私が欲しいの?










体はもちろん、私の心も愛すらも      全て手に入れたいと男達は言う。

でも、そう簡単に『私』はあげない。










どうしても欲しいのなら、わしづかみで愛を獲(と)ってごらん。 










TATTOO   【前編】



吉原の街は、今宵も一夜の夢を買いに来た男達で埋め尽くされている。
由美は二階にあてがわれた自室から面白くなさそうに見下ろしていた。



くだらない。



女を抱きに来る男共も。
そいつらに媚びへつらい、己の店に招きいれて少しでも稼ごうとする楼主(ろうしゅ)も。
そして、求められれば人形のように応じるしか出来ない女達も。



そこまで考えて、ふ、と自嘲気味に口角が上がった。



人形のように応じるしか出来ないのは自分だって同じだろうに。










虚偽(きょぎ)の世界。
泡沫(うたかた)の夢。

感情も、愛すら麻痺したこの世界。

それでもその日の稼ぎを得るために、男達の心を扇動(せんどう)するのが私の役目。










「花魁(おいらん)、何を見ている?」
つと声のした方に顔を向ければ、布団に寝そべっている男がこちらを見ている。
「いえ、何も」
そのまま男の傍(かたわ)らに膝を進めれば、荒々しく腕を引かれ、あっと言う間に組み敷かれた。



「あれ、中野様はほんに剛毅(ごうき)なお人でありんすなぁ。つい先ほどまであんな・・・・」
「先ほどまで、何だ?言うてみい」



中野、と呼ばれた男が由美を見下ろしながら問うと、ちょっと拗ねた目を彼に向ける。
「何と意地悪な。わちきの口から言わせるおつもりで?」
やや顔を傾かせ、妖艶な笑みを見せながら由美は彼の首に白い腕を絡ませた。
ねだるようなその瞳を向けられ、無視できる男が果たしていようか。
ごくり、と中野が生唾を飲み込み、無言で由美に覆いかぶさった。

「あ」

声と共に甘い吐息を彼の耳に吹きかければ、中野の手が忙(せわ)しなく由美の体をまさぐる。
「花魁、俺にはお前しかおらん」
「うれし・・・」
熱っぽく由美を求める中野同様、由美も自分から体を押し付ける。
潤んだ瞳で男を見つめ、敏感な箇所に触れられれば嬌声を上げる。



だが、由美がそう演じているだけだという事実に誰が気付くだろう。



花街に生きる女として遣手(やりて)婆や姉女郎達から手練手管も仕込まれた。
だから、どうすれば男を悦(よろこ)ばせることが出来るのか十分熟知していた。










今、この時だけの甘い夢。
夢は夢らしく、客が望むままに      










今夜の客である中野は明治政府の要人で、由美の馴染みの客である。
長州の人間で、己の力がなければ今の明治の御世(みよ)はなかっただろうとことあるごとに口にしている。
すでに何度も聞いているのでさすがに由美もうんざりしてきたが、そこは太夫の格を持つ女郎、
「そうでありんすなぁ・・・ほんに、中野様のおっしゃる通りでおざんす」
と優雅に相槌を打つ。
幕末の動乱も去り、明治という泰平の世に変わったが、中野のような男が世の中を闊歩(かっぽ)しているのは昔も今も変わらない。



心根も男気も萎え、やがては廃(すた)れていく。



そんな男共に抱かれるのは、由美にそうではない、と思わせるための機会を与えてやる儀式に過ぎない。
しかしそれは、更に彼女を失望させていくだけ。
行為に没頭し熱くなる中野に対し、由美はますます冷めていった。
それでも感じている振りだけは続けなければならない。

「あれ、そこは・・・!」
「花魁・・・胡蝶!俺が大臣になった暁には、必ず身請けしてやるからなッ」

胡蝶、というのは妓楼(ぎろう)での由美の名前である。
女衒(ぜげん)に手を引かれ吉原でも指折りの妓楼に登ってから今日まで、ここから外に出たことはない。
中野に身請けされれば江戸の町      今は東京府と名を改めたが      を自由に歩きまわれるだろう。
だが、吉原という籠が中野という籠に変わるだけ。










そして、その中にいるのは『胡蝶』という名の無力な蝶。










籠の中の蝶は、どんなに足掻いても結局他人に弄(もてあそ)ばれる。
自分の      いや、女の運命はいつも他人に委ねられているのだ。










生まれてこのかた、自分の意思で動いた試しがない。
いつも誰かの手のひらで踊らされているような錯覚すら覚える。










それでも私は生きている。
死と隣り合わせの苦界の中で危うい『生』にしがみつき、無我夢中で生きてきた。











周りを見渡せば、己と同じ境遇の女が過酷な労働に涙しながらも懸命に生き続ける姿がある。
中には耐え切れずに自ら命を絶ったり、生きていたいと願いながらも黄泉へと旅立った同胞もいるけど。
苦界と呼ばれる花街でも、歯を食いしばりながら生きているのだ。



それは由美達女郎にとって唯一の・・・そして最高の誇りだった。



しかし、その誇りは無残にも踏みにじられることとなる。










明治五年六月、マリア・ルーズ号事件突発。
それだけならただの世間話で終わるはずだった。
十月九日付で通達された司法省令の内容を知るまでは。










人権を失った牛馬。










政府の人間は由美達のことをそう呼んだのだ。
由美のもとには中野のように明治政府の要人も訪れるが、この時ばかりは髪に挿した簪(かんざし)で殺してやりたい衝動に駆られた。
が、やめた。
政府の人間を一人殺したところで何も変わらないからだ。










所詮、女なんて何も出来やしないのだ。



諦めにも似た感情を抱きながら中野に身を委(ゆだ)ねていると、誰かが座敷に入ってきた気配がした。
僅かに首をまわして      ぎくりとした。

その人物は外から侵入してきたからだ。

傷でも負っているのだろうか。
全身に包帯が巻かれており、その姿が薄暗い室内に不気味に浮かび上がった。
それだけではない。
その人物の右手には日本刀が握られている。
由美の体に夢中になっている中野はそれに気づかない。
声を上げることも出来ず、由美はただじっとその人物を見ていた。










狙いは中野だろうか。
職業柄、よく命を狙われるとこぼしていたことを思い出した。
でも、まさか吉原まで来るとは      










相手も由美に気付いた。
男の表情はしかとは見えないが、にやりと笑ったように見えた。
その瞬間、初めて由美の中に恐怖が生まれた。
月の光を受けて、白刃が輝く。



殺される。



間違いなく共にいる自分も殺されるだろう。
中野だけ殺されて由美は助かるなんてことはありえない。
数刻後には血まみれの死体となって転がっている己の姿を想像して、一気に血の気が引いた。
「・・・どうした?」
その声につられるようにして視線を戻せば、目の前にいかつい中野の顔があった。
侵入者に気付いた様子はなく、行為の最中に無言になった由美を不審に思ったらしい。
ふと、由美の脳裏を一つの思考が掠(かす)めた。










今自分の体を抱いているのは間違いなく明治政府の人間。
苦界に落とされても一人の人間として生きている女郎達を蔑んだ張本人。










牛馬呼ばわりした政府(この男)も道連れに出来るならそれもいい      










「中野様・・・わちきも中野様のことを      
注意を逸らせるため、由美は女としての武器を最大限に利用した。
切ない瞳で甘えるようにその胸にすがれば、それだけで中野は有頂天になる。
「胡蝶」
感極まったように、ぎゅう、と中野が由美の体を掻き抱く。
由美は彼の頭をさりげなく押さえ、再び刀を携(たずさ)えた男を見てこう言った。



「お願いでござります、早く・・・早くきて」



哀願するような口調だが、由美の瞳には強い光が宿っている。
それを認めたかどうかは定かではないが、男は一歩一歩確実に歩み寄ってくる。



「早く」



男から視線を逸らさずにいると、枕元に立った男の影が由美と中野を覆う。
己の周りが翳ったことに気づき、何気なく中野は半身を起こした。
男は何の躊躇いもなく刃を中野の胸に突き刺した。
ずぷ、という肉を貫通する音が由美の耳に届き、男が刀を引き抜くと真っ赤な鮮血がほとばしり彼女の体を濡らす。
中野の訝しげな表情はすぐ驚愕にとって変わり、その表情を保ったまま由美の上に倒れこんだ。



馬鹿な男。
私の前ではあんなに「自分は強い」と豪語していたくせに呆気ない最後だこと。
どんなに威張り散らしていようが、死んだらそこで終わりだ。



「ざまあみろ」
吐き捨てるようにつぶやいてから、男を見て満足げに微笑んだ。



ありがとう。
これで死んでも悔いはない。



張り詰めていた気が抜けたのだろうか。
覚悟を決めて瞳を閉じると、視界だけでなく意識も黒く染められた。










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まだ名前が出てきてませんが、もうお分かりでしょう。

志々雄×由美は結構好きなカップリングです。
歌詞的にこの二人が適役だったし、σ(^^)もいつかは書いてみたいと思っていたので「それなら二人の出会いってコトでいっちょ書いとくか!」と実行に移したのはいいんですが・・・
時代考証、吉原、当時の風俗など調べることが多すぎッ
小説書くためにここまで調べものしたのって初めてかもしれない(^^;

由美が太夫だったことを考えると吉原は絶対に外せない。
そうすると吉原関係の資料を集めることから始まったわけなんですけど、この頃って結構「明治」というより「江戸」の文化が色濃く残っているんですよ。
大体吉原自体独自の文化がありますしね。
最初「花魁」と「太夫」の違いも分からなかったくらいですから・・・資料によって色々諸説はありますが、今回は禿(かむろ)や客から「おいらんとこの太夫」と呼ばれていたのが「花魁」となった説を参考に。
結局太夫と花魁は一緒なんだということにして、呼び名も結構適当。
や、調べれば調べるほどややこしくて;←めんどくさくなったらしい

胡蝶太夫の廓言葉、にわか勉強のためかなりあやしいものとなっています。
だから間違っていても勘弁してくださいm(_ _)m

次回はいつもそばにいるアノお二方の登場です。