「全ての人間に聴かせることが出来る・・・・」
今の言葉が頭の中に蘇る。










「違うわ。私の歌は全ての人に聴かせられるものじゃない」










LOVE PHANTOM <11>



「何を言うんダ、現にさっき舞台デ歌っていたじゃないカ」
縁の困惑が手に取るように分かる。
直視できず、薫は目を伏せた。
「そうね、確かに歌ったわ。でもあれは      



観客ではなく、怪人のために歌っただけ。



縁の顔から血の気が引いていく。
「先生がいたから歌えたの。そうじゃなければ歌えなかったわ」
握られている少し大きめの手に己の手をそっと重ねた。
「私は先生からたくさんのものをもらった。でも、先生は何もない。オペラ座がなくなったら私の歌以外、先生には何も残されてないのよ」
「目ヲ覚ませ薫!それはタダの同情だ!」
「同情なんかじゃない!!」

激昂する縁の手を振りほどき、薫は身を退いた。

「先生のために歌えなければ・・・先生のそばにいられなければ・・・私は翼なんていらない!!!」
「薫!!!」
絶望の色を浮かべた青年に、薫はとびっきりの笑顔を贈った。



「ごめんなさい、やっぱり子爵夫人にはなれないわ。だって私はオペラ座の団員だもの」



いつかも聞いたような台詞を残し、薫はくるりと背中を向けた。
「行くナ、薫ッ」
縁の声が追いかけてくるのもいつかと同じだ。
だが薫の心は既に別の場所にあった。




















       舞台はこれが豪華絢爛と名を馳せるオペラ座かと疑うほどの惨状であった。
火の手がここにも及んできたのか、赤い火がちろちろと舞台装置や床を舐めている。
そんな中でも怪人は舞台中央から一歩も動かず、ただ静かに崩壊する様を見つめていた。

まるで、家族を看取るような穏やかな瞳で。

オペラ座があってこそオペラ座の怪人も存在するのだ。
怪人とオペラ座は一心同体。
怪人の代わりに有能な人物を奉(たてまつ)ろうと、今のオペラ座より更に巨大な建物を造ろうとも、どちらかが欠けてしまえばそれはまやかしであって本物ではない。



「これももう必要ないな」



仮面を外し、素顔を晒しても恐れおののく者は誰もいない      否、怪人の視界には誰も存在しないのだ。
「彼女の思い出を壊してしまったが、これからはもっと幸せな思い出が生まれる・・・・・あなたなら分かってくださるはずだ、越路郎」
遠い昔、師である越路郎から聞いた彼の娘の話。
誰もが聴き惚れる歌声だが、誰でも聴ける歌声ではない。










それは一体どんな声なのか。
そしてどんな娘なのか。










いくら我が子とはいえ、師がそこまで過大評価するほどの声に興味をそそられた。
越路郎亡き後もオペラ座に留まる薫の様子を窺ってみたが、歌えない踊り子として日々オペラ座から邪魔者扱いされている。
それでも舞台に立つ時は強い光を瞳に宿す。
舞台の・・・いや、芸術に懸ける情熱がそれほど強いということだろう。
しかし情熱だけでは舞台は成り立たない。
孤独の中に生きる自分と重なるものがないわけではなかったが、オペラ座のことを考えれば非情なる決断を下さねばなるまい。
オペラ座の怪人自ら退団宣告をすれば誰も文句はないはずだ。
もちろん、当事者の薫も。



可哀想だが止むを得ない      そう決断した時に彼女の声を聴いたのは運命の導きか。



地下深くに届いた声はとてもか細い。
だが、心を締め付けられるような感動に襲われ、気付いたら薫の前に立っていた。
怪人の姿をひと目見た少女は越路郎と同じようにまっすぐ己を見据え「怖くない」と言った。










おお、我が下(もと)に舞い降りた天使よ!
この天使のためなら己の全てを彼女に捧げよう。




















だから君も俺のために全てを捧げて。




















仮面を強く握り締めたせいで軋んだ音がした。

最初は本当に薫の望みを叶えてやりたいと思った。
それが段々と独占欲に支配されたのはいつのことだっただろう。



どこまでも純粋な心で怪人を慕い、敬い、愛してくれた薫。
彼女の歌も、笑みも、心も全てが自分のものだと感じた幸福な日々。



薫が闇の中に一条の光を差し込んでくれた。
その光の暖かさに酔いしれて住む世界が違うということを忘れてしまうほどに。

だからこそ認められなかった。
彼女が自分以外の男を選ぶことに。

「怯えさせてしまったな」
自己嫌悪に陥る。
己がどういう存在かを忘れ、激情に走った結果がこれだ。
本来なら知る必要のなかった素顔を晒し、舞踏会では誰が見ても羨むほどの恋人達の仲を裂こうとさえした。
あの時の困惑と嘆きがない交ぜになった少女の瞳に対し、更に苛立ちを募らせた。
何故そのような目で見られているのか考えもせず。
自分自身の心の曇りに気付かず決闘紛いの大人気ない真似をして      挙句の果てに彼女からあんな言葉を言わせてしまうなんて。










『私はもう歌うことはないでしょう。自分の歌が偽物だと気付いてしまったから』










歌姫の声を育てるどころか、彼女の歓びすら奪ってしまった。
だがまだ間に合う。
歌を無くしてしまっても彼女を支える恋人がいる。
薫の幸せを願うことが、怪人にできる唯一のこと。

「しかし・・・神というのは本当にいるのかもしれないな。芸術の神も薫の声を聴きたかったとみえる」

怪人の頬が自然と綻んだ。
オペラ座のいたるところに爆薬を仕掛けている最中に聞こえた小賢しい企み。
薫の窮地を救うべく大衆に姿を現し、場を繋ぐ      ここまでは必然だった。
しかし怪人の存在すら霞むほどの美声は奇跡としか言いようがない。



それも大衆に向かってではなく、この異形の怪物に向かって。



単に近くにいたのが自分だけだったからかもしれない。
それでも怪人は心満たされた。
もう聴くことすら叶わぬと諦めていた天使の声を聴き、あまつさえ心を通わせてデュエットできたのだから!

「滅び逝くものに対して、神というのもなかなか洒落た演出をしてくれるじゃないか」

これで思い残すことはない。
感慨深げに目を細める怪人の姿を追い求める影があった。



薫だ。



辺りに倒れている大道具などをよけながら舞台中央へと急ぐ。
煙が目に沁みて涙が滲んだが、それでも薫の足が止まることはなかった。
やがて煙に霞んでいる中で黒い影が佇んでいるのが見えた。
「先生!」
呼びかけたつもりなのだが咳き込んでうまく声が出ない。
だが、怪人には届いたようだ。
滅多なことでは感情を表に出さぬ彼の表情が驚愕に染まった。
仮面が滑り落ち乾いた音を立てたが、二人ともお互いの姿だけを瞳に映している。



「薫!?何故戻ってきた!!」
「せん、せ・・・」



激しく咳き込む薫に怪人がまっすぐ向かってくる。
黒耀の瞳から涙が溢れ出したのは煙のせいじゃない。










今こそあなたの本当の名を呼びましょう。




















「剣心」



泣き笑いのような顔で飛び込む薫を、怪人は両手を広げて受け止めた。




















「か・・・・・」
追いかけてきた縁が見たものは、二人の頭上に巨大なシャンデリアが落下した瞬間であった。



「薫      ッ!!!!!!!!」



縁の悲痛な叫びは激しい轟音と共にオペラ座に響き渡った。
粉々に砕けたシャンデリアの光が、彼の心を慰めるかのようにきらきらと輝いていた。






























こうして栄華を誇ったオペラ座は一夜で呆気なく崩壊した。
それからも「怪人の呪いを受けた地」として誰も近づこうとはしなかった。
以前は人がごった返し、夜でも喧騒が聞こえぬ日がなかった日々が嘘のように静まり返っている。



だが、もしこの近くを通りかかることがあるのならしばらく耳を澄ましてみるといい。
運が良ければ風に乗って歌が聴こえてくるはずだ。










怪人のためだけに歌う、天使の歌声が。
闇に囚われたはずの天使が歓喜に満ちた声で歌っているのが。




















あのひとの あのひとの 
あのひとのそばで歌っていけるのだから!



















【終】

前項



オペラ座の怪人には二つの結末があります。
怪人と共に生きるか、子爵と共に生きるか。

この駄文では前者をとらせていただきました。
・・・というか、怪人=剣心であれば答えはすぐ出るんですけどね( ̄▽ ̄;)ははは
それでも感想の中には本気で縁と薫がくっつくのではないかと思われた方もいらっしゃるようで。
更にはそう思わせるように書いたσ(^^)に対して怒りを覚えた方も。
でも書いた本人としてはそう思わせるように書きましたので嬉しい限りです( ̄ー ̄)ニヤリッ
これでもかというくらい好青年にしましたからね、誰が惚れてもおかしくないくらいに。

最初は原作と同じように殺人とかもあって、しかもそれは推理仕立てになっている・・・というややこしいストーリーを考えましたが、オリキャラを何人も作るのは骨が折れるし、そうかといってこのままだと犯人にぴったりな人物は一人しかいないし(笑)
あとは推理仕立てにするとオペラ座内部についてかなり専門的な知識を仕入れて頭に叩き込む必要があったため、これは無理だと断念。
でも今はこれでよかったのかもしれないなと思っています。
やはりメインは「オペラ座の舞台」だったので。
当時の華やかな雰囲気が伝われば幸いです←しかしσ(^◇^;)は一度も行ったことがない

ちなみに気になる結末は、皆様のご想像にお任せします。
「もしかしたら」と悲しくなる結末なのか、「きっと」と希望のある結末なのか・・・さて、あなたの中にある結末はどちら?



今回の連載は普段とは違い、名前を聞けばピンと来るモノ描きさんに挿絵を描いていただきました〜
表紙をご覧頂ければお分かりかと思いますが、イメージぴったりのイラストを描いてくださったのはアスタリスク*のLie子様。
某イベントで前夜祭からご一緒させていただき、その時σ(^^)のスケブに駄文のイメージを描いてくださって・・・そのときの感動分かってくださる?
この人はσ(^◇^;)の脳内を覗いたのかと思うくらいに、駄文イメージそのもの。
もともとLie子様の画風はシリアスでかっこいいんですけど、複雑な感情を抱える人間や、その表情をリアルに描き表せるのはLie子様ならでは。

TOPとラスト、二枚頂きましたが届いてから色々注文をつけるσ(^◇^;)・・・
「マスクは両目と左頬が隠れるように」
「落とした衝撃で仮面にひびが入っているというか欠けているというか・・・」
「剣心の左目を隠すタイプで瞳が覗いている・・・ってのは可能でしょうか?」
「縁の服装は子爵らしくジェントルできっちりしていて礼儀正しい感じで」

思い返すとオニだな、自分orz
しかしLie子様は快く訂正も引き受けてくださって・・・!
よく分かっていないくせに妙にこだわるσ(^◇^;)のこの性格に振り回され、かなり苦労をされたかと・・・!
あなたの心の広さにどれほど救われたことか(感涙)
もうどれだけ感謝の言葉を尽くしても言い足りないくらいです。



ここまでお付き合いいただいた皆様に感謝を。
そしてラストページのすばらしい挿絵、及び見ただけで惹かれるTOPページを作成してくださったLie子様!


Lie子様、そして毎週焦れながらも楽しみにしてくださった皆様、ありがとうございました!