Legame <5>










剣心が千鶴を見つける二時間ほど前。



使用人の女性に引っ張られるようにして来迎寺邸に着いた薫は、屋敷の荘厳さに感嘆する暇もなく、数人の使用人によって慌ただしく身支度を整えられた。
お見合いらしく友禅の振袖を身に纏い、髪も高く結い上げられた。
髪を結い上げられている間、薫は鏡に映った自分の姿に目を見張る。



その振袖は目が覚めるような鮮やかな赤だが、たおやかに描かれた古典柄が優雅な雰囲気を醸(かも)し出している。
ところどころ絞りやぼかしといった贅沢な手法が施されており、さぞかし値の張る着物なのだろうということが薫の目から見ても明らかだった。










着ている、というより着せられている、という感じだわ。
千鶴さんなら着こなせるんでしょうけど。










同じ姉妹でも育ちが違うとこうまで違うのか、とひがみにも似た感情が頭をかすめる。
同時に、今更ながら大変なことを引き受けてしまったと、嫌な汗が噴出してきた。

後悔してももう遅い。










コンコン、とドアがノックされ、一人の老人が部屋に入ってきた。
今まで薫の髪を結っていた若い女性が頭を下げようとすると、それを右手を上げて制する。



「まだかかりそうなのか。先方はとっくにいらしているんだぞ」
「申し訳ございません、旦那様。すぐ終わりますので」



苛立ったような口調で問いかける声に対し、髪結いの女性は慌てたように弁解する。
薫は僅かばかり首を回して声の主を見た。
細面の顔にきつめの瞳は、そこにいるだけで、見るもの全てを威圧するようだ。
髪結いの女性はこの人のことを旦那様、と呼んだ。
ということは、この老人が薫の実の祖父なのだろう。



私のおじいさん       




しかし、今の薫は千鶴の代理だ。
剣心が本人を連れてくるまでなんとかばれないようにしなくてはならない。










髪を結い終え、簪(かんざし)をあしらうのを見届けると、宗巌は鏡越しに薫を見た。
射抜かれるような鋭い視線に、もうばれたのかと内心ひやひやしていたが、それは薫の杞憂に終わった。

しかし。










「こんな大事な日に屋敷を抜け出すとは・・・・一体、何を考えているんだ!」

いきなり怒鳴られ、薫の肩がびくりと震える。
おそるおそる顔を上げると、宗巖の疲れたような表情が目に入った。



貿易商になり、来迎寺の名前をここまで世に知らしめるまで、並々ならぬ苦労があったのだろう。
宗巌の白髪がそれを物語っている。
しかも、大事な見合いの日に孫娘が忽然と姿を消したのだ。
これで気疲れしないほうがおかしい。



それを思うと、自分のせいではないのだが申し訳ない気持ちになり、
「ごめんなさい・・・・」
と小さな声で謝った。
うなだれて素直に謝罪する孫娘に宗巌はやや面食らっていたようだが、すぐ気を取り戻し、こう言った。

「お前が嫁ぎたくない気持ちは分からんでもない。以前話にでた絵の勉強についてもそうだ。だが、今は反発しても、いつかはこれでよかったと思う日が来る。お前は何も考えずに、儂の言うとおりにしていればよい」

分かったな、と薫の肩に手を置いた時、何かに気付いたかのように宗巌の眉が上がった。
それを鏡越しに認めた薫は、慌てたように立ち上がり、
「あ、あの、お待たせしてごめんなさい。もう行きますから」
薫の言葉に、宗巌も客人を待たせていることを思い出したようだ。



宗巌はもう一度薫を見て、くるりと背中を向けて歩き出した。
薫もまた、使用人に伴われ、その後に続く。










見合い相手とは、屋敷の大広間で対面した。
こちらも洋風で統一されており、宗巌は薫と共にテーブルを挟んでその男性と向き合った。
「これが孫の千鶴です。千鶴、こちらは和泉家のご嫡男、是清(これきよ)様だ」
宗巌の紹介になるたけ淑(しと)やかに頭を下げ、再び顔を上げた瞬間、薫は吹き出しそうになるのをぐっとこらえた。



日に当たったことが無いような色白の肌。
のっぺりとした特徴のない顔に、つぶらな瞳とおちょぼ口がくっついている感じだ。



使用人の一人が、「お公家様らしい、優しい顔立ちでいらっしゃいましたよ」と教えてくれたが、正面から見るとまるで魚が人間に化けたように見える。
どうしようもなく笑いがこみ上げ、無意識のうちに口角が上がってしまったが、そのおかげで薫は自然な笑顔を作ることが出来た。
「お待たせして申し訳ない」
「いやいや、これほどまでに美しく変身されるにはそれなりに時間がかかるものです。どうぞ、お気になさらずに」










誰も薫が千鶴の身代わりになっているとは気付かない。
薫はほっと胸をなでおろしたが、今日の主役は千鶴とその見合い相手なのだ。
黙って座っていればいいというものではない。










「千鶴さんは、和歌など興味はございませんか?」
「え、和歌ですか?」
是清に話しかけられ、薫は困った。
「すみません、そちらのほうはよく・・・」
ごにょごにょと歯切れ悪く答えると、宗巌の突き刺すような厳しい視線を感じた。



だって、和歌なんて分からないわよ〜ッ



宗巌を見ないようにして申し訳なさそうに肩をすくめると、それでも是清は気分を害した様子を見せず、むしろ得意げに話し始めた。
「和歌はいいですよ。古来から我が家も嗜んできました。もしよろしければ、僕が教えて差し上げましょう」
そう言われても、薫は曖昧に頷くことしか出来ない。
「たとえば、こんなのはいかがです?これは僕が好きな歌なんですけど     
理解できない話題を振られ、満足に返事も出来ない薫を見て宗巌の表情が疑惑の色に染まった。
そんな彼と視線を合わせることができず、笑顔を引きつらせながら、薫は是清の話を聞いているしかなかった。

剣心、早く来て〜!!

心の中で叫んでも、千鶴を伴った剣心の姿はまだ見えない。










やがて夕食の時間になり、見合い相手ともども西洋風の食事を取ることになった。
現代でいう仏蘭西(フランス)料理のフルコースといったところか。



作法を知らない薫はたじろいた。



洋食は食べたことはあるが、ここまで格式ばったものは初めてなので、並べられている様々な大きさのナイフやフォークを見ても何が何だかよく分からない。
それでも器用にナイフとフォークを使いこなす是清を盗み見ながら、それなりに振舞ってみせる。
しかし、人間慣れないことはするものではない。










カチャン。










澄んだ音が広間に響き渡る。
慣れない作法に薫の手が震え、ナイフを床に落としてしまったのだ。
「ご、ごめんなさい!」
広間の隅に控えていた給仕が拾おうとするより早く、椅子から立ち上がり腰をかがめる薫を見て、宗巌の疑惑が確信に変わった。



「お前・・・・千鶴ではないのか?」
「!!」




宗巌の言葉に薫の動きが止まる。
それは自分が身代わりであると認めるのと同じことだった。










万事休す       










「あの、私」
観念して正体を明かそうとしたその時。



ガシャンッ!!!



ガラスが割れる音を聞いてその方向に目を向けると、割れたガラス窓から細い筒が室内に投げ込まれた。
その筒からはもうもうと煙が噴出し、あっという間に辺り一面白く包まれる。

「煙幕!?」

煙に巻かれ、動くに動けない。
同じように動きを封じられ、宗巌は煙を吸い込んだせいで激しく咳き込んでいる。
隣で苦しげに眉を寄せる宗巌の様子に、薫は迷うことなく自分が座っていた椅子を持ち上げた。
窓の方角に見当をつけて椅子を持ったまま近づくと、勢いよく両手で掲げたそれを放り投げた!










「せぇのッ!!」










ガッシャーン!

割れた窓から新鮮な空気が入り込むのを肌で感じてほっとしたのも束の間、薫に向かって人影が近づいてきた。



使用人の人かしら?



だが、その影は何も言わずに、いきなり薫に掴みかかってきたではないか。
明らかに使用人とは思えない振る舞いに、薫は反射的に身構える。
そして伸ばされた手を逆に薫が掴み勢いを殺さずに引っ張ると、自然と相手の体が反転する。
そのまま相手の体を床に叩きつけると、薫の足元から呻き声が聞こえた。

「ぐぅ・・・!」

掴んだ手をそのまま捻り上げて動きを封じると、薫はその人物の容姿を間近で観察する。
着古したような着物を着ているその男は三十路を越えたあたりか。
腰に差している刀を抜刀しなかったところを見ると、彼は傷を付けずに薫を攫おうとしたらしい。










薫を攫う       この場合、目的は千鶴か。










「あなた一体・・・・・」
そこまで言って、薫ははっとして辺りを窺う。

更に数人の男が周りを取り囲むのを感じたからだ。

今の薫に武器は無い。
この状況は薫にとって圧倒的に不利だ。



突然、煙の中から一人の男が姿を現した。
こちらも先ほどの男と同様、くたびれた着物を身に付け、刀を帯刀している。
しかし抜刀することなく、腕力で薫を捕らえようとする。
薫はさっと脇に避けて男をかわし、背後から手刀を首筋に落とすと、男は声も出さずにその場に崩れ落ちた。

すると、その瞬間に生じた隙を狙ったかのように新手が現われ、薫に襲いかかる。
薫も迎え撃とうとしたが、着慣れぬ振袖のせいで思うように体が反応しない。










だめ、間に合わ       










男の拳が鳩尾に吸い込まれると、ひゅっと自分の呼吸が詰まる音が聞こえた。




















すっかり日も暮れ、辺りが暗くなった頃、千鶴と剣心は屋敷の手前で足を止めた。
なにやら慌ただしく、屋敷を取り囲むようにして、警官が配備されている。
「・・・・ひょっとして、身代わりのことがばれたとか?」
尋常ではない様子に、千鶴の瞳が不安げに揺れる。
「それにしてはやけに物々しいでござるな」
身代わりがばれたくらいで警察に通報するとは考えにくい。



       嫌な胸騒ぎがする。



「千鶴殿。ひとまず屋敷の中に入り、事情を説明しよう」
こくりと頷き、千鶴は玄関に向かって歩き出した。










玄関を守るようにして立っている警官が人の気配を感じてふと目を向けると、そこにいるのが千鶴だと気付き面食らった表情を見せる。
その警官が何か言いかける前に、千鶴は落ち着き払って尋ねた。
「これは一体、何の騒ぎですか?」
「何の騒ぎって・・・・お嬢様こそ、よくご無事で・・・・」
そう言われても、千鶴には何のことだかさっぱり分からない。



「ご覧のとおり、ぴんぴんしていますわ。それより、警察の方がここにいるってことは何かあったのでしょう?」
「はあ、実はお嬢様が誘拐されたと通報がありまして」
「誘拐!?ちょっとそれどういうことよッ」



警官の言葉に千鶴の声が高くなる。
剣心は己の胸騒ぎが的中してしまったことに、人知れず唇を噛んだ。
千鶴に詰め寄られながら、警官は説明を続ける。










「み、見合い中に何者かが屋敷に侵入し、お嬢様を攫っていったと屋敷の者が・・・・」
「そんな・・・・薫さん・・・・」










顔色を失った千鶴の肩に、剣心の手が置かれた。
振り向くと剣心が元気付けるように頷いてみせる。
そして彼は警官と向き合った。
「すまぬが、この家の主と話がしたいので取次ぎを頼みたいのだが・・・・・それと、令嬢の誘拐事件となればこの町の署長がいるはずでござろう?」
剣心の言葉にはっと気付いた様子で、警官は屋敷の中に向かって声を張り上げた。



「しょ、署長!千鶴お嬢様がお戻りになられましたーッ」



警官に背中を押され、屋敷の中に入ると先ほどの警官の声が聞こえたのか、一番奥の部屋のドアが開いた。
そこから真っ先に出てきたのは、鼻の下に豊かな口ひげを蓄えた、がっしりとした体格の男性。
周りの警官より貫禄溢れるその姿から、この町の警察署長なのだろう。
先ほどの警官同様、千鶴の姿を認めて驚いたようであったが、さらに剣心の姿を認めた瞬間動きを止めた。
その署長を押しのけるようにして、宗巌が現われた。
祖父と孫娘は互いに掴みかからんばかりの勢いで駆け寄り、同時に声を発する。
「千鶴か!?」
「おじいちゃん、薫さんが誘拐されたって本当なの?」

孫娘の無事な姿を認めると厳しかった表情が和らいだが。

     何者だッ」
千鶴の背後にいる一人の剣客に気付いた瞬間、宗巌の口からは感謝の言葉ではなく、敵意を露にした声が発せられた。
孫娘を背中にかばい、宗巌は剣心と対峙する。










剣心に向けられるその瞳は嫌悪以外の何物でもない。
だが剣心は、その視線を真っ向から受け止めた。










「先ほどの騒ぎはお前の仕業か!?」

宗巌の言葉に反応したように数人の警官が剣心を取り囲み、妙な動きを見せたらすぐ飛びかかれるように警棒を構えている。
その殺気立った空気を感じ取った千鶴が、慌てて宗巌の前に立ちはだかった。



「おじいちゃん待って!この人は東京で私がお世話になった方なの」
「東京だと・・・?」
「だから、緋村さんはおじいちゃんが思うようなお侍じゃないわ。ねえ、それより薫さんは?」
「薫?」



くるくる変わる話題に、宗巌の頭は混乱しているようだ。
「千鶴殿。ここは最初から順序だてて説明したほうが良さそうでござるよ」
剣心が見かねて口を挟むと、千鶴もそうね、と頷き、一同は会議室に充てられた客間に移動した。










客間の中心に置かれたソファに宗巌が座り、向かい合っている千鶴も浅く腰掛ける。
彼女の後ろには剣心が控えており、その右側に署長が探るような目で剣心を見つめている。



お世辞にも身なりがよいとは言えない剣心を信用していないのか、それとも。



剣心も署長の視線に気付いたが、特に気にする様子もなく、黙って千鶴の話に耳を傾けた。

千鶴は生き別れた双子の姉が東京にいることを知り、薫に会ったことを宗巌に話した。
彼女の話に宗巌は驚いたように身を乗り出したが、薫が千鶴に会いにやってきたことを聞くと、険しい表情に変わった。










「数日前にお前が一人で東京に行ったことは聞いていたが、自分の姉に会いに行っただと       ?」










その声は鉄のように重い。
じろりと睨まれ、千鶴は肩をすくませた。
そして、当時を思い出すかのように深々と息を吐き出した。










「双子の片割れか・・・あの時災いを避けるためによそへやったが、まさかこのような形で再会するとはな・・・・」
「災いって、そんなの迷信じゃない」
祖父の言葉に侮蔑が含まれていることを感じた千鶴は、反発するように立ち上がった。
「昔はどうだったか知らないけどね、今は西洋の文化も取り入れて近代化が進んでいる時代なのよ。今の時代にそんな迷信信じて自分の孫を養女に出すなんて、時代錯誤もいいところよ」
「今の時代なら、な。しかしお前達が生まれた頃は、まだそういった迷信が色濃く伝わっていた時代だったのだ」
そう言って、宗巌は視線を宙に彷徨わせた。
ソファに身を沈める宗巌の姿は、貿易商としての貫禄は消え、哀愁さえ感じさせる。










待望の孫が誕生しても、それが双子であったために手放しで喜べない。
いくら双子が忌み嫌われる風習が残っていても、己の血を分けた孫娘を手放すことは彼にとって苦渋の選択であったのだろう。










「しかし、今回の件に関しては、あの娘の存在は災い以外の何物でもない」
「何よそれ・・・・・なんで薫さんが災いなのよ!」
柳眉を吊り上げ声が高くなる千鶴を一瞥して、ふん、鼻を鳴らした。
「あの娘がこの地にやってきたから、今回のような事件が起きたのだ。今回は互いに入れ替わっていたからいいものの、千鶴、下手をすればお前の身に危険が降りかかるところだったのだぞ」
「違うわよ、薫さんは私のことを心配して身代わりになってくれたのよ。危険に巻き込まれたのは薫さんのほうなのに、そんな言い方ってないじゃない!」

最後のほうはほとんど叫ぶように言い放ち、さらに食って掛かろうとする千鶴を抑えたのは剣心だ。

「千鶴殿、今は言い争っている場合では」
「緋村さん       
そして剣心はまっすぐ宗巌の目を見据えてこう言った。






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