正直、今も立っているだけでかなりしんどい。
体全体が鉛のように重く、頭痛も先ほどより強くなっている。
熱が上がってきたのだろうか。

「では、休ませていただくでござるよ」
そう言うと、薫は明らかにほっとした表情を浮かべた。

「後で玄斎先生に来ていただくようにお願いしておくから」
薫の言葉に黙って頷き、剣心は自室へと足を向けた。
「そういうことだから弥彦、よろしく頼むでござるよ」
見ると先ほどの怒りがまだ鎮まらないのか、不機嫌そうにこちらを見ている弥彦がいた。



生意気ではあるが、病人に対して憎まれ口をたたくような少年ではない。
しかしこのまま終わらせるのも癪(しゃく)に障るらしく、むっつりとしたまま誰かれともなくこう言った。










「ちぇ、俺も病気で寝込んで楽してみてえよ」















言 霊 <2>



この少年らしい、と剣心は苦笑した。
だが、傍(かたわ)らにいる薫は剣心とは全く逆の反応を見せた。










「弥彦!!!」










あまりの怒声に弥彦の肩がびくりと震え、ただならぬ薫の姿に一歩後ずさった。
白い手が更に色を失くすほどに固く握り締め、肩を怒らせている。
剣心もまた、荒(あら)ぶ感情を露(あらわ)にした少女に声をかけることが出来ず、ただ見守ることしか出来なかった。



そんな二人の様子に構わず、き、と弥彦をまっすぐ射抜く瞳の色は紛れもなく『怒り』。



薫は無言で弥彦に歩み寄り、彼と目線を合わすと、その肩をがし、と掴んだ。
「病気で寝込んでみたいなんて、冗談でも言わないでちょうだい」
爆発しそうになる感情を抑えるかのごとく、薫の口調は静かだが、それがより一層彼女の内にあるもの激しさを物語っていた。










「二度と・・・二度とそんなこと言わないで・・・ッ」










言葉尻が震え、薫は弥彦の肩を掴んだままうつむいた。
剣心は、その口調の中に『怯え』も混じっていたことを敏感に察知した。
それきり押し黙った薫の指がぎゅう、と弥彦の肩に食い込む。
ただ呆然としていた少年の顔が痛みに歪んだが、苦痛の声が漏れることはなかった。



恐らく、弥彦も薫の様子に何かしら感じるものがあったのだろう。



痛みに耐え、弥彦が黙って薫にまかせているのを見てとって、剣心の唇が動いた。
「薫殿」

一歩踏み出すと、床板がきしり、と鳴った。

その音にはっとしたように薫は顔を上げ、自分の行為に気付いた。
「ご、ごめん、弥彦」
慌てて弥彦の肩から手を離し、二人に対して取り繕うような笑みを浮かべた。
「私、玄斎先生に往診お願いしてくる。運が良ければすぐ来てくれると思うから・・・」
そう言うと剣心の返事を待たずに外へ駆け出していった。



「弥彦、大丈夫か」



薫が去った後、剣心は弥彦に歩み寄って気遣う言葉をかけた。
「それはいいんだけど・・・何だってんだ、薫の奴」
いまだ痛みが残る肩をさすりながら弥彦は剣心を見上げる。
その質問に対し、剣心は困ったように眉尻を下げただけで答えを返すことが出来ない。
薫の隠された心の内が分かるほど、剣心とて深く関わっているわけではないのだ。










今はこの道場に身を寄せてはいるが、いつかは出て行く身。
それは、そう遠くない未来。










ならば深く関わらぬ方がいい。
深く関われば、薫を己の奇禍(きか)に巻き込むこととなろう。



それだけは絶対に避けたかった。
自分がここを出て行っても、彼女には平穏で幸せに満ちた未来が待っている。
それを守るために深く関わるのはよそう。










今のように彼女の隠された心に気付いてやれなくても。
それが少し苦く感じる時があっても。










・・・結局、自分は何も出来ないのだ。



ふーっと大きく息を吐き出した剣心を見て、体調がすぐれないせいだと判断した弥彦が彼を自室に押し込めるのに時間はかからなかった。




















玄斎医師を伴った薫が道場に戻ってきたのは、剣心が再び床に体を横たえた頃。
薫が小国診療所を訪れたのは朝の忙しい時間帯だったが、子供の頃から見てきた少女の依頼に、玄斎は二つ返事で了承したのだった。
帰ってきた薫は先ほどは見間違えたのではなかろうかと思わせるほどに、普段と変わりなかった。



「確かに、この寒空の下を濡れ鼠で駆け回れば風邪の一つや二つはひくじゃろ」
「はは、面目ないでござる」



一通りの診察を終え、呆れたようにつぶやいた玄斎に剣心は小さく笑った。
「笑い事じゃないでしょ。大体、いつも髪とかろくに拭かないんだから」
自業自得よ、と言いながら薫は玄斎に茶を勧めた。
「なんじゃ、もう薫ちゃんの尻に敷かれとるのか」
おお怖い、とわざとらしく肩をすくめる玄斎に、
「な・・・何言っているんですかッ」
薫の頬がほのかに染まり、それを隠すかのようにぷい、とそっぽを向く。



その表情からは先ほどの激情の欠片すら見つけられなかった。



「とりあえず三日分の薬を出しておくから、これを飲んで後はおとなしくしていることじゃな」
玄斎から処方された薬を手渡され、
「ありがとうございました」
と薫は頭を下げる。
「さて、それじゃ儂は戻るとするかな・・・何かあったらまた来なさい」
「朝早くから忝(かたじけな)い」
剣心の言葉に笑顔で応え、どっこいしょ、と腰を上げた玄斎に薫も立ち上がり、二人は部屋から出て行った。
残された剣心の耳には遠ざかる二つの足音と、玄関の戸が開け閉めされる音が届く       はずであった。



代わりに聞こえたのは、薫の憂(うれ)いた声。










「先生」










ぴたりと二人の足音が止まる。
一拍置いて再び聞こえたのは、やはり不安げな色を乗せた薫の声であった。










「剣心の風邪、すぐ治りますよね・・・」
その口調は、当たり前だ、と笑い飛ばすことを許さない重さを含んでいた。

玄斎の返事はない。
彼も、薫の言葉に圧されて声を発することが出来ずにいるのだろうか。

玄斎の即答を得られなかったことに苛立ったのか、それとも他に何か思うことでもあるのか、薫は早口で続けた。
「大丈夫ですよね?ただの風邪ですよね?暖かくしてゆっくり休めばすぐ治る・・・そうですよね、先生」
剣心達が聞いた時とは違い、不安や怯えといった感情がそれと確実に感じられるほど表に押し出されている。
玄斎もそれに気付いたらしく、やんわりとした声が聞こえた。



「薫ちゃん」



玄斎は薫に言い聞かせるようにして、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「大丈夫じゃよ。緋村君は薬を飲んで十分な休息さえとれればすぐ回復する。それに、彼にはそれだけの体力がある。薫ちゃんは緋村君に滋養のあるものでも食べさせてやればいい。大丈夫、心配することなんて何もないんじゃ」
噛んで含ませるようなそのゆったりとした口調に、薫も安心したようだった。



「・・・すみません、あの時とは違うって分かっているのに    
落ち着きを取り戻したのか、割合しっかりとした口調で答えている。
「それだけ、薫ちゃんが緋村君のことを心配しているということじゃよ」



その場から歩き出したような二つの足音が聞こえた。
そしてそのまま会話らしきものは聞こえず、代わりに玄関の戸が開閉される音だけが剣心の耳に届いた。






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現在何かの病気で苦しんでいる方に対して非常に失礼なんですけど「たまには寝込んでみたい」という願望はσ(・_・ )の中にもあります。
冬なんか特に「ずっと布団に丸まっていたい」と思いますよ。
そんな時は「病気かなんかで寝込んでみたい」と考えてしまいます←不快に思われた方、すみませんm(_ _)m

でも、それは「健康体」だからこそ口にできることで。

本当に風邪で寝込んだ日にゃー、頭はガンガン痛いわ、咳のせいで安眠できないわで「早く治したい・・・」なんて切実に願ってますからね。
このときばかりは「健康が一番」という言葉の重みがひしひしと伝わってきます。
普段、口では「健康が一番」なんて言っても、なんか空々しい響きがありますからね、健康でいるときと病気になったときに口にすると、その差は歴然としています。

・・・σ(・_・ )だけか、それは・・・

やっぱ「健康が一番」だ、うん。