こそあど






席について早々、剣心の瞳が落ち着きなく彷徨(さまよ)っていた。
目の前に並べられた数々の料理に目移りしているのか、とも思ったが普段の彼からは想像できない。
珍しいものでも見るように剣心を観察していたのだが、眺めるだけでなかなか定まらない視線にもしやと思いすぐ下に置いてあった箸が入っている筒を差し出した。
いきなり目の前に箸筒を差し出されて目を丸くしていたが、全てを分かっているような彼女の瞳にばつが悪そうに肩をすくめて受け取り、箸を並べ始めた。
「今日は招待された側なんだからそういうことしなくても大丈夫だと思うけど?」
黙々と料理を盛り付けられた皿に箸を置く様に、くすくすと笑いがこみ上げる、
「はは、つい癖で・・・じっとしているよりも何かしていた方が性に合うのでござるよ」
こちらも苦笑しつつ返した。
「しょうがないわねぇ」
呆れたように小さくため息をつくが、薫もまた剣心と同じように箸を並べ始めた。

      二人が時間より早く着いたせいか、浦村邸にはまだ人が集まっていない。

初めて剣心が訪れた時に比べると少し間取りが変わったようだ。
十数年経てば自然と色が変わる壁もきれいに塗り替えられ、障子にも真っ白な紙が張られて真新しい家の匂いが漂っている。










数ヶ月前に「人誅」と称した事件があり、それに浦村も巻き込まれた。

一味の者に襲撃され、あわやというところで剣心が駆けつけ命は助かった。
が、敵が去った後に放たれたアームストロング砲によって彼の家はほぼ全壊。
それから時が過ぎて事件の方は解決したが、家屋の修復にはそれ以上の月日を要した。
今日はめでたく修繕及び改築された浦村邸の祝いの日、というわけだ。










箸を全て並べ終えた頃、家主である浦村が現れた。
「お待たせしてすみません、緋村さん」
自宅にいるためか、いつもの制服姿ではなく長着に同色のものであつらえた羽織を身につけた寛いだ姿だ。
剣心は居住まいを正し、祝いの言葉を述べる。
その後に続く言葉を発するとき、彼の表情が曇ったのは無理もないことだろう。
「今回の一件、浦村殿にも多大な迷惑を    
謝罪の言葉を浦村は片手を上げて遮り、眼鏡の奥にある目を更に細めた。

「緋村さん、あなたが最初にそのことをおっしゃったときに私は申し上げたはずです。これはあなたのせいではない、と」

穏やかな話しぶりだが、反論できぬ重みがあった。
温厚な男だがそれだけでは警察署長は務まらない。
傍(かたわ)らに控える薫にはそれがひしひしと感じられた。
「警察官という立場から申し上げれば己の身に危険が及ぶことなど承知の上。たまたま緋村さんも関係していただけであって、いつこうなっても不思議はなかったのですよ」
そう言われても、性格上おとなしく引き下がる剣心ではない。
「しかし、現に拙者のことが原因で住居が破壊され、御身にも怪我を負わせてしまった・・・気にするなと申されても、そう簡単に割り切れるものではござらん」
「緋村さんのその性格は私も嫌いではないのですが、こういうときには困りますね」
苦笑しつつ、自慢の口ひげを撫でて思案する。

「ではこうしましょう。緋村さんにひとつ手伝ってもらい、それで今回のことはこれきりに」
「承知した。して、拙者は何を?」
「もう手伝っていただいたので結構ですよ」
「は?」

言われたことがよく分からず、瞳で問いかけると、浦村はにんまりと口角を上げた。
「今、箸を並べてくださったじゃありませんか。これも立派な『手伝い』ですからね」
呆気にとられている剣心に、たまらず薫が吹き出した。
同時に浦村に感謝した。
今回の『償い』としてこれから警察の仕事に剣心を引っ張り出すことも出来たのに、彼はそうしなかった。
署長としての力量はもちろんのこと、人間としても心から信頼できる男である。

「忝(かたじけな)い」

男同士笑みが交わされ、他愛のない会話で時を過ごしているとぞろぞろと招待された人間が集まってくる。
やがて席が満たされ、お決まりの挨拶が終われば、あとは賑やかな宴となった。
見知った顔や逆に初めて顔を合わせる者とも言葉を交わしていると、客達の会話に混じって浦村夫妻のやり取りが薫の耳に届いた。



「おい、あれがないぞ」
「はいただいま・・・これですね」



短いやり取りで固有名詞は出てこない。
にもかかわらず、夫婦の間ではちゃんと会話として成り立っているのだ。
「そうそう、それだ」
その証拠に婦人から手渡されたものを見て浦村は満足げに口元を綻(ほころ)ばせている。

     これが『こそあど』ってことなんだ。

『これ』『それ』と指摘するだけで相手に伝えることが出来るというのは話に聞いていたが、実際目の当たりにするのは初めてかもしれない。
説明など必要としない夫婦の会話はお互いの心が通じ合っているからなのだろう、と見つめる薫の眼差しには自然と憧れも込められる。
(署長さん御夫婦みたいになるにはまだ無理だけど、私と剣心だって)
ちら、と視線を向けた先には想い人がいた。
次々と酒を勧められ、困ったように眉を下げている。
断りきれずに杯を重ねたせいか、少しばかり頬が赤い。
だがもともと酒に強い剣心のこと。
酔った素振りなど微塵も見せず、人当たりのいい笑みで歓談しており、逆に薫を気遣う余裕まで見せている。
「薫殿、何か取ろうか?」
問われて薫は素直に皿を差し出した。
ちょうど剣心の近くに置かれている煮豆を食べたいと思っていたところだ。
皿を受け取った剣心は少し多めに豆を取り分け、彼女に手渡した。
礼を言う代わりに微笑むと、彼の唇もやわらかな曲線を描いた。
宴もたけなわとなり、周りも騒がしくなってきたが、二人のいる場所だけ違う空間のようだった。
それを感じ取ったのは浦村を始めとする数人だけで、他の人間はおろか、当の本人達ですら気付いていないようであった。



    この日のことは宴が終わり、いつもと同じ日常を送っても、薫の心に深く印象付けられた。
それでも普段それを面(おもて)に出すことはない。
今は無理でもいつかはあんな夫婦になりたいという憧れの感情だけにすぎないからだ。



そして平穏な日々が続く。
ひと騒ぎあったのは浦村邸に招ばれた日から数日後のこと。










昼前に出稽古先から戻ってきた薫は剣心と食事を共にし、居間で繕い物に精を出していた。
同じ部屋には剣心が寝そべって本を読んでいる。
静かな時が流れていくが、薫はこの穏やかな静寂が好きだった。

何か話すわけでもない。
触れ合うわけでもない。
それでも二人が一緒にいるだけで幸せな気持ちになれる。

剣心といるだけで心なしか針が滑らかに動くよう。
糸を結んでから噛み切り、新たな繕い物に取り掛かろうと手を伸ばしたが    そういえば、と薫の動きが一瞬止まった。



昨日一緒に洗濯物を取り込んでいたとき、剣心が僅かに眉をひそめた瞬間があった。
気になった薫は彼がその場を離れた隙に洗濯物の山を確かめてみた。
すると、肩口の部分が解けかかっている緋色の長着を見つけたのだ。



その長着が誰のものであるかなど聞くまでもない。
薫としては早めに繕おうと思っていたのだが、そのまますっかり忘れていたのだ。
つい、と顔を上げると声をかける前に剣心の問いかけるような眼差しと出会った。
何か用があって向けられた視線ではなく、話を促すような瞳に用件を切り出そうとした。
・・・・・が、寸前で浦村夫妻のやりとりが思い出されて言葉を飲み込み、代わりに問うた。
「ねえ、あれ持ってきてくれる?」
相手の先を読んだり、感情を察知する能力に長(た)けている剣心のこと。
いくら何でも無理かも、という諦めと、もしかしたら同じようにできるかも、と淡い期待を抱く。
結果は前者であった。
男にしては大きめの瞳が何度か瞬き、首を傾げている。
深く思案するような剣心に、薫は落胆を禁じえない。



いくら剣心だって『あれ』だけじゃ何のことか分からないわよねぇ・・・
署長さんのお宅だって最初から通じ合ったわけじゃないだろうし。



気を取り直して軽い口調で付け加えた。
「あれよ、あれ。ほら、昨日洗濯物に混ざっていたでしょ?」
それとなく答えに誘導するとさすがに分かったらしい。
納得したように表情の強張りが解け、気付いたのでござるか、と気恥ずかしそうに頭など掻いている。
見事通じ合えたことに諸手を挙げたい心情だったが、それは何とか抑えて、
「あれだけ派手になっていればすぐ気付くわよ。さ、一緒に繕っちゃうから出してちょうだい」
「え!?い、いや、あんなもののために薫殿の手を煩(わずら)わせることはござらんよ」
顔色を変え、しどろもどろになる剣心に、薫も怪訝そうに首をかしげた。
「?別に今更でしょ。煩わせるも何も、今までだって何度もやってきたことじゃない」
剣心の衣類を繕うことなど初めてではない。
そういう意味で言ったのだが、剣心は明らかにうろたえた様子で、普段より口数が多くなる。
「そうは言うてもやはり、あれを薫殿に頼むのはいくらなんでも申し訳なさ過ぎでござるよ。やはり拙者が自分で    」
煮え切らない態度に段々腹が立ってきた。
「剣心・・・・私の言ったことが聞こえなかったの?」
「おろ?」



「聞・こ・え・な・か・っ・た・の・?」



「・・・・や、そんなことは」
「だったらつべこべ言わずに持ってくる!!」
「は、はいッ」
薫の剣幕に圧され、剣心は脱兎の如く部屋を飛び出した。
「全く、たかが綻びを直すくらいで遠慮しすぎなのよ」
ぶつぶつ文句を言いながら新しい糸を取り出した。
確かこの色だったわね、と針に通していると。
「あの・・・薫殿?」
おどおどしながら剣心が戻ってきた。
言われたとおりに持ってきたらしいが、思い悩む彼の心情そのままに後ろ手で隠されている。

この期に及んでまだ足掻(あが)くか、と新たな青筋が浮かんだが剣心は気付かない。

「言われたとおり持ってきたが拙者」
「ああもう!いつまでもうじうじぐだぐだとッ」
苛々が頂点に達し、立ち上がるや否や剣心の制止を振り切って無理矢理隠されたものを奪った。
    白い布がひらひらと眼前に翻(ひるがえ)る。
「・・・・・・何これ?」
明らかに長着とは違うそれを手にしたまま疑問符を浮かべていたが、やがてはっと体を硬直させたかと思うと薫の首からじわじわと赤く染まっていく。
そんな彼女の反応を予測していたとはいえ、見るに耐えなくなったのだろう。
同じように赤い顔をした剣心は言い訳するように口の中でつぶやく。
「だから遠慮したのでござるよ。若い娘に男の下帯の繕いなど    
すっかり固まってしまった薫だったが、これ以上ないくらいの混乱に陥っていた。
当然正常な思考でいられるはずもなく。



「いやーーーーーーーーーッ!!!」



薫が大きく右手を振り上げると、ぶん、という唸りと共にひやりとした風が生じた。
凄まじい破壊力を秘めた平手は、そのまま剣心の顔面を狙う!
「おろぉ!?」
この場合、障子は開けておいたままで正解だった。
でなければ彼の体は障子を突き破り、新たに紙を張り替えねばならぬところだったから。

それでも剣心が吹っ飛ばされた事実に変わりはなく。

尻を高く突き上げた間抜けな格好で庭に転がっている剣心をほっぽり出したまま、居間の障子が無情にもぴしゃりと閉ざされた・・・・・










後日、その話を聞いた弥彦が呆れたように吐き捨てた。
「たくっ、たかが下帯くらいでぎゃーぎゃー喚(わめ)くようなタマかよ」
「あ、何よその言い方!」
目を吊り上げた薫を一瞥し、少しばかり哀れみを込めて嘆息する。
「そもそも剣心のものなんだから、そこまで嫌がったら却って剣心が傷つくだろうが」
「い、嫌がってなんか・・・ッ」
唇を尖らせながらも返す言葉が見つからない。
それを見た剣心が手をひらひらさせながら助け舟を出す。
「まあまあ。あの時は薫殿のいうものを早合点した拙者も悪かったのでござるよ」
「相変わらずあめぇな・・・早合点したんなら薫だって同じだろ?最初から着物のことをはっきり言えばこんなことにはならなかったんだ」
「だって・・・すぐ分かると思ったんだもん・・・」
蚊が鳴くような声で答えるが、弥彦は容赦しない。
「馬鹿かお前は!『あれ』だけで何でも分かれば飛天御剣流なんざ必要ねえだろうがッ」
「飛天御剣流は関係ないでしょ!?」
「ほら、二人ともその辺にしてお茶にしよう。怒鳴りすぎてのどが渇いたのではござらんか?」

本格的な喧嘩になる前に素早く茶を差し出して中断させる技は、その場の空気を即座に読み取る剣心にしかできない。

「おう、悪いな」
出された茶を受け取り、卓の上にあるみかんに手を伸ばす。
何気なく薫を目で追うと彼女も同じようにみかんを手にしたが、すぐ元に戻し、奥にあったものを取り出した。
それは他のものに比べると色艶が落ちていて、食べ頃は過ぎているように見える。
(何やってんだ、薫の奴)



たまたま手にしたみかんが少ししなびていたから別のものに取り替えるということなら弥彦にも分かる。
だが見た目からして美味しそうなみかんを戻した後、薫の手は何かを探すように動いていた。

そして新たに取り出したみかんを納得したように見て、何故か剣心の前に置いたのだ。
一方の剣心は、といえば特に気に留めることもなく、薫の分の茶を淹れている。
半分くらい注いだところで湯飲みを手にし、軽く振ってから再度茶を注ぎ入れた。
何かのまじないだろうか?



「あ、ありがとう剣心」
今しがた彼がしていたことに薫が気付かぬはずがない。
それなのに普通に微笑み、普通に湯飲みを受け取っている。
「???」
訳が分からない弥彦に対し、目標とする剣客と己の師は何事もなかったかのように歓談している。
己が道場を出てしばらくすると、この二人の空気が変わったことに気付いていた。
表面上は変わらないが、何をしていても二人の意識はお互いに向けられている。
「相手のことしか見えない」というのはまさにこういうことを言うのだろうと呆れる反面、己のことのように嬉しくなったのも事実だ。
しかし、今目の前で起きたことは弥彦にとって不可解な出来事であった。

    一応恋仲になってんだよな、こいつらって。

果たして今の行為は恋人らしいといえるのか。
考えても埒(らち)が明かない。
「なあ、お前ら何してんだ?」
疑問を素直にぶつけると二人の瞳が弥彦に向けられた。
「何してるって・・・何を?」
逆に問い返され、弥彦は己の見たことを含め、簡単に説明する。
「だから、何でお前らがこういうことをしたのかが分からねえんだよ」



薫はなぜ質の落ちているみかんをわざわざ選び取って剣心に渡したのか。
剣心が中途半端に茶を淹れた湯飲みを振ったのはなぜか。



「ああ、それなら」
まず薫が口を開いた。
「剣心ってしなびたみかんのほうが好きなんですって。変わってるわよね〜」
「へー、初めて聞いたぜ・・・ってそうじゃなく!別に剣心が取ってくれって言ったわけじゃないだろ?じゃあ選び取る必要もないし、普通のみかんでもいいじゃねえか」
いきり立つ弥彦に、
「そりゃそうだけど、好きなものが分かっているんだからそれを渡したほうがいいじゃない」
きょとんとして返す薫に剣心も同調した。
「拙者もただ茶を冷ましていただけなのだが・・・薫殿は猫舌ゆえ」

湯飲みを振っていたのは冷ますためか。

「いつもやっていることだし・・・え、何か変?」
何も言ってこない弥彦に不安を覚えたのか、慌てる薫に剣心が落ち着き払って答える。
「しなびたみかんが拙者の好物と知って意外に思っているのではござらんか?」
顔を覗き込まれても弥彦は返す言葉が見つからない。



・・・・てことは何か?
こいつらの場合、言葉すら必要ないほどお互い通じ合っているってことか?



今まで溜め込んでいたものを長いため息にして吐き出したが、気持ちがすっきりしたわけではなかった。
逆に胸の奥がむかむかして気持ち悪い。
その感情は心配そうに見守っている剣心と薫に向けられ、言葉となって弥彦の内から発せられた。
「・・・・もういい。お前ら、勝手にやってろよ」
思いっきり冷めた目を向けると、今度は二人の目が丸くなる。
食べかけのみかんを口の中に押し込み、それを茶で流し込むと彼の心情を代弁するかのように湯飲みが乱暴に置かれた。
「ごっそーさん!!」
もはや二人の顔を見ようともしない。
唖然としている剣心と薫を尻目に、弥彦はその場から去っていった。










「・・・何、あの子」
「さあ?」
揃って首を傾げても答えは出ない。
「たまに何考えているのか分からないときがあるのよね〜」
そう言ってくいっと茶を飲み干す薫と、いつもと同じ笑みを浮かべる剣心。

本人達に自覚がない以上、通じ合っているという事実を知るのはまだまだ先の話。










【終】

小説置場



『こそあど』は2010年に発行した五周年記念本「憂晴レル」に収録された作品と同じタイトルなんですが、ここにあるのはその第一稿(若干加筆修正はしてますが)
もともとは某管理人様がイベントのためオフ本を出すということで、ゲストとして書かせていただいたという経緯があります。
「恋人時代のラブラブな感じで!」という依頼に応えるべく書いたのですが、ちょっとラブラブ度が低かったため甘さを加えました・・・なので、ラスト部分が本よりあっさりしてます。

「甘いほうを読みたい!」という方は五周年記念本「憂晴レル」でお楽しみください!
左側のメニュー【受付】で本のマークがあれば通販可能状態となっておりますので是非是非←太字で強調

ちなみに本で使われている挿絵は【企画室】のオフ会レポートぷち浪漫譚・参オフレポにて展示してます。
以上、宣伝も兼ねたあとがきでした(笑)