言 霊 <1>



朝起きると頭がずきずきと痛み、体がだるかった。
体を動かすとその振動が脳に伝わり、剣心は思わず顔をしかめた。



     昨夜、入浴中に浦村署長に呼び出され、ろくに体を拭かずに飛び出したのが原因らしい。















暦の上では三月なれど、最後の気まぐれとばかりに降る雪もあり、まだまだ冷え込む日が続いていた。
それが分かっていながら、濡れたままの髪で夜の町中を駆け回れば風邪をひくのは当たり前。
原因となった騒動は幸いなことにすぐ解決したが、夜の冷気が剣心の体に浸透するのには十分な時間だったといえよう。
布団に潜り込んでもすっかり冷え切った体に温もりが戻るのは容易なことではなく、仕方なしに火鉢で暖をとり、それでやっと人心地がついたのだが。



目が覚めたらしっかり風邪をひいていたというわけだ。















起き上がるのも億劫(おっくう)だったが、朝餉(あさげ)の支度をしなくてはならない。
頭痛を堪(こら)えながら身支度を整えていると、のどがいがらっぽい感じがして、ごほ、と大きく咳き込んだ。

自分の思った以上に風邪の症状は重いらしい。

今日のうちに薪でも割っておこうかと思っていたのだが、それはやめておいた方がよさそうだ。
こういう時は暖かくしておとなしく寝ているに限る。



よく薫からは「剣心は自分のことになると無頓着になるんだから」と評されていたが、剣心とて長年一人で流浪してきた身だ。
このような症状の時にはどうすればよいのか、十分理解している。



剣心から言わせてもらえば、薫が大げさに心配しすぎるのだ。



昨夜みたいな冷え込んだ夜に軽くくしゃみなどしようものなら、すぐ風邪を疑って「熱は?のどは痛くない?」などとまくしたてて問答無用で休むよう強要する。
ひょんな縁でこの道場に身を寄せることとなったが、どうもこの少女はかなりの心配性であるらしかった。
危うく道場を奪われそうになったのは胡散(うさん)臭げな人間でも疑わずにいたがためであったのに、こと病気に関してはいくらこちらが大丈夫と言っても信じてはくれない。










その疑惑をほんの少し他人に向けさえすれば、危機に陥(おちい)ることもなかろうに。



もっとも、薫が『緋村剣心』という一人の人間を信じきっているから自分はここにいるのだが。
無条件で人を信じるところが薫の魅力であることも否めない。










兎にも角にも。

些細なことでも我を見失うほど心配する薫のこと。
本当に体の調子がすぐれないことを薫に知られたら、その心配に更に拍車をかけることとなる。

ばれないようにする、というのは無理かもしれないがそれでも彼女の心配を少しでも軽くするために剣心はあれこれと言い訳を考え始めた。















朝餉の準備をしていると薫が厨(くりや)に現われた。
「おはよう、剣心」
「おはようでござる」
鍋に集中している振りをして振り向かずに挨拶を返したが、何とかいつも通りの声で返すことが出来た。



「もうすぐ出来るでござるよ」



味噌を溶き入れながら、我ながら自然な口調で言えたと自賛していると、背後の薫が動く気配がした。
何か感付かれたか、とぎくりとしたが、
「おいしそうな匂い・・・今朝のお味噌汁の具はなぁに?」

どうやら味噌汁の匂いにつられただけらしい。

「ああ、今朝は    
ほっと肩の力を抜いて返事をしようと口を開きかけたが、不意に薫の手が上がったのを見て言葉を切った。
薫の真意に気付き、咄嗟に避けようとしたがもう遅い。










      やっぱり熱がある」



剣心の額に手を当てた薫がため息と共に吐き出した。
「おかしいと思ったのよね。声をかけても剣心が振り向かないなんて」



顔を見せぬ方が気付かれまい、と踏んだ剣心の思惑は、却って墓穴を掘ってしまったようだった。










「昨日、寒い中にいたせいでしょ?何で体調が悪いこと隠していたのよ」
じろりと上目遣いに睨まれ、
「隠していたわけではござらんよ。朝餉の支度が済んだら少し休ませてもらおうかと」
ややたじろきながらも言葉を紡ぐ剣心に「言い訳しない!」とぴしゃりと言い放つ。
「大体、休むつもりがあるんなら最初に言ってちょうだい。私だって病人に家事をさせるほど鬼じゃないんだから」
呆れたように言って、薫は剣心に休むよう促す。



おや、と剣心は眉をひそめた。



体調がすぐれなかったことを隠していた剣心に対してもっと怒り狂うかと思っていたのだが、予想に反してその怒りはすぐにおさまったようだ。










「剣心、食欲は?普通のご飯は食べられるの?」
しばし呆気に取られていたが、薫の声で我に返った。
「そうでござるな・・・少しなら・・・」
「食べられるなら少しでも食べておいた方がいいわ。ここはもういいから、剣心は部屋で寝ていてちょうだい。後で持っていくから」
そう言いながら、薫は椀に味噌汁を盛っていく。

「いや、しかし・・・」

すぐに行動を起こさない剣心に、
「言われたとおりさっさと寝る!」
「はいッ」
きつい眼差しを向ければ、条件反射で背筋を伸ばした剣心が答える。



「・・・・・何だよ、朝っぱらから痴話喧嘩か?」
数日前に門下生となったばかりの弥彦が眠い目をこすりつつ現れた。
「馬鹿言ってないで手伝って。剣心、風邪ひいたみたいだから」
「風邪ぇ?剣心が?」

その事実に驚いて、完全に目が覚めたらしい。

「だからそう言っているじゃない。そういうわけだから、今日一日の家事は私とあんたで分担だからね」
声には出さないものの、弥彦の顔が不満げに歪んでいるのがよく分かる。
その正直な表情を見て、剣心は苦笑した。
「すまぬな、弥彦。今日一日寝ていれば明日には回復するでござるよ」
「別にかまわねえよ。一日くらい薫の不味(まず)いメシで我慢してやらあ」










      ひゅん、と風を切る音が聞こえたかと思うと、しゃもじが回転しながら飛んで来た。
そのしゃもじは寸分違わず弥彦の頭に直撃し、すこーんといい音を辺りに響かせた。










「おろ!?」
「いきなり何すんだ、コラッ」
やや赤くなった額をさすりながら憤然として薫に食って掛かる。

「お前のメシが不味いのは本当のことじゃねえか!」
「ウルサイ!弥彦、あんたは罰としてお米とお塩とお醤油を買ってくること!」
「何だよ、自分が面倒だからって俺に押し付けてんじゃねえッ」

弥彦が神谷道場の門下生になってから、この二人は一日のうち何度も口喧嘩を繰り広げる。
賑(にぎ)やかになるのは結構なことだが、さすがに今は剣心の頭に響く。



「か、薫殿、それらはまだ残っているから、別に今日でなくとも・・・」
「ちょっと剣心、まだいたの!?ホラ、病人は早く休む!」



頭を押さえる剣心を部屋に導くように、薫が走り寄り彼の背中を押す。
「家のことは気にしないで、ゆっくり休んで」
「しかし、薫殿・・・」
「これは家主としての命令よ!」
有無を言わせぬ口調に、剣心は従わざるを得ない。






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定番の風邪ネタ。
・・・ですが他サイト様で見かけるような甘〜い話を期待したらいけません。

要するに「甘さゼロ、シリアスで無駄に長い」(爆)

どんだけビター人間orz
まあ時期的に出会ったばかりのケンカオってのもありますが。



イヤ、最初は確かに甘めでいこうかと思っていたんですよ。
書き上がったものは・・・まぁそれは読んでもらえばおいおい分かるかと思いますが( ̄▽ ̄;)ははは
所詮σ(^◇^;)は根っからのビター人間ですから、何かから影響を受けない限り甘いものは書けないということです(断言しよった)