椿の下(もと)にて
「椿って・・・弥彦君に似ているね」
それは妙に頼まれ、二人で買出しに行った帰り道。
人の家の垣根から見事な椿が咲き誇っているのを見て、燕がぽつりと独り言のようにつぶやいた。
そろそろ桜も咲こうかというこの季節。
まるで後は桜に任せたといわんばかりに、椿の花がぽとりぽとりと地面に落ちていた。
「なんだよ、それ。縁起でもねえ」
不機嫌極まりない顔でじろりと睨むと、弥彦の様子に気付いた燕が否定するように激しく両手を交差させた。
「ち、違うよ。そういう意味じゃなくて」
「じゃあ、どういう意味だよ!?」
少し声を荒げて燕の言葉を遮ると、目の前の少女はびくっと肩をすくませる。
燕の性格は知っているから、弥彦としてもなるべく最後まで話を聞いているのだが、今回ばかりはそうもいかない。
しかし、燕が萎縮(いしゅく)して何も言えないのを見ると、弥彦も少々気まずくなって、それ以上詰め寄るのはやめた。
やがて、はぁ、と大きく息を吐き出し、
「・・・・嫌いなんだよ、椿」
むっつりとしたまま言うと、弥彦は椿に背を向け、そのまま歩き出した。
そう。
世の武士が椿を厭(いと)うように、弥彦もその例外ではなかった。
花がその原形を留めて落ちるその様は、まるで人の首が落ちるような印象を受ける。
弥彦にとってそれは、不吉の象徴でもあったのだ。
無論、燕は女だから「花が綺麗」と言うならまだ弥彦にも理解できる。
しかし・・・椿と俺が似ているだと?
なんてこと言いやがる。
椿に似ているね、と言われて少しむっとしたのは事実。
でも、この台詞を言ったのがほかの人間であったなら、ここまで腹は立たなかった。
なんでこいつがそんなこと言うんだよ!
自分と同じように燕も武士の出だ。
だから、武士にとって椿がどんな存在か、重々承知しているはずだ。
そして、自分がどれだけ武士の誇りを大切にしているかということも。
その燕から言われると何だか裏切られたような気がして、余計頭に血が上る。
「弥彦君、待って!待ってったら!」
慌てて追いかけてきたらしい燕の気配がしたが、それを無視して、一人でずんずん歩いていった。
「弥彦君!」
燕は小走りに駆けてきて、弥彦の前に立ちはだかる。
そうされると弥彦もその場に止まらざるを得ない。
不機嫌な表情を崩さずにいると燕は息が切れたのか、はぁはぁと肩で大きく息をしている。
それを何度か繰り返すとやっと落ち着いたらしく、
「弥彦君、ごめんね」
と弥彦に謝った。
しかし弥彦は、それを聞いて更に眉間にしわを寄せる。
「・・・なんで謝るんだよ。謝るくらいなら、最初からあんなこと言わなけりゃいいだろ!?」
ほとんど怒鳴るように言い放ち、しまった、と後悔してももう遅い。
案の定、大声で怒鳴られた燕の両目には、大粒の涙が浮かんでいる。
何か言おうとして口を開きかけたが何も出てこず、燕から目を逸らして彼女の脇をすり抜けようとした。
すると、いきなり燕が弥彦の腕をぐい、と引っ張った。
燕の予想外の行動に弥彦は危うくよろけそうになるのをぐっとこらえ、その場に踏ん張る。
「なんなんだよ、お前は!」
今度こそ本気で怒りかけたが、燕も一歩も退かない。
涙がこぼれ落ちそうなほどぷっくりと膨れているが、それをこらえ、弥彦をじっと見つめている。
しかし重力には逆らえず、燕の瞳からぽろりと一滴の涙が頬を伝って、地面に落ちた。
その様子に弥彦はややたじろき、それを悟られまいと唇をへの字に引き結んだ。
二人とも一言も言葉をかわさず、膠着状態が続いた。
どのくらいそうしていたのだろうか。
先に根負けしたのは弥彦のほうだった。
こういう時、燕はいつもの弱気な姿からは想像できないほど己の我を通そうとする。
今の燕を力で押し負かそうとしても、まず不可能だろう。
「分かったよ・・・お前の言い分、ちゃんと聞いてやるから、その手放せ」
そう言うと、燕は明らかにほっとしたような表情を浮かべ、今まで掴んでいた弥彦の腕を離した。
「で?なんで俺が椿に似ているって?」
「うん、あのね・・・・」
やっと本当の理由を話せるというのに、燕は何だか恥ずかしそうにもじもじしている。
なかなか言い出さない燕に弥彦は再び怒鳴りそうになったが、それをこらえ、辛抱強く次の言葉を待った。
「『潔(いさぎよ)い』ところが、似ているなって思って・・・」
燕の言葉に弥彦は目を丸くした。
何を言ってるんだ、こいつは。
「何だって?」
困惑しながらも、もう一度聞き返すと、
「だから、潔いところが弥彦君に似ているって思ったの!」
焦(じ)れたような返事が返ってきたが、それでも弥彦にはまだ把握できない。
とうとう我慢できなくなって、口を挟んだ。
「あのな燕。落ち着いて、もうちょっと分かりやすく説明してくれねえか?なんで椿が『潔い』んだ?」
「だって、そのままの姿で落ちるなんて他の花には出来ないじゃない。普通、花が散る時って、まだ根付いている姿を見せたい一心で、一枚一枚散っていくでしょ?それはそれで綺麗なんだけど」
でもね、と燕は続けた。
「椿は花の姿を保ったまま落ちるでしょ?なんていうか、周りに流されずに自分のことは自分で決めるっていう意志みたいなのを感じるの。それって、出来そうでなかなか出来ないことでしょ?」
「・・・で、俺のことが浮かんだと・・・・?」
やや遠慮がちに言うと、燕はうん、と頷いて恥らうように目を伏せた。
「椿が縁起のいい花じゃないっていうのは私も知っているよ。でも、花ごと散っていく様はすごく潔いな、と思って・・・・成すべき事は成し遂げたから、もう未練なんてないって感じで散っていくし・・・」
そこで燕は、あ、と口を押さえ、慌てて付け加えた。
「べ、別に弥彦君に潔く散ってほしいって意味じゃないからね!弥彦君の生き方が潔いって言う意味だからね!」
自分のありのままで勝負しようとするとことかすごいと思うし、と更に言い募る燕の言葉は、弥彦の耳に届いていなかった。
今まで、弥彦は椿が嫌いだった。
武士が士族になっても、明治という世の中でそんなものは不要といわんばかりに斬り捨てられる様を椿に重ねてしまうからだ。
時代の流れに乗れず、刀を帯び、武士の心を抱えた姿のまま散っていく。
そして後は腐って消えていくのみ。
でも、それは己が思い込んだ幻影なのだろうか。
燕は、椿を潔いと言った。
その言葉を反芻して椿を思い描くと、武士としての誇りを抱き、己の道を貫き通す、弥彦が求めるそれと重なった。
周りからどう思われても構わない。
大事なのは、自分が後悔しないように生きていくことだ。
そう思うと、先ほどまで厭っていた椿をもう一度見たくなった。
「あの・・・弥彦君?」
さっきから何も言ってこない弥彦に、また怒らせてしまったのかと危惧する燕が、恐る恐るといった感じで声をかける。
その声に弥彦は我に返り、少女を見返した。
「ん?わりぃ、なんか言ったか?」
「・・・・・怒ってないの?」
「何でだ?」
こちらを見た弥彦の表情はむしろ清々しく、てっきり不機嫌な表情で睨まれると思っていた燕は、少々拍子抜けした感じがした。
「燕」
「なぁに?」
彼が怒っていないことに安堵した燕が笑顔で返すと、今度は逆に弥彦が言いにくそうにしている。
「弥彦君?」
「さっきは怒鳴って悪かったな。その、なんだ・・・」
口に出すことは出来ないから、心の中で燕に伝える。
椿が『潔い』ことを教えてくれて。
そして、自分のことを椿のように『潔い』と言ってくれて。
「ありがとよ」
弥彦は、二つの意味をこめて燕に感謝の言葉を伝えた。
最後のほうはごにょごにょと口の中で濁らせていたため少々聞きづらかったが、それでも燕の耳にはちゃんと届いていた。
燕は、大きな目をぱちくりさせていたが、見る間に頬に赤みが差し、
「・・・・・うん」
とだけ言って、またうつむいてしまった。
はにかみながらも口元に笑みを浮かべる様はとても愛らしく、弥彦は体中の血液が一気に上昇するのを感じ、慌てて話題を変える。
「そ、そういや、燕はその辺に咲くような野菊に似ているよな」
「・・・・・それって、いっぱいありすぎて目立たないってこと?」
「まぁ、そうとも言うだろうけどって違う、そうじゃねぇ!」
先ほどの笑顔から一転、しょんぼりとうなだれる燕を見て、慌てて否定する。
弥彦は気を取り直すようににこほん、と咳払いをして言葉を紡いだ。
「確かに、人の目を引くような華やかさはないけどよ。野菊ってのはまっすぐ上を向いて、どんなに人に踏まれようが何度も起き上がってくるだろ?」
弥彦は、秋になれば一斉に咲き誇る野菊を思い浮かべながら燕に言った。
「雨の日も風の日も、全然へこたれずにまっすぐ空を見上げてさ。なんかすげえ逞(たくま)しい感じがしないか?そういうとこ、お前に似ていると思うんだ」
「私が・・・・・逞しい?」
思いがけない言葉を聞いて驚いて聞き返すと、弥彦はああ、と力強く頷いた。
見た目は弱々しい印象を受けるが、その奥に隠されているのはまぎれもない強さ。
地味だけど、芯が強く、断じて屈することはない。
しばらく燕は弥彦の言葉を噛み締めるように何も答えなかった。
が、やがて首を振り、
「それは違うよ。もし私が逞しく見えるなら、それは弥彦君のおかげだよ」
「俺の?」
こくん、と燕の頭と共に黒髪が揺れる。
「あの時、弥彦君が助けてくれなかったら、私はずっと弱い人間のままだったし・・・」
そう言って、燕はどこか遠くを見るように視線を泳がせた。
あの時、と聞いて弥彦は初めて燕と出会った頃のことを思い出した。
仕えていた家の人間に半ば脅されるような形で、盗みの手助けをさせられたこと。
あの時の燕は、悪いことだと分かっていても主家に対する義理もあり、結局言いなりになるしかなかった。
幸いこの事件は弥彦の活躍で未然に防ぐことが出来、燕も「もうビクビクオドオドしない」と弥彦の前で宣言し、この日から彼女も新たな一歩を踏み出したのだ。
「だから、やっぱり弥彦君のおかげだよ」
視線を弥彦に戻し、ちょっと笑った。
しかし弥彦はそれには答えず、きっぱりとこう言い切った。
「違う、あの時からお前は強かった」
もし弱い人間なら、主家の人間に対して意見したり、その行為を止めようとはしなかったはずだ。
そのことを燕に伝え、それに、と弥彦は続けた。
「それに、お前、逃げなかっただろ?」
嫌なことから目を背け、逃げ出すことだって出来たはずだ。
もしくはその役を誰かに押し付け、自分は安全な場所で見ていればいい。
「当たり前かもしれねぇけど、世の中、その当たり前のことができない人間が多いんだ。でも、あの時のお前は逃げたりせず、真正面からぶつかっていったそれって、すごいことだと思うぞ」
弥彦は燕に嘘は言わない。
というより、この少年は目の前の少女に対して誤魔化したり、その場限りの言葉は使わないのだ。
それがたとえ、この少女を傷つける言葉だったとしても。
ありのままの真実を燕に伝えてくれる。
それを知っている燕は、素直に弥彦の言葉を受け取った。
「ありがとう、弥彦君。とても嬉しい」
燕も嘘偽りない、本当の笑顔で応えた。
しかし、そうすると今度は弥彦がうまく応えられない。
「べ、別に礼を言われるようなことはしてねえぞ!」
弥彦は足早にその場を離れた。
何だか胸の奥がむず痒い。
燕からは見えないが、彼の顔は茹でダコの様に真っ赤になっていたのだ。
「あ、弥彦君!」
背後から燕の声が追いかけてくるが、振り向こうにも振り向けない。
自分でもどんな顔をしているか分かっているため、燕に追いつかれないように弥彦は足を速めた。
「弥彦君、もうちょっとゆっくり・・・」
「早くしろ!ちんたら歩いてっと、日が暮れるぞ!」
燕の抗議に耳を貸さず、弥彦は大股で歩き続けた。
が、それでも気遣うように、時折背後に目を向ける。
そこには困ったような笑みを浮かべながらも、どこか嬉しそうな燕の姿。
それを確かめて、弥彦は声を張り上げた。
「燕!」
「何、弥彦君!」
「また、椿を見に行こうな!」
「・・・・・うんッ!」
後ろを見なくても分かる。
燕は今、満面の笑みを浮かべているはずだ。
そう思うと己の頬が緩むのを抑えきれずに、弥彦は更に歩く速度を上げたのだった。
【終】
小説置場
おそらく、出会ってから間もない頃かと・・・・
自宅の庭に色々と木が植えてあるんですけど、五月の部屋のまん前に椿の木があります。
でも、なんか中途半端な高さというか・・・しかも、ホントにまん前に植えてあるから、ぶっちゃけ邪魔以外の何物でもないという←ひどッ( ̄□ ̄;)!!
でも、椿が散る様は好きですね。
縁起が悪いって言う説はありますけど、文中で燕ちゃんが言うように『潔い』花だと思います。
自分の散り際を見極めて、きっぱり身を退く、みたいなイメージがあるので。
でも、それをそのまま使うわけにはいかないから、ちょっと捻った形にして。
そうすると、イメージ的に弥彦がぴったりだったため、今回登場してもらいました。
野菊=燕は、お気づきになった方もいらっしゃるかと思いますが、夜のサイト様で好評連載中の小説の中から引用させていただきました。(あまりにも有名なアノ小説ですね♪)
野菊が、雨にも負けず風にも負けず・・・・にいるのかどうかは不明のまま・・・たぶん、そうであろうというσ(^◇^;)の憶測です←待て
でも、嵐の後でも結構逞しく咲いてますからねぇ(^-^)