夏のある日、箸が折れた <2>






首を伸ばすと玄関先に数人の人影が見えた。
2・3歳くらいの泣いている子供をかづが抱き上げている。
ぷっくりとした頬が可愛らしい男の子だ。

旅装束も解かずに仁王立ちになっている老夫婦が岡部の両親だろうか。
桜鼠(さくらねず)色の絽を着た女性が泣き喚く慶介にうんざりとしたような視線を投げ、苛立ったように声を上げる。



「かづ!慶介が泥だらけじゃないか。屋敷に入れるならまずこの子の汚れを落としてからになさい。お前は屋敷を泥だらけにするつもりかい?」
薄く化粧を施しているため実年齢より若く見えるが、それが却ってきつい印象にしている。
「申し訳ございません奥様。すぐ慶介に水浴びを」
「ほらまた!その呼び方はやめなさいといつも言っているでしょう?いまだに使用人の癖が抜けないとは・・・この家に嫁(か)して一体何年経っていると思って」
「母さん!その話はもういいじゃないですか」



岡部が強い口調で母親の言葉を遮った。
ここで初めて息子に気付いた父と母が視線を移すが、所々湿布が貼られている我が子を見てぎょっとする。



「恭介!お前その怪我は・・・」
「その話もあとでちゃんと説明します。それより、来た早々この騒ぎは何なんですか」
非難がましい目を向けられ、気分を害したように老母はそっぽを向いた。
「お前まで私を悪者扱いして・・・ただ、お土産を渡そうとしただけですよ。全然受け取ろうとしないからちょっと注意したら慶介のほうが勝手に泣き出してしまったのよ」
「母さんの言うとおりだ。いつも庭で穴掘りばかりしているだろう?これを与えれば少しは男らしくなるかと思ってな」

そう言った老父の手にあるのは小さな木刀。
通常の木刀より短く、慶介くらいの子供でも握れるように細く作ってあった。

先端は怪我をしないように丸くしてある。
孫のためにわざわざ作ったのか。
「父さん、気持ちはありがたいのですが慶介にはまだ無理です。もう少し大きくなれば興味を持つと思いますが、今は穴掘りに夢中ですから他のものは欲しがりませんよ」
そうか、としょげてしまった老父を見て岡部は表情を緩ませる。










「父さんも母さんもお疲れでしょう。荷解きは私がやりますから、どうぞ中で休んでいてください」

若主人の声でその場から動けなかった他の人間がばらばらと動き出す。
岡部は数人の男と一緒に外に出て、かづは女中に指示をして慶介を連れて奥へ消えた。
そしてかづから何か言われた女中が岡部の両親を中へと招き入れ、剣心と薫は邪魔にならないように脇に退いた。
老夫婦が通り過ぎるとき軽く会釈をしたのだが。










「あら、見ない顔ね。最近新しく雇い入れたのかしら?」
「「は?」」



どうやら剣心と薫のことを屋敷の使用人と勘違いしたらしい。



「ちょうどいいわ、私の連れてきた女中だけでは今日中に荷解きが出来ないだろうから一緒に手伝ってちょうだい」
「え?あ、はい!」
反射的に返事をしてしまった薫に口を開きかけたが、
「ああ、あんたは足でも揉んでくれんか。ずっと歩きっぱなしで足が張ってなぁ」
「おろ、拙者は・・・・」
「見たところ以前は剣客だったようだが、この屋敷に雇われた以上、雇い主の言うことは絶対じゃ。ほれ、つべこべ言わんと働かんかいッ」
「はいでござるッ」
剣心も誤解を解くことはかなわず、こちらも老父に引っ張られる形で奥に消えていった。



こうして薫は見習い女中、剣心は旦那様付きの世話係という俄(にわ)か使用人に仕立て上げられたのだった・・・・・・















反射的とはいえ、仕事を引き受けてしまった薫は今更否定することも出来ず、仕方なく他の女中と一緒に岡部の母親のものである着物を整理し始めた。
「何で私が・・・・」
ぶつぶつ文句を言っても始まらない。
ひとまず先輩女中の指示に従って着物をより分けていくが、その枚数が半端ではない。
「一体何枚持ってきているのかしら?」
避暑に来たのかそれとも商いのことでこの地に来たのかは分からないが、出された着物はこれが旅の間の着物か、と思うほど膨大な枚数であった。
しかも中には絶対あの老母には似合いそうもない若々しい色合いのものまで混ざっている。
「化粧はまだ分かるけど、この着物はちょっとねぇ・・・」
「そこの新入り!忙しいんだからちゃっちゃと働く!!」
広げられた色とりどりの着物を手にして眺めていると先輩女中から叱咤された。



「新入りじゃないんだってば〜」



この状況で言っても誰も信じてはくれないだろう。
状況を打開するには今の仕事をさっさと終わらせて剣心と共に一刻も早くこの屋敷を出るしかなかった。
見習い女中として他の使用人と一緒に着物を片付けていると、色々な話が自然と耳に入ってくる。










「さっきの見た?相変わらず奥様は若奥様に厳しいわね」
「仕方ないわよ、もとは私達と同じ奉公女中だったのが恭介様に見初められてこの家の嫁になったんだし」
「その結婚なんだけど、一番反対されたのは奥様だったんですって」
「ああ、だから今でも・・・」
「旦那様は何も言わないけど、やっぱり認めていらっしゃらないのかしら?会うたびに慶介坊ちゃんにお土産を持ってくるけど、それだけだもの。抱き上げたりあやしているところなんて見たことないわ」










幸福そうに見えているが、あの夫婦も人知れず苦労を重ねているのだ。
     でも、岡部さんがかづさんをしっかり守っているから大丈夫よね」

二人の絆がどれほどのものかは先ほど自分の目でしかと見た。
岡部なら何があってもかづを守り抜くことだろう。

女中達の噂話を聞きながら着物を整理しているが、一つの山を片付けるとまた新たな仕事を押し付けられ、その場から離れられない。



剣心も同じように捕まっているのかしら?



着物を種類ごとに分け、桐箱に入れて離れへと運んでいく。
一旦外に出るため草履を履かなければならないのが少々面倒くさい。
片付け終わって他の女中達と一緒に中庭を歩いていると、
「緋村様の奥様?」
そう呼ばれてもすぐに振り向けなかった。



剣心と夫婦になってまだ一月余り。
まだ「奥様」と呼ばれても自分のことだと気付かないのだ。



呼ばれてその単語をもう一度思い返してからやっと「ああ、自分のことか」と思い当たり、そこで初めて振り向く、といった具合だ。
「岡部さん」
「やっぱり奥様。よかった、いらっしゃらなかったのでもうお帰りになってしまったのかと」
重い荷物でも運んでいたのだろう。
日に焼けた肌に汗が光っていた。
本人に疲れた様子はなく、むしろ体を動かしたことによって活き活きと輝いて見える。
これならば本人の言うとおり、怪我のほうは心配ないのかもしれない。










無造作に汗を拭いながら岡部が近づいてきた。
他の女中が頭を下げ、そのまま立っている薫に頭を下げるよう目で訴える。
その様子を見て岡部はやっと異変に気付いた。

「・・・・・何か家の者が失礼を?」

薫は事情を説明した。
説明が進むにつれ、岡部の顔から血が引いていく。
「わ、私がその場にいなかったとはいえ、何と言うことを・・・・!大変失礼を致しました!!」
若い娘に深々と頭を下げる主人に他の使用人はぽかんとしている。
「この人は大事な客人です。誰か奥様を客間に案内して」
「あ、私は大丈夫なんですけど剣心が」
焦って使用人を呼ぶ岡部に剣心のことを伝えようとしたその時。



小さく悲鳴が上がり、次いで軽いものが散らばるような音が聞こえた。



「す、すみません!」
まだ少年とも呼べる使用人が泣きそうな顔で謝っている。
「いくら軽いからって調子に乗っていくつも箱を抱えるからこうなるんだ!」
周りにいた大人がボカリと少年の頭をどつく。
彼らの足元には女物の髪飾りや小物が散らばっていた。

「あれは母さんのものだな。よし、皆で拾い集めよう」

岡部とその場にいた女中が一団となって走り寄る。
「あ、私も手伝います!」










薫も岡部の傍らで拾い始めるが、集団で地面にしゃがみこんでいるので注意しないと落とした小物を踏みつけそうだ。










岡部もそれに気付いたのだろう。
「皆、足元に注意してくれ!」
「はいッ」
若主人の声に皆、なるべくその場から動かずに手の届く範囲で拾い集める。



自分の周りに何も落ちていないことを確認すると、
「これで全部でしょうか?」
螺鈿(らでん)細工を施した櫛を手にして誰にともなく問いかける。



他にもいくつか拾い上げたがどれも高価なものであることは間違いなさそうだ。
「さあ、奥様は物持ちがよくて何がどれだけあるのか私どもにはさっぱり・・・」
「その茂みに入り込んでいるのもあるかもしれんなぁ」

中庭には何種類もの植物が配され、小さいが池もある。
池の方は深くはないため何か落ちていればすぐ分かるが、庭木の方に紛れ込んだとしたらすぐには見つからない。

「今拾ったものを母さんに見てもらって、もしないものがあればまたこの辺りを探してみよう。それまで中庭に誰も入れないようにしておけばいい」
立ち上がった岡部につられるようにして、薫も腰を上げた。
「それでは奥様、緋村様と一緒にお茶でもどうぞ。今、用意させますので」
「じゃあお言葉に甘えて・・・」
本音を言えばもう帰りたかったが、岡部の親切を無下にするわけにもいかない。
岡部に気付かれないように疲れたように息を吐き出し、彼の後に続いたのだが。










一歩踏み出した拍子にぱきん、と何かが割れる衝撃が足の裏に伝わり、ぎくりとして体を強張らせた。









「どうしました?」
足を止め、その場に凍りついた薫を見て、岡部が心配そうに引き返してくる。



「駄目!岡部さん、来ないで!!」
「え?」



ますます分からない、と目が語っているが、ともかく薫に言われた通り、岡部は足を止めた。
それを認めると薫は僅かに体の力を抜いた。
だが背中に嫌な汗が流れているのを感じていた。
「ど、どうしましょう・・・私、踏んじゃったかも・・・」

何を、と聞く必要はなかった。
薫の言葉で状況を察した岡部はそれ以上薫に近づこうとせず、しゃがみこんで彼女の足元を注視した。

「奥様。そのまままっすぐこちらに歩いてきてください」
「で、でも・・・・」
「私の見る限り、そこから先には何もありませんから」
何もない、という言葉に安堵し、薫はそろそろと足を動かした。
薫が自分の近くまで来ても岡部は先ほど彼女が立っていた場所から目を離そうとはしなかった。
「あの、岡部さん?」
やはり高価なものでも踏んでしまったのか、と不安になって恐る恐る聞いてみたが、岡部はそんな薫を安心させるように顔を綻ばせた。



「大丈夫です。奥様が踏んでしまったのはおそらく小枝でしょう」
「ほ、本当ですか?」
疑うわけではないが思わず問い返してしまう。



「ここからだとはっきりと見えませんが・・・・まあ間違いないと思いますよ。だからご安心ください」
目を逸らさず、まっすぐに見てそう言ってくれる岡部にやっと薫も緊張を解いた。
「よかったぁ〜・・・」
「さあ、安心したところでご主人を迎えに行きましょうか」
胸を撫で下ろす薫の先に立ち、再び岡部は歩き始めた。










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内容はタイトルどおりですが前置きが長くて申し訳ありません;
オリキャラもワンパターンで・・・もそっと個性的なキャラを作り上げることができればいいのですが。
改めて読み返すと岡部とかづと慶介は青空一家と被っているような気がするのは気のせいでしょうか(^^A;アセアセ

そういえば剣心はどうなったんでしょうね〜

さあここで来週までのミニクイズ(ナゼ)
旦那様のマッサージが終わった後、剣心はどこに行ったのでしょう?
@薫を探すうちに別の使用人に捕まり、厨で料理している
A米と醤油と味噌がないことが発覚し、困り果てた使用人を見るに見かねて代わりに買い物に行った
B岡部の父親から「風呂に入りたい」と言われ風呂焚きすることになった
Cマッサージが終わると岡部の母親に命じられ、薫とは別の部屋で同じように着物の整理をしていた

次週、彼の居所が明らかに(笑)