何度でも <4>



光を見出した人間は信じられない力を発揮する。
ゆっくりではあるが、剣心が立ち上がったのだ。
そのまま、先ほどと同じように抜刀する体勢に入る。










なぜ今まで気付かなかったのか。










薫が気を失っている間も剣心は彼女の名前を呼び続けた。
それなのになぜ薫の方が先に倒れてしまったのか。



理由は明白だ。
剣心のいる場所には常に酸素が送り込まれているためだ。



薫がいた場所は確かに空気すら入れぬ密閉された空間だった。
剣心も多少の息苦しさを感じていたため、自分のいる場所もまた密閉された空間だとばかり思っていた。

だが、剣心のいる場所は僅かながら酸素が行き来する道が存在していたのだ。

その証拠に、先ほど剣心が見た蛇は苦しげな様子も見せず、何事もなかったかのように這って行ったではないか。
剣心達人間には不十分な酸素でも、小さな蛇にとってはこの場に送り込まれている量だけで十分活動できるのだ。



蛇が出て行ったのは、人間達によって消化されてしまった酸素を新たに求めるためだろう。
だとしたら、蛇が消えた方角に酸素が存在する       つまり、外界に通じる道があるということだ。



しかし、蛇には難なく通れる道でも人間には無理だ。
ならば、目の前にある土の壁を破壊する以外に方法はない。
剣心の頭にはこの危機を脱するための技が浮かんでいる。










飛天御剣流・天翔龍閃(あまかけるりゅうのひらめき)。










飛天の技の中で奥義と呼ばれるその技は、もっとも破壊力があると同時に、剣心の体にもっとも負担のかかる技でもあった。
天翔龍閃を放てば剣心とて無事では済むまい。
それに、この技で土の壁を粉砕できなければその時点で終わりだ。



天翔龍閃は一度きり。



押し潰されそうな緊張を解くために剣心は目を閉じた。

瞼の裏には輝くような薫の笑顔。

しかし今の彼女には表情すらないだろう。
いや、このままここにいれば永遠に薫の笑顔を失うことになる。










このまま薫を失ってなるものか!!










カッ、と剣心の瞳が見開かれた。










         飛天御剣流奥義・天翔龍閃!!!










ヴゥン、と周囲の空間に異様な音が生じた。
異常なまでの抜刀速度が空気のないところで唸りを上げたのだ。










ガガガガガガガガガガッッ!!!!!



凄まじい音と共に固い壁に深く亀裂が入る。
剣心の手にも土を抉(えぐ)った手ごたえが伝わってきた。



しかし、それだけであった。



外界から差し込む光はなく、闇の世界に変化はない。
渾身の力を込めた龍の一撃も自然の脅威には今一歩及ばなかった。

「く・・・そ・・・!」

奥義を放った影響で剣心の全身に苦痛を伴う疲労感が襲う。
しかもほとんど酸素のない空間で大技を放ったのだ。
今まで感じた後遺症の比ではない。



「すまない・・・薫」



今度こそ、本当に限界だった。
剣心の体が再び地に沈む。










君を助けられなかった。
でも君一人で逝かせはしない。
俺も一緒に逝くから       ・・・










剣心は闇へ意識を委(ゆだ)ねようとした。

その時。










         剣心、だめッ!!!










薫の悲痛な叫び声が聞こえて、剣心の瞳がうっすらと開かれた。



薫・・・・・?



しかしもう何も聞こえない。
幻聴だったのか。
でも今のは確かに薫の声だった。










「か、お、る」

しゃがれた声で呼びかけても返事はない。
代わりに何か固いもの同士がぶつかり合うような音が遠くから聞こえてきた。











ガッ、ガツッ、と同じような音が何度も聞こえ、それは段々近づいてくる。










ガコッ、ガラララ・・・・・

剣心の耳元で聞こえたかと思えば、上から土と小石が降ってきて思わずそちらに目を向けると         










「お侍さん、生きているか!?」
炎に照らされ、赤く染まった栗木の顔が剣心の瞳に映る。
それと同時に頬に冷たい風を感じた。



剣心の瞳が自分を捉えているのを認め、
「よかった、無事だったんだな・・・」
と安堵した表情を浮かべた。



栗木が数人の男と共に降りてきて、剣心と薫を外へと連れ出した。
「お侍さん達が土砂に巻き込まれてすぐに山で作業している連中を呼び集めたんだ。でも、辺り一面土に覆われていて掘っても掘ってもキリがなくて・・・・・そんな時、地中から凄い音が聞こえて、試しに掘り進んでみたらすぐお侍さんのいる穴に辿り着いたんだよ」
既に太陽がその姿を消し、空を見れば無数の星が剣心の視界に飛び込んできた。
それで剣心は自分達がどのくらい閉じ込められていたか推し測ることが出来た。










「薫・・・薫殿は!?」










助かったことを実感し、まず最初に思い浮かんだのはやはり薫のことだった。
「おい、まだ動いたら・・・」
心配して止めようとする栗木に構わず体を起こし、そのまま立ち上がろうとする。

が、足がふらついてうまく立てない。

長時間酸素の薄い中にいて、その上天翔龍閃を放った影響だろう。
栗木に支えられて何とか立ち上がると、数人の男達の輪の中に薫が寝かされている。



「薫殿は無事でござるか!?」



剣心の声に男達が振り向いた。
だが一様に皆暗い顔をしている。
「おい、まさか・・・・・」
不穏(ふおん)な空気を感じ取り、栗木が不安げに問うと、
「ああ・・・このお嬢さんはもう         
剣心は男の言葉を皆まで聞かず、薫の傍らに膝をついた。
炎に照らされた薫の顔に生気はなかった。
「薫殿・・・?」

震える手で彼女のかんばせに触れてみる。
冷たい。

「薫殿!!」
叫ぶように呼んで細い肩をゆすってみるが、薫から何の反応も返ってこなかった。
栗木がそっと薫の口元に自分の手を近づけた。
救いを求めるかのように栗木に視線を移すと、彼の首がゆっくりと横に振られた。
「駄目だ、もう息がない。すまない、俺らがもっと早く見つけていれば      









栗木の言葉が途切れた。
おもむろに剣心が薫に口づけたからだ。










「おいおい、お侍さん!?」
あまりに信じがたい現実を目の当たりにしてついにおかしくなったか、と思ったがどうやらそうではないらしい。

剣心の唇が薫から離れると、彼は大きく息を吸い込んで再び薫に口づける。

剣心は薫に人工呼吸を施(ほどこ)しているのだ。
新鮮な空気を何度も何度も薫に送り込みながら、剣心が思うのはただ一つ。










まだ逝くな         










人工呼吸を施しても薫の表情に変化はない。
それを認めて周りにいる男が剣心を止めた。



正確には止めようとした。



懸命に蘇生させようとする剣心の瞳に諦めの色はない。
男達はそんな彼を止めることは出来なかった。
しかし依然として薫が息を吹き返す気配がないのを見た栗木が、静かに剣心の肩に手を置いた。
「お侍さん・・・無念だろうがお嬢さんは黄泉に旅立っちまったんだ。だからもう      

栗木の言葉に剣心の肩がびくりと震えた。

「見てみなよ。長いこと土の中にいたからお嬢さんも泥だらけじゃねえか。早くきれいにしてやろう、な」
言い聞かせるようにしてなるべく静かに言葉を紡ぐと、剣心の手が薫から離れた。
それを認め、周りの男達に目配せすると、彼らは小さく頷き薫の体を運ぼうとした。
が、それは剣心によって阻まれた。










「薫殿、拙者の声が聞こえているのでござろう!?」










男達に触れさせないように、剣心が薫の体を抱きかかえたのだ。
「聞こえているなら返事をしてくれ!薫殿!!」

正気を失ったかのように乱暴に薫の体を揺する剣心を見て、周りの男達が我に返る。

「おい、やめろ!」
「何してんだ、あんたッ」
剣心から薫の体を引き離そうとしてもびくともしない。










「拙者をこちら側に引き戻したのは薫殿でござる!それなのに薫殿がいなければ、拙者が戻ってきた意味がないッ」

そして薫の体をきつく抱きしめた。









自然の理(ことわり)に逆らってでも、君を黄泉の国から連れ戻してみせる。










「戻って来い、薫!!!!」










         げほっ

己の耳元で咳き込む声が聞こえ、剣心は思わず腕の力を緩めた。
「薫     殿?」
返事はない。
だが、苦しげに咳を繰り返す声は確かに聞こえた。
慌てて薫の体を腕で支え、顔を覗き込むと眉根を寄せている薫の顔がそこにあった。
何度か咳を繰り返すと薫の表情が穏やかなものへと変わっていく。
死人には決して見られない、変化する表情だ。










戻ってきてくれた         ・・・










何か声を掛けねば、と思っていても胸が一杯で声が出てこない。
「お嬢さん、俺の声が聞こえているなら目を開けてくれ!!」
栗木の上擦った声が聞こえる。
彼もまた、信じられない光景を目にして気が動転しているのだろうか。
それでも栗木の良く通る声は薫の耳にもしっかり届いたようだった。

睫毛が震え、ゆっくりと薫の瞼が動く。

やがて彼女の黒瞳(こくどう)がその姿を現すと、周囲でわっと歓声が上がった。
「薫殿、拙者が分かるでござるか?」
周囲の歓声に己の声がかき消されないように声を張り上げると、薫が剣心の瞳を捉えて嬉しそうに微笑んだ。



「けんしん・・・?」



弱々しくはあったが、それでも笑顔であることに変わりはない。
くしゃりと剣心の顔が泣き出しそうに歪んだ。
それを隠すかのように、再度薫の体をかき抱いた。
勿論、彼女の体に負担を掛けぬよう力を加減して。










「よかった薫殿・・・本当によかった      
「剣心・・・・・私、あなたの声が聞こえたわ」










え、と体を離して彼女の顔を見てみれば先ほどのように微笑んでいる薫がいた。
「剣心が闇に飲み込まれそうになっていたから夢中で叫んで・・・・・でもその後、私だけ闇の中に取り残されて・・・どこに行けばいいのか全然分からなくて、一人で歩いていたら剣心が私を呼ぶ声が聞こえたの」










その時の剣心の声が、今でも耳に残っている。

逝くな、薫。
戻って来い、と。










「剣心が私を呼んでくれたから      だから助かったのかもしれないわね」
そう言って、薫は己の体を支えてくれている剣心の手に自分の手を重ねた。
ひやりとした薫の手は、じきに温もりを取り戻すだろう。



「ありがとう、剣心」



ぽとり、と薫の頬に水滴が落ちた。
その温かな感触に、薫はその水滴の正体を悟った。
だが、その事実が信じられず水滴が落ちてきた先を確認しようと首を回せば、瞳に飛び込んできたのは緋色の着物。
一瞬驚いて目を丸くしたが、やがて静かに瞳を閉じて彼の心音に耳を傾けた。
とくん、とくんという心臓の音と共に確かな温もりが薫に伝わる。
重ねた手をきゅ、と握れば、剣心は返事の代わりに彼女を抱く手に力を込めた。
二人の影が重なったのはそれからすぐのこと。











君という存在があるからこそ、この世界は美しい         










歓喜のあまりその場で騒ぎ出した栗木や周囲の男達が、この現状を作り出した恋人達の様子に気付くはずもなかった。

彼らの頭上に輝く無数の星々だけが全てを見ていた       ・・・










【終】

前頁



仮死状態に陥った薫を前に、それでも何とか現世に呼び戻そうとする剣心。
「生」の時に、
「剣心は人の死を自然に受け入れることが出来る」
と書きましたが、それが薫であったら絶対に死なせまいと足掻くだろうと思い、こんなシーンが出来上がりました。
始めは人工呼吸をするなどわりかし落ち着いた様子を見せていても、その心はかなり焦っていたことかと。
で、栗木に諭されてやっと薫から離れたかと思いきや、それでもまだ諦めきれずにいる。

この時点でもうなりふり構わず、という感じでしょうか。

結果的にはそれが功を奏したことになるんですが。
よく子供が食べ物を詰まらせた場合、うつぶせにして背中をたたくほかに鳩尾辺りを圧迫させるといい、というのを何かの本で読んだ覚えがあるので、それならきつく抱きしめれば肺が圧迫されてその拍子に息を吹き返すっていうのもありかな、と思いまして。

我を忘れながらも、彼の頭の中には薫を取り戻すことしか考えていない。
絶望が目前に迫っていても、それでもほんの僅かな可能性に縋(すが)る。

悪足掻きと言われようが、最後まで諦めなかった剣心の想いが薫を現世に引き戻したことになります。
死にかけている人間を現世に戻そうとなると、それ相応の処置が必要ですが、最終的には人の想いが人を救えるのだとσ(・_・ )は思っています。



さてさて、「何度でも」はこれにて終幕でございます。
初めての週イチ連載・・・いかがだったでしょう?
最後までお付き合いいただき、ありがとうございましたm(_ _)m