言 霊 <4>





夜も更け、どの家でも皆眠りに落ちた頃。

ふ、と剣心は目を開けた。
誰かの気配を感じたからだ。



いくら薬で眠っていたとしても、剣心は幕末の動乱期を生きた人間。
いかなる状況でも他人の気配を察知できなければ、それが命取りになることもあるのだ。



これが幕末の京都であったなら迷わず刀を抜き、敵を迎え討つところだが、もうそんな時代は終わった。
それに部屋の外にいる人物が誰だか分かっている。
剣心はゆっくりと上体を起こした。










「薫殿、如何(いかが)した」











静かな口調で呼びかけると、障子の向こうで薫が身じろぎしたのが分かった。
「ごめんなさい、起こしちゃった?」
寒さのためか声が震えている。
「それより薫殿、拙者に何か用があったのではござらんか?拙者も起きたことだし、入ってきてはどうでござる?」
「で、でも、もう遅いし・・・」
「今日一日、ずっと横になっていたせいであまり眠くないのでござるよ。薫殿が話し相手になってくれると助かるのだが」

咄嗟に思い付いた嘘であったが、躊躇(ちゅうちょ)していた薫には効果覿面(てきめん)であった。

「・・・病人なんだから、少しだけよ」
渋々といった形で部屋に入ってきた薫の顔は、あまり困っているようには見えない。
暗がりでもそれを認めた剣心は、こそりとほくそ笑む。



「今、灯りを入れるゆえ・・・」
「あ、私がやるからいいわよ」



同じ方向に伸ばした二人の手が触れ合った。
薫の手は温もりがなく、まるで氷のよう。
剣心が目を覚ます前から外にいたのだろうとは思っていたが、その手の冷たさにぎくりとした。
「薫殿、一体いつから外に?」
「大した時間じゃないわよ。ほんとに少し前に来たばかりだし」

薫が嘘を言っているのか、それとも短時間でここまで人間の体温を奪うほど外が寒いのか。

「とにかく、火鉢のそばに」
剣心は薫の冷たい手をぐい、と引っ張って火鉢の傍らに導いた。
突然手を引かれて薫は驚いたように目を丸くしたが、すぐに「ありがとう」と言って火鉢に手をかざした。
その間に、剣心は手際よく行燈(あんどん)に火を入れる。
部屋にやさしい光がこもった。



薫は火鉢に手をかざしながら、時々赤く染まる炭をじっと見ていた。
剣心もまた、そんな薫に声をかけようとはしなかった。










温かな静寂。
二人とも無言であったが、その沈黙が心地よく感じられる。











「・・・具合、どう?」
先に口を開いたのは薫だった。
「今朝に比べると、大分良くなってきたでござるよ。薬を飲んでゆっくり休ませてもらったのが効いたのでござるな」

よかった、と薫が小さく笑った。

「だから明日からは今まで通り、拙者が家事を引き受けるでござるよ」
「あら、明日も寝ていなくちゃ駄目よ。ここで無理をしたらまた布団に逆戻りするんだから」
何を言うか、と柳眉を吊り上げる薫に、
「本当に大丈夫でござるよ」
と笑って答えたのだが。










「・・・・・そんなの、信用できないわ」










まただ。

剣心は薫の言葉が『怯え』に彩られているのを感知した。
「信用できないとは・・・拙者のことが?」
いくらか声音を変えて答えると、薫も自分の言った言葉に気付いたようだ。
「あ・・・ごめんなさい、そういう意味じゃなくて」
違う言葉を探して、薫の視線が宙に浮く。



たぶん、ここで追求すれば薫の言っていた『あの時』のことや、その言葉に見え隠れする不安や怯えも解明できるだろう。



しかしそれは、剣心が薫の心に一歩踏み込むということ。










深く関わってはいけない。
だから何も出来ない。










うまい言葉が見つからず、しどろもどろに弁明する薫の顔を見つめる。



くるくる変わる表情を眺めながら薫は本当に感情が豊かな少女だと実感する。
だが、その感情の中には同じくらいの悲しみも含まれているのだろう。

涙が塩辛いのは、それだけ辛い想いも込められているということだ。










それが分かっていても、本当に何も出来ない?











違う。










俺が彼女のために何かしたいんだ。










湧き上がる衝動に突き動かされるように、剣心の口から声が発せられた。



「薫殿」



今まで言い訳じみた言葉を羅列していた薫の唇が中途半端な形で止まった。
「こんな夜更けになぜ拙者の部屋の前にいたのでござるか?」
剣心の質問に、薫の瞳が瞬く。
「なぜって・・・それは剣心の様子を見に・・・」
す、と外された視線。
が、それは剣心の言葉によって再び彼に向けられることとなる。
「拙者ではなく、拙者に誰かを重ねていたのではござらんか?」



薫の瞳が大きく見開かれた。
自分に対しても他人に対してもまっすぐなこの少女は、嘘がつけないらしい。



「薫殿の過去を探るつもりなど毛頭ないのでござるが、些(いささ)か気になったゆえ」
黙り込んだ薫に構わず、剣心は続けた。
「薫殿の涙を見てからは、特に」
「ちょっと待ってよ、私がいつ泣いた・・・・・」

さすがに聞き捨てならなかったようで薫が口を開いたが、すぐその動きが止まった。

昼間、剣心の部屋でのことを思い出したのだろう。
羞恥に頬が熱くなったが、それを悟られまいと拗(す)ねたように剣心を睨んだ。










「・・・・・いつから起きていたのよ」
「薫殿が部屋に入ってくる直前でござったかな」
「それでずっと寝た振りしていたの?」
「まだ薬が効いていたようで・・・思うように体が動かなかったのでござるよ」
「・・・タヌキ・・・」
「おろ、嘘ではござらんよ・・・と言っても、結果的にはそうなってしまったでござるな」










悪びれずにそう言うと、薫にじとりと睨まれて剣心は困ったように頭をかいた。

「薫殿は、拙者の過去にはこだわらないと言ってくれた。それは、拙者とて同じこと。しかし、拙者を誰かの影にされるのはちと辛い」



剣心の口調に薫を責める色はない。
むしろ、心から薫を案じていることが伺える。
その証拠に、こちらに向けられた剣心の瞳は包み込むようなやさしさを放っていた。



「こっちが心配する立場なのに、逆に心配かけちゃったわね」
剣心のやさしい瞳に誘われるように、薫は小さく笑った。
「・・・・・影にしたつもりはないのだけど。ちょっと昔のことと重なっちゃって」
そう言って息を一つ吐き出すと、改めて剣心と向かい合った。










「風邪をひいた剣心を見ていたら、亡くなった母のことを思い出したの」
重い口を開くとぽつりぽつりと話し出した。










「母は確かに人より体が弱かったけど、それでも普通のお母さんと同じように家のことをしたり、一緒にお出かけすることができたわ」
薫の母親というその女性は、どうやらいつも明るく元気に振舞っていたらしい。
剣心がそのことを言うと、薫は嬉しそうに頷いて、あれこれと母親との思い出を話してくれた。



男の子のように外を駆け回って全身泥だらけになっても笑って迎えてくれたこと。
「危ないからここで遊んでは駄目よ」と言われたにも関わらず、言いつけに背(そむ)いて遊んでいたら怪我をしてしまい、それを見た母親が叱りながらも泣いていたこと。

熱を出して寝込んだ時、苦い薬の中に砂糖を混ぜて飲みやすくしてくれたこと。



それらの思い出を語る薫は懐かしそうに微笑んでいたが、熱を出して寝込んだ話が終わると、薫の表情に影が差した。
「・・・・・私って、朝弱いじゃない?それは子供の頃からで、朝起きるのが辛かったわ。それで、病気になったらずっと寝ていられるね、って母に言ったことがあるの」



ふと病気で寝込んだ時のことを思い出し、何気なく言った言葉だった。
それに対して薫の母親は、
『薫が寝込んだら悲しいから、もしそうなるんだったらお母さんが薫の代わりになるね』
と答えたのだ。
それは母娘の他愛のない会話で済むはずだった。










嗚呼しかし、なんという運命の皮肉よ。










「あの時・・・母が倒れたあの時も、ただの風邪だって言われたの。母も『風邪なら一晩寝ていれば大丈夫』って笑っていたわ。だけど・・・」
その年の秋は昼と夜の寒暖差が激しく、それは薫の母親から急激に体力を奪っていった。
もともと体が丈夫ではなかった彼女にとってそれはかなりの痛手となり、夜明けが来る前に薫の母親は呆気なくこの世を去ったのだ。









前頁   次頁



越次郎父さんだけじゃなくてお母さんも登場させてみよう!
というわけで回想シーンで初登場・・・だよな、確か。
まだ宿の小説でここまで登場させた覚えはないのですが(記憶なし)

常識ですが、子供ってのはお父さんとお母さんがいないと生まれません。
じゃあなぜ薫には母親がいないのか?
このあたりは納得してもらえる設定にしました。
星霜編の影響もありますが、越次郎氏に三行半下して実家に帰ったってのは考えられないので(笑)

σ(・_・ )がイメージする薫の母親となる女性は明るく朗らか、体が弱いけどそんなことはあまり感じさせないような人です。
滅多なことでは怒らず笑って済ませますが、自分の大切な旦那や子供が傷つこうもんなら貧血起こしそうになるほど激昂します。

今回の話にあるように言いつけを破って遊んだ結果、怪我をした薫に対してもえらい剣幕で叱り飛ばしたことでしょう。
でもそれは「もしものことがあったら」という不安や怯えの表れかと。
この辺りは現在進行形で「お母さん」やっている方のほうがうまく説明できると思います・・・違うって言われたらどうしよう(滝汗)



いつも明るいお母さん・・・見るもの全ての心を明るくする薫の笑顔は彼女から受け継いだに違いない。