流れ星、ひとつ 【後編】
剣心が向かったのは昼間であれば太陽の光が燦々(さんさん)と降り注ぐ野原。
いつだったか薫とここを通ったとき、
「春になると一面の花畑になるのよ。色んな花が咲いてね、そりゃもう綺麗なんだから」
暖かくなったらまた来ましょうね、と嬉しそうに話していたのを思い出したのだ。
春の気配が強まったせいか青々とした草が伸びており、中には蕾をつけている植物まである。
が、花開くにはまだ時間が必要なようで、どこにも花が咲いている様子はない。
思うに、あの花はきっと老人の庭で独自に育てたものだろう。
そんな特別な花を普通の野原で探そうということ自体無理なのだ。
しかも暖かいのは昼間だけであって朝夕は氷が張るほど冷え込む。
その証拠に吐き出す息は白く、それが今の気温を知らしめた。
薫殿・・・・・ッ
辺りを見回しても薫らしき人影は見えない。
草が邪魔をして視界が遮られる。
「薫殿!!!」
叫びにも似た剣心の声が辺り一帯に響いた。
後にひいた余韻が完全に消えうせても薫の姿はない。
剣心は今一度呼びかけるべく、大きく息を吸い込んだ。
が、その必要はなくなった。
「 剣心?」
背後から聞きなれた声に振り向くと、少し離れたところから薫が立ち上がったところだった。
「薫殿、何でまた」
剣心が一歩踏み出したとき。
「剣心、こっち来ちゃダメ!」
「おろ?」
慌てたような拒絶の言葉に剣心の足が止まった。
ぴたりと動きを止めた剣心にやや決まり悪そうな薫の声が届いた。
「その・・・私のいるところって地面がぬかるんでいるみたいですぐ泥だらけになっちゃうから・・・・・」
そっちに行くから待ってて、と付け加えた。
能天気なその口調に一瞬拍子抜けしたが、それが余計に剣心を苛立たせた。
心配して探しに来てみれば !
向かってくる薫を待たずに剣心もまた薫に向かって歩き出した。
驚いたのは薫だ。
「ちょ、ちょっと!剣心まで汚れちゃうから来ちゃダメだってばッ」
止めようとする薫を無視して剣心は無言で歩を進めた。
月のない夜だが、その分無数の星が地面を照らす。
そのおかげで薫からも剣心の姿ははっきりと見えるが、その表情まで窺うことは出来ない。
一方の剣心はといえば、もとから夜目が利く上、更に星々の輝きも手伝って彼女の体に付いた泥汚れ、寒さのせいで不気味なほど白くなった手や青くなった唇をはっきりと認めることが出来た。
「一体いつからここに?」
我知らず声が硬くなった。
それを感じ取ってさすがに薫も申し訳なさそうに肩を竦(すく)ませる。
「ごめんなさい、剣心が帰ってきたとき迎えてあげられなくて」
「そんなことを聞いているのではござらん!!!」
びりり、と夜の空気が震えた。
怒りを隠そうともしない剣心に薫は、びくっと身を縮ませた。
「拙者が聞いているのは一体いつから花を探しにここにいるのか、ということでござる」
先程より大きくはないが、それでも声音は変わらない。
風邪をひいてもおかしくない時期に花だけのために夜遅く出かけていった薫に腹が立った。
「あ、あの・・・・・一刻ほど前から 」
薫の声がわずかに震えているのは剣心に叱られているだけではないだろう。
それを感じて、剣心は少し声音を和らげた。
「薫殿が家にいなかった時、拙者がどう思うか考えなかったのでござるか?」
「ごめんなさい、でも花が・・・・・」
花、という単語に剣心は眉をひそめた。
「ここにならあると思ったの。だから隅々まで探してみたんだけど」
「薫殿」
うんざりしたように薫の言葉を遮った。
「すまぬが今回ばかりは薫殿の言い分を聞くつもりはない。第一、たかが花のことでこんな夜更けに出歩くなど」
ここまで言って言葉を失った。
感情のままに言い募っていると、心底傷ついたような薫の瞳と出会ったからだ。
「たかが花・・・・・?剣心、それ本気で言っているの?」
わななく薫にほんの少し動揺したが、剣心は厳しく言い放った。
「薫殿があの花を気に入っていたのは知っている。だが、こんな時間に探すほどの価値があるとは拙者にはとても思えない」
吐き捨てるような剣心に、今度は薫が激しい口調で反論する。
「そんなことない!たとえ雪が吹雪いていたとしても私は探しに行ったわ!」
キッと眉を吊り上げると、呆然としている剣心に向かってまくしたてた。
「そりゃ剣心から見れば・・・男の人から見れば、私のやっていることなんてさぞかしくだらないことでしょうね!『たかが花』なんてあなたは言うけど、私にとっては大切なことだわ!だって・・・・・剣心が私に初めて贈ってくれたものだもの!!」
薫の言葉は聞こえているが、何のことかすぐに理解できなかった。
「・・・・・は?」
目が点になる。
だが薫はそんな剣心などお構いなしに、
「別に何か物が欲しいってわけじゃないの。でも、剣心が私のために何か贈ってくれたことなんてなかったし・・・・・」
すごく嬉しかった、と消え入りそうな声が聞こえた。
「でも・・・剣心にとってはやっぱり『たかが花』なのね ・・・」
言っているうちに惨めになってきたのか、薫の顔が段々下向いていく。
だが、これは剣心にとって都合が良かった。
剣心の顔が自分ではどうにもならぬほど火照ってきたからだ。
ということはつまり、薫殿はあの花だから大事にしていたわけではなくて、拙者が贈ったものだから大事にしていたと?
女というものは分からない。
想い人からもらったものならばただの花でも何物にも勝る『宝』になるということか。
だが、その花は散ってしまった。
その時、この少女の脳裏に浮かんだのは花を贈った男の姿。
無残に散ってしまった花を見たとき、男は果たしてどう思うのか。
「薫殿は拙者のことを思って、同じ花を探していたのでござるな」
散ってしまった花を見て剣心が悲しまぬように、同じ花を見つけて何事もなかったかのようにしようとしていたのだ。
だからこそ、この少女は寒空の中、あるかどうかも分からない花を探していた。
あまりのいじらしさに、剣心は薫を抱きしめたい衝動に駆られた。
だが、今の自分に彼女を抱きしめる資格などありはしない。
もとを正せば今回の騒動を引き起こしたのは自分だ。
なればけじめをつけねばなるまい。
「でも、やはり薫殿には見つけられぬよ」
突き放すような言い方に、薫の顔が悲しみに染まる。
「なんでそんなはっきりと言い切れるの?やっぱり、私のこと、怒ってる?」
「そうではござらんよ まず、あの花を持ち帰ったいきさつを聞いてはくれぬか」
そうして剣心は語り始めた。
買い物の途中で腰を痛めた老人に出会ったこと。
せめてもの礼にあの花をもらったこと。
全てを聞き終わると、薫の瞳が混乱したように揺れた。
「じゃあ・・・・・私が勝手に早合点していたってこと?」
「そ、それは・・・・・」
薫の言うとおりなのだが、さすがに言いづらい。
が、あさっての方向を向いて言葉を濁している男の表情が全てを語っていた。
薫は自分で自分が情けなくなった。
「・・・・・私ったらバカみたい。一人で浮かれて、一人で騒いで」
もうこのまま消えてしまいたい。
がっくりとうな垂れる薫の目の前に一輪の花が差し出された。
のろのろと顔を上げると、照れ臭そうに頭を掻いている剣心がいた。
「いや、もとはといえば拙者がしっかり説明しなかったのが悪い。あの花の代わりといってはなんだが、薫殿にこれを」
それは剣心がたった今、土ごと掬い上げた菫(すみれ)株。
暗がりでも鮮やかな青紫色が薫の目に飛び込んできた。
「かわいい」
思わず頬が緩んだがすぐ暗い表情になり、
「でも、気を遣わなくていいのよ。こんな同情めいた真似されると余計惨めだわ」
自嘲的な笑みを浮かべる薫に剣心は思いも寄らぬ言葉を口にした。
「同情などではござらん。拙者は前々から薫殿に贈るならこの花と決めていた」
薫は剣心の目を見た。
彼の目は真剣そのもので、嘘を言っているようには思えない。
「あの花は確かに花びらが大きくとても華やかに見えるが、反面、茎が細く少しの衝撃にも耐え切れず花が散ってしまうほど儚(はかな)い。だから園芸種として育てられているのだと思うが・・・・・それに色が艶(あで)やか過ぎて何やら周りのものと一線を引いているような印象を受けるのでござるよ」
それに比べて、と剣心は付け加える。
「この菫は広々とした野原でたくさんの仲間に囲まれ、皆に愛されながらのびのびと生きている。それにほら、どことなく薫殿に似ているでござろう?」
その姿は可憐にして清雅(せいが)。
小さいながらも凛とした雰囲気を醸し出しており、だからといって驕(おご)っているわけではない。
その証拠に、菫が嫌いな人間などどこにもいない。
「たくさんの花に囲まれ、ひっそりと咲いているように思えるが、逆に言えば全てを受け入れ、他所から来た得体の知れぬものを引き立ててもとからその場にいるかのようにしてくれる そう、拙者がこの町で暮らしているように」
剣心が町に来たばかりの頃は町人とは明らかに違う風体から、よく遠巻きに噂されたものだ。
だが、薫はそんなことなど気にも留めずに当たり前のように剣心を引っ張り出し、
「この人、ウチの道場に居候することになったの。家事は全部この人の仕事になるから、たまにはオマケしてちょうだい」
などと朗らかに紹介してその場の空気を和ませた。
確かに菫は牡丹や芍薬のように艶やかな花ではない。
だが、そこにあるだけで人の心をやさしくし、ささくれ立った心を癒してくれる。
「 だからこそ、拙者は薫殿にこの花を贈りたい」
まっすぐ薫の目を見て言い切った。
それに対して、薫は何も答えられない。
ありがとうと言いたいのに、嬉しいと言いたいのに、肝心の言葉が出てこないのだ。
菫も確かに嬉しいのだが、それ以上に剣心が薫を想って菫を選んでくれたという事実が薫の胸を熱くさせた。
薫の沈黙を違う意味でとったのか、剣心は申し訳なさそうに笑った。
「やはり女子に贈るにはちと小さな花でござったな。すまぬ、薫殿」
でもこれなら庭に植えて毎年楽しむことも出来るし、などと言い訳めいたことを付け加えながら薫の顔を覗き込もうと腰をかがめる。
その拍子に、剣心の手にある菫株が落ちそうになった。
慌てて両手で支えようとした時、彼より一回り小さな手が添えられた。
落とさずに済んだことに、二人してほっと安堵のため息をつく。
目を丸くして顔を見合わせ、微笑み合った。
「・・・・・手、冷たいでござるな。寒かったでござろう?」
重なった手のあまりの冷たさに気遣うと、薫がふるふると首を振った。
「さっきまでは寒かったけど・・・今は平気。とても温かいの」
剣心を安心させるための嘘ではない。
現に今、薫の心はとても温かいのだから。
それで心がほぐれたのか、薫は微笑んだまま剣心に告げた。
「ありがとう剣心。こんな嬉しい贈り物、生まれて初めてよ」
それはよかった、と剣心も心底嬉しそうな笑顔を返した。
自分がその人を想って贈ったものを喜んでもらえる。
それだけで贈った方も嬉しくなる。
「あ、私も剣心に何か贈りたいわ。ねぇ、何がいい?」
満面の笑みで問いかけられるが、急に聞かれてもすぐには出てこない。
「何がいいと聞かれても・・・拙者は薫殿がくれるものであれば何でも」
紛れもない本心なのだが、この少女がそれで納得するはずもなく。
「もう!それが一番困るのよねッ」
唇を尖らせて上目遣いに睨んでくる。
本人は咎めているつもりなのだろうが、拗ねたような幼い表情は可愛らしいとしか形容のしようがない。
だが、満足させるとまではいかなくても薫が納得できるような答えを言わないと解放してもらえそうにない。
剣心は困ったように苦笑しつつ、しばし考えるように空を見上げた。
「・・・・・拙者はもう頂いているでござるよ」
「え?」
きょとんと己を見つめる薫ににっこり微笑んで、
「拙者は薫殿と一緒にいられるだけでいい」
さらりと言い放った台詞は薫を赤面させるのに充分な効果があった。
「もう!剣心てばズルイ!」
ぱ、と手を離し、そのまま剣心の背後に回りこんだ。
これが拙者の本心なのでござるが、という彼のつぶやきは彼女には聞こえなかったらしい。
薫は赤くなった顔を見せないように背中を向け、頭上に輝く星を見ていた。
「私が何か贈りたいのに」
ぽそ、と不満げに漏らすと剣心が困ったように眉尻を下げた。
「だから拙者はもう 」
「あ!」
何か見つけたのか、薫が一際高い声をあげた。
「どうしたのでござる?」
「ほら見て剣心!今、星が流れたわよ!」
子供のようにはしゃぐ薫の手招きに誘われ、剣心は彼女の隣で空を見上げた。
「左様でござるか?して、流れ星はどこに 」
その時、頬にやわらかな感触を感じて目を見開いた。
固まった剣心の目の前で流れ星が美しい弧を描いて空を渡っていった。
【終】
前編 感謝処
三万打のキリ番ゲッター様はまいまい様!
当宿がオープンしてから毎日のようにいらしてくださっているゲスト様です。
そんなまいまい様からいただいたお題は、
「星空」「かすていら」「菫の花」
の三つ。
要は三題噺のようにこの三つのお題を使って一つの物語を作る。
落語だとお題をいただいた時点で即興で一席作るんですが・・・ま、落語とは違うってことで( ̄▽ ̄;)ははは
σ(^^)もこういった趣向は初めてだったんですが、この三つのお題からイメージを膨らませて書いてみました。
そして、書き終わりに近づいた時「かすていら」が入っていないことに気付くorz
「あれ?なんか忘れているような・・・・・あー!かすていらが入ってないッ」
すぐ修正しましたが何分慌てていたせいで無理矢理感たっぷりなお話に(滝汗)
こんな醜態を晒したσ(^◇^;)にまいまい様の温かなお言葉が心に染み入りました(よよよ)
尚、持ち帰った菫は神谷家の庭に植えられ、毎年開花時期になると仲良く寄り添って花を愛でている二人の姿があるというエピソードを勝手に作ったりなんかして| |_・)
ソォー
まいまい様、三万打申告&リクエストいただき、ありがとうございました!