何より大切な君だから、何を犠牲にしてでも守りたい。

君が笑顔でいてくれるなら他の人間を傷つけることだって厭(いと)わない。





















夏のある日、箸が折れた <1>



穏やかな昼下がりだった。
照りつける太陽は相変わらずだが、天を覆う緑の屋根がそれを遮り、気持ちのよい風だけが通ることを許されていた。

涼を求めるのは人間だけではない。

その日の糧を得るべく空へと飛び立つ鳥達も手頃な枝に止まって羽を休めていた。



が、鳥達の休息は荒々しい人間の声によって終わりを告げる。
一斉に飛び立った鳥達が知ることはなかったが、木陰で休む一組の若夫婦が二人の男に取り囲まれていた。



じろじろと眺めている無遠慮な視線に妻は怯えたように身を縮こませる。
夫は果敢にも妻を守ろうとするが、相手は体格のいい二人。

背は高いが、どちらかといえば細身の彼が相手をするにはかなり厳しいものがある。

明らかに喧嘩慣れしていそうな風体にややたじろぐ。
それでも目を逸らさずにいるのは守るべき者が己の背中にあるからか。










男の目が妻を捉えた。
すかさず彼らの下卑た視線から彼女を守るように体をずらす。



どうやら男達の目的は若く美しい妻の方にあるらしい。










男達が何か言う。
おそらく金と女を置いていけ、とでも言ったのだろうか。



若夫婦の・・・特に妻の目が恐怖に見開かれ、夫の着物をそっと握り締めた。



だからというわけではないが、夫は彼らの要求を突っぱねた。
使命感に溢れたその姿に、男達はひゅう、と口笛を鳴らしたが目は笑っていない。

空々しい笑みを顔に貼り付けたまま、いきなり男の一人が夫の方を殴り飛ばした。

勢い余って地面に転がる夫にすがり付こうとする妻の細腕を片割れの男が掴む。
そのまま彼女を連れ去ろうとするが、そうはさせじと夫が猛然と突っ込んだ。
不意打ちを食らわされ、男がよろめく。
その隙に妻を奪い返したが、怒りに燃える男達によって再び殴る蹴るの暴行を受ける。
だが夫は妻を抱えたままだ。
身を挺して自分を守り続ける夫に妻は泣き叫ぶ。










この人達の目的は私です。
彼らの言うとおりにすれば少なくとも命までとられることはありません、と。










妻の悲痛な叫びは聞こえているはずなのに夫は何も答えない。
だがこのままでは夫が殺されてしまう。

彼女の危惧は的中した。
あまりにもしぶとい夫に手を焼いたのか、男が懐から匕首(あいくち)を取り出したのだ。

夫の腕は彼女を離そうともしない。
妻は心を決めた。

その時。










「動けぬ者に対してやりすぎでござろう。もうそのくらいにしておいたらどうだ」










涼やかな声に顔を向けると緋色の髪をなびかせた侍がいた。
体つきだけ見ればただの小柄な男としか映らないが、帯刀していることから彼が侍であると認識したのだ。
そして、彼の少し後ろには若い女性が心配そうに若夫婦を見つめている。
まだ少女と呼ばれても不思議はないほどの年齢なのだが、大人びて見えるのは後ろでひとまとめにした髪に飾り櫛をあしらっているためか。



「ひどい・・・」



自分でも無意識の内に飛び出た言葉だろう。
薫は剣客     剣心の制止も聞かずに飛び出した。
男達からして見れば、新たな獲物が自らの懐に飛び込んできたのだ。

一人が少女を捕らえようと手を伸ばす。

が、薫は宙を舞う蝶さながらにひらりとかわし、手刀を男ののどに打ち込んだ。
のどを押さえて呻く男を尻目に、
「大丈夫ですか!?」
と若夫婦の傍(かたわ)らにしゃがみこむ。
彼女の背後からもう一人の男が手を伸ばしたが、それは剣心によって阻まれた。
その体からは思いもよらぬほどの力で難なく男の手をひねりあげる。



「黙ってこの場を立ち去るか、腕一本犠牲にするか・・・・・好きなほうを選べ」



その気になれば振りほどいて反撃できそうだが、見たもの全てを恐怖で凍てつかせる剣心の瞳が男の動きを封じていた。



















「あ、ありがとうございます・・・・!」



若夫婦から礼を言われたのはそれからしばらく経ってからだった。
男達からの攻撃を一身に受けていた夫の方が助かったと認めるや否や、彼は意識を失ってしまったのだ。
近くに別宅がある、と言う妻の言葉に剣心が夫の体を担ぎ、薫ともども一軒の家に招かれたのだった。

別宅と呼ぶには広大な屋敷である。
何か商いでもして成功をおさめているのだろうか。

おそらくこの夫婦はどこか大きな家の人間で、今剣心達のいる屋敷は避暑のために訪れる別宅といったところだろう。
屋敷ではまだ荷物を解いていないのか、数人の人間が慌ただしく動いており、怪我をした主人を見てまた騒動が大きくなる、といった具合で、落ち着いて話をするのにそれからしばらくの時間を要した。
今しがた恐ろしい目に遭ったばかりだというのに、そんな素振りは微塵も見せず、妻はうろたえている使用人達にいくつかの指示を与えていた。
あいている部屋に布団を敷かせ、そこに夫を寝かせると今度は薬箱を持ってこさせ、自分で夫を介抱する。
使用人がいるのに彼らの手を借りずにいる妻の様子にも驚いたが、その手際の良さに薫はもちろん、剣心も感心して見入るほどだ。
一通りの手当てを終えるとやっと夫の意識が戻り、若夫婦揃って剣心に頭を下げた。



「先ほどは本当に助かりました。申し遅れましたが手前は小間物問屋を営んでおります、岡部と申します。これは妻のかづです」



体を起こす岡部に剣心は休むよう促したが、彼は「お気遣いありがとうございます」と繰り返すだけで正座した足を崩そうともしない。
「父と二人で小間物を作ってそれを商売にしているので、手が無事ならどこを怪我しても食べていけます」
職人らしく手は大きいが、細かい細工を施す指先は男の指にしてはほっそりとしており、繊細な感じが見え隠れする。

かづによって岡部の体にはいくつもの湿布が貼られ、包帯を巻かれていた。
それだけ見ればかなりの重傷と思われるが、それは見た目だけのようだ。
岡部の声はしっかりとしており、剣心と向き合っている体もよろめくことはない。

終始人の良い笑みを浮かべているのは商いをしている人間の特色だが、その笑みに嘘がないことから岡部という人間はまっすぐな心を持っていることを現している。
だが、一度こうと決めたらてこでも動かない意志の強さは先ほど目の当たりにしている。
どれほど痛みつけられようとも妻を暴漢に渡さなかったのがその証拠だ。
その夫より少し離れたところに妻のかづが控えているが、怪我の様子が気になるようで時折ちらちらと心配そうに夫を見やる。



「岡部殿はもちろん、奥方が無事で何よりでござった。あの辺りはのどかだがたまにあのような男達がうろついているゆえ」
「ええ、緋村様がいらしてくださらなかったら私は殺され、かづも奴らの手に落ちていたことでしょう」
「いや、奥方は男達の手に落ちることはなかったと思うのでござるよ」
「は?それはどういう・・・・」



意味ありげな言葉に岡部はもちろん、薫もまた首を傾げる。
剣心は目だけをかづに向けてこう言った。










「奥方、あの時ご主人が殺されたら舌を噛み切るつもりだったのであろう?」

岡部が目を剥いて妻を見ると、かづはその視線から逃れるように下を向いた。










「かづ・・・?そんな、お前     
驚愕した声に剣心が重ねる。
「あの時    拙者も一瞬しか見えなかったが、男が匕首を取り出したときの奥方の目は死を覚悟している目でござった。もし岡部殿に何かあればすぐ後を追うつもりだったのでござろう」
「馬鹿なッ」

剣心と薫がいることなどお構いなく、岡部は妻の傍らに膝をついた。

「私の後を追って死ぬなど、そんな馬鹿なことを考えるんじゃない!そんなことになったらそれこそ、私がお前を放さずにいた意味がないじゃないかッ」
それまで慎ましく控えていたかづだったが、夫の言葉を素直に聞き入れることは出来なかったのだろう。
たまりかねたように自分の心情を吐露した。
「いいえ、恭介様が生きていてくださらなければかづが助かっても意味がありません!恭介様がいてくださるからこそ、かづは生きていられるのです。どうしてそれを分かってくださらないのですか!?」



責めるような口調で言い放たれるが、その双眸には涙が溜まっていた。
潤んだ瞳で見上げる妻に一瞬怯んだが、すぐ口を開く。



「馬鹿者、よく考えなさい。仮に私が死んでも店は父がいるから大丈夫だ。だが、お前が死んだら慶介はどうなる?お前は慶介を残して逝くことになんとも感じないのかい?」
慶介、と言う名前にかづの瞳が見開かれる。
目の前で繰り広げられる夫婦の問答に口を挟むこともできず、ただ見守っていた剣心達だったが。



玄関先から甲高い泣き声が聞こえた



「慶介!?」
弾かれたようにかづが立ち上がり、そのまま部屋を出て行く。
「これ、かづ!・・・申し訳ございません、挨拶もなしに」
妻の無礼を岡部が詫びるが、そのおかげで空気が変わったことに剣心はほっとした。
「慶介、というのはご子息でござるか?拙者達に構わず、岡部殿も行ってくだされ。他にも数人この屋敷に来たようでござるし、拙者達もそろそろお暇(いとま)させていただくでござるよ」
命の恩人に何ももてなしが出来なかったことに対して岡部はかなり恐縮していたが、新たに訪れた数人の人間に心当たりがあるのだろう。
「緋村様、そんなことおっしゃらずせめて夕食くらいご馳走させてください。来たのは私の両親ですので、お気遣いなく」



岡部はそういってくれたが、夕食を食べてから帰路につくとなると辺りは闇に閉ざされる。
もともと薫の両親の墓参りに来ただけであって、それが終わったらすぐ帰るつもりだったのだ。



それを告げると心底残念そうな顔をしたが、
「左様でございましたか・・・・それでは無理にお引止めできませんね」
そう言って岡部自ら先に立って途中まで見送りをしてくれることになった。
「そんな、まだ休んでいた方がいいんじゃないですか?」
薫が岡部の体を気遣うが、彼はにこりと笑顔を返した。
「頑丈だけが取り柄ですので、このくらいどうということはございませんよ。それに、やるべき仕事も残っていますし」
「奥方の手当てがよかったのでござろう。全く見事なものでござったな」
先ほどのかづの様子を思い出し、素直な感想を述べると、
「私にはもったいないくらいよく出来た女です」
こちらも正直に答えた。










妻を守りきった岡部といい、夫の身を案じるかづといい、これほどまでにお互いの身を思いやる夫婦は今時珍しい。










「素敵。私達も岡部さんとかづさんのようになりたいわね」
「おや、お二人はご夫婦で?」
「ええ、先月祝言を挙げたばかりですけど」

頬を染める薫が初々しい。

「おめでとうございます」
「は、いや・・・忝(かたじけな)い」
にこやかに祝福の言葉を述べる岡部に剣心は照れた。
その様子に薫はくすりと笑みを漏らしたが、剣心に気づかれることはなかった。



玄関まで近づくにつれ、子供の泣き声が更に耳に響くようになった。
その中に何やら咎めるような声が聞こえ、岡部の顔が強張った。



彼にはその声の主が分かっているらしい。
「失礼、ちょっと」
剣心にそう言い置いて岡部は歩いていった。
「一体どうしたのかしら・・・?」
「これこれ、薫殿」
好奇心を抑え切れずこっそり後をついていく薫に一応の注意をする剣心。
だが、それで彼女が諦めないのは自分が一番よく分かっていた。



「剣心、あれ、あの人が岡部さんのご両親かしらね」



少しだけ顔を覗かせて玄関の様子を窺う薫はそんな剣心の気苦労を全く知らない。
無邪気に手招きする薫にこれ以上何も言えず、剣心は深いため息をついて結局彼女に従うことになった。






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最初は人様に差し上げるために書き上げたものですが、思いのほか長くなってしまったため宿で展示させていただくことになりました。

ちょっぴり推理仕立て・・・のつもりです| |_・) ソォー←いきなり自信なさげ

とはいっても本格推理ではないため、難しくしてません。
伏線もはってあるので読み進めていくうちにさっくり謎解きは出来るかと。
まぁ頭の体操くらいにかるーく考えていただければ結構です。
あ、ちゃんとケンカオを中心としたストーリーですからッ

余談ですが例のごとく書き上げた後にタイトルが決まらず、更にケンカオが新婚という設定だったため、ひそかに「新婚さんいらっしゃい」というサブタイトルをつけていたとかいないとか(笑)