何度でも <3>










「薫殿・・・薫殿・・・」
くぐもった声ではあるが、それが剣心と分かると薫はゆっくりと瞼を持ち上げた。
完全に目を開けても闇であることには変わりない。
「何・・・剣心、どこ・・・?」










そのまま立ち上がろうと腰を浮かすと、頭が固いものにぶつかった。










「いったぁ・・・」
「薫殿!?どこか怪我でも・・・」
途端に心配そうな剣心の声が耳に届き、薫は慌てて答えた。
「ううん、立ち上がろうとして頭をぶつけただけ。怪我は・・・無いと思う」



暗闇で視界が利かないが、それでも自分の体を動かせるところを見ると、大した怪我はしていないように思う。



「左様でござるか」
明らかにほっとしたような剣心に、薫も少し落ち着きを取り戻した。
「ね、剣心はどこにいるの?こう暗いと自分の体も見えないし」
両手を広げて辺りを探ってみるが、触れるのは固い土の感触だけだった。
「拙者達は土砂に巻き込まれたのでござるよ」

剣心の声は自分の背中辺りから聞こえる。
だがそこも固い土で隔てられており、ちょっとやそっとのことではびくともしない。

「剣心が助けてくれたのね」
「ちょうど人が入れるくらいの窪みを見つけたのでそこに・・・・・ここを見つけられたのは本当に幸運でござったよ。ただ、土砂の勢いが強く、ここも少々崩れてしまった。そのせいで薫殿と分断されてしまったが」
「それでも、助けてくれてありがとう」
暗闇の中で、薫は自分と剣心を隔てている土の壁にそっと指を這わせた。










この向こうに剣心がいる。










密閉された空間で、しかも視界が全く利かないこの場に一人取り残されたら、薫も尋常ではいられないだろう。
しかし、今は声しか聞こえなくともはっきりと剣心の存在を感じる。
手から伝わる感触は相変わらず冷たくて固い土だけだったが、それでも薫は少しでも剣心を感じたくて、そして剣心にも自分を感じて欲しくて両手で土の壁に触れた。










「剣心は・・・怪我とかしてない?」
「大丈夫でござるよ。それより薫殿、寒くはござらんか」
危機的状況は自分とて同じだろうに、それでも薫のことを気遣ってくれる剣心に涙が出そうになった。
それを何とかこらえ、努めて明るい声を出す。



「全然平気よ!むしろ、結構暖かいわよ」
「山では太陽の熱が地面に吸収されるゆえ、それで暖かいのでござるよ」
「そうなの?確かにこれだけ暖かいと冬眠できるわけよね」



土の中で眠る生き物を思い浮かべ、くすくす笑った。
が、少し息苦しい感じがして軽く咳き込んだ。
それが聞こえたのか、再び剣心の心配そうな声が届いた。

「薫殿?」
「ごめ・・・ちょっと息苦し・・・」

何度か呼吸を繰り返すが、それでも息苦しさは変わらない。










そう。
土の中に閉じ込められたことによって、酸素が減り始めてきたのだ。










「薫殿・・・」
「だ、大丈夫・・・」
空気がかなり薄くなっていた。
もはや、声を発するだけでも命取りになりかねない状況であった。
それでも剣心は彼女の名を呼び続けることをやめなかった。
薫の名前を呼び続けるのは彼女のためだけではない。










どんなに苦しくとも。
どんなに絶望的な状況でも。










何度でも彼女の名前を呼ぶ。
しいてはそれが彼女の、そして自分の力となるからだ。










「もうすぐ助けがくる・・・しばしの辛抱でござるよ」
山に通路を開けるためにこの近くで作業している人間達がいると栗木が言っていた。
栗木が彼らに助けを求め、今頃周りの土を堀り続けていることだろう。
しかし、それは決して簡単な作業ではなく、剣心と薫の位置するこの場所までかなりの時間が要することも理解していた。
だからこそ、剣心は薫に希望を持たせる言い方しか出来なかった。
口では大丈夫と言っていても、薫はかなり衰弱しているはずだ。
今は一刻も早く救援が来ることを祈りながら、薫に声をかけ続けるしか方法が無い。
「だから薫殿、もう少し頑張ってほしい」










うん、という薫の声が剣心の耳に届いた。
だがその声は今までのそれとは比べようも無いほどか細く、剣心の胸に不安が押し寄せる。










「・・・薫殿?」
恐る恐る呼びかけてみるが、返事はない。



「薫殿!」



大声で叫んでも、答える者はいなかった。
剣心の不安が恐怖に変わる。
体力を温存するため、無駄に動くことを控えていた剣心だったが、そんなことはもう頭から消えていた。

剣心は逆刃刀を鞘ごと手にし、それを己と薫を隔てる土に突き立てた。

その土は剣心の行く手を阻むかのように硬かったが、同じ箇所を何度も鉄拵(ごしら)えの鞘で突くうちに、段々とその箇所が崩れていく。
硬い土を相手にする剣心の手にびりびりとした痛みが伝わり、その衝撃に耐え切れなくなった皮膚が切れて血が流れ出しても、剣心の手が止まることは無かった。










「薫殿・・・薫殿ッ」










今の彼の脳裏には、薫しか存在しない。
狂ったように土を掘り続ける剣心に、息苦しさや手の痛みは関係なかった。

「薫殿!!」

ガッ、と一際強く突くと、痛みを伴う衝撃の後、空を掴むような手ごたえの無さを感じた。
土の壁を突き破り、ようやく薫のいる場所まで辿り着いたのだ。
はやる心を抑え、剣心は慎重に穴を広げながら薫のもとに急ぐ。



今自分のいた場所同様、穴を抜けた先も闇であった。



「薫殿・・・?」
焦ったように手を彷徨わせると、土とは違う何かに触れた。
剣心は迷わずそれに手をかけ、抱き起こした。
「薫殿、しっかりするでござる!」
腕の中の薫はぐったりとしていて、剣心の声にも反応しない。
口元に耳を近づける。
薫のかすかな息遣いが聞こえた。










生きている!










だが、このままこの場にいれば「死」は確実。
剣心は薫の体を抱え、先ほど自分がくぐり抜けてきた穴から彼女の体をもといた場所に移動させる。
動かされたことに気付いたのか、
「ぅん・・・・」
と薫が呻き声を漏らした。
剣心は彼女の体を固い地面の上に寝かせると、正面にある土の壁に触れた。



先ほどと同じく         いや、厚さとしてはさっき剣心が穴を穿った土の壁より数段厚いだろう。



しかし、一刻も早くここから脱出しなければ薫の命が危うい。










剣心は刀に手をかける。
彼は目の前にある分厚い壁を斬撃によって切り開くつもりなのだ。
剣心はそのまま抜刀する体勢に入ったが         










くらり、と視界が歪んだ。

「う・・・・」

思わず目を押さえたが、それでも頭がくらくらする。
たまらず剣心はその場に倒れこんだ。










この体も限界か        










倦怠感が全身を襲い、呼吸すらままならぬ。
それでも最後の力を振り絞るかのごとく、剣心の体が動いた。



「か・・・薫・・・」



もはやぴくりとも動かなくなった薫の体を抱き、剣心もまたその場から動かなくなった。
剣心は諦めてしまったのだろうか?










否、この男が死をおとなしく受け入れるはずがない。

そして愛しい女に静かに忍び寄る死の影を黙って見ているはずがなかった。










剣心の心はまだ諦めてはいない。
だが、体の方は既に言うことをきかなくなっている。
それでも剣心は考え続けた。
薫と共にこの場から生還する方法を。










時折、ぼんやりとする思考の中で「薫と共に死ぬのも良いかも知れない」という考えが頭に浮かんだ。

しかしそれは「死」への甘い誘惑。

それに耳を傾けてしまえば、もう戻れない。










何度その甘い囁きに耳を傾きかけたことか。
その時間は一瞬のようであり、また永遠とも呼べる長い時間であった。










薫・・・薫・・・・・










死の誘いを振り切るかのように、剣心は心の中で薫の名前を呼び続けた。
声に出さねば聞こえるはずもない。

         この男は声を失っても薫の名前を呼び続けるのか。

ぴく、と剣心の体が僅かに動いた。
当たり前のように訪れた静寂の中に蠢(うごめ)く「何か」を感じたのだ。



何だ?



剣心は動かない体を無理矢理動かし、やっとのことで首を後ろに回す。
相変わらず視界は霞んでいるが、それでも地面を這う何かを認めることが出来た。










         蛇?










蛇は剣心の視線に気付くことなく地面を這い続け、ほんの僅かな隙間に入り込み、そのまま姿を消した。
その瞬間、剣心はこの絶望的状況の中で光明を見出した!










生き延びる道を見つけた。











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さて問題です。
剣心はあと何回薫の名前を呼ぶでしょう?

・・・という問題が出せるほど薫の名前を呼びまくってます。

タイトルがドリカムの曲から拝借したことは以前述べたとおりですが、その歌の中で、
「何度でも何度でも立ち上がり呼ぶよ 君の名前 声が嗄(か)れるまで」
と歌っている部分があるんですよ。
サビの部分を聞いてまずこの頁の部分が浮かび、そんなわけでしつこいほど薫の名前を呼び続けているんです。
最初は気遣うように呼んでいた声が、薫の危機を知り切羽詰った声に変わる。
そしてそれは悲痛な声になり、最終的には・・・

「薫殿」

同じ単語なんだけど、剣心の胸中に伴いその違いを感じ取っていただければ幸いです。