軽く食事をとり、処方された薬を飲んで横になると睡魔が襲ってきた。
どうやら、薬の中に眠くなる作用が含まれているらしい。
剣心はそれに抗(あらが)うことをせず、眠りの海に身を沈めた。











言 霊 <3>



どのくらい眠ったのだろう。

薬の効力が切れたのか、ぴりり、と頭が痛み出し、剣心の意識が無理矢理現実世界に戻される。
額に生温かい何かがあるのを感じ、軽く頭を振るとそれは容易(たやす)く滑り落ちた。
眠っている間に汗でもかいたのか、夜着が肌に張り付いた嫌な感触を剣心に伝える。
一度着替えなければ、と分かっていても瞼が重く、目を開けることができない。
どのみち、起き抜けの気だるさが抜けなければ体を動かすことなど無理だ。



少しの間、このままで・・・と考えていると、冷たい外気が入り込むのを感じた。



次いで、誰かが部屋に滑り込む気配。
まだ目を開けぬ剣心を見て、眠っていると思っているのだろう。
音を立てぬよう、細心の注意を払って足を忍ばせているのが、目を閉じていても分かった。
汗で頬に張り付いた赤い髪を細い指がそっと払う。
同時にふわりと香る甘い匂い。










       薫殿?










ちゃぷん、と傍らで聞こえる水音。
先ほど剣心が無意識のうちに落とした手拭いを冷たい水でゆすぎ、軽く絞って剣心の額に乗せる。
それはひんやりして思いのほか気持ちよく、剣心の口からほぅ、と吐息が漏れた。
続いて、薫は乾いた手拭いで剣心の汗に濡れた頬や首筋を拭き取る。



こわごわと、それでいて丁寧に続けられる行為に少々こそばゆい感情を抱きながらも、剣心はされるがままにしていた。










       と。



薫の口から言葉が漏れた。
いや、言葉と呼ぶには些(いささ)か聞こえ辛い。
剣心は聴覚に全神経を集中させ、その正体を探った。










「大丈夫、剣心は大丈夫・・・」
確かにそう聞こえた。
歌うように繰り返されるその言葉は言い聞かせるというより、自分を奮い立たせるように聞こえる。



同じ言葉を何度もつぶやく薫は今、どのような表情を浮かべているのか。



瞳を閉ざしたままの剣心にそれを知る術(すべ)は無い。










「あの時とは全然違うんだから・・・・・大丈夫」










『あの時』      



同じ言葉を玄斎にも言っていたことを剣心は思い出した。
周りにいる全ての人間から愛され、幸せに生きてきた少女だと思っていたが、そんな薫にも暗い過去があるのだろうか?










幾度となく瞼を上げかけ、やめた。
目を開けたら薫の顔を見ることになる。
そうしたら『あの時とは違う』と言った言葉の意味を聞くかもしれない。










それを聞いてどうする?










剣心は自分に問いかける。

知ったところで何も出来ないくせに。
中途半端に慰めても何の効果もない。

剣心自身、それは分かりすぎるほど理解していたが、ただ無性に薫の顔が見たかった。
瞼をこじ開け、薫が今どんな表情をしているのか己の瞳で確認したかった。



なぜそんな気持ちになるのか、剣心にも分からなかった。










「大丈夫、大丈夫」
不意に薫に手を掴まれた。
布団からはみ出た剣心の手を戻そうとしているだけなのだが、それだけで剣心の心臓は跳ね上がりそうだった。










「剣心は・・・・・大丈・・・」
「・・・?」
言葉の途切れた薫を不審に思い、思い切って目を開けてしまおうか、と思案していると。



『何か』が剣心の手に落ちた。



それには薫も気付いたらしい。
剣心の手に落ちたそれを認めると、慌てたように立ち上がった。
乱暴に水桶を持ち上げたせいで、水音が不規則な音楽を奏(かな)でる。
やがて、ぱたん、と障子戸の乾いた音が響き、入ってきた時とは対照的に騒がしい退室となった。










薫の足音が遠ざかり、完全に聞こえなくなると、剣心はゆっくりと瞼を持ち上げた。
視界には見慣れた天井が見える。
そして、視線を己の手に向けると      



・・・・・やはり、涙であったか。



剣心は一箇所だけ濡れた手の甲を見つめた。
もとは真珠のような丸い形であったのが、剣心の手に落ちたせいでその形は不様につぶれている。



なぜ泣く?



ぺろりと舐めてみるとほんのりと塩辛(から)い。
そういえば『からい』と『つらい』は同じ漢字であったな       と、意味のないことを思い浮かべ、そのままぼんやりと手の甲を眺めていた。




















その後食事を持ってきたり、手拭いを冷たいものに換えたりするために何度か剣心の部屋を訪れた薫に特に変わった様子はなく、目を覚ました彼に、
「何か食べたいものとかある?弥彦に買い物に行ってもらうから、欲しいものがあれば一緒に買ってきてもらうし」
などと、いつもと変わらぬ笑顔で剣心の世話を焼く薫の姿がそこにあった。
しかし剣心は薫が残した涙を見てから、その笑顔の裏にある暗い影が気になっていた。



『深く関わらぬ方がいい』



今でもその考えは変わらない。
分かっているのに、この歯痒さは何だ?
どうしてこんなにも薫の涙が気に掛かる?










それは、苦境にあっても希望を捨てぬ気丈な少女が流した涙だから?

それとも他に何か理由が?










くしゃ、と剣心は前髪を掴んだ。

やめよう。
今自分が気にかけずとも、己がここから去った後、薫と共に生きる異性が彼女の心を救うだろう。
ならば、下手に彼女に手を差し伸べるのはやめたほうがいい。



そう自分で判断して、剣心は瞳を閉じた。



薫の様子がおかしくなったのは風邪をひいた自分を見てから。
風邪が治れば、薫もまた元に戻るだろう。



そして、いつもと変わらぬ日常を送り、この道場はもう大丈夫と判断したら自分はまた流浪の旅に出る。










普段は眠りの浅い剣心だが、今夜は玄斎から処方された薬のお陰でぐっすり眠れそうだ。
これなら明日の朝には体調も戻っていることだろう。



体調と共に、薫も剣心が見慣れた彼女に戻っていることを祈りつつ。






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自分で書いといてなんですが、涙を舐めとる剣心はどことなく変態ちっくなニオイが(爆)
引いた人とかいますかね・・・あああああすみません←何か謝ってばっかりだな



出会ったばかりの剣心は「とりあえず薫を取り囲む環境が落ち着くまで」は神谷道場で厄介になろう、とか考えていたのではないでしょうか。
それがずーっと主夫として居続けることになったのは、

・道場再建できても家事が一切出来ない薫の将来を思うと少しくらいは教えておいたほうがいいと考えた
  ↓
・でも薫は再建のために日々走り回っているため家事を教える暇がなく、立て続けに事件が起きて剣心も関係しているため出て行けない
  ↓
・何だかんだで神谷道場における自分の地位が確立しており、更には薫や弥彦たちの生活サイクルにも剣心の存在(役割としては主夫)が組み込まれているため、このまま生活を共にしなくてはならない状況になっていた
  ↓
・「今拙者が出て行ったらここはどうなってしまうのか・・・」と当初とは違う意味で神谷道場の将来を心配して居続けることに・・・でも本当は「居心地がいいから」という事実に本人は気付いていない

てな感じだったと思います(最後の部分は希望的観測)
こう書くと「いつの間にやら」的な流れが否めませんが、原作でもそんな感じでしたしねぇ・・・



語られなかった部分を妄想するのが二次創作の楽しみなのでございます( ̄ー ̄)ニヤリッ