
その状態に、さすがに店主は追跡を諦めざるを得なかった。










自分を追いかけてくる気配が消え、もう大丈夫と判断すると少年はやっと速度を落とした。
ずっと抱き込んでいたため少し形のひしゃげたパンを見て、どこで食べようかと辺りを見回すと、正面から来た行列とすれ違った。
何気なくそちらを見ると、行列の大半はまだ幼さの残る子供ばかりだった。



ただの子供でも金持ちの家に使用人として売られる。
そして、見目麗(うるわ)しい少女であれば、金持ちどもの慰み者となる。



戦渦に巻き込まれ身寄りをなくした子供を攫ってくる場合もあるし、また貧しさのあまり親が娘を売る場合もある。
この国では別に珍しくもない。
子供達は皆一様に怯えきった表情を浮かべ、中にはあまりの恐怖に叫びだす子供もいた。










これもまた、この国でよく見かける風景だ。










少年は興味なさそうに視線を投げ、空腹を訴え始めた腹に詰め込むべく、パンにかじりついた。
正確にはかじりつこうとしていた。



今にもパンを食べようとして口を大きく開けた少年の瞳に映ったもの、それは。










美しい少女がそこにいた。










慰み者となる少女は皆美しいのだが、その少女は群を抜いて美しかった。
現に、周りからも感嘆のため息が漏れるほどだ。



艶のある黒髪は星が瞬(またた)く夜空を思わせ、雪の精かと思わせるような白い肌。
他の少女がほとんどうつむいている中で、その少女は無表情ではあるがまっすぐ前を向いていた。
見物人の注目を集めた最大の理由は、怯えの色すら見えぬその静かな姿だろう。



やがて人買いは、金持ちの屋敷を一軒一軒まわり、その家の主に商談を持ちかける。
金持ちは一列に並んだ子供たちを見て、気に入れば人買いに金を渡し、子供を屋敷に連れ込む。
泣き喚いて逃げ出そうとしても無理矢理連れ戻される。

そんな光景を見ても表情を変えるものはいなかった。










少年も普段なら表情を変えることはない。
だが、今日は違う。

空腹すら忘れ、彼の視線は件(くだん)の少女にだけ注がれている。










やがて、ある金持ちの家で少女を見た主が、人買いを手招きして耳打ちする。
どうやら少女のことが気に入ったようだ。
醜く太ったその金持ちの男は似合いもしない宝石を見せびらかすように身に付け、脂ぎった手で人買いに金を手渡す。










商談成立。

これで少女の運命は決まった。










あの手で少女が穢(けが)されるのか。



そう思うと、少年の胸がざわめく。
だが、何の力も持たない少年はどうすることも出来ない。

やりきれない気持ちを抱え、少年はその場を去ろうとして、最後にもう一度少女を見た。










少女はうつむいていた。










うつむいた少女の表情は豊かな黒髪に遮られ、誰も見ることは出来ない。
しかし少年は見たのだ。

少女の瞳から零れた一滴の涙を。



居ても立ってもいられなくなり、少年は背中を向けて走り出した。
少女の涙を見た瞬間、少年の中で何かが弾けたのだ。



それが何なのか、よく分からない。

もう少しで分かりそうな気もするのだが、ぎりぎりのところでその答えが出てこない。



少年はもどかしさを消すかのように叫んだ。
叫びながら走っていた。
いつの間にかパンが消えていることにも気付かなかった。
今の少年の頭の中にはたった一つのことで埋め尽くされていた。










あの少女を助けたい、と。




















        そして今、少年は少女が売られた屋敷の前にいた。



そこからどうやって屋敷の中に入ったのか覚えていない。
少女の姿を探すうちに家人に見つかり、闇雲に剣を振り回していた。
剣が重いとか、人を殺したとか、そんなことは考えていられないほど剣を振るい、刃をつきたてた。










切っ先から赤い血が滴(したた)り、己の体も紅(くれない)に染まった頃、やっと少年は少女を見つけた。










しかし、その姿を認めた少年は愕然と立ち竦む。










少女は既に穢された後だった。











少年の気配を感じたのか、ゆっくりと首を回した。
しかし、その瞳に少年の姿は映らない。



清らかな肌は昼間見た時と同じなのに、少女の心は壊れていた。










虚ろな瞳で微笑む少女はまるで人形のよう。










少年は少女のそばに近づいた。
血で濡れた手を伸ばし、そっと乱れた髪を直してやる。

それでも少女は表情を変えなかった。



少年は、少女を安心させるように笑みを浮かべてみせた。

そして。
















ゆっくりと剣を振り上げ、少女の胸に            



















少女の胸に剣が吸い込まれ、新たな血が少年の体を染め上げる。
この時は、不思議と何も感じなかった・・・・・





















次項    



ポルノグラフィティ「カルマの坂」。
当宿では初のパラレルです。
序章から暗くてスミマセン・・・
だってだって、歌自体暗いんだもーんッ(叫)

ええと、序章は「過去」の話となっております。
次回から「現在」になりますので。