「薫殿」










君と出会ってから何度その名を呼んだだろう。
俺が呼ぶと本当に様々な表情を見せてくれたね。










初めて会った時には自分の気が緩まないようにいつも強い瞳で俺を見返してきた。

その時抱えていた問題が解決するとやっと表情が柔らかくなった。

弥彦が入門したばかりの頃は口喧嘩が絶えなくて、いつも機嫌が悪かったね。
だから俺が呼ぶと不機嫌そうに睨んできた。










・・・あれは怖かった・・・










まだある。



俺が京都に旅立つことを決めて、別れを告げるために君の名を呼んだ時、涙に濡れた瞳でそれでも視線を逸らさずにいてくれた。

縁と、そして過去との決着をつけて、生きている君を呼んだ時、君は潤んだ瞳で微笑みながら倒れこんだ俺を抱きとめてくれた。

仲間達が去って再び二人だけの生活に戻ると、今度は少しはにかみながら、
「なぁに、剣心」
小さく笑う君がとても愛おしく感じた。










いつだって、どんな時だって。
俺が君の名前を呼べば、色々な表情を浮かべて応えてくれた。
そしてその度に世界が鮮やかに彩(いろど)られる。











もし君の表情に何の変化も見られなかったら。
俺の瞳にこの世界はどう映るのだろう。





















何度でも <1>



桜がとうに散り、それに代わるようにして緑の葉が生い茂っている。
その葉の隙間からきらきらと木漏れ日が輝いているのを見て、薫は眩しそうに目を細めた。
すう、と大きく息を吸い込むと新鮮な空気と共に森の木の芳醇な香りが肺に流れ込んだ。
「やっぱり山の空気は違うわね」



昨夜降った雨で空気が澄んだものへと変わり、耳を澄ませばさやさやと緩やかに流れる風の音が聞こえた。



「雨が降った時はどうなるかと思ったけど、晴れてよかったわね、剣心」
天気同様、晴れやかな表情を浮かべる薫に対し、剣心はやや困ったようにこう言った。
「いや、やはり昨日の雨の影響で地面がぬかるんでいる。この状態で歩き回るのは危険でござるよ」
「じゃあ、やっぱり山菜は諦めた方がいいのかしら?」
「場合によってはそうなるでござるな」
そう、と残念そうにうなだれた道着姿の薫をとりなすように、
「そうしたらまた二、三日したら来てみよう。それなら安全な状態で山菜が採れるでござるよ」
剣心の言葉に頷きはしたが、それでも名残惜しそうに山の上のほうを見ている。

「ひとまず、もう少し周りを見てから決めよう」

剣心と薫は山菜を採るため、この山に来た。
今の時期なら何種類かの山菜が採れる、と言った剣心に「じゃあ一緒に採りに行きましょ」と薫も同行したのだ。










山の空気は確かにうまいが、それでは腹の足しにならない。
食べられる山菜があるなら、それを使って食卓を彩るのも悪くない。










しかし、昨夜の雨のせいで地面がぬかるみ、剣心が言うように山菜採りをするには少々危険が伴(ともな)う。

剣心は後ろを歩く薫を時折気遣うように見ながらしばらく山の様子を観察していたが、やはり今日は諦めた方がいい、という結論に達した。

それを薫に告げると、
「折角動きやすい格好で来たのに・・・でも仕方ないわね、怪我をしたら元の子も無いし」
と、おとなしく剣心の言葉に従った。
こうして二人は下山するために背を向けたのだが。










振り向くと下のほうから誰か登ってくるのが見えた。
「おや、先客かい」
あまり櫛を入れていない頭髪や無精髭のせいでやや年かさに見えるが、実際はもう少し若いのだろう。
背中に背負った籐(とう)の籠から察するに、こちらも山菜採りに来たのか。
「いや、昨日の雨で些(いささ)か足元が危なくなっている。諦めて引き返すところでござるよ」

やっぱりなぁ、と頷いた男の体から小さな影がこちらを見ている。

「あら、お子さんですか?」
その影に気付いた薫が覗き込むようにすると、恥ずかしそうに頭を引っ込めてしまった。
幼い少年の体には暖かそうな半纏が着せられている。
まだ冷えると判断した母親の配慮だろう、と薫は微笑ましい気持ちになった。
「おい、良助・・・すまねぇな、どうもこいつは男の癖に人見知りしやがる」
軽く頭を小突いても一向に顔を見せようとしない息子に呆れたような、それでいて父親の表情でやさしく見つめている。
「失礼だが、この近くにお住まいで?」
「ああ、毎年この時期になると山に入る。あんたらも山菜が目当てか」



男は栗木と名乗った。
物心ついた時から彼の父親とこの山に登り、山菜を採って食料の足しにしていると言う。



「この山は俺の庭みたいなもんでな。昔は死んだ親父からどんなものが採れるか教わったもんだ。だから今年はこいつにも教えてやろうと思って連れてきたんだが・・・」
ちら、と息子に目をやると良助はぎゅう、と父親の着物にしがみついて離れようとしない。
「山に登ってからずっとこんな調子だ。ここまで奥の方に来たのは初めてだからびびってやがんのさ」
何度も連れてくれば慣れるだろうが、と栗木は困ったように言いながらも何かを思い出したかのように懐かしそうに目を細めた。










ひょっとしたら彼自身、初めてここに連れてこられた日は、良助と同じように父親にしがみついていたのかもしれない。










「お二人はどこから来なすったんで?」
薫から自宅の場所を聞くと、栗木は目を丸くした。
「へぇ、ずいぶん遠くから来たんだね。それなら山まで来なくても近くの田んぼや川原でも山菜が採れそうなところはあるだろうに」
「確かにその通りでござるが、やはり山の方が種類も量も豊富でござろう?」
「ははっ、違いねえ・・・しかし、遠くから来て何も収穫がないってのもあれだよな。よし、俺がいいところに案内してやるよ」
「いいところ?」
小首を傾げた薫に大きく頷き、
「ああ。ここより安全で、そこそこのもんが採れる場所があるんだ。そこにあんた達を連れてってやるよ」

ついてきな、と言う風に背中を向けた。

「よいのでござるか?」
「悪きゃ教えねえよ。ただし、村の人間しか知らない場所だから他人には教えるなよ」




















栗木が連れてきてくれたそこは、先ほどいた場所より少し下ったところにあり、一見ただの茂みにしか見えないところを入っていくと広くて平らなところに出た。
ごつごつとした山肌に囲まれているその場所は足場がしっかりしていて、あまり山に慣れていない薫や良助でも安全な場所であった。
「これは・・・本当に穴場でござるな」
見渡せば所々に山菜が見え隠れしている。



「あまり大量に採っていかれても困るが・・・二人分ならこれだけあればいいだろ?」
「十分でござるよ。栗木殿、感謝いたす」
「こんないい場所を教えていただいて、ありがとうございます」



ぺこりと頭を下げる剣心を見て、薫も同じように頭を下げた。
「おいおい、まだ何も採ってないだろ?礼ならちゃんと採れた後で言ってくれよ。それに、お侍さんから頭を下げられると何だかむず痒い感じがしちまう」
「おろ、そうでござるか」
「変なお侍さんだなぁ」










栗木が豪快な笑い声を上げたとき、びりり、とした振動が剣心の足元に伝わってきた。
それに驚いた鳥達が一斉に羽ばたいていく。










「じ、地震!?」
薫もまた急に感じた振動に驚き、慌てて剣心の腕にしがみついた。
「大丈夫でござるよ、薫殿。これは地震ではござらぬ」

安心させるように軽く薫の手を叩いてやっても、彼女は不安そうに剣心を見上げた。

「でも揺れたわよ?」
「本当の地震であれば山の獣達は危険を察知してもっと早く逃げ出しているはずでござる。だが、今飛び立った鳥を見るとこの揺れは地震ではなく別のものでござろう」
「ああ、山に穴を開けて通路を作っているんでそのせいだろう」










栗木が言うには、山向こうの町に出るのに山を越えるか一回りしなければいけなかったのが、通路が出来れば今までよりずっと早く町に行くことが出来るとのこと。
そのための作業が行われているため、その振動がここにも伝わってくるのだという。










「便利になるのはいいが・・・こんなに煩(うるさ)いと山の獣が驚いて逃げ出しちまう。そうなりゃ、俺達の食料源が絶たれちまうかもしれん」
山と共に生きる者にとって、それは死活問題だ。
世の中が便利になるのは喜ばしいことだが、それによって今までの生活も大きく変わる。
良くも悪くも変わらざるを得ないことが、これから次々と起こっていくのだ。



      でも食料が無くなっても、俺はこの山から離れることは出来ないんだろうな」
「栗木殿・・・」



栗木にかける言葉が見つからない。
そんな剣心に気付いて、栗木は白い歯を見せた。
「悪い悪い、ガラにもなくしんみりしちまった。今からこんな心配してもこれから先のことなんてどうなるか分からないもんな」
そう言って鎌を取り出し、すぐそばに生えていたウドを採り始めた。
「良助、これはウドっていうんだ。このくらいの高さで葉っぱが少し広がりかけたものを採るようにしろよ。こっちのは似ているけどタケニグサっていう毒草だから絶対に食うんじゃねえぞ」










栗木の父親から栗木に、栗木から良助に受け継がれていく。

しかしそれはいつまで受け継がれていくのか。
山が消えればそんな知識は何の役にも立たない。










それでも。










それでも栗木は息子に教えることをやめないだろう。
たぶん、良助が成長し親となっても同じことをするかもしれない。



ゆくゆくは誰も必要としなくなるかもしれない知識を。



だがそれはあくまで「ゆくゆくは」の話。
代々受け継がれてきたそれは「今」必要な知識だ。
だから栗木は息子に受け継がれてきた知識を伝える。
良助もそれを分かっているのかいないのか、真剣な面差しで父親の話に耳を傾けていた。



他人がどうこう言える問題ではない。
決めるのは山と共に生きる当人達だけ。



       薫殿、拙者達も少し頂いていこう」



剣心はさりげなく薫の背を押し、栗木親子から離れた。






次頁



当宿初の長編小説です。
お初ということでちと短めにしてあります。
週イチ連載ということでかなりイライラされるかと思いますが、カルシウムをお供にお付き合いくださいませm(_ _)m

「剣心と薫、山菜を採りに行く」

こう書くとほのぼのとした展開を想像されるかと思いますが、書いているのはσ(・_・ )ですよ?
皆様のご想像をことごとくぶち壊していきます(邪)
まあ、「五月は天邪鬼である」ということがこの小説でお分かりになるかと・・・
尚、次週のサブタイトルは「山菜の種類・その調理法」となっております←どんな小説だよ;

タイトル「何度でも」

ドリカムの曲で同名のものがあり、当初は企画室用に書くつもりだったのが、書いていくうちに「何か違う・・・」と急遽小説置場へ。
内容的にも少しずれた感じがしてしまったので、タイトルだけ拝借しています。