母親の葬儀を終えても、幼い薫にはなぜ母が死んだのか理解できなかった。



『ただの風邪なら、何でお母さんは死んじゃったの?』










なぜ、どうして       

それが当時薫の頭の中に渦巻いていた疑問であった。




















言 霊 <5>










ああ、そうか。
だからただの風邪でもあんなに       



黙って話を聞いていた剣心は、なぜ薫が風邪に対して過剰な反応を示すのか合点がいった。










「そんな時にね、言霊(ことだま)のことを知ったの」
感情を置き忘れたような薫に、剣心の胸がざわり、と波打つ。
「言葉の中に不思議な力があって、発した言葉通りになってしまう・・・・・それを知った時、目の前が真っ暗になったわ」
その時のことを思い出したのか、薫の表情が変化する。



「私が寝込んでみたいなんて言ったから・・・それでお母さんが、私の代わりになるなんて言ったから・・・」



薫の言葉には自虐的な響きを含んでいた。
それに気づき、剣心は声をかける。
「しかし薫殿、お母上が亡くなったのは言霊のせいではないのでござろう?」
「馬鹿げた考えだと分かっているわ。でも、頭から離れないのよ。あの時、私があんなこと言わなければ、少なくとも母が寝込むことは避けられたかもしれないって」
「薫殿・・・」










ゆら、と薫の瞳が揺れた。
「知らぬこととはいえ・・・・・私が言霊を発動させてしまったのよ」
そしてその瞳に剣心が映し出されると、薫の眉が苦しげに寄せられた。










「今朝、弥彦が『寝込んでみたい』って言っていたでしょう?ぞっとしたわ。またあの時と同じようになってしまうんじゃないかって。剣心が母のようになってしまうと考えたらすごく怖かった」



剣心の指がそれより細い指で掴まれる。
本人も無意識のうちなのだろう。
縋りつくような手は、彼女の怯えた心を表すかのように実に頼りない。



「大丈夫だって・・・そう思い込まなきゃ耐え切れなかった・・・!」
叫ぶように言って、薫はうつむいた。
うつむいたまま、剣心の指を掴む手に力がこもる。
そんな薫に対して剣心が告げた言葉とは       



「じゃあ、大丈夫でござるよ」
「はい?」



薫の切実な口調に対し、あまりにあっけらかんとした剣心に間抜けな声で返してしまった。
「昼間、薫殿が言っていた『大丈夫』とは・・・・・つまり、拙者の風邪がすぐ治るように、という意味でござろう?」










大丈夫、すぐ治る。
剣心は、お母さんとは違う。










剣心の問いかけにぽかんとしていたが、すぐにこくり、と頷いた。
「なら、言霊が発動されているはずでござるよ。風邪が治る、という言霊が」
「え?ええ?」
何を言われているのかさっぱり把握できない薫の頭に疑問符が飛び交う。
その様子に剣心はくすり、と笑みを漏らす。



「薫殿が言ったのでござるよ。発した言葉通りになると」
      あ」



それしか出てこないが、やっと分かった、と薫の顔に書いてある。
剣心は笑いながら続けた。
「言霊は悪いことばかりに作用するわけではござらんよ。現に、薫殿は拙者の回復を願う言霊を発動させているわけで」
「そっかぁ・・・そうよね、そういうことになるのよね」
難しい問題がやっと理解できたように一人で納得している薫を、剣心は穏やかに見つめていた。
「同じことをお母上の時にも願ったのではござらんか?第一、悪いことだけ本当になる・・・そんな言霊は存在せぬよ」










剣心の言うとおりだ。
『薫の代わりに寝込むから』と言った母親の言霊は発動して、『お母さんが早く元気になりますように』と願った薫の言霊が発動しないなんて、そんな馬鹿な話があっていいはずがない。










「人の寿命には言霊は何の効果もない・・・・悲しいことだが、その時がお母上の寿命だったのでござろう。不幸な偶然が重なっただけで、薫殿の言霊が発動したわけではござらんよ」
「そうね    

寂しげな微笑ではあったが、薫は剣心の言葉に頷いた。

「まだ夜明けには早い     そろそろ薫殿も自分の部屋に戻った方がいいでござるよ。拙者も少し眠るゆえ」
何気なく口にしただけであったが、それを聞いた薫は剣心が病人であることを思い出したようだ。



同時にいまだ彼の手を握り締めている己の行為も       



慌てふためきながら手を引っ込め、
「ご、ごめんなさい!剣心のほうが寝ていなくちゃいけないのに・・・ッ」
真っ赤な顔をしながらそれでも申し訳なさそうに肩をすくめる薫を見て、剣心の頬が緩んだ。
「いや、話し相手になってくれと頼んだのは拙者でござるから・・・・・それに熱も下がったようだし、もう病人ではござらんよ」
「ちょっと、まさか明日には起き上がっているつもりじゃないでしょうね!?」

途端に薫の眉がつり上がる。

「おろ、駄目でござるか」
「絶対駄目!!」
てっきり了承してもらえるかと思ったのだが、薫はもう一日床に入っていることを強要した。










どうやら薫の心配性はもとからの性分であるらしかった。










「玄斎先生も薬を飲んでおとなしくしていなさいっておっしゃっていたじゃないッ」
「しかし、本当にもう・・・」
大丈夫だ、と言おうとしたのだが、薫に物凄い目つきで睨まれてその先を続けることが出来なかった。
「とにかく!明日も一日寝ていること!」
「だから拙者は・・・」
それでも尚且つ抵抗を試みる剣心に、



「い・い・わ・ね!?」



噛み付かんばかりの薫の顔が目の前にあった。
「・・・承知シタデゴザル・・・」
薫の迫力に圧され、剣心の口が機械的に動いた。
「よろしい」
その返答に満足げに頷き、薫は部屋に戻るために腰を上げた。
が、すぐに何か思い当たったように、すとんと剣心の傍らに膝をついた。

「あのね剣心。言霊のこと、誰にも言わないでくれる?玄斎先生にも今の話はしていないの」

と、剣心と視線を合わさぬようにして薫は言った。
「それに・・・今の話は弥彦にとって辛いかもしれないし」
「・・・・・そうでござるな」










母親が亡くなった時の話を持ち出せば、少なからず弥彦も己の母親を思い出すかもしれない。
弥彦の母親は夫亡き後、幼い弥彦を育てるために苦界に身を落とし、壮絶な最後であったと聞いている。
それは幼い弥彦の心に衝撃を与え、今もその小さな胸に深い傷となって留(とど)まっているのではなかろうか。
悪戯に弥彦の悲しい過去を呼び覚ますことはしたくなかった。










まだ師弟の関係となってさほど日にちは経っていないはずなのに、同じように母を亡くした薫には弥彦の心の奥底にある影を感じ取ったのだ。
目の前にいる少女は、自分が傷ついてもそれでも他者への思いやりを忘れない。



この小さな体のどこにそんな力があるのだろう?



薫の内に秘められた深い慈愛に感嘆しながら、剣心は安心させるように答えた。
「分かった。今夜のことは拙者の胸に留めておくでござるよ」
「じゃあ私と剣心、二人だけの秘密、ね」
約束よ、と言って薫が小指を差し出すと、剣心も戸惑いながらそれに己の指を絡めた。










「ゆーびきーりげーんまーん、うそついたら・・・」










薫が節を付けて歌いだす。
それに合わせるように、繋がれた小指が上下に揺れた。
もうすぐ三十路にさしかかろうというのに、童(わらべ)のような行為に少々気恥ずかしさを覚えるのは否めない。
同時に、『二人だけの秘密』と言った薫の声がとても甘やかに響き、剣心の心が躍った。



「・・・ゆーびきった!」



ぱっと勢いよく指が離れ、剣心の手がそのまま布団の上にぽすん、と投げ出された。
「おやすみなさい、剣心」
ふわりと向けられた笑みに偽りはなかった。
「おやすみ、薫殿」
明日は起きてこなくていいから、と最後に念を押してから、薫は部屋から出て行った。




















再び剣心の部屋に静寂が戻る。



しかしそれは先ほどのような温かなものではなく、どこか寒々とした静寂であった。
行燈の光も薫の存在が無くなった途端、却って空々しい。



先ほど指切りした己の小指に視線を落とせば、まだ薫の温もりがそこにあるような気がして、動かそうにも動かせなかった。
「深く関わらぬと決めたくせに、結局自分から関わってしまったな」
さてどうするか、と困ったようにつぶやいたが、へらりと口角が上がっている。










こうなるまで剣心は剣心なりに考えあぐねていたはずなのに、今はどうだ。
罪悪感が全然といっていいほど湧いてこない。
むしろ「これでよかったのだ」という気持ちが彼の心を占めていた。
一歩踏み出すのは何と簡単なことだろう。



否、踏み出すのではなく、近づけたのだ。
薫の心に一歩、近づく。



誰かのために何かしたいという気持ちだけで、ここまで自然に相手の心に近づくことが出来るとは。
そういえば、深く関わらぬようにしていた剣心とは逆に、薫は恐れもせずに剣心の心に近づこうとしていた。










単純に抜刀斎という過去を持つ自分を気遣っているだけなのかと思っていたが、あれはひょっとして・・・










「薫殿、も?」
躊躇(ためら)いがちに口に出してみると、か、と剣心の血液が上昇した。
心なしか、頭もくらくらする。
落ち着いたと思っていた熱が、また上がってきたのだろうか。



薫殿の言うとおり、明日も休ませてもらった方がいいかもしれん。



行燈の灯を消し、剣心は再び体を横たえた。
布団を引き上げる時、指切りした小指が目に入る。



温もりは既に無くなっているが、それでもまだ指切りした時の感触が残っていた。
体を回復させるために眠らなくては、と頭では分かっていても剣心の意識は長いこと指先だけに向けられていたのだった       










【終】

前頁



指切りした後の剣心。
最初は「薫が出て行った後、剣心が指切りした指に口付ける」で締めたんですよ。
でも、このお話の時期設定は「弥彦登場から数日後」という、原作中ではかなり初期の頃にあたりますのでそこは却下。
まだお互い恋愛感情もないだろうし・・・相手の心に触れて、ちょっと心揺れたということで。



大切な人や身近な人が亡くなったとき、考えても仕方のないことが浮かんできます。
「あの時、ああすればよかった」
何かを考えて自分を責めないとやりきれない。
考えても無駄なことだと分かっていても自分じゃどうしようもできない。

それだけその人の死を悼んでいる。

自分を責めるのがいいことだとは思わないけど、イコール亡くなった人を想っているってことですよね?
悲しむのは決して悪いことではないと思います。

悲しんで、自分を責めて、やりきれない思いで同じことをぐるぐると考えて。

たまに休みながらも前を進み続けていけば答えが見つかればいいんですけどね、実際は言うほど簡単ではないですし。
だからこそ、答えを見つけられると信じたい。
一番いいのは剣心みたいな人がいてくれることですが←一番いい方法であり一番不可能だったりする



ビターな風邪ネタ(しかも連載)にお付き合いいただき、ありがとうございました!
余談ですが一番苦労したのは文字の色だったりする・・・半端な色だと背景と同化して読みにくくなるんだもん;