カルマの坂 <1>










目を開けて、真っ先に視界に飛び込んできたのは白い光だった。










死の世界とは、このような真っ白な世界なのか、と思った。
しかし、それはすぐに間違いだと気付く。
その光に手を伸ばそうと身じろぎした途端、全身が酷く痛んだからだ。



痛みを感じる        この場合、自分は生きているという確かな証明。



私はまだ生きている、と理解すると同時に深い絶望感が彼女を襲う。










生き延びてしまった・・・・・










その事実に愕然としていると、更に追い討ちをかけるような低い声が彼女の耳に届いた。



「どうやら意識ははっきりしているようだな」



彼女の視界に入るように一人の男が身を乗り出した。

左頬に刻まれた十字傷は裁きの十字架か。
血の色かと見まごうほど赤い髪を持つその姿は、まるで地獄の住人のよう。

だがそれは己の錯覚に過ぎないことを十分理解していた。
なぜなら、彼女は彼と会ったことがあるからだ。










正確に言うと、彼と『戦っていた』         










「君は運がいい。あれだけの深手を負いながら助かったのは奇跡だとドクターが言っていたよ」
その言葉を聞いて彼女は首だけ動かして周りを見てみる。
先ほど白い光と思っていたのは部屋の蛍光灯の光だった。
口には酸素マスクがはめられ、点滴の管や色々な機械のコードが自分の体に続いている。
どうやら自分は病院のベッドに横たわっているのだ、ということは理解できた。
今の状況を把握すると、彼女は今一番聞きたいことを口にした。



「・・・・・
・・・」
「え?」



ただでさえ目覚めたばかりで声が掠れているというのに、その上酸素マスクで覆われているので彼女の声は男に届かない。
しかし、男は彼女の唇の動きで何を言っているのかが分かった。
彼女はこう言ったのだ。










なぜ助けたの、と。










「目の前で血を流して倒れている人間を見たらまだ息があった。放っておかないだろ、普通」

平然として簡潔に説明する男に、彼女は憎悪を込めた瞳で応えた。
が、男は動じる様子を見せない。
彼女のような人間と接するのは慣れているようだった。



「それともあのまま死んだ方が良かったのか」



男の目がすっと細められた。



「ここに来た人間は皆同じことを言う。特に君と同じY国のスパイは、ね」



彼女の瞳が僅かに揺れた。
普通の人間には分からないほど微弱な反応であったが、男の言葉に激しく動揺していた。










この男は私が何者か知って助けたの?










先ほど、彼は『まだ息があったから助けた』と言った。
だから『放っておけなかった』と。

く、と彼女は表情を隠して皮肉るように笑った。










詭弁だわ。
人の良さそうな顔をして、結局のところ利用するために助けたんじゃない。










『放っておけなかった』のは、彼女がY国の人間だから。
この男は、彼女からY国の情報を引き出そうとしているのだ。
恐らく、彼女の体が回復した頃に尋問を開始するのだろう。

酷い拷問を受けることになるのだろうか。
厳しく罰せられるのだろうか。

己の身にふりかかる現実を悟ると、これから待ち受ける試練に恐怖が胸の奥からせり上がり、寒くないはずなのに震えそうになる。
だがそれをこらえ、きっと男を睨む。










拷問が何よ、国を守るためだったらどんな責め苦にも耐えてみせる。
私だってプロのスパイなんだから、あなたの思い通りにはならないわ!










一方、そんな彼女の表情を注意深く見守っていた男は、彼女の意志の固さを悟った。



これは長期戦になりそうだ。



男はS国大統領の側近の一人だ。
肩書きは側近だが、時と状況によっては護衛にもなるし、彼女のようなスパイにもなる。

今回、彼に下された肩書きは「調査官」。

彼女が推測したとおり、Y国の情報を得るのが目的だ。
だが、大統領が彼に命じたのはそれだけではない。
こちらは大統領から命じられなくても男は実行するつもりであった。










「・・・君に危害を加えるつもりはない。だからそんなに睨まないでくれ」
男はいまだ自分を睨みつけている女スパイを安心させるように微笑んだ。
「今はゆっくり休むといい。折角助かった命なんだ、これを機に生き方を変えるのも悪くない」

男は彼女の体に掛けてある毛布を肩まで掛けてやり、また来るよ、と言って部屋を出て行った。




















先ほど赤毛の男が指摘したように、彼女はY国のスパイであった。
母国であるY国から、指令を受けて任務を遂行している。

ふむ、と男は思案するように形の良い顎を撫でた。

彼女が自分の任務に忠実であるというのは、それだけ自国に忠誠を誓っているということだ
しかもあの独裁国として知られるY国のスパイ。
すんなり心を開くことはまずないだろう。



ふと、彼女がここで横たわる原因となった時のことを思い出した。



彼を睨んだ時と同じ眼差しで果敢に戦っていた彼女が一瞬だけ見せた虚ろな瞳。










男は同じような瞳を持った少女を知っている。
まだ男が少年と呼ばれていた頃に出会い、今の男の生き方を決定付けた少女。
あの時の彼女の瞳は、最後に見た少女の瞳と酷く似通っていた。















当時は男が住むこのS国は度重なる内戦で国は荒れ果てていた。
裕福な者は金に物を言わせて安全な場所に避難できたが、貧しい者達は死の恐怖に怯えながら危険な地に残るしか出来なかった。

男の生まれた家庭は後者の方である。

そんな中、両親が銃撃戦に巻き込まれ、そして死んだ。
男は幼くして独りぼっちになったのだ。



だが、それは良くあること。



孤児になった子供が生きるために盗みを覚えるのも、ごく自然の流れと言えた。










空腹を満たすために食べ物を盗んで何が悪いのか。
生きるために自分が出来ることをして何が悪いのか。










純粋に『生きる』ことに執着していたあの頃。
善悪など、生き延びるためには何の意味も持たなかった。










『人は皆平等』なんて、恵まれている人間の戯言に過ぎない。
『神様』なんて救いを求めたいがために生まれた、ただの幻。

もし本当に神なんてものが存在するなら、この世に生まれた人間は全て愛されたはずだ。










神に愛されないのなら、己の手で自らの未来を切り拓(ひら)くまで。










そして男はその言葉通りに生きてきた。
だが、人生の転機をくれたのは間違いなくあの少女。



もしあの時出会わなければ、今頃自分は・・・・・いや、この国はどうなっていたことか。










果てしなく続くと思われた内戦も、数年前に就任したS国の大統領の手腕により、その長い歴史に終止符を打った。

この大統領は荒れ果てたS国を一日も早く復興させるべく、他国との輸出入を始めるなど、復興活動に力を注いだ。
更に他国とのパイプをより確たるものにするため、自ら他国に視察に出向いて友好的な態度を見せたりと、今までどの大統領も実行しなかったことを積極的に行っていた。
その甲斐あって、復興までに数十年要すると言われたS国は、大統領就任後、僅か三年で先進国の仲間入りを果たしたのだ。



今、大統領は、隣国のY国との合併を強く望んでいる。
山脈に囲まれているY国が他国の援助を受けずにいられるのは独自に莫大な資本を産み出しているからだ。
合併すれば、S国もその恩恵にあずかることが出来る。











しかし、大統領は合併の件とは別に気にかかることがあった。











他国で内戦が起こり、武器のルートを調べるうちに辿り着くのは毎回決まってY国であった。
独裁国として名高いY国と交流している国は少ない。
しかも、その数少ない国のほとんどは幾度も内戦状態になっている。



これで怪しむなというほうが無理だろう。



そこで、世界各国の代表が集まる会合でY国の君主に近づき、大統領は友好条約を結びたいと持ちかけた。
いまや、S国大統領の手腕は世界各国から認められていた。
一躍時の人となったS国大統領からの申し出を無下には出来なかったのだろう。
あまり気乗りしない様子ではあったが、それでもY国の君主はS国と友好条約を結んだ。










条約が結ばれると、大統領は赤毛の男と共に早速Y国に足を運んだ。
君主が住む首都は、Y国の持つ莫大な資本を見せ付けるかのように近代的な街だった。
しかし、男が密かに地方の町を探ってみると、貧富の差が激しいことを知った。



内戦こそないが、Y国の状態は数年前のS国を思い出させた。
こんなにも貧富の差が歴然としているのに暴動が起きないのは、Y国の人間が君主を絶対的な存在と崇(あが)めているからだ。



もし、少しでも国の方針に逆らう者がいたら、問答無用で引っ立てる。
彼らは国の果てにある収容所に入れられ、そこから出ることは叶わない。
そのこと自体、Y国では誰も疑問に思わないのだ。



街の至る所に「全知全能の父」と書かれた君主のポスターが貼ってあるし、テレビをつければ「君主様の今月のお言葉」なんて宗教じみた番組まである。
生まれたときからこんな環境に囲まれていれば嫌でも君主を崇めることになるだろう。










そうやって国民の心に絶対的な存在と植えつけることで、反乱が起きないようにしているのか。










『君主が身を粉にして国を守ってくださるのだから、貧しいくらい、なんてことはない』
『君主のためなら、自分の命を捧げても構わない』

この言葉通り、彼女は自分の命を国に捧げた。
彼女だけじゃない。
Y国から命令を受けてS国に来たスパイは皆        










「くそッ」










ダンッ!!!!!



苦々しげに吐き出し、力任せに壁を殴りつけると、痛みと共に鈍い衝撃が骨にまで伝わった。
その痛みを感じることで、男は落ち着きを取り戻した。









大丈夫だ。
彼女は生きている。










死んでしまえばもう何も出来ないが、生きているのならまだ手の打ちようはある。



彼女は救ってみせる。
あの少女と同じ、虚ろな瞳にはさせない。










決して屈しないという彼女の意志同様、男の意志もまた、彼女と同じくらい固いものだった。










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すみません、書いていくうちに妄想が膨らみました・・・←膨らませすぎ?
歌に合わせて書くときは短めが多いはずなのに、今回長めです。
んで、ちょっと難しい内容。
σ(^◇^;)の頭は、パンク寸前です・・・・

ちなみに、今回登場人物の名前は出しません。
いつかはやってみたかった技法なので・・・とかなんとか言っちゃってますが、実際は少しでも歌に合わせようとする悪足掻き←オイ
今のところ出てきているのが彼女=女スパイ、男=少年、少女、大統領ですか?
大統領以外は誰なのか既にお分かりかと思いますがね( ̄▽ ̄;)ははは

尚、男の髪の毛はおろしていることを激しく希望(*^ ^*)ポッ