街の中心に位置し、他のどの建物にも勝る絢爛(けんらん)な姿は、夜になると更に人々を魅了する。



王宮を思わせるような贅沢な造りになっており、それでいて趣味のよい調度品でまとめられている内部。
足元に惹かれた緋毛氈(ひもうせん)がいやが応にもこれから繰り広げられる舞台に期待と興奮を高める。
逸(はや)る心を抑えつつ、緋毛氈を踏みしめてオペラ座のボーイが誘うままに扉の向こうに足を踏み入れれば、そこはもう観客席だ。
長時間座っていることを踏まえ、適度な固さを保つ座席に腰を下ろすと、目の前には舞台が広がっている。
その舞台を煌々と照らすシャンデリアには数百とも、数千とも言われる蝋燭の灯りが飾り付けられた硝子(ガラス)に反射し、その輝きはダイヤと見まごうばかり。
幕が上がれば本物かと思わせる大道具に囲まれて、色とりどりの衣装を身に纏った踊り子達が舞い、時には滑稽な小男が場を沸かせる。

どれもこれも見る者全てを別世界に誘(いざな)うには十分ともいえよう。










だが、このオペラ座を初めて訪れる人間がいたら是非教えてやって欲しい。

オペラ座に君臨する歌姫の存在を。
容姿もさることながら、聴く者全てを捕らえて離さない美しい歌声を。



彼女の存在なくして、オペラ座は語れない。
もっとも舞台に立つ歌姫は数年ごとに変化するのだが。










そしてもう一つ。










オペラ座の地下深くに住まう男の話を聞かせてやって欲しい。

闇を愛し、闇と共に生きるその男はオペラ座に関わる全ての演出をこなし、そのどれもが好評を博している。
姿を見た者は誰もいないし、自ら姿を現すこともないが、彼こそがオペラ座の真の主(あるじ)と言っても過言ではない。










彼の存在を知る人々は尊敬と畏怖を込めてこう呼んだ。










オペラ座の怪人         と。





























LOVE PHANTOM <1>



オペラ座の舞台で、今夜も歌姫の声が観客の心を魅了する。
きらびやかな舞台とは裏腹に、裏では目が回るほどの忙しさに襲われていた。
歌が終わってからすぐ出られるように小道具を抱えた男と踊り子達が舞台の袖に向かって駆け出す。
が、一斉に駆け出したせいか、お互いの肩がぶつかり合うのは否めない。
「ちょっと!痛いじゃないッ」
「何よ、そっちがぶつかってきたんでしょ!?」
本番前のプレッシャーから皆ピリピリしている。



あちこちで小さな諍(いさか)いが生まれた。
そんな中。



「きゃっ!」
小さな悲鳴が上がり、次いでがたん、と倒れる音。
観客席に聞こえる音ではないが、それでも一斉に音がした方にいくつもの瞳が向けられる。
その視線は一様に非難の色を帯びていた。










「す、すみません。ドレスが足に絡まって・・・」
申し訳なさそうに頭を下げると、艶やかな黒髪がさらりと揺れた。

化粧のため大人びて見えるが、実際はまだ少女という年代か。
金髪碧眼の人間が大多数を占めるのに対し、この少女は黒髪同様、漆黒の瞳であった。

「何してんのよ、のろま!」
他の人間とは明らかに違う容姿はよく目立つ。
目立つと言うことはいい意味でも悪い意味でも客を惹きつけるのだ。
それが面白くないらしく、他の踊り子も敵意に満ちた瞳で少女を睨む。










「ごめんなさい・・・」
しゅんとうなだれた少女を見ても、ふん、と鼻で笑って口々に囃(はや)し立てる。



「しっかりしなさいよ。歌が歌えないんなら、その分私達の迷惑にならないようにしてちょうだい」
「全くだわ。歌えない踊り子なんて聞いたことがない」
「それでもここにいられるなんて・・・本当に支配人はお人好しなんだから」



少女は何も言い返さず、彼女達の嘲笑を聞いているしかなかった。
「まあ、東洋人好みのお客さんもいるし・・・そういったお客さんから買われるのを支配人は期待しているんじゃないかしら?」
その言葉に反応して少女は顔を上げた。
だが、その唇から抗議の言葉は出てこない。
いや、何か言いかけるように口を開いたがすぐ閉じられてしまったのだ。










悔しいけど・・・本当のことだわ。










その心を表すかのように、少女の手が胸の前で固く組まれている。
歌姫の歌が終わる。
名残惜しげに音が引いていく中で、今まで少女を蔑(さげす)んでいた踊り子達の表情が引き締まった。

「じゃあ、行くわよ。薫、あんたもさっさとしなさいッ」

薫、と呼ばれた少女もしゃんと背筋を伸ばして舞台に踊り出た。
どんなに嫌なことがあっても、どんなに悲しくても、舞台に立ったら笑顔の仮面を被る。
それが舞台に立つ者の心得だ。
軽やかにステップを踏みながら、薫は笑顔の裏で先ほどの会話を思い出していた。



歌えない踊り子。



踊り子だって歌わなければならないときがある。
だが、薫は歌えない。
それでもオペラ座にいられるのは前演出家である薫の亡き父の影響力が強い。
ために、支配人も彼女の扱いに手をこまねいている      要するに「お情け」で置いてもらっているに過ぎないのだ。










でも、私だって本当は歌えるのよ。










その真実はいまだ自分の胸の中。
薫はそれを振り切るかのように高く跳躍した。




















全てのものに終わりがあるように、このオペラ座も例外ではない。
全ての観客がオペラ座を去り、灯りが消されると何ともいえない侘しさが漂う。
開幕時とは違い、今舞台を照らしているのは最低限必要な蝋燭の火だけ。
シャンデリアの灯はとうに消えていた。



踊り子達もまた、化粧を落とし本来の姿に戻っている。
薫も普段着に着替え、外の空気を吸うために裏口へ向かった。
が、地下の控え室から階段を上り切ったところで副支配人に呼び止められた。

支配人が呼んでいるから、部屋に行けとのこと。

副支配人に気付かれぬようため息を吐き出し、
「分かりました」
沈んだ口調で答えたが、副支配人は気付かなかったようだ。










支配人室に向かう薫の足取りは重かった。
何を言われるか、大体予想はついていた。










どうせ今日の舞台の批評から始まって、歌えない薫にねちねちと嫌みったらしく言われるだけだ。
いくらオペラ座を盛り立ててくれた名演出家の娘とはいえ、歌えない踊り子をいつまでも養えるほど支配人は寛容ではない。
かと言って、薫をオペラ座から放り出せば不人情とレッテルを貼られてしまう。
支配人としては、薫が自分から辞めると言い出すのを待っているのだ。
その証拠に、支配人から自主的に出て行くよう毎回遠まわしに言われている。



毎日のように何でもないことでケチをつけられ、何とか薫を追い出そうとしている支配人と、東洋人である薫を忌み嫌うオペラ座の人間達。



そんな中でよくオペラ座に留(とど)まっていられると自分でも思う。










全ての演出を取り仕切っていた父親が亡くなったのは半年前。

突然の訃報だったため、当時のオペラ座は騒然としたらしい。
だが、自分の死を予期していたのか、彼は支配人に宛てて遺言書を残していた。
遺言書には、既に自分の後継者が存在すること、そして今後は彼にオペラ座の演出を任せると書いてあった。



後継者、と言われて支配人は首を傾げた。



そんな話は今まで聞いたことがなかったからだ。
読み進めれば何か分かるかも知れぬと考えたが、支配人の疑問は晴れなかった。
むしろ、謎が深まったと言っていい。
そこには後継者に関する事柄が箇条書きで記されていた。










・ 毎月支配人宛てに彼の書いた台本が送られてくるので、支配人はその台本通りに配役を決定すること。
・ 舞台に合わせた楽譜を楽団に配り、最低でも一日六時間は練習させること。変更点、気付いたことがあればその都度手紙にて指示するとのこと。
・ 舞台が成功した暁には、今まで私が受け取っていた報酬を彼に送ること。蝋紙の封筒の中に報酬を入れ、しっかり封をした後、オペラ座中庭にある古井戸の中に落とされたし。










後継者の名前も、風貌も、経歴も何もなかった。
最後に「彼の言うことは絶対である。もし従わなかった場合、このオペラ座に災いが起こるであろう」と締めくくってある。
リアリストな父らしからぬ文面だな、と遺言書を読んだ薫は思った。



もちろん娘である薫の事も忘れていなかった。

もし娘が望むならオペラ座の一員に加わることを許して欲しい。
そして、彼女が望む限りオペラ座に留まれるようにして欲しい。



それが薫への遺言だった。










次項



数年前に公開された映画「オペラ座の怪人」。
ストーリー云々よりも、臨場感溢れる舞台セットに注目していたことを覚えています。
歌も素敵でしたねぇ、声質がしっかりしていて。
もちろんサントラをレンタルしましたともッ
そして内容を見ながら「あ、コレるろで書けるかも」と考えて書き始めました。

・・・出来上がるまでが長かったなぁ(遠い目)

パラレル要素満載なので、ストーリーだけ見ると原作とは結構かけ離れていたりします。
そして最初に申し上げますと、誰も殺されたりしませんのでご安心くださいませ。

タイトルはB'zから拝借。
歌詞は一部分しか使っていません。
さて、どこで出てくるでしょう?