LOVE PHANTOM <10>



まず、舞台に薫以外の踊り子が出てこない。
更に流れる曲は明らかに歌姫のための曲だ。
愕然としながらも舞台に出たら足を止めることは許されない。
何とか曲に合わせて踊り始める。
観客の不審に満ちた視線を痛いほど感じ、羞恥のあまり逃げ出したくなる。
同時に、舞台袖から覗いている「ざまあみろ」と言わんばかりの踊り子達が目に入り、恥ずかしさ以上に怒りを覚えた。



彼女達の言葉にだまされたことも悔しい。
彼女達の本心が悲しい。



だが、それより何よりも。










彼女達が舞台をめちゃくちゃにしたのが許せない。

薫に最大の恥と屈辱を味合わせようと画策したのだろうが、彼女達はことの重大さが分かっていない。










本来歌姫が出てくるシーンで踊り子しか出てこず、あまつさえ歌も歌わないということは、今回の舞台を台無しにしたことになる。
観客達は女性団員と薫の確執など知らない。
ただ純粋に舞台を楽しむだけに来ているのだ。
彼女達は      違う、オペラ座は期待に胸膨らませて訪れた観客達を裏切ったことになる。

視界の端にVIP席で現状が把握しきれていない縁の姿が映る。

このままではスポンサーである縁の顔をも潰してしまう。
今、薫に出来ることといったら演出の一環であるかのように踊り続けるだけだ。
全く動じず笑顔で踊る薫に、観客達の表情も和らぐ。



しかし、ずっとこのままでいるわけにはいかない。
今流れている曲は、一定の箇所で途切れるようになっている。
歌姫がアカペラで歌うようになっているからだ。



さすがにこの部分は踊りで誤魔化せない。
歌姫が登場してこないところを見ると、踊り子達とグルになっているのか。
今頃VIP席から飛び出した縁が団員に詰め寄っていると思うが、席から舞台に辿り着く時間を考えるとおそらく間に合わないだろう。

      どうか、奇跡を。

ピルエットを決めてから一拍置いて曲も途切れた。
絶望が全身を包み込む。
せめて舞台に立っている間は潔く、と考えながらレベランスで終わろうとしたその時。




















君が僕を支えてくれる
君が僕を自由にしてくれる
月の光がそうするように
君の背中にすべり落ちよう





















聴いたこともないテノールが舞台に気高く響いた。
舞台に設けられた階段に颯爽と現れたのは薫もよく知るその人であった。



「先生」
そう呼びかけたいのに声が出ない。
だが、怪人は彼女の唇の動きを読み取り、朗々とした歌声を響かせながら階段を下りてくる。



観客も、団員達も固唾(かたず)を飲んで成り行きを見守っている。
それは闇色のマントに身を包み、顔を隠す異様な仮面に恐怖したからではなく、怪人の力強く歌うその声に圧されているのだ。
この場に満ちる空気は一番馴染みがある緊張感であり、一番落ち着ける安心感でもあった。
レッスンの場となっていた洞窟を思い出し、薫の体から強張りが解けた。
そして      




















私を支えてくれたのは貴方
私を自由にしてくれたのは貴方
太陽の光がそうするように
貴方の胸に飛び込みましょう





















テノールが途切れると、その後を継ぐかのように澄んだソプラノが場内に広がった。
彼女の夢でもあった『オペラ座の舞台に立ち、たくさんの観客の前で歌う』ことを成し遂げているにもかかわらず、薫の視線は階段を下りてきた怪人に注がれている。

そう、彼にだけ自分の歌を聴かせるように。

誰もが恍惚とし、更に焦がれるような瞳が舞台にいくつも集中しているが、歌っている本人達は気にも留めない。
それどころか、今舞台に立っていることすら忘れているのだろう。



怪人が手を差し出せば薫が手を預ける。
今度は舞踏会の時のように拒まなかった。
まるで磁石が引き合うかのように自然と手を重ね、色の違う瞳がお互いの姿を映す。



仮面の下からやさしい輝きを放つ怪人の瞳が、次に何を望んでいるのか語りかけてくる。
怪人が口を開く。
薫もまた、彼から目を逸らさず歌いだした。




















今まで幻を愛してきたけど
この目に映る彼の人は紛れもない現実
恐れるものなど何もない
この手には自由に羽ばたく翼がある
だけどこの人から離れるための翼はいらない





















二人の声が共鳴し、その音色はオペラ座にいる全ての者の心に染み渡る。
耳で聴くのではない。
乾ききった大地に恵みの雨が降り注ぐように、歌声が全身に広がっていくのだ。
呼吸することすら躊躇われるほど、彼らの歌声はその場にいる人々の心を捕らえていた。
楽団のメンバー達も、演奏すべき小節に入っても誰も楽器を弾こうともしない。
どれほど優れた楽器でも、この二人の歌声には遠く及ばず、また演奏なども必要としないのだ。






























どうか

どうか

僕から

私から

奪わないで

引き離さないで

君と

貴方と



共にいられるなら他には何も望まない
例えこの身が地獄の業火に焼かれようとも































力強い歌声が響き、しばらく音の余韻を残しながら会場の空気に溶け込んで消えた。
      素晴らしい」
怪人が言葉を発したことで、薫ははっと我に返った。



「言っただろ?君は歴史に名を残すほどの素晴らしい歌姫になると。今がまさにその時なのだよ」
「先生、私」
堰を切ったように拍手の嵐が二人を襲った。



「ブラボー!!」
見れば観客は総立ちになり、惜しみない拍手を贈っている。
中には涙を流し、大声で褒め称える者まで出てきている。
耳が割れるほどの拍手や一斉に向けられたたくさんの視線に足が震え出した。

それは薫にとって待ち望んでいたもののはずなのに、自分の身に襲い来る大きな波のように思えて、今にも飲み込まれそうだ。

「大丈夫、怯えることなど何もない」
耳元で落ち着いた声が聞こえる。
いつの間にか怪人は少女の体が崩れ落ちないように腰に手を回していた。










「歌が終わったからといって気を抜いてはいけないよ      さあ、観客に挨拶を」
怪人に支えられながら、薫は会場を見渡した。
薫が一礼すると一際歓声が高くなり、アンコールを求める声が響き渡った。

「皆、君の歌を望んでいるんだ」

ともすれば自分の声すらかき消されそうな歓声の中で、怪人の声ははっきりと薫の耳に届いた。
「おめでとう、今日から君は立派な歌姫だ。もう私から教えることは何もない」
「教えることは何もないって・・・嫌です先生、そんな最後のような言い方」
縋るような薫を愛しげに見やり、彼は小さく笑った。




















「最後のような、じゃない。これで最後なんだ、薫」




















あまりにさらりとした口調で、言葉の意味を理解するのに数秒要した。
「せん・せい・・・?」
歌った時の滑らかさはそこにはなく、薫はただそれだけの言葉を絞り出した。



更に言葉を継ごうとしたその時、大きな爆発音がオペラ座全体を揺るがした。
そして続けざまに震動が会場を襲う。



「うわああぁぁぁあぁ!??!!」
「いやぁ!誰か助けてッ!!!」
突如起こった不測の事態に、今までの興奮は恐慌となって観客に伝染した。
パニックになった観客、そしてオペラ座の団員は我先に逃げ出そうとする。
「な・・・!?一体何が起きたの!?!」
「さっきの歌、覚えているかい?」
「え?」
今の状況が見えていないかのように穏やかに問いかける怪人を見ると、その表情もまた静かなものだった。



「『この手には自由に羽ばたく翼がある』      今、君の手にも同じ翼がある。好きなところに飛んでお行き。彼と共に」



薫の体を離し、その背中を軽く押すと、少女は数歩前に進む。
怪人が目で示した方向を見れば、支配人と副支配人を振り切り、こちらに駆け寄ろうとする縁の姿があった。
「で、でも先生は?」
その場に留まり怪人と向き合うと、彼はいつもと同じような笑みを口元に乗せた。

「私はこのオペラ座の主だ。だから、オペラ座と共に滅びよう」
「先生・・・まさか、今の爆発は先生が!?」
「闇の住人は闇に、そして光の住人は光の世界へと、それぞれ相応しい場所に還るだけさ」
「薫!!!」

口元を手で覆って立ち尽くす薫の腕を縁が掴んだ。
「早く逃げるんダ薫!ココはもう崩れル!!」
「待って、先生がまだ・・・」
縁に手を引かれながらも後ろを振り向けば、さっき見た笑顔のままで見送っている怪人の姿があった。
その怪人の口元が一つの言葉を形作る。




















       シ ア ワ セ ニ       




















「!!」
薫の目の前に大道具が倒れ、視界を遮った。
「先生・・・・・先生      ッ!!!!!」
あらん限りの声を振り絞るが、その絶叫は新たな爆発音でかき消され、怪人の姿も既にない。
「ああ・・・!」
倒れそうになる薫を縁が支えた。
「しっかりシロ!お前が幸せになること・・・・それが彼の望みじゃないノカ!?」
「縁・・・・ッ」
「行くぞ!!」



ぐい、と引っ張られ、薫は縁と共に走り出した。
どこかで火の手が上がったのだろうか。
黒煙がオペラ座に蔓延している。



二人はなるべく身を低くしながら先を急いだ。
ふと、収納庫に繋がる階段が見えた。
突然立ち止まった薫を急かすように、
「どうしタ?早くしナイと煙にまかれルぞ」
「子爵、お急ぎくださいッ」
縁と支配人達の声は薫の耳には届かなかった。

「私、先生からたくさんのものをもらったわ。歌だけじゃない、お客様からの賛美もあなたとの幸せも全て先生が与えてくださったような気がする」
「薫      

何か言いかけたが、それは言葉にしなかった。
代わりに縁は幾分声を落としてこう言った。
「彼の言うとおりダ、お前の歌ハ歴史に残るほどの価値がアル」
体ごと彼に向けると、
「歌をやめることなんてナイ。彼のおかげでお前ノ歌は全ての人間に聴かせることガ出来るんダ。いや、是非そうすべきダ」
縁は薫の目を覗き込むようにして語りかける。






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ハイ、今回は歌いました、歌わせてみました。
歌詞もちゃんとつけましたよ〜

・・・・・本っ当に全身かゆかったorz

怪人パート(紫)の部分は歌詞部分まんま引用してますが、薫パート(ピンク)&デュエット(黄)部分は自分で作詞。
うわわ、読み直すと背筋がぞわぞわする〜(ノ><)ノヒィ
もうこういうのは書かないと思います・・・サブイボはいやだあぁぁぁぁッ!!(叫)

原作だと怪人が誘拐したり用水路に男を引きずり込んで・・・というシーンがありますがそれはないです。
どんだけ原作無視( ̄▽ ̄;)ははは
あ、でもアノ有名なシーンは盛り込みました!
最終話で探してみるのも一興かと・・・本当にちょこっとですがっ



念のため補足。

ピルエット=片足を軸として同じ位置で回転
レベランス=上体を傾けまたは膝を曲げてするお辞儀

両方ともバレエで使われています・・・一応調べたんですが間違っていたらすみません;
だからσ(^◇^;)はピアノもバレエも習っていないんですってばっ