「いや・・・・・謝るのは儂のほうだ」
「え?・・・あ、ちょっと       
薫が戸惑うのも無理はない。
いきなり宗巌がその場で土下座したからだ。










Legame <8>



「儂が・・・・儂が愚かだったのだ。息子夫婦が・・・お前達の両親が死に、何かしなければ耐えられなかった!儂が弱いゆえに、お前に辛い思いを       
「と、とにかく顔を上げてください!」



薫が必死に立たせようとしても、宗巌はぴくりとも動かない。
世界をまたに掛ける貿易商の姿がとても小さく見えた。
千鶴は初めて見る祖父の姿に言葉を失い、剣心もまた、黙って見守るしかなかった。

「許しを乞おうとは思わん。だが、お前と千鶴を引き裂いてしまったことを謝らせてほしい・・・・すまなかった・・・」

石畳の地面にぽたぽたと涙が落ちるのを見て、薫は困惑して剣心を見た。
剣心はそんな薫に頷いてみせる。
それを見て薫も無言で頷き、躊躇いがちに宗巌の手に己の手を重ねた。
そして静かに語りかける。










「大丈夫です。私、幸せですから」










薫の言葉に宗巌は弾かれたように顔を上げた。
涙に濡れた老人を、薫は澄んだ瞳で見返した。

「養父母は私に家族の温もりを教えてくれました。そして、たくさんの愛情を残してくれました。だから辛くありません」










偽りの家族ではあったけど、これだけは本当のこと。
だからこそ、薫は自信を持って言えるのだ。










「むしろ、赤ん坊だった私より、あなたのほうが辛い思いをされたんじゃないですか?」
実の祖父を見やる薫の瞳はどこまでも慈愛に満ちていた。
孫娘からの労わるような問いかけに、彼の目が大きく見開かれた。
しかし、すぐに薫から目を逸らし、絞り出すような声で言った。
「だが儂が姉妹の仲を引き裂いてしまった・・・だから、今回の事態を招いた・・・・」
「当時はそれが一番いい方法だったのでしょう?だから千鶴さんも何事もなく、ここまで成長したわけだし」



そうでしょ?という風に千鶴を見上げると、宗巌同様、彼女の頬も涙に濡れている。
泣き声を漏らさぬように両手で口を覆っていたが、薫の言葉に何度も首を縦に振る。



「あなたが私達を引き裂いたっておっしゃいましたけど、私達はこうして再会できました。だからもう、ご自分を責めるのはやめてください」
「・・・・儂を許すというのか?」
不安が含まれる宗巌の声に、薫は少し困ったように笑った。
「許すも何も・・・・理由がないじゃないですか。私は神谷の両親のもとで育てられて幸せだったし、千鶴さんにも会えました。それに・・・・・おじいさんとも」
はにかみながらそう伝えると、宗巌の頬を新たな涙が伝った。










「薫     
「おじいちゃん、薫さんッ」

今まで黙って見ていた千鶴が感極まった様子で、姉と祖父の上に覆いかぶさった。
いきなり千鶴の体重を掛けられた下の二人はたまらない。










「きゃあ!?」
「こ、こら千鶴!重いからさっさとどきなさいッ」
「失礼ね、そんなに太ってないわよ!」



先ほどまでの静かな感動とは打って変わって、なんとも騒がしい声が辺りに響く。



「おろろ、賑やかでござるなぁ」
「剣心、そこで見てないで千鶴さんを何とかしてよ〜」
剣心の姿を認めて薫が情けない声を出すと、
「あ、ひっど〜い!薫さんまで何よぉ」
と千鶴がふくれる。



「まあまあ。とりあえず薫殿の手当てが先でござるな」
「何じゃ、手当てとは・・・おお、火傷をしとるじゃないかッ」



薫の火傷に気付くと、宗巌が血相を変えてそばにいた警官に声をかけた。
「孫が火傷したようなので屋敷で手当てさせたい。すまんが、儂らは先に屋敷に戻ると署長に伝えてくれんか」
そして、相手の返答を待たず、一行はその場を後にしたのだった・・・・・





























       それから数日たったある日のこと。



薫は宗巌と千鶴に伴われ、本当の両親と対面した。
無論、本人達ではなく、来迎寺家の墓であるが。

ひと目で来迎寺家の権力を知らしめるその豪華な墓を前に、薫はやや気圧(けお)されるような様子を見せる。
だが、後方に控えていた剣心が軽く彼女の背中を叩くと、それに後押しされるように薫は墓前で手を合わせた。
黙祷を終えると千鶴から尋ねられた。
「薫さん、何を話したの?」
その質問に、薫は胸を張ってこう答えた。



「『血の繋がりはありませんでしたが、それでも私は神谷の娘です』」



目を丸くする千鶴を見て、薫は苦笑した。
そして、『来迎寺家代々之墓』と刻まれている墓石に目を向け、一言一言しっかりとした口調で続けた。










「『彼らは実の娘として私を育ててくれました。でもあなた方が私を生んでくれなかったら、神谷の両親や、今私のそばにいる大切な人と会うことも出来なかった』」
ここでちらりと剣心に視線を送ったが、すぐに墓石に視線を戻し言葉を次いだ。










「『だから、私を生んでくれてありがとう』って・・・」

そう言って、薫は空を見上げた。
彼女につられるようにして、その場にいた全員が同じよう空を見上げた。
どこまでも青い空を見ていると、やがて薫を包むように柔らかい風が吹く。
その風に何か感じるものがあったのか、薫は瞳を閉じてその身をまかせた。



まるで、風と会話しているかのごとく       



しばらくそうしていたが、宗巌の声に薫は瞼を上げた。
「君さえ良ければ、またここに来てくれないだろうか?」
「いやだ、おじいちゃん。『君』だなんて、他人行儀よ」
隣にいた千鶴が、くすくすと笑いながら指摘する。
「何を言うか、お前だって『さん』付けで呼んでいるじゃないか」
「あら、それはいいのよ。宮家の方だって、ご姉妹に対してそう呼び合っていらっしゃるし」

千鶴がけろりとして切り返すと、宗巌はううむ、と考え込んでしまった。
そして、うおっほんとわざとらしく咳払いをし、改まった様子で薫と向き合う。

「薫さえ良ければ、またここに来てくれ。いや、是非来て欲しい」
「そうして頂戴、お父さんもお母さんも喜ぶわ」
「・・・千鶴、儂は薫と話しとるんだ。お前は少し黙っとれ」
「だって、おじいちゃんのお話って堅苦しいんだもの」
「堅苦しいとは何だ」
「しょうがないでしょ、堅苦しいものは堅苦しいんだから」










目の前で繰り広げられる宗巌と千鶴のやりとりに唖然としていたが、やがて剣心と顔を見合わせ、二人でぷっと吹き出した。
それを見て、宗巌と千鶴は気まずそうにしていたが、すぐに一緒になって笑い声を上げた。















       回天党の一件が解決し、宗巌と千鶴の関係は目に見えて改善された。
家族なんだから徹底的に話し合ったら?という薫の助言を受け、千鶴は今の気持ちを正直に宗巌に伝えたのだ。

一方、宗巌のほうもこの一件で色々と考えさせられたらしい。
千鶴は物事を順序だてながら祖父に自分の気持ちを打ち明け、宗巌も孫娘の話を頭ごなしに否定せず、最後まで辛抱強く聞いていた。

やがて、双方の意見が一致し、二人は伊太利亜(イタリア)に旅立つことになった。
絵の勉強をしたいという千鶴の希望を宗巌が受け入れ、彼が営んでいる会社が伊太利亜に進出するのを機に二人でそちらに移り住むことにしたのだ。










そして、伊太利亜に行くための船が出港するのが、まさに今日この日。

帰国の目処(めど)はたっておらず、いつ日本に戻ってこられるか分からない。
その前に、薫と共に来迎寺家の墓を訪れたのだ。















「薫さん。さっきおじいちゃんも言ったけど、私達は当分来られないからお墓参りお願いしてもいいかしら?」



やはり、両親のことが気にかかるのだろう。
問いかける千鶴の瞳が翳(かげ)ったのを、薫は見逃さなかった。
薫は安心させるように笑顔を作り、こう言った。



「分かったわ。私も頻繁には来られないかもしれないけど、出来るだけここに来るようにする」
そう告げると、千鶴も笑顔を返した。
見ると、宗巌も笑みを浮かべている。
安堵のあまり千鶴の瞳が潤んだが、それは瞼の裏に隠して冷やかすように薫に言った。
「緋村さんも一緒に来てね。なんてったって、私の義理のお兄さんになるんだから」

その言葉を聞いた瞬間、薫の頬が朱に染まる。

「ちちちちちち千鶴さん!?いきなり何を言って・・・・」
「あら薫さん、お顔が真っ赤よ〜。お熱でもあるんじゃなくて?」
口に手を当ててほほほ、と意地悪く笑ってみせる千鶴を見て、薫は自分がからかわれたことを知る。



「もう!からかったわね?」
「あーら、からかわれたほうが悪いのよっ」



逃げるように千鶴が駆け出すと、赤く染まった頬を隠そうともせず薫がその後を追う。
あとに残された剣心と宗巌は、仲睦まじい姉妹の様子に見入っていたが、それに気付いた薫と千鶴が声を張り上げる。










「ちょっと剣心、何笑ってるのよ!」
「おじいちゃんも早く来ないと船に間に合わないわよ!」










二人の少女に同時に叱咤され、剣心と宗巌は顔を見合わせた。
そして肩をすくめ、その後を追うために足を進めた。
しかし、そうは言っても墓地の敷地はさほど広くない。
視線の先には港へ向かう馬車が停車して、主達が乗り込むのを待っている。



ここでお別れだ。



薫と剣心は馬車から少し離れたところで足を止めた。










「じゃあ・・・・元気でね」
「向こうに着いたら手紙書くから・・・・・」
「緋村君にも、世話になったな」
「来迎寺殿も息災で」










皆、短い別れの言葉を口にし、千鶴と宗巌は背を向ける。
薫は彼らの背中をじっと見つめていた。



       と。



馬車の手すりに手を伸ばした千鶴の動きが止まった。
怪訝に思いつつもそのまま声をかけずに黙っていると、千鶴の肩が細かく震えているのが薫の目に入った。
思わず一歩踏み出し、口を開く。

「千鶴さん」

薫の声が届いたのか。
不意に千鶴が振り向き、そのまま薫のもとに走った。



今まで泣くまいと耐えていたのだろうか。
千鶴の瞳から大粒の涙が次から次へと溢れ出し、彼女の顔は涙でくしゃくしゃになっていた。



その表情に薫もたまらず駆け出した。
二人の間に空間が無くなると、お互いしがみつくようにして抱き合う。










「さようなら・・・・薫姉さん・・・・・」
「千鶴     










時折聞こえる嗚咽は、どちらの少女のものだろうか。

剣心は黙って姉妹の抱擁を見守った。
ふと見ると、宗巌が目頭を押さえている。

剣心の視線に気付いたのか、宗巌がそのまま頭を下げた。



彼にとって薫は、千鶴と同様自分の孫なのだ。
薫も己の手元に置きたい、というのが宗巌の本心だろう。



しかし、双子は災いのもと、という迷信を鵜呑みにし、絆を引き裂いたのはほかでもない、宗巌自身なのだ。
薫は気にしないだろうが、宗巌はそんな自分が許せない。
それにそのことが無くとも、今の薫の隣には剣心がいる。

宗巌は孫娘の未来を剣心に託した。

それを察した剣心は、自身も頭を下げ、無言で決意を伝えた。










己の全てを賭けて、薫を守り抜く、と。










しばらくして泣きながら別れを惜しんだ姉妹は、どちらからともなく離れ、お互いの髪を結わえているりぼんをほどく。
それを目の前にいる少女のそれと交換し、同時に背中を向け歩き出す。
生後まもなく抵抗することも叶わずに引き裂かれたお互いの半身は、一度はひとつになったかに見えたが、今度は自分達の意思で分かれた。










千鶴は血の繋がった祖父のもとへ。
薫は愛する男のもとへ。










やがて千鶴と宗巌が馬車に乗り込み、赤く腫らした瞳のままでお互い微笑み合う。



馬車が動き、その姿が見えなくなると薫の顔から笑みが消え、呆けたように馬車が消えた方向を見つめていた。
「・・・・行っちゃった・・・・」
「薫殿」



ぽつりとつぶやく薫の声があまりに頼りなく、剣心は気遣わしげに声をかける。
その声に反応したように、薫は振り向いてふふ、と悲しげに笑った。
「始めは、血の繋がった家族がいるって言われても、すぐ信じられなかったけど・・・・今こうして離れ離れになると、ちょっと、ね」
「・・・・・寂しいでござるか?」
「寂しいというか・・・悲しいとも違うわね。確かに、泣いている時は悲しくて涙が出たけど」

剣心の問いに、んー、と首を傾げる。

「なんだか胸にぽっかりと穴が開いた感じ。喪失感っていうの?変よね、今頃になってこんな風に思うなんて」
そう言って、ふう、と大きく息を吐きだした。
睫毛が伏せられ、薫の表情が愁いを帯びている。
こんな時にと思うのだが、哀切を含む少女ははっとするほど美しい。
ふと、薫が何か言いたげに剣心に視線を送った。



「剣心はどこにも       



そこまで言いかけ、薫は首を振った。
「ごめんなさい、なんでもないの・・・」
頭を垂れ、きゅ、と帯の前で手を握り締めると、剣心がおもむろにその手を取った。
はっとして顔を上げると、剣心は薫ではなく、彼女の手に視線を注いでいた。

火傷した部分に巻かれている白い包帯が痛々しい。

それを確認した時、剣心の瞳に痛ましげな光が走ったが、ゆっくりと己の口元に近づけ、そのまま口付ける。
つんとした膏薬の臭いに混じって、薫の甘い香りが剣心の鼻腔をくすぐった。
「けん、しん・・・?」



愛しい人からの初めての接吻に薫の声が震えた。



たとえ手であっても、接吻には変わりない。
彼から受ける初めての行為に戸惑いを隠せず、薫は剣心を見つめることしか出来ずにいた。
剣心は無言で薫の手に同じ行為を続ける。










最初は手の甲、次に手のひら、また手の甲に返して、親指、人差し指と順に口付けていった。
彼の唇が触れた箇所から、熱を帯びていくのを薫は感じていた。
同時に心臓の鼓動が早くなる。
羞恥と感動が入り混じり頬が熱くなるが、それでも剣心から目が離せない。










「約束する」










剣心の唇が中指に触れたとき、やっと声が聞こえた。



「この先、どのようなことがあろうと」



言葉を紡ぎながらも、剣心は接吻をやめない。



「例え、薫殿が拙者に愛想を尽かしても」



全ての指に口付けると、今度はその指の腹に己の唇を押し付ける。



「拙者は薫殿と共に生きる」










最後に包帯の上から唇を滑らせた。
薫の火傷を癒すように、そして心の痛みすら和らげるかのように。










やっと剣心の唇が離れ、再び薫の瞳と出会った時、彼の瞳は真摯な光を宿していた。

「約束する・・・・・薫殿」

もう一度、剣心は同じ言葉を繰り返した。
剣心の言葉は、確かに薫の耳に届いていたのだが、薫は声を発することが出来ない。
その代わりに出てきたのは、熱い涙。










「私が・・・・剣心に愛想を尽かすはずないじゃない・・・・」
「薫殿・・・・・」










何とか笑おうとしたがそれは失敗に終わり、くしゃりと薫の顔が歪んだ。
そのまま嗚咽を抑えるかのように、震える唇を噛み締めた。
剣心は握ったままの手をぐい、と引っ張り、薫は剣心の胸にすっぽりおさまった。










大丈夫。
私は一人じゃないから。










ふわりと風が吹き、剣心と薫を包み込む。
お互いの温もりに酔いしれている剣心と薫は気付かなかったが、その風は確かに恋人達を祝福する言葉を届けたのだ。




















「お幸せに」  
       ・・・。































【終】
・・・・・とは限らないかも?待て次回!( ̄ー ̄)ニヤリッ



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