Legame <7>










       お主らと一緒にせんでくれ」










「何?」
一瞬、阿部は聞き間違えたのかと思った。
彼は目の前の剣客が「仲間にしてくれ」と願い出るとばかり思っていたのだ。



だが、剣心の口から出たのは明らかに侮蔑の言葉。
呆れたような口調はそのままに、剣心は更に言葉を重ねる。



「攘夷だ壮士だと大看板掲げても、お主らのやってる事は金目当てのただの誘拐でござろう。しかも、年端のいかない女子一人にこんな頭数集めて情けない。大体にして時代に乗り遅れた者の成功者への逆恨みなんぞ、浅ましい事この上ない」
ここにきてやっと自分が侮辱されていることに気付いた阿部の口角が神経質そうにひくりと歪む。
それを見ても剣心は顔色一つ変えない。
「回天党?偉そうに・・・・名乗るなら悪党と名乗れ 」
己より小柄な剣客からそう吐き捨てられ、ついに阿部の怒りは頂点に達した。










「貴様、よくも・・・・ここから生きて帰れると思うなよッ」










阿部の言葉を合図に、その場にいた男達が一斉に抜刀する。
が、剣心は抜刀せずに彼らの動きを見ているだけだ。



「この人数に怖気(おじけ)づいたか!?」



阿部の嘲(あざけ)りに耳を貸さず、剣心は静かに言葉を紡いだ。
「今からでも遅くない。おとなしく人質を返せ。さすれば怪我人が出ずに済むでござるよ」
この人数を前に全く怯むことなく、逆に不利な状況にいるはずの剣心からそう諭され、数人の男が激昂する。
「馬鹿にしやがってッ」
向かってくる男達を見て、剣心は小さく嘆息する。










「止むを得ないでござるな」










剣心は右手を刀の柄にかけ、構えた。
雲が月を隠し、辺りは闇に包まれた。



それを狙ったかのように男達の刀が様々な角度から剣心を狙う!



彼らの刀が剣心に届くかというその時。










突然、男達が宙を舞った。










唖然としてその様を見ている仲間達の目の前で、彼らは次々と地面に落下していく。
やがて月の光が雲の切れ間から差し込み、その光の中で先ほどと変わらず柄に手をかけた姿勢で剣心が立っていた。



       まだ向かってくるか?」



剣心の声に、何が起きたのか把握できないまま呆然としていた男達がはっとして散開する。
そして、逃げ道を封じるかのように剣心を取り囲むと、切っ先を彼に向けた。
「言っても無駄でござるな」
最後の慈悲に男達は刀で応えた。
流れる雲が月を隠したがそれも束の間、すぐに月光が地上を照らした。
だが、その光に溶けたかのように剣心の姿が消えている。

「なッ!?」

人間が消えるわけが無い。
だが、現に赤毛の男がいなくなっているではないか。
そんな馬鹿な、と自分を叱咤し、忙(せわ)しなく視線を泳がすと。










「どこを見ている」










自分の背後から声が聞こえ、ざわ、と全身の毛が総毛立つ。
彼は振り向こうとしたが、それは出来なかった。
背中に激痛が走り、それを感じた瞬間、彼の意識が途切れたからだ。
糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた彼を、仲間達が信じられない面持ちで見つめている。

「おのれぇ!!」

いち早く正気を取り戻した男が斬り込んで来たが、剣心は抜刀しない。
そして、その彼と剣心の影が重なり、今度こそ赤毛の男が地に倒れると誰もが信じて疑わなかった。



しかし、呻き声を上げて地面に突っ伏したのは彼らの仲間のほうであった。



先ほどと変わらず、剣心が抜刀した様子は無い。
現に、刀は鞘に納められたままではないか。

この男は刀を抜かずに一瞬で相手を倒したというのか。










彼らには抜刀していないように見えているが、実際のところ、剣心は刀を抜いていたのだ。

飛天御剣流は抜刀術を主とする神速剣。
一瞬のうちに刀を抜き、刀身すら見えぬ速さで一閃しているのだが、常人がその瞬間を捉えるのは不可能に等しい。










それ故、彼らには剣心が抜刀せずに相手を倒したように見えるのだ。
しかしそのことに気付く者はおらず、誰もが剣心の超人的な強さに戦慄する。



この世に奴のような人間がいたのか。
いや、この強さは既に人間の域を超えている。



その場にいる全員が、恐怖に支配された瞬間。










「ひ・・・・うわあぁぁぁぁ!!」










その中の一人が発狂したように叫ぶと、その声につられるようにして、その場にいた男達が一斉にかかってきた。
抜刀した剣心が右に弧を描くと、彼の周りを取り囲んでいた数人が吹っ飛んだ。



ひと振り。

またひと振りと剣閃が闇を切り裂くが、それが見える者はこの場には、無い。
或いは認めたとしても、すぐ意識を闇に落とされるかのどちらかだ。



更に目にも留まらぬ速さで剣を閃(ひらめ)かせ、その度にばたばたと男達が倒れていく。
剣の速さ、軽い身のこなし、そして相手の動きの先を読む剣心に、刀を手にした男は反撃することも敵わず全て敗れ去る。

気まぐれに月が己の光を地上に落とすが、誰一人として剣心に立ち向かう者がいないことを証明したに過ぎない。
剣心はゆっくりと体の向きを変えた。










「残ったのはお主だけでござるな」

剣心の視線の先にいるのは阿部ただ一人。










「一人でここまでやるとは只者ではないな」

するりと外套を脱ぐと、その下から黒光りする鎧が目に入った。
「黒南蛮鉄の甲冑、か」
阿部の体を守るそれを見て、剣心は僅かに目を細めた。



「最硬を誇る希代の逸品だ。如何なる名刀とてこいつは絶対に・・・・斬れんッ!」



ばさりと外套をはためかせると、阿部の姿が消え、剣心を覆うように外套が彼の目前に迫ってきた。










「まして・・・・・死人にはなッ」










外套を投げつけると同時に、抜刀した刀を正面に突き立てる。
だが、彼の手に人間の肉を貫通する感触は伝わってこなかった。
伝わってきたのは外套を切り裂く軽い手ごたえと、空を斬る虚しい感触のみ。










「遅い」










はっとして声のした方向を見ると、髪を束ねていた結い紐が切れたのか、赤い髪をなびかせた剣心が冷ややかな視線で阿部を射抜く。



阿部を見据えるその瞳には、目の前にいる相手を叩きのめすという闘気も、男達を倒したことに対する悦(よろこ)びも浮かんではこない。



何の感慨も持たない剣心の瞳に射抜かれ、ぞくりと恐怖が阿部の体を駆け巡る。










剣心の瞳がすう、と冷たさを増した。
その目を見た瞬間、阿部の本能が危険と告げる。










その声に従って咄嗟に身を引くと、熱さにも似た痛みが体中を走り、剣撃の衝撃に耐えられなかった彼の体は本堂の壁に打ちつけられた。



だんッ!!!



斬撃を受ける直前に身を引いたおかげで致命傷は免れたが、それでも痛手を受けたことに変わりはない。
「貴様・・・まさか!?」
無残にひび割れ、もはや何の役にも立たない甲冑を目にし、阿部は剣心の武器に気付く。

「己の鎧を自慢する前に、相手の得物を確認するべきでござったな」
「く・・・・くそッ」

苦痛に顔を歪ませながら、阿部の手が懐に伸び、円筒を取り出した。
そしてそれを地面に投げると、真っ白な煙が剣心の視界に広がる。
阿部はその隙に本堂の扉に手を伸ばした。










こうなったら人質を盾に       !!










阿部の手が扉に触れるより早く、内側から勢い良く扉が開いた。
その中から驚いたように阿部を見つめているのは己が捕らえたか弱き少女。
まさか人質が自ら向かってくるとは思ってもみなかった阿部は、己にとって好都合となった予想外の出来事にほくそ笑む。

「薫殿!?」

剣心も薫の存在に気付いたが、阿部の動きのほうが早い!










これで形勢逆転だ!!










阿部は勝利の笑みを浮かべたが、その表情が凍った。
なぜなら、怯えた表情を見せるとばかり思っていた人質は、そんな感情の欠片すら見せず、まっすぐ己を見据えているからだ。
「何・・・?」

ここで初めて阿部はおかしい、と感じた。

相手は蝶よ花よと育てられた令嬢だ。
ならば、犯人である自分を見たら立ち竦むのではないか。

だが、今阿部の目の前にいるその少女は臆することなく、むしろ己に立ち向かおうとしている。
それに先ほど、赤毛の剣客が彼女のことを「薫」と呼びかけなかったか?
それらのことを踏まえて考えると、彼の頭に一つの仮定が浮かぶ。



まさか       別人?



煙幕の中から飛び出した剣心が目にしたのは、髪が乱れ、汚れた振袖を身に纏う薫の姿。
薫は躊躇うことなく、手にした燭台を阿部の脳天に振り下ろす。
阿部がそれに気付き、かわそうとしたがもう遅い。










       ・・・ン










寺の敷地内に鈍い音が響いた。
阿部は体を反転させて、ふらふらと数歩進んだかと思うと、そのままどう、と倒れこんだ。

「えっと・・・・少なくとも、味方じゃないわよね?」

対する薫は相手の素性も分からぬまま燭台を振り下ろしてしまったので、大の字にのびている阿部を見下ろし、やや不安げにつぶやく。
そんな薫を見て、剣心は呆気にとられていたが、やがてその口元から笑みがこぼれた。



「その男はこの事件の首謀者でござるよ。お手柄でござったな、薫殿」
「あ、そうなの?なら良かったわ。何かガラが悪そうに見えたからつい・・・」
「拙者が迎えに行くまで待ちきれなかったのでござるか?」



朗らかな口調の薫に、剣心はやや呆れながら近づく。










「だって、犯人に人質に取られるような情けない姿、剣心に見せたくなかったんだもの。神谷活心流の師範代の名折れだわ」

口を尖らして告げた言葉は嘘ではないが真実でもない。










「左様でござるか」
その真意に気付いたかどうかは定かではないが、剣心はやさしい微笑を返す。
しかし燭台を持つ薫の手に視線を移すと、剣心は眉を寄せた。



      その手は?」
「あ、これは」



薫が慌てて隠そうとするのを剣心が封じた。
自分のそれより細い手首を掴んで見やると、彼女の白い手が炎で炙(あぶ)ったかのように赤くなっているのを認めた。
もう片方の手も同じように火傷(やけど)しているのを見て、剣心の瞳が苦しげに曇る。
「一体どうして」
「別に大したことじゃないわよ。うちでもしょっちゅう火傷しているじゃない」
何とか言い逃れようとするが、必要以上に少女の身を案じるこの男にそれは無意味というものだ。










「薫殿」










剣心の声音が僅かばかり厳しくなったことに気付き、薫は観念したように白状する。
「・・・気がついたら後ろ手に縛られていたの。それで、縄を解くために火で焼き切った。それだけのことよ」
ばつが悪そうに顔を背けた薫に、剣心はなおも言い募ろうとする。



「だからといってこんな」
「私の火傷よりこっちのほうが重要よ!見てよ、この振袖!」



剣心の言葉を遮り、薫は着物の袖を彼に見せつけ、大げさに嘆いてみせた。
見ると、袖口の部分が焦げている。
「おろ、これは」
すでに灰となって黒ずんでしまった袖口を見て、剣心が思わず間の抜けた声を出す。
「ここに連れて来られた時にはかなり汚れてしまったの。おまけにこんな焼け焦げ、直しようが無いでしょ?」
そう言って大きくため息をつき、恨めしげに焼け焦げた袖を見つめる。



本気で悩んでいるのは事実だが、同時に火傷したことを心配かけまいとしているのも事実。



そんな薫の心遣いが、剣心の胸に染み入る。
剣心は借り物なのにどうしよう、と頭を抱える薫を穏やかに見つめていた。










「緋村さーん、薫さーん!」










聞き覚えのある声が聞こえてそちらのほうに顔を向けると、警官隊と共に千鶴が石段を登ってきたところであった。
遅れて署長と宗巌が息を切らしてやってくる。
「千鶴さん、ここよ!」
薫は剣心と共に千鶴のもとに駆け寄る。
千鶴は薫の姿を認めると、嬉しそうに近づいてきた。










だがこの時、千鶴を狙う視線があった。
薫によって昏倒させられていたはずの阿部である。










彼は意識を取り戻すと千鶴の存在に気付き、地面に転がっていた日本刀を手にしてがばりと立ち上がった。
そのまま猛然と千鶴に襲い掛かる!

「え・・・」

突然のことに驚き、千鶴は身動きできない。



「千鶴ッ!」
「千鶴お嬢様!!」



宗巌と署長の悲痛な声が重なる。
そんな中、彼女を守るかのように抱え込んだのは薫だ。
千鶴をかばう薫に先ほどの報復が出来ると踏んだのか、阿部がにやりと笑い、二人の少女に向かって刀を振りかざした。
薫は妹を抱く手に力を込め、千鶴は姉の腕にぎゅっとしがみついた。
恐怖で顔を強張らせている千鶴とは対照的に、薫は先ほどと同じく、まっすぐな瞳で阿部を射抜く。










しかし、その表情はすぐに安堵したような笑顔に変わった。

阿部がその笑顔の理由を知ることは無かった。
なぜなら、剣心の刀によって脇を一撃されたからだ。



「が・・・は・・・・」



刀身が脇にめり込み、あまりの痛みに呼吸困難に陥(おちい)る。

       剣心」

混濁した意識の中で薫の声が聞こえ、それを最後に阿部の意識は闇に落ちた。















雲の流れが絶え、しばし月の光が地上を支配した。
剣心が抜刀し、阿部の体がゆっくりと倒れるのを見て、
「遅かったか・・・」
と署長は絶望的な声を出した。



回天党が今までやってきた数々の悪行は許されるものではない。
しかし明治となった今、彼らを裁くのは人斬りでは無く、警察の仕事だ。



人斬り抜刀斎と剣を交えたもので、生き残ったものは存在しない。
だからこそ急いで駆けつけてみれば、回天党と思われる男達は全て地面に転がっている。
「遅かった       
再度ため息混じりに漏らし、ふと抜刀斎が手にしている刀を見ると。










「逆刃・・・・?」

そう。
抜刀斎       いや、緋村剣心が帯刀しているのは逆刃刀であるという事実に彼は今初めて気づいたのだ。










「まさか!?」
はっとして倒れている阿部に近づくと、意識は無いが、胸が上下しているのが見て取れた。
「生きている?」



そうだ。
この場所に着いたときから違和感があったのだ。
回天党が全員殺されているのなら、この場には血の臭いが色濃く漂っているはず。
なのに、地面には一滴の血痕も見当たらない。



その理由を解明すべく、署長は振り向きざま剣心に問う。
「これは一体・・・人斬り抜刀斎なら全て皆殺しにしているとばかり       
信じられん、と言わんばかりの署長をちらと見やり、剣心は逆刃刀を鞘の中に滑らせる。

「人斬りだからとて・・・・好き好んで人を殺したりはせぬよ」

チン・・・・・
澄んだ音が署長の耳に届くと同時に、逆刃刀は完全に納刀された。










「それに今の拙者は剣術道場に厄介になっているただの剣客に過ぎぬ。人斬り抜刀斎は、動乱の終わりと共にその姿を消したのでござるよ」

そう言ってからりと笑った赤毛の剣客に幕末の頃見かけた抜刀斎の影を見ることは無かった。










「それより、薫殿の手を       
剣心としては一刻も早く薫の火傷を手当てしたかったのだが、彼女が宗巌と向き合っているのを見て口をつぐんだ。



「おじいちゃん、黙ってないでちゃんと薫さんに謝って!薫さんのおかげで私は無事だったんだから、これで災いじゃないってことがはっきりしたでしょ!」



どうやら千鶴は、宗巌が薫を『災い』呼ばわりしたことに対して本人に謝れと言っているらしい。

「あの・・・・災いって何?」

ただ一人その場にいなかった薫には何のことだか分からない。
きょとんとしている薫を見て、千鶴は自分の失言に気付いたようだ。
あ、と小さく声に出して顔を伏せた。



「千鶴さん?」



薫が呼びかけても、千鶴は困ったように視線を彷徨わせた。
それを見て、剣心がさりげなく口を挟む。
「薫殿。来迎寺殿は薫殿が千鶴殿の身代わりになったと知って、身代金を用意しようとしていたのでござるよ」
「え、そうなの?」

驚いたように宗巌を見つめ、慌てて頭を下げる。

「す、すみません!もとはといえば私が千鶴さんの代わりを引き受けちゃったから・・・・」
こんなことになるなら最初から名乗るべきでしたよね、とひたすら恐縮している薫を黙って見つめていたが、やがて宗巌が重い口を開いた。










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