TATTOO   【中編】










「女物の着物を用意しろと言うから何のことかと思えば・・・全く、志々雄様の悪い癖だ」










苦々しくつぶやく男の声がすぐ近くで聞こえて、由美は意識を取り戻した。
「だめじゃないですか方治さん。そんな近くで話したらこの人が起きちゃいますよ」
今度はまだ声変わりしていないような少年の声。
「僕、志々雄さんから言われているんですよ。本人が起きるまでゆっくり寝かせてやれって」
「で、この女が起きたら志々雄様はどうされるおつもりなんだ?まさか、連れて行くつもりじゃないだろうな!?」

苛立ったように声を荒げる男に対し、少年の口調は全く変わらない。

「さぁ、あの人のやることは僕にも分からない時がありますから・・・志々雄さんに直接聞いたほうがいいんじゃないですか?」
「言われなくてもそうさせてもらうッ」



バン、とやや乱暴に扉が閉まる音を聞いてから由美は目を開けた。



てっきり板張りの天井が見えるかと思ったのに、由美の視界に飛び込んできたのは寝台を覆うように被さっている半透明の布。
そして、自分が寝かされているのは畳に敷かれた布団ではなく、洋式の寝台。
寝心地は客から贈られた積み夜具と同じだが、それよりやや大きいように思う。










ここは何処?










あの時、てっきり殺されたかと思ったのに。
意識がはっきりしていることから考えると、あの後、自分は生かされたままここに運ばれたらしかった。










一体何のために?










ゆっくり体を起こすと、正面に困ったように頭をかく少年がいた。
少年は扉の方を見ていたが、由美が起き上がったことに気付くと人懐こそうな笑顔を見せた。

「あ、気がついたみたいですね。おなか空いてませんか?もしよかったら何か持ってきますけど・・・」

あまりに朗らかに問われると却って答えられない。
それでも何とか首を横に振って自分の意思を伝えると、そうですか、と少年は頷いた。
視界が広がったところで周りを見渡せば、洋式なのは寝台だけではないということが伺える。
広々とした部屋で、大きな窓からは太陽の光がさんさんと降り注いでいる。
少年が立っているのは畳ではなく、光を受けて輝く床の上。
妓楼にある自分の座敷もそれなりに広いと思っていたが、この部屋に比べるとなんとみすぼらしく見えることか。



「ここは一体・・・」



無意識のうちに疑問が口から突いて出る。
それを聞き逃すことなく、少年は由美の疑問に答えた。
「吉原と全然雰囲気が違うからびっくりしたでしょう。ここは横浜のホテルですよ」
「ほてる?」
聞きなれない単語に眉をひそめると、異人向けの宿であることを教えてくれた。
この部屋が洋風に造られている理由はそれで合点がいったが、いつの間にか横浜に運ばれてきたことにも驚いた。



一体どうやって・・・いや、何のために私を連れてきたのか・・・



様々な考えが浮かんでは消えた。
考え込んだまま沈黙すると不意に、そうだった、と少年が声をあげた。
「すみません、自己紹介がまだでしたよね。僕、瀬田宗次郎といいます。志々雄さんからあなたの面倒をみるよう言われているんで、何か欲しいものがあったら言ってくださいね」










志々雄、という名前を反芻してみた。
それが昨夜の男の名前だろう。










「それと誤解のないように言っておきますけど、着替えさせたのは僕じゃありませんからね。このホテルで働く女の人にやってもらったんです」
そう言われて由美はやっと自分の体を見た。
中野の血がべっとりと付いていたはずの体はきれいに清められており、見たことのない衣に着替えさせられている。
昨日の昼間に結ってあったはずの島田髷(まげ)も解け、今では少し癖のある由美の髪がなだらかな波を描いていた。
「それ、ガウンっていうらしいですよ。僕もよく分からないんですけど、向こうで言う寝巻きになるのかな?」



次から次へと珍しいものを見せられ頭が混乱してきたが、それでもこれだけは聞いておかなければならない。



「瀬田様」
いきなり名前を呼ばれ、目を丸くしたがすぐ照れ臭そうな笑みを浮かべ、
「そんな風に呼ばれると何かくすぐったいや。宗次郎でいいですよ」
「じゃあ宗次郎。私は何故ここに連れてこられたのかしら?」
常日頃使っている廓(くるわ)言葉もここでは何の意味もないことを悟って、由美は言葉使いを変えた。



廓言葉はもともと全国各地から集められた女達のお国訛(なま)りを隠すために考案されたものだ。
さほど訛りが酷くなかった由美にとっては、廓言葉よりも素の言葉の方が使いやすい。



由美の質問に、宗次郎はしばし考えていたが、
「そうだなぁ・・・気に入ったからじゃないですか?」
ぽつりと答えを口にした。

「何よ、それ。ふざけているの?」

さすがにむっとして言うと、それを見た宗次郎は慌ててこう付け加えた。
「ああ、怒らないでくださいね。いつものことなんですよ。志々雄さんって、気に入った人間を見つけると、すぐ連れ帰ってくるんです。ちなみに、僕も方治さんも       あ、方治さんっていうのは志々雄さんの仲間なんですけど       似たような理由で志々雄さんに拾ってもらいました」
「拾ってって・・・そんな、人を物みたいに」
呆れたようにため息を吐き出すと、そうですよねぇ、という宗次郎の間延びした声が聞こえた。










「でも貴女だって、花街にいる時は物と同じような扱いを受けていたんじゃないですか?」










瞬間、宗次郎の口調が冷たいものに変わった気がして、はっとして顔を上げた。
だが、そこにいるのは先ほどと変わらずにこにこしている少年の姿だった。



この坊や・・・ただの能天気な坊やじゃないわね。



長年花街で培(つちか)ってきた由美の目が、宗次郎の笑顔の裏に隠された非情な一面を認めた。



「まあ、貴女も聞きたいことはたくさんあると思いますけど、それは志々雄さんに聞いてください」
今頃方治さんに問い詰められていると思いますけど、と補足した時、何の前触れもなく扉が開いた。
音も立てず静かに開いたので、風で開いたのかと由美が何気なくそちらを見ていると一人の男が部屋に入ってきた。
その男の姿を認めた瞬間、由美の瞳が大きく見開かれた。










昨日の男       










その内顔を合わせることになるだろうとは思っていたが、こんなに早く対面するとは思わなかった。
完全に不意をつかれ、まだ心の準備が出来ていなかったが、それでも視線だけはまっすぐ男に       志々雄に注がれていた。



相手から目を逸らしてはならない。



吉原で学んだ教訓が由美の体に染み付いていた。
やや表情は強張っているが、全くと言っていいほど怯えた様子を見せない由美に、志々雄は面白そうに、

「ほう」

と一言だけ漏らした。
「しばらく席を外せ。この女と二人で話がしたい」
短く命じると、分かりました、とだけ言って宗次郎が部屋から出て行った。










余計なことは一切言わず、ただ志々雄の命令に従う。
だが、少しも表情が変わらないのはそれだけ絶対の忠実を誓っているからなのだろうか。










「聞きたいことがある」



志々雄が由美の傍らに立つ。
木乃伊(みいら)のように全身に包帯を巻いてあるだけでも人の目をひくが、更に目をひくのは包帯の間から覗く志々雄の瞳だろうか。
何か追い求めるかのように鋭い光を帯びており、その瞳は由美に獲物を探す獰猛な獣を思わせた。

「お前・・・昨夜の男に恨みでもあったのか?」
「え?」

質問の意味が飲み込めず、由美は形のいい眉をひそめた。
「俺に言っただろう。『この男を殺してくれ』と」
「そんなことは言ってないわ」



ふい、と顔を背けたが、志々雄に顎を掴まれて無理矢理向き合う形となった。



「ちょっと、何するのさッ」
いきなり顔に手をかけられる無体に、き、と睨みつけると、
「言ったさ。口でなくとも、お前の目がそう告げていた。今よりもっと強い瞳で」
志々雄の顔が近づいてきた       と思ったら次の瞬間には唇を塞がれていた。
「・・・んっ!」
思わず声が漏れた。
だがそれは、突然の接吻のせいではない。










唇が熱い       !?










そう、志々雄の唇は人間とは思えぬほどの高熱を帯びていた。
唇だけではない。
押し倒され、由美の肩を掴む手にも異常なほど熱を感じる。
口腔内に志々雄の舌が入り込み、更に熱を伝える。

由美は全身の力を抜き、されるがままにしていた。

抵抗したところで敵うはずもないことは分かりきっていた。
それに力ずくで犯されるなど、今に始まったことじゃない。
このくらいのこと、吉原では日常茶飯事だった。










女なんて、男に弄ばれるだけの人形に過ぎない。










そんな冷めた感情を抱きながら志々雄に身を委(ゆだ)ねていると、彼の手が止まった。
「抱かないの?自慢じゃないけど、あんたを悦(よろこ)ばせる自信はあるわよ」
感情を込めずにそう言うと、
「その気のない女を抱くほど俺は飢えていない」
むくりと志々雄は起き上がり、由美に背を向けて寝台に腰かけた。



志々雄の言葉に少なからず驚きを覚えた。
体の力を抜けば、由美が了承したと受け取る男ばかりだったのに。



「変な男ねぇ」
由美の口から思わず本音が出た。
「見てくれからして普通じゃないからな」
言いながら傍らの棚にあった煙草盆(たばこぼん)に手を伸ばした。
「貸して」

志々雄の返事を待たずに彼の手から煙管(きせる)を掠め取ると、刻み煙草を丸めて火皿に詰め、マッチを擦(す)って火を点けた。

「さすがに手際がいいな。中野のような客相手にいつもやっていたのか?」
由美から煙管を手渡され、美味そうに紫煙(しえん)を吐き出した。
それには答えず、由美はつぶやくようにこう言った。
「あの男に恨みなんてないわ・・・」
志々雄が怪訝そうに顔を向けた。
視線を合わせず、由美は続ける。



「政府の人間なら誰でもよかったのよ」
「つまり、お前が憎んでいるのは明治政府ってことか」
「あんたには関係ないでしょ」



ぴしゃりと言うと、志々雄は苦笑して小さく肩をすくめた。
「あんたこそ、あの男を憎んでいたんじゃないの?」
灰吹きに、コン、と雁首(がんくび)を叩いて灰を落とすと、志々雄は言葉を紡いだ。










「あの男は俺にこの火傷を負わせた人間の一人だ」










無感情に紡がれる言葉に返す言葉が見つからない。






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念のために申し上げておきますが、ここは剣×薫の二次創作サイトです・・・

こ、これでも短くしたんですよ?
吉原の風習とか廓内の生活とか書きたかったのですが、それを全部組み込むと結構な長さになりそうだったので話に必要なものだけにとどめておきました。

後編、この曲を選んだ理由が明らかに・・・( ̄ー ̄)ニヤリッ